図書新聞の記事

  図書新聞2012年6月9号に載った「ポートレート」という記事の原稿です。大きな書店でないと手に入らないのではないかと思い、「僕が喋って、編集部がまとめたものを、僕が全面的に手を入れたので、半分くらいは僕に著作権があるかな」、と勝手に考えて、ここに載せることにします。実際の新聞には三部作『児童文学の境界へ』『物語のかなた』『人気のひみつ、魅力のありか』の写真や、僕の写真、見出しなどがあります。

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 藤本氏が手掛けた児童文学評論三部作が完結。特徴は、取り上げている作家のラインアップにある。『西の魔女が死んだ』の梨木香歩、“守り人”シリーズの上橋菜穂子、そして『かいけつゾロリ』の原ゆたから、メジャーな作家を主な対象にしている。「現代児童文学の特徴や構図を捉えようとしたわけではありません。僕は研究者ではないから、そんな義理はない。自分が読んで面白かったものだけを論じようと思った」と言う。それゆえ、極めて真摯な評論でありながら、その理路には、氏の興奮がしっかり流れている。

「梨木香歩の場合は、僕の子供時代を思い出し、娘や息子の幼い頃とも重ね合わせて、作品を縦に掘り下げました。『西の魔女が死んだ』が映画化された頃で、梨木さんが色々な雑誌のインタビューで語っていたので、それは全部追いかけました。中心に論じた『からくりからくさ』は入り組んだ難しい話で、どう見ても大人の小説。児童文学との連続性をどこに見出したらいいかが大きなテーマでした。上橋菜穂子の場合は水平展開させました。『精霊の守り人』論を真ん中に据え、シリーズの全体像、文化人類学者上橋菜穂子、あるいはアニメ、マンガ、放送劇、翻訳とさまざまに形を変えて〈増殖する物語〉という問題などにもふれています」

各冊ごとに論評スタイルを変えているのも興味深い。その意志は、とりわけ上橋の論考に表れている。「“上橋は文化人類学者だから世界観がしっかりして…”みたいな決まり文句で語られることが多いのですが、本当は検証されていないのではないか。そういう風潮に一撃を与えたいという気持ちはありました。彼女が書いた論文は全部読んでみようと思った」。論文を求めて民族学博物館や国会図書館関西館へも。博捜する行動力の源を尋ねると、「誰かのことについて論じるというのは、つまりそういうことでしょう。そんなこともせずに、〈枕詞〉ですませるなんて何なのだと思う。読んでみようと思わないことのほうが僕には驚きです。一次テキストに当たるのは最低限の礼儀、作法。まあ博士論文まで読めとは言いませんが(笑)。上橋さんにお会いしたとき、「あれは、どこにあったんですか? 表紙は何色でしたか?」と尋ねられました。博士論文ですから、誰かが探し出して読むとは予想もしていなかったのでしょうね」と苦笑い。

 「児童文学は九〇年代半ばから、大人が読んでも面白い作品が増えた」と話す。あさのあつこ、森絵都、佐藤多佳子らも含めて、児童文学のベストセラーは子ども読者だけでなく大人読者をも獲得した。「死に対する恐怖、子供のイノセンスの表出と解体など深いテーマにふれているから大人が読んでもおもしろい」と分析する。「子供に対して、不安や恐怖、死、セックスの問題を語ってどうするという否定的な見方は今も根強くある。生きていくことをもっと肯定的に捉えられるようにするべきだ、戦後の児童文学はそもそもそうだったと。岩瀬成子などは、早い時期からそういう〈負の問題〉を扱っていて、何度も批判的に論じられてきたわけです」。

しかし、氏の考え方は決定的に異なる。「児童文学は、子供たちの認識の基礎になるべき根本的な文学。であればこそ、きれいごとですませずに、子供の中にもある〈影の部分〉にきちんと形を与えることが大切。いじめる者の快感や喜びを描くことは、「児童文学」の人たちからすれば“ちょっと待って”ということになるかもしれない。かいけつゾロリが大人に評判が悪い一因はそこにある。しかし、“かくあるべき”というのは良くない。むしろ“良い子になんかなるな!”というのが、僕のメッセージ。親や大人に反抗もせずに、どうするの、と。自分の中にある〈負の感情〉に気づくことは、大人になるためには重要なこと。」。そう語る表情には、今年の3月まで夜間定時制に務め、高校生と直に向き合ってきた経験がにじみ出ている。「児童文学の中には、子供をちょっと舐めているのではないか、と思うものもあります。同時に論じかたとして“児童文学にしてはよく書けている”とか、何か一般の文学より下のものと見ている場合が多い。それも〈枕詞〉です。そうした風潮に対する違和感もあった。作品そのものが面白いかどうかがすべてなのですから」。

最終巻の「あとがき、あるいは「21世紀こども文学論」への走り書き」で提示された新しい概念「こども文学」。その指標は、「「読者としてのこども」だけに置かず、描かれている対象(あるいはその作品に設定されている語り手)にも」置かれている。次なる展開は、と問うと。「一応これで完結です。誰か続けてくれればいいんですけどね」。氏が差し出しているバトンは重要な“重さ”を持っている。今後の波及が楽しみな三冊だ。

 

プロフィル:1952年生まれ。1975年より兵庫県の県立高校に勤務。今年、3月に退職。高山智津子・文学と絵本研究所所員。著書に『読みきかせに始まる 絵本から『サラダ記念日』まで』(久山社)など。