(以下は略歴です。詳しい年譜はここをクリック)
・一九三○年(昭和五年) 大阪に生まれる。カトリックの家に育つ。
・一九四二年 頃 西宮に転居。浜脇尋常高等小学校高等科に入学。
・一九四五年(昭和二○年) 師範学校(神戸大学教育学部の前身)入学。
・一九四八年(昭和二三年) 師範学校本科一年生、十七才で、
尼崎立花小学校の教壇に立つ。
・一九四九年 (昭和二四年) 秋、教員免許をとるために、大学の通信教育に入学。
冬、映画サークルで高山藤三氏と出会う。
・一九五三年 (昭和二八年) 春、スクーリングで知り合った石井氏と結婚
・一九五四年(昭和二九年) 姫路市立糸引小学校に勤務
・一九五六年 (昭和三一年) 八月、長男出産。十月、兵庫県第一回母親大会に参加。
姫路教職員組合、婦人部副部長になる。
短歌サークルに。
・一九六一年 (昭和三六年) 離婚を決意し、長男と二人尼崎へ。
・一九六二年 (昭和三七年) 五月、尼崎市立金楽寺小学校に転勤。
・一九六四年 (昭和三九年) 尼崎教職員組合の婦人部長になる。
母親大会のためにオルグをする。
・一九六六年 (昭和四一年) 高山藤三氏と再会、結婚する。
一○・二一ストに参加
・一九六七年(昭和四二年) 次男出産
・一九七○年(昭和四五年) 日本文学教育連盟全国大会に参加。
兵庫文学教育の会を設立。
尼崎産業郷土会館を会場に
サークル例会を二十年以上続ける。
・一九七二年(昭和四七年) 兵庫県民間教育研究団体合同研究集会の分科会で
「あるハンノ木の話」を報告。
・一九七七年(昭和五二年) 尼崎市立城内小学校に転勤。
金楽寺小学校の思い出を綴った
『ひょうたん池の子ら』を自費出版
・一九八一年(昭和五六年) 身体をこわし、定年を待たずして退職。
香里ケ丘看護専門学院、大阪・保育・学童保育学院など
の講師を勤める
この年から、愛知県立大学の聴講生として、
勝尾金弥先生の講義を受講する。
また、新日本婦人の会
兵庫県本部育て相談室室長をつとめる。
・一九八二年(昭和五七年) 半生記を綴った『女教師 愛ひとすじに』を出版。
・一九八五年(昭和六○年) サークルでの読みきかせ実践をまとめた
『この本に夢中』を出版。
・一九八八年(昭和六三年) 夏、ハイジを訪ねてスイスへ旅行する。
・一九九○年(平成二年) 梅花女子大の三宅興子先生の講義を受講する。
夏、大草原のローラと赤毛のアンを訪ねて、アメリカ・
カナダへ旅行
・一九九二年(平成四年) 徳島県日和佐への転居を決める。
「兵庫文学教育の会」の月例会を閉じる。
それまで勤めていた専門学校をやめる。
「兵庫子どもと絵本の会」を結成、
赤ちゃん絵本の研究を始める。
・一九九四年(平成六年) 「日和佐・文学と絵本研究所」を開設。
全国での講演が三○○○回を突破する。
・一九九五年 (平成七年) 吉住育子氏と事務所オフィスT・Yを設立(阪急六甲)。
・一九九六年 (平成八年) 四月、高山藤三氏死去
・一九九七年(平成九年) 大阪総合福祉専門学校講師となる。
・二○○○年頃 聖和女子大で鳥越信氏の聴講生となる。
・二○○三年 (平成一五年) 十一月、講演四○○○回を突破する。
・二○○四年(平成一六年) 鳥越信氏の私塾「鳥越塾」に参加。
・二○○五年(平成一七年) 講演四○○○回突破、研究所設立十周年を記念して
祝賀会をひらく。
・二○○六年 (平成一八年) 六月十一日、永眠。
※この「高山智津子先生の歩み」は、先生の著書等を参照しながら、作成しました。
また著作目録は別に作成しております。不備な所が多いかと思います。
訂正や補足すべき所にお気づきの方は、どうか研究所までお知らせください。