Viva Venezu〜

Ahonda (アオンダ旧名RYRconJ

Ahonda とは日本向けに結成されたユニットです。
ベネズエラメンバーは現地ではトップ中のトップアーティストたち。
特にポジョはベネズエラでは知らない人のいない人気タレント?(になってしまいました。)でもあります!
そんな彼らが毎年スケジュール調整をして日本に来てくれるのは何よりもMusica Venezolana ベネズエラ音楽を世界に広めたいから。
日本、いや世界各地にムシカ ベネソラーナが定着する日まで私たち頑張ります!

          Ahonda プロフィール

2007年 2月 日本にベネズエラ音楽を広めるための特別ユニットとして結成される。
          「RYRconJ」としてカラカスにてレコーディング。
       7月 初アルバム「Moliendo Cafe」を発売
      10月 ベネズエラメンバー初来日。東京と仙台で初演奏。
2008年 6月 ベネズエラ、カラカスにて演奏。
      10月 メンバー来日。東京、宮城、福島などにて演奏、またはベネズエラ音楽普及活動を行う。
2009年 9月 メンバー来日。東京、宮城、岩手、静岡、神奈川などにて演奏及び普及活動を行う。
      12月 グループ名をAhondaに変更。
2010年 2月 カラカスにてセカンドアルバムを制作。
       8月 セカンドアルバム発売予定。
       9月 メンバー来日。宮城、東京、大阪、兵庫などにて演奏及び普及活動。
2011年 2月 ベネズエラ日本大使館による日本文化週間にて演奏。

Ahonda(アオンダ)の名前の由来
私が以前住んでいたギアナ高地はカナイマにある有名な山、アウヤンテプイ(悪魔の山)にある峡谷の名前です。この峡谷はガイドたちが閑散期によく冒険に出かけるところなのですが、前人未到に近い場所で、名前のない動物(未確認動物です。)がいたり蘭が咲き乱れる場所があったりと、魅力的な場所だと聞かされていました。(触り程度は私も行きました。プールみたいなものがものがありました。)
そしてAhondaには”もっと奥へ…、もっと深く…”という意味があり、一番文句が多そうなポジョからもすんなりOKが出てしまいました。

Ahonda(RYRconJ) 結成までの道のり
もともとは2000年にポジョ(ラファエル ブリート)と運良く知り合った事がきっかけだったでしょうか?その後、ポジョは見る間に雲の上の存在となり、それでも偉ぶる事なく、頼み事をすれば引き受けてくれる友達関係が細く長く続いていました。そして、日本にムシカベネソラーナ(ベネズエラ音楽)を広めたい、そのためには是非日本向けのユニットが必要なんだと、またまたポジョに相談したところ揃えてくれたのが彼を含めた他の二人。まずポジョ自身が入ってくれた事にもびっくりしましたが、いとも簡単に集めてくれちゃった他の二人、、実は彼らもそうそうたるメンバー!!ベネズエラ音楽界を背負って立つ人々です。(詳しくは下記のプロフィールを読んでください。)私は人とのご縁にすごく恵まれているのですが、この時も実は既に彼らと香港で会っていたこともあり話はとんとん拍子に進み、レコーディング、ユニット結成と相成ったのでした。

香港での出会い
2005年秋、たま先生からメールが入りました。ポジョが香港に行くそうだよ。近いと思っているらしく気軽に来いって言ってるけどどうする?との事。既に私は仙台で地道なゼロからの音楽活動に入っており、知名度が低いがゆえの屈辱やら貧乏やらと孤独に闘っていたのですが、面白そうなので、とりあえず香港に行くことにしました。メールが来てから一週間ぐらいのことです。ポジョは自分たちの泊まるホテルすら知らず、彼らがカラカスの空港を出発する間際、ロベルトなる人物→たま先生→私の順番でホテルの名前が伝達され、とりあえず、私が香港に着いたら、ホテルを探しあてるという(香港というかアジア未経験なのに)、スリリング且つ、ベネズエラらしいミーティングが決定されました。その突如として現れたロベルトなる人物がロベルトコッホです。ポジョとロベルト、ホセはクラウディア カルデロンというコロンビア出身のジャネーラを演奏するピアニストのメンバーとして初のアジア、香港にやってきたのです。残念ながらコンサート本番は見る事が出来ませんでしたが、一日掛かりの最終リハーサルを見学し、地元の方のガイドによる香港観光にも一緒に連れて行ってもらい、主催者ご招待のお食事会にもちゃっかりおじゃまし、そうこうするうちにすっかり彼らと仲良くなったのでした。




プロフィール

Rafael Brito(ラファエル ブリート)
Rafael El pollo Brito(ラファエル 'エル ポジョ' ブリート)としても知られる。ポジョとはチキンつまり若鶏の意味。ベネズエラでは偉大な歌い手はGallo(雄鶏)と言われたりするが彼は小さい頃からそう呼ばれ、音楽界で認められていたこともありこの名が浸透した。
1971年、首都カラカス生まれ。ベネズエラを代表する楽器クァトロ(ベネズエラ4弦ギター)の奏者でありながら、作詞作曲も手がけ、日本でも最近注目を集める「シモン ボリーバル ユース オーケストラ」の教授をするなど、多岐に渡り活躍、若手クァトリスタとして着実にその地位を築いていた。
2005年に発売した初のボーカルソロアルバムで、ベネズエラ伝統音楽を現代風にアレンジ。高い技術と才能に裏付けされたオリジナリティーと斬新さが受け、アルバムのタイトル曲、「Una casita bella para ti」はヒットチャートNo.1に輝いた。アルパやクァトロを用いたフォルクローレとアフロベネソラーノ(黒人音楽)、ポップスの融合で新しいムシカベネソラーナの世界を確立した功績は大きい。
セカンドアルバム「Se canta venezolano」はゴールドを超え、プラチナディスクになった。今では彼のオリジナルバンドとともに全国をまわる他、テレビ、ラジオでも活躍。テレビで彼を見ない日はなく、ベネズエラでは彼を知らない人がいない程の人気ぶりである。が一方で、ベネズエラ音楽界のクァトリスタとしてのキャリアも確実に積んでおり、トップの演奏家の一人として海外の演奏を頼まれることも度々である。
Ahondaのリーダー。アルバムの音楽ディレクターも彼。

Roberto Koch(ロベルト コッホ)
1974年、カラカス中心部で生まれる。幼少よりフルート、バイオリン、ピアノと音楽の英才教育を受け、18歳よりコントラバスを始める。その後、すぐにその才能を開花させ、わずか数年でベネズエラを代表するコントラバス奏者になった。
音楽への興味はベネズエラ音楽に止まらず、ジャズ、ラテンジャズ、ボサノバ界でも頭角を現し、各分野のトップアーティストとの共演を次々に果たし、先ごろはNYのカーネギーホールでも演奏。あらゆるジャンルの音楽が混じり合ったオリジナリティーあるれるアレンジとコントラバスとは思えない指さばき、チベットの修行僧のような大人しい風貌とは正反対のアグレッシブな演奏で、コントラバヒスタとしての地位を不動のものにしている。
まさにベネズエラ現代音楽の中心にいる1人。
また大学ではコロニアル音楽を専攻。学問としてのムシカ ベネソラーナも極める探究心の強い音楽家である。



Jose Perez(ホセ ペレス)
1953年生まれ。ベネズエラの代表的音楽「ジャネーラ」の正統派マラカス、パーカッション奏者。
教本の類いのないマラカスという世界の中で才能を発揮。コーヒールンバで有名なウーゴ ブランコをはじめベネズエラを代表するほとんどの音楽家と共演。トップのマラケーロの一人として世界各国の演奏ツアーに飛び回っている。
ahondaの日本ツアーでダントツの人気を誇るのは実は彼である。





吉澤陽子
1971年、岩手県生まれ。日本はもとより本国ベネズエラでも大変珍しい(女性というところが)ベネズエラハープ奏者。
97年に本国へ。アンデス圏の学園都市メリダで基礎を習得し、ベネズエラ最大の観光地、カナイマ(ギアナ高地)で音楽修行。大統領の前で演奏も。その後ジャネーラの本場アプーレなどをまわり、2000年にカラカスへ。ラファエルブリートと知り合い、テレビ番組や大使館主催のコンサートで共演。2002年に帰国。2005年より日本での音楽活動をスタート。ハープにこだわらず、歌、パーカッションととにかくムシカベネソラーナを日本に浸透させるべく奮闘中。






                        El Satelite サテリテ
吉澤陽子(歌、アルパ、パーカッション)と本城久志(クァトロ、コーラス)によるベネズエラ音楽ユニット。2008年12月より無名のまま活動していたが、2009年12月にサテリテのコンビ名にて新たに演奏活動をスタート。年に1回だけのAhondaの活動を日本で継続すべく、Ahondaの衛星的役割として日本各地でのムシカベネソラーナの普及活動に勤しむ。
伝統音楽からアフロ系音楽と、幅の広い現代ベネズエラ音楽のAhondaスタイルを襲踏しつつ、独自の実験的音楽も演奏。
仙台 Jazz Me Blues noLaでの定期ライブの他、東京神田、旧パサティエンポの3Fパーティールーム、北青山のブラジル音楽の老舗プラッサオンゼでも定期的に演奏。。
2010年3月にはカラカス老舗日本料理店Avila-Teiにてゲリラライブを行う。

                                          

本城久志プロフィール
仙台市出身。12歳よりロックに興味を持ちエレキギターを始る。その後、クラシックギターに転向。ジャズバンドでギターを弾いていたがワールドミュージックに興味を持ち、Buena vista social club に影響を受け、キューバを旅行。キューバ音楽ソンのバンドでギターとトレスを演奏。ベネズエラ音楽には2008年に出会いクァトロを演奏し始める。
2010年3月にはついにカラカスを訪問。有名若手クァトリスタのユニットC4Trioのエクトル モリーナとホルヘ グレムからクァトロを習う。






Salon de Musicos Venezolanos(陽子の部屋)
ベネズエラに行くといろんな音楽家と知り合います。さて、どこで紹介しようかと考えあぐねていましたが、このページに入れることにしました。
よろしくお願いします。

第1回  Carlos Orozco(カルロス オロスコ)
第1回はこの間大変お世話になったので、この人。カルロス オロスコ。別名Carlos Metralleta Orozcoとも言います。メトラジェータとは機関銃の意味。彼の発明した演奏方法がまるで、機関銃をぶっ放すような手の動きなので、この名が付きました。今のアルパ界を背負って立つ一人です。いろんなCDを聞いていると、今の大多数のアルピスタの演奏は彼の影響を大きく受けていることを実感します。彼は作曲も手がけるベネズエラのアルパの革命児です。リチャードクレダーマンばりのムード系の曲もよく作曲しますが、私としてはやはりそのホローポのテクニックに圧倒されます。巨匠中の巨匠です。にも関わらずアルパが好きで好きでたまらないといった様子で、眠る時と、ご飯を食べる時以外はずっと恍惚とした表情でアルパを弾いているような有様。そして曲のイメージが次から次へと泉のように溢れ出てとまらないといった感じです。アルパとかクァトロとかの区別なく、彼はまさしくベネズエラ音楽界の天才でした。2005年、ちょうど私たちが香港にいた時、彼は日本に来ていました。大変な家族思いで、公演が長かったため、ホームシックにかかってしまし、play stationを買ってきて、ずっとホテルにこもっていたそうです。



第2回  Jose Archila(ホセ アルチーラ)
残念ながら、アルチーラにはしばらく会っていません。彼はオロスコと双璧をなすベネズエラハープの巨匠です。ホセと同じ、ジャノ地方のアプーレ州出身で、本当にこれぞジャネーラっ!という王道のアルパ弾きです。容貌は体も手も大きくごつごつしていてまさにジャネーロ。そしてしゃべり方もゆっくり牛のようで(失礼!)どこからどこをとってもジャネーロ以外の何者でもありません。2004年に再び3ヵ月ベネズエラに渡ったのは、実は彼に会うためだったのに、毎日のように電話して会えたのはたった2回だけでした。どういうことかというとまるでのんきなマイペースな人だからです。「明後日カラカスに行くからまた電話して。」というので電話すると「あ、いまメリダ。明日行くから。」ということで、また電話すると「あ、今バレンシア。」すると今度は「牛の世話をしにアプーレに一旦帰る。」…とこの繰り返しが毎日続き、ついには会ってもいないのに、もうよく知った人と電話しているような感覚に。このまま会えないのかとあきらめかけた頃、ふらっとやって来て、ジャネーラのコツをみっちり教えてくれました。レッスン料を払おうとすると「いいよ、もう友達だから。」この、人のいいところもまたジャネーロです。その後、ポジョにこの出来事を話すとやはりアルチーラはいつでもそんな感じだと言っていました。今回も何度もホセと電話してカラカスかバルキシメートで絶対会おうといっていたのですが、やはり会えずじまいなのでした。
彼のアルパはJVCから出ているワールドサウンドシリーズ、ベネズエラ編のCD、「衝撃のストリング・バトル」で聴けます。


第3回  Eduardo Betancourt(エドゥアルド ベタンクール)
はい、アルピスタ3連発。エドゥアルドはポジョのバンドのアルピスタです。ポジョの大ヒットしたCDでもイカしたアルパを披露しています。彼はCD制作の時からポジョに頼まれて私の面倒をみてくれていました。今でも、カラカスに行くとすぐに彼に会っていろいろアルパの相談をしています。事実上の現在の私のアルパの師匠といったところでしょうが、かなりフランクな友達づきあいをしてくれています。彼のすごいところは器用なところ!マラカスもクァトロもスラスラとこなします。以前何かのフェスティバルにマラケーロとして招へいされたのに、アルパも弾くとわかって急きょアルパの演奏も入ったそうです。こういう臨機応変で、今風なサウンドをつらつらとこなすところがポジョと気があったのでしょうか。上記の芸術家肌100パーセントの二人と違って実社会にもキチンと根付いた人なので、一緒にいて大変助かります。それでいて、アルパの腕もかなりのものなのですから、本当に器用で頭のいい人なんだと思います。






第4回  Hector Molina(エクトル モリーナ)
ここからはちょっとクァトリスタを紹介しようと思います。エクトルとは去年2008年の6月、ベネズエラで知り合いました。私があちらへ行ったのは有名、高級日本レストラン、アビラ亭の30周年記念イベントのためで、最初のパーティーで、RYRメンバー全員演奏した後、その後の一週間はポジョの代わりにこのエクトルがクァトロを弾いてくれました。私がいたメリダ出身で、すぐに打ち解けました。物腰も柔らかく、大人しくまさにゴチョです。またここで、うまいなぁこの男の子と、気軽に思っていたのですが、最後にプレゼントされたCDで彼が若手クァトリスタの中ではかなりのトップであることを知りました。(まぁ、ポジョの代わりにと、ロベルトが連れて来たのですから、当たり前と言えば当たり前ですが…)彼はC4Trio(セクァトロ トリオ)という若手トップクァトリスタ3人のユニットのメンバーです。高橋君がyou tube で演奏を聴いてかっこいいと興奮しておりました。赤いシャツの男の子です。



第5回 Jorge Glem(ホルヘ グレム)
ホルヘもエクトルと同じC4Trioのメンバーです。2010年、ベネズエラで初めて会いましたが、実は2004年にすでに彼の事は見かけていました。彼はチェオウルタードが開いたクァトロのコンクール「Siembra del cuatro」に出場していて私はたまたま見に行っていたのです。彼はその時惜しくも2位でしたが、観客を魅了したのは実は彼でした。彼が開発した(と言ってもいいでしょう)タンボール(太鼓)のような奏法が聴衆の度肝を抜いたのです。
その演奏+オリエンテ出身という事で、かなりパツンパツンなキャラクターをイメージしていたのですが、実際の彼は温厚かつ頭のいい人でした。2,3日の間にすっかり仲良くなり最後までお世話になってしまいました。





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