上橋菜穂子の世界を論じた新しい児童文学論

新刊案内

『物語のかなた 上橋菜穂子の世界』 藤本英二
                      2010年1月25日発行 久山社

目次
 第一章 戦後児童文学とファンタジー
 第二章 『守り人』まで
       T 物語との出会い
       U 文化人類学との出会い
       V 初期作品について
 第三章 『精霊の守り人』を読む
 第四章 『守り人』シリーズの全体像
       T 各巻のあらすじと特徴
       U 『守り人』シリーズの生みだしたもの
 第五章 物語は増殖する
       T 児童文学と物語の増殖
       U 『守り人』の物語は増殖する
 第六章 文化人類学者としての上橋菜穂子
 第七章 物語のかなた


☆2009年『児童文学の境界へ 梨木香歩の世界』に続いて、現代児童文学を論じた第二弾です。

《『精霊の守り人』は次のような印象的な一文から始まる。《バルサが鳥影橋を渡っていたとき、皇族の行列が、ちょうど一本上流の、山影橋にさしかかっていたことが、バルサの運命を変えた。》この語り口調は、物語世界をはるかな高みから見下ろし、物語進行の先までを見通した、いわば物語の全体を知った者の語り口である。フランスの文芸学者ジェラール・ジュネットは『物語のディスクール』(一九八五年、水声社)の中でこのような「あとから生じる出来事をあらかじめ語るか喚起する語りの操作」を先説法(proleps)と名づけている。実は『精霊の守り人』ではこの先説法が頻出している。/たとえば、この直後、橋の上で牛が急に暴れだし牛車が横転、チャグムは川に落ち、それをバルサが川に飛び込み救出するという最初のエピソードが語られたあと、次のことばで序章は締め括られる。/《だが、いまの彼女には知りようもなかったが、これは、すべてのはじまりにすぎなかったのである。》このように序章の始まりの一文、結びの一文がともに先説法なのである。ここに、『精霊の守り人』の特徴・性格がかなりはっきりと表れている。……中略……先説法は、物語の進行をはるか高みから鳥瞰しているような印象を与え、その位置から見れば、人がいかにあがこうと、変えることのできぬ大きな流れ、進行していく運命のようなものがあるかの如く見える。しかし、精霊の卵が無事に生まれ、ナージ(鳥)によって海に運ばれ、事件が大団円を迎えたあと、生まれ故郷カンバルに一人向かうバルサは、別れたチャグムを思い、そして幼い日の自分を思い出す。運命に翻弄される幼いチャグムの命を守って精一杯に駆け抜けた自分、そして同じように幼い自分の命を守って戦ってくれたジグロ。守られる者チャグムと幼いバルサは重なり、守る者ジグロとバルサが重なる。そして、かつての守られる者は今守る者になる。そのように守る者と守られる者が、二重うつしになったとき、上橋菜穂子は雨の中でバルサに次のような感慨を抱かせている。《なぜ、と問うてもわからないなにかが、突然、自分をとりまく世界を変えてしまう。それでも、その変わってしまった世界の中で、もがきながら、必死に生きていくしかないのだ。だれしもが、自分らしい、もがき方で生きぬいていく。まったく後悔のない生き方など、きっと、ありはしないのだ。》繰り返し言えば、先説法は物語の進行をはるかな高みから見ているかの如き感覚を我々に与える。それは人々がいかにあがこうと止められぬ運命があるという思いを抱かせる。しかし、たとえどのように翻弄されようと運命に立ち向かおうとするこのバルサの感慨・意志こそが、地上に生きるべく宿命づけられた人間の覚悟として、我々の胸を強く打つ。》第三章より

《上橋菜穂子がオーストラリアのアボリジニの研究をしている文化人類学者だということはよく知られている。しかし、実際にどんな研究をし、どんな論文を書いているのかまではあまり紹介されることもない。また、そうした文化人類学の研究が児童文学の仕事にどのように関係しているのかを具体的に論じたものもあまり見たことがない。「文化人類学者」という曖昧なイメージだけが一人歩きして、「文化人類学者なので物語世界がよく構築されている」といった類の評言が何の検証もなくまかり通っているのではないだろうか。僕は専門家ではないので、彼女の研究業績の意味や価値を語ることはできないが、手に入る論文にはすべて目を通してから、文化人類学者上橋菜穂子と児童文学者上橋菜穂子の問題を考えてみようと思った。》第六章より

《児童文学は何よりも子どものための文学であり、大人が子どもに語りかける文学だ。だからこそ、作者は自分の世界認識や人間理解を、その深さのままに、分かりやすく、くっきりとしたストーリーとして語る必要がある。児童文学はbasicな(ベーシックな)文学であるべきだ。ベーシックとは初歩的ということではない。根本的であり、これから生きていく子どもたちの認識の基礎になるべきものということだ。上橋菜穂子の世界は、先に見たとおり、世界の多様性、価値観の相対性を語り、戦うべきは悪ではなく状況であることを示し、困難に負けない子ども、それを支える大人の存在を描き、生きることの肯定感を読者の胸に届けている。ベーシックで深く力強い物語ならば、大人にとっても面白いのは当然だ。上橋菜穂子の物語は、年齢を超え性別を超え多くの人々に愛されている。》第七章より



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