こんなもの発見


[ てるおかいつこさんが高山先生を引用していた

 暉峻淑子『サンタクロースを探し求めて』(岩波書店、2003)に高山先生の文章が引用されていました

 

「第3 章サンタクロスの本を書く の「子ども達はどのように読んでくれたか」という節です。

 

私はこの本を書き終わったときに、私の魂もこの本のなかに置いてきたような気分になり、

もう、この一冊以外は、子どもの本をかくことはしない、と、心に誓った。この本が出版さ

れてからもう二〇年になる。 一一月頃から書店に並ぶこの本を見ると、なつかしくはあるが、

自分が書いた本だという気がしない。

そして、クリスマス近くなると、どこかの放送局で、この本が朗読される。朗読する人は

女性だったり、男性だったりするが、その言葉は、朗読している人の言葉ではないかと思え

るほど、その人のものになっている。サンタクロースは一人旅をつづけて、それぞれの人の

サンタクロースになっているのだろう。

ところがあるとき、私はぐうぜんに、 この本を子ども達に読み聞かせている、小学校の先

生のエッセイをみた(『子どもと読書』岩崎書店、 一九八三年一二月号)

その著者、高山智津子先生は、小学校の先生で兵庫文学教育友の会に所属している人だと

紹介されている(のちに、日和佐「文学と絵本」研究所所長)。子ども達にずっと本の読み聞かせをしつづけてきて、読む時も、子どもに決して強制せず、聞きたい子だけがきく、という自由を大事にしてこられた。本を読めばどういう効果がある、とか、教育上どうだとかいう議

論ぬきに、ただただ本は楽しいから読む、という立場をつらぬいてきた先生のようだ。しか

し、先生のクラスは、他のクラスにくらべて、子ども達が攻撃的でなく、豊かな情緒にみた

されている、と、ある教師が書いている。

先生の書いた文章の一部を紹介しよう。

 

《小学校の三年生ごろまで、サンタクロースの存在を信じている子がいます。 一年生でも

幼児でも「サンタクロースなんか、いてへんでぇ―。おとうさんやおかあさんにきまって

!」と言う子もいます。でもこどもたちは、「サンタクロースってほんとにいるの?」と、

一度ならず問いかけた経験をもっています。『サンタクロースってほんとにいるの?』書名

を読んだだけで「ほんまや、ほんとにいるか?」「そら、いてるで」「おらへん、おらへん」

わいわいがやがやと、いいはじめます。はじめのページに大きく?マークがでているので、

まずおどろいています。「ウワー」「いてるで―」「いてへん」。

「えんとつがなくてもくるの?

「そやそや、えんとつない家はいかれへん」「へいきさ」「ほらみてみい」……

「こないうちもあるのはなぜ?

「そや、そや、けえへんとこもある」「けえへんときもあった」

「びょうきのこのそばで、あさまではなしこんでしまって、まわりきれなくなったのかな

あ」

私はこのベージがとくに好きです。私ならどう答えただろう、と思うからです。私の息子

がもしこんなことをたずねたら、私はきっとこう言ったでしょう。

「その子一年間悪いことばっかりしていたからでしょう」と。……

「ねえ、ほんとにいるの」

「いるよ。サンタクロースはね、こどもをよろこばせるのが、なによりのたのしみなのさ。

だって、こどもがしあわせなときは、みんながしあわせなときだもの」

この文を私は、いろいろな思いで読むのです。わが子がつらいことがあると悩んでいると、

私の胸も痛む。わが息子が受験に苦しんでいると、私も苦しむ。しかし、子どもが悩みから

脱したときの笑顔、息子が苦しみをのりこえたときの晴れやかな顔に、しあわせを感じるの

です。

そんなプライベートなことだけではないでしょう。作者は、もっともっと大きいしあわせ、

戦争のない平和なとき、それが子どものしあわせ、だと言いたいのでしょう》

 

高山先生の文章のなかから、私は、読みきかせをきいている子どもたちのいきいきとした

表情や姿が見えてくる。そして、そんなとき、しみじみと本を書いた幸せを感じるのだ。



てるおかいつこさんは『サンタクロースってほんとにいるの』という絵本の作者ですが、絵本はこの一冊だけ。生活経済学が専門の学者さんです。高山先生はあちこちの講演で。この絵本を話題にしていたら、或る日、てるおかさんから手紙が来たそうです。僕はそのことを、高山先生の講演ビデオ(岩城さん提供)で知りました。

 

発見日 2014年12月4日



Z 『第15回ボローニヤ国際絵本展視察報告/
   ボローニヤ公立学校参観印象記』


 高山先生が初めて外国旅行にでかけたのは、一九七八年。長年勤めた金楽寺小学校から城内小学校に移ったのが七七年四月です。
 旅行のあとに自費出版の形でまとめたのが、この『第15回ボローニヤ国際絵本展視察報告/ボローニヤ公立学校参観印象記』(一九七八年五月五日発行)です。これが僕の書庫から見つかりました。全部で五四ページもあるので、「はじめに」の部分だけ引用します。



@視察を決めるまでのためらい

 食べ物のことが一番心配、ご飯のない生活を送る事など考えられない。
 新学期の心の準備ができない。春休みは子どものことで心配なことばかり。春斗、任命制主任の手当支給の大詰め、サークルの春の合宿、四月例会、夏の集会の準備、そして、家族のこと、自分の健康の心配。費用の心配等、数えあげればキリがない。
 何よりも、日本の絵本を知らずに国際絵本展を視察して、何が解ろうと言う不安です。
 それよりも、外国語が全然出来ないのに外国へ行くことの冒険等々、行くことを決心するまでの逡巡は堂々廻りをするばかり。

Aすべてをふり切って 

 日本子どもの本研究会事務局長代田昇氏の「日本の絵本研究のために、ぜひに」と言う強いすすめ。 
 家族の積極的同意と、私自身の内なるI求(教室にあふれる四五人の子どもを前に頭の痛いことばかり。集金事務や保健事務・登校下校指導、昼の休憩時間もなくる給食指導。日曜日も深夜も関係ない生徒指導などで疲れ果て、私自身教師として精神的にも体力的に限界を感じ教育への情熱の醒めていく怖れと不安。それらに対処する方法を模索している毎日)から、出発する決心を固めていった。
 出発を決意をすれば、気にしていたことがひとつづつ解決の方向を示す不思議さ……
 ご飯がなくても、パンが美味なる事を教えてくれる人。相談した同僚の先生方が快く行って来なさいと言ってってくれたこと。春休みに学級の子どもと遊ぶ約束は春分の日に変更し、蒸発していた子どもの母親を探して手紙を出し話し合えたこと。
 サークルの事はすべて若い仲間が快くひき受けてくれたこと、あとは家族のこと、小さい方の息子は、近所の方々と、弟の家で世話になるように頼めたこと、自分の健康管理。姉と妹がつけやきばで栄養学をたたきこむ。パンと肉と果物を食べていれば大丈夫、少しやせて帰って来なさいと。費用も思いがけないことから解決の方向がみつかった。
 日本の絵本を、外国で見てくるのも、日本の絵本を勉強するきっかけになるのではないかと言う、家族の意見。
 最後まで解決しないのは、外国語のこと、これは今更勉強するということは不可能であった。しかし、先輩の野田先生が「心よ、しぐさよ、通じるもんよ。」と助言してくれた。―そうかなあ−と不安は消えなかったけれど、大阪弁しかしゃべれないのに……すべてをふり切って決心した。
 決心がおそかったので、それからが大変、パスポート、種痘、説明会、かばん、荷物、めまぐるしく準備に忙殺されながら、学年末の仕事、生来かっちりした仕事の不得手な上に、短時間で仕上げ(たつもり)てしまったので、学校には、ほんとうにご迷惑をかけました。 
 三月二十六日、羽田発アンカレジ経由ハンブルグらミラノ。そしてバスで、ボローニヤ着三月三十一日。


 ☆この旅行が大きなきっかけになって、のちに高山先生はハイジ、赤毛のアン、ローラを訪ねて、世界を飛び回ることになるのです。それにしても、後半の「ボローニヤ公立学校参観印象記」を読むと、あまりの計画性のなさ、無謀さ、(当日飛び込みで行っている!おまけにこの報告にはその学校の名前さえ記してない!)にあきれてしまいます。読んでみたいという方は、藤本までご一報ください。

発見日 2012年5月

Y 劇団四季のパンフレットに原稿を

 
高山先生が劇団四季のパンフレットに原稿を書いていたなんて、全く知りませんでした。もともとは2006年に上演された『夢から醒めた夢』のための原稿ですが、今年このミュージカルが再演されるので、原稿を再掲したいという文書が研究所あてに来ました。それでこの原稿の存在がわかりました。

 
 『夢から醒めた夢』から学ぶ「生きる」ということ。
    「感動は、行動への指導力」〜生きる力へ〜


 『夢から醒めた夢』の舞台をもう一度観たい。
 そう思って私は「入院」を決意しました。早くからお医者さんに入院治療をすすめられていましたが「イヤイヤ」と拒否していました。前の入院治療のとき、退院後の楽しみの無い人は治りが遅いことを見て聞きました。私は、ある舞台を観に行く日が迫っていましたから必死でリハビリをしましたし、同じ年齢で同じ手術をしても退院後の楽しみのある人とそうで無い人とは、快復力に違いがあると聞いて「なるほど!」と納得しました。
 そして、今回は五月から京都劇場で『夢から醒めた夢』が上演されると聞いて「入院」を決めました。一ヶ月間入院して五月には観に行こうと思うと、あれほどイヤだった入院準備もイソイソと出来ます。お医者さんも「そうか、気力が出てきたか」と喜んで入院手続きの書類を容易してくださいました。
 『夢から醒めた夢』を観てからずーっともう一度観たいと思っていました。目を閉じると見えてくるのは、遊園地の灯りの綺麗な光の線と点滅。うっとりと夢心地にさせてくれます。
 次に見えてくるのは、マコが愛する母との思い出を語る場面です。♪♪いつも一緒♪♪と歌う声に涙があふれてきました。マコと母親とのしあわせだった日々をイメージしたからです。
 霊界空港の場面は、ドキドキします。白いパスポート、グレイのパスポート、真っ黒のパスポート、……「私は何色だろう?」と考えてしまいます。子どもの頃に教会で天国・煉獄・地獄の話を聞いたことを思い出しました。盗んではいけない。自死してはいけない。騙してはいけない。と心に誓いました。そして、神に正しい行ないが出来るようにと真剣に祈ったことを昨日のことのように思い出しました。

 優れた文学は……。
 桑原武夫がその著『文学入門』(岩波書店)にトルストイの芸術論からの引用として「優れた文学」の条件を三つあげていたような記憶があります。
 一つめは、新しさです。新しさとは、表現の新しさだけでなく人生を再発見させてくれる新しさである……と。私は、『夢から醒めた夢』に表現の新しさもさることながら、我が人生を再発見しました。子どもの頃に遊園地へ父に連れて行ってもらったこと、大好きな母に抱きしめられたぬくもりを思い出しました。
 そして、世界中の子どもたちの幸せのために生きたいと希望に燃えた青春時代を思い出しました。その頃、第二次世界大戦後で父母を戦災で失った浮浪児が多く巷にあふれていました。今も世界中の子どもたちが泣いています。「まだまだ、私に出来ことがあるのではないか?」「子どもたちの幸せの為にしなければならないことがあるのではないか?」と考えました。
 二つめは、誠実さです。『夢から醒めた夢』には、「人生如何に生きるべきか!」が誠実に語られています。それは、霊界空港でのパスポートを巡る会話で強く感じました。
 三つめは、明快さです。難解な文学は、優れた文学とは云えないと述べています。私は、安心しました。難解な文学に出会うと自分の理解の無さや愚かさに情けなくなってしまいます。しかし、優れた文学は、難解ではない!と知ってホッとしました。
 明快な文学は、人に伝えたくなる感動がある。というのに至っては、我が意を得たり!です。難しい芸術論は、苦手なのです。「ねぇ、ねぇ、『夢から醒めた夢』よかったよ。五月には京都で上演するらしいよ」と友人たちに触れまわっているのですから……優れた文学を優れたミュージカルに置き換えてみればよく判ります。
 ミュージカルは大好きです。その舞台、その歌に全身全霊で浸る心地よさがたまらなく好きです。『夢から醒めた夢』に再び出会える楽しみを胸に「生きる」ための治療に励もうと思います。
 「感動は、行動への始動力になる」と「文学入門」に述べられています。 
 『夢から醒めた夢』からもう一度感動をもらいたい!

                           発見日 2008年8月6日

X 30年前のカセットテープをCDに復元


  所員日誌にも書きましたが、自宅の倉庫で30年前のカセットテープを発見しました。一本は1975年10月18日の日付のあるもので、神戸の教育サークル協議会(神サ協)主催の会合で、「母として教師として」というタイトルの75分の講演を録音したものでした。もう一本は1976年8月、日本文学教育連盟(文教連)の全国大会(飛騨高山)での「現場からの報告」という60分の実践報告を録音したものでした。どちらもテープの音質が劣化しているので、オーディオ・キャプチャーを利用して、少し補正しながら、CDにすることに成功しました。どちらの講演も、まだ現職の小学校教師としてのもので、教室での実践が多く語られています。例えば、キューリー夫人の伝記を授業したときの話とか、「夕やけの雲の下」の授業の話とか、またのちに高山先生が「読みきかせの講演」で典型化して語ることになる、「いろいろへんないろのはじまり」「しずかなおはなし」「わたしのワンピース」などが「生の形」(未整理の形)で語られています。なかなか貴重なものを見つけたなあと、思っています。



W 高山先生の2002年講演ビデオが見つかりました
  小西さんから「こんなテープを見つけたよ」と渡されたHi8のテープ。おさなご保育園での講演ビデオらしい。家に持って帰っても、Hi8の再生機がないので中身の確認ができない。まあ、大丈夫だろうと、去年DVD制作をしてもらった、フラッグメディアにDVD変換を依頼一週間ほどで手元に戻ってきた。 「いまこそ語りたい平和へのねがい」というタイトルで2002年9月4日の講演だった。これは現在研究所が保有しているものの中で一番新しい講演、しかも内容がこれまでのビデオ等とぜんぜん違うもので、とても貴重なものだった。音質がちょっと悪いのが残念だが。なんとか音質の改善を図りたいと思っている。(CDにするという手もあるし)


V鳥越信先生の原稿に高山先生の名が


 『現代児童文学論集5』(日本図書センター、2007年)を読んでいくと、鳥越信先生の「現代児童文学の方法」という文章がありました。その冒頭部分に高山先生の名前を発見。

 「大阪へ移って五年め、ようやく今年の春から念願だった児童文学の勉強を始めた。柏木みどり、高山千津子、田丸信堯、正置友子らと一緒に始めたもので、グループの名は「科学としての児童文学研究会」という。月一回、過去の理論遺産の検討と、現代創作の話題作の分析と、交互にやっているが、前者ではすでにゴーリキー、マカレンコをとりあげ、次回はチュコフスキーを予定している。ひきつづき槙本楠郎、菅忠道、横谷輝、ポール・アザール、リリアン・スミス、そして石井桃子らの「子どもと文学」などを考えているが、たまたま地域を同じうする者のサークルではなく、はっきりと目的意識をもったエコールとしてやっていくつもりなので、やがては同人誌発行までこぎつけたい、というのが一同の夢である。」

 智津子が千津子となっているのが、元の原稿の誤りか、この本の誤植かはさだかではないが、まあそれはさておき、この「科学としての児童文学研究会」こそ、鳥越先生が2007年の「高山智津子先生をしのぶ会」で紹介されていた会だったのだ。ちなみに、この原稿の初出は昭和62年10月発行の雑誌『国文学』10月号(学燈社)です。
 そやけど、高山先生、こんな難しそうな理論の勉強してはったんやな、とちょっとびっくり。(ちゃんとついていけたんやろか)
                        発見日2008年2月11日


U 雑誌原稿48編を発見

高山先生の雑誌原稿を見つけました。前まえから雑誌に連載をされていたことは知っていました。整理するからと、徳永さんに頼んでいたのですが、忙しくてなかなか渡してもらえませんでした。で、12月の所員会議の前に、小西さんにメールで「雑誌原稿を用意しておくように」徳永さんに伝言してくださいと、それとなく圧力をかけて、おさなご保育園で会議をしました。それで、ようやく手に入った資料のかずかず。どんなものが見つかったかというと、次の通りです。

 @「ふれあい広場」1994年4月号〜2001年3月号
    ・おはなし絵本の楽しい世界(全12回)
    ・絵本を子どもの心にとどけよう(全12回、ただし第1回は欠)

 A「月刊女性&運動」
    ・絵本といっしょキラキラ子育て(7回分)

          2003年8月号が35回なので、まだまだ未入手の資料がここに眠っている。
 B「母の広場」
    ・みつけたよ!童心社の本
         2003年11月15日号
         2004年2月15日号

         2005年2月15日号
            2005年7月15日号
      ・新刊紹介
            2005年10月15日号
 C「ブックトーク」2004年5・6月号〜2006年3・4月号
     ・思春期の本棚(全12回)

 以上4種類の雑誌の原稿を発見。一つ一つは短いものですが、48編にもなります。いずれ何らかの形で紹介したいと思っています。


T 生徒の作文を発見


『ひょうたん池の子ら』は高山先生が金楽寺小学校から城内小学校に転勤するとき、自費出版された文集です。
今では手に入らない貴重なものです。その中に「おむこさんに先生のこと教えてあげます」という素敵な文章が載っていました。
HPで特別に紹介します。


きょうは、私たちの先生の、おめでたい日です

 五年三組四十二人全員が、ここへ来たかったのですが、私たち四人だけが、学

級会で選挙され代表にえらばれて来ました。

 先生、おめでとうございます、とうかわりに、今から、先生の事をおむこさ

んに教えてあげます。

 

は、作文が大好きです毎ロ毎日作文を書かせます。書け書けと毎日言い

す。

 三年も四年も五年もと、年聞作文を書かされたかわいそうな子もいます

たちは、朝学校へ行くと、先ず先生の机の上に作文帳を出します先生の机の

に作文帳がたくさん積んであると、先生は、にこにこして時間目の勉強をはじ

めます

 作文を読んでいるとき何を言っても、ふんふんふんと言います返事はするのですが、聞いてません。

 先生は、こんなに作文が大好きですから、おむこさんも、書かされるかもしれませんよ

 

それから、先生は、テレビが大の大大きらいです。一日に三十分以上テレビを

見たらいけないと言うのです。

 先生の好きなテレビは、『四つの目』や、『みんなの科学』『ジャングル大帝』と

『トムとシェリー』などです。それだけしか見せてくれませんよ。なぜかというと、

先生は流行語がきらいだからです。ぼくたちが「シェー」「ダヨーン」「ケケケ、ソ

ウザンスカ」と言うと、いやがります。日本語で言いなさい、大阪べんで言いな

さい、と言って、かんかんになっておこります。テレビばっかり見るからそんな

言葉をおぼえると言っておこります。先生も一ぺんおもしろいテレビを見てから、

おこったらいのにと、ぼくたちは言いました。

 あるとき、学級会で先生に注文したことがあります。一ぺんおもしろいテレビ

を先生も見てください.そしておもしろくなかったら見たらあかんことにしてく

ださい、と、言ったのです。でも完生は、宿題を忘れてくると、テレビを見たか

らでしょうと言います.テストで百点にならなかったら、テレビばっかり見てる

からでしょう、と言います。なんでもテレビのせいにせんといて欲しい思います。

 

 先生、みかけはふとっていてこわそうですが、ほんとうはこわくありません。

 体重は六十八キロで、身長はメートル四十七センチいそくんと同じです

 みんなが、「でぶとか「大根足」とか言ってもおこりませんが、あんまり言わ

ないようにしてあげてください聞きずらいと思いますから

 それから、ぼくたちがけんかしておこりません運動場へ行って思きりし

て来なさいと言いますでも、命にかかかることをしたり、友だちをぶじょくし

たりするとおこります

 

 先生は、泣きみそ。私たちの友情を知って泣きはっとことがあります

 男の子が、女の子にいたずらをしたときのことです。私たちが、もう度チャ

ンスをあげていい子にならしてあげよう、と学級会で話し合っていたとき、先生

は泣いていました

 それから、先生の子どもの一雄君の参観日に行って帰って来たときも泣きます

なんでかなしいのと聞くと、一雄がかしこうにしていたからやと言って泣きます

なんでかしこうにしてたらかなしいの、と聞くと、あの子が一時間中前を向い

てかしこうにすわっているのは、つらいことやったやろうなあ、と言います。私

たちは、先生が泣く意味がわかりません。わからんこともありますが、よく泣き

ますよ。。

 先生は、体育に弱いのです。とびばことてつぼうと走るのが弱いのです

 とびばこはようとばんから、ぼくたちがだん八だんととんでいくと、ものす

 ごいよろこびます。

 てつぼうで連続足かけまわりをすると、もう一回見せて、と言って何回もさせ

て、すごいすごいと言って手をたたきます。

 走るのがおそいのでなさけないのです。運動会でいつも走ってくれるのですが、

どんじりです。でも、一生懸命に汗びっしょりで走ってくれる顔を見ると、リレ

―に負けても、ぼくたちは、なあんにも言えません。

 

それから、先生の好きな色ぱ、ふじ色とむらさき色と紅色です、いつか先生の

病気のとき、ふじ色の花をお見舞いに持って行たら、とてもうれしいと言ってよ

ろこんでくれました

 

 先生ぱ、いつも大きな□をあけて、はっはっと笑いますわたしたちの

作文を読みながら急に笑い出しますなんで笑ってはるのかわからんけど、先生

の笑い声を聞いて、わたしたちも笑ってしまいます

 

 先生の機嫌がいいときは、一雄君の話をするときです。一雄君はどうやらプラ

モデルが好きなようです。ひとりっ子だから、気にしていたようです。だから、

もうひとり女の子がほしいほしいと言っています。みつあみの髪の毛の長い女子

を見ると、髪をさわらしてと言ってよってきます。

 男の子が、さんぱつをしてくると、おはつ三日といって頭をたたきます。

 先生に、おこりんぼで、泣き虫で笑いじょうごです

 その上に、ずかしがりです

 先生は、結婚することを、自分でよう言いませんでした。

 

 ぼくたちの先生は、こんな先生です。

 大事にしてあげてください。

五年三組一同より
先 生のおむこさんへ                     


  一九六五年十二月