| いよいよ師走。今年何を成し遂げたか振り返ると…うっ,振り返るのやめよー
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| 2001年12月31日(月)
こんな大晦日に家庭教師のアルバイト。それも朝の10時からということで,家を8時頃でることに。今年最後の日に早起きだなんて,良いような悪いような。 んなわけで,今年もおしまい。今年の抱負のひとつだったHP開設はとりあえず果たしました。パレード本も出ましたが,本業は相変わらずでございました。 来年は,フルタイムくらいでしっかり働きつつ,博論に取り組むという大変な年になる予定(途中であきらめていなければ)。 どうぞ暖かく見守ってくださいませ。 今年も色んな人にお世話になりました。どうもありがとう。今年HPを訪れてくれたことにも心から感謝。どうぞ良いお年を。 |
| 2001年12月28日(金)
誕生日を迎え,いよいよ30代も後半に突入。あまり年齢にはこだわらない僕も,さすがに,こんな年にもなって大学院生なんかしてていいのかしら…と疑問を感じる今日この頃。 博士論文を書き上げるにはあと1年半〜2年かかりそうな気配だし。うぅぅぅ。 |
| 2001年12月27日(木)
実は明日は僕の誕生日。ということもあって,このHPの「今月のお客さま(対談)」にも登場してくれている鍛冶さんが,ココロ・カフェでご馳走してくれ祝ってくれた。 お昼に会ったんだけど,二丁目でランチが楽しめるなんてほんと素敵。ランチは平日だけみたいだけど,ランチ営業を支えるためにぜひみんな行って欲しいわん(貧しい僕は頻繁には行けないけど)。 ところで,今日はドイツ出身の大女優マレーネ・ディートリヒの生誕100年だとか。昨夜のNHKの番組「世紀を刻んだ歌」で, ベトナム戦争の時に米国で反戦歌として盛んに歌われた「花はどこへ行った」という歌についてやっていて, 彼女がそのドイツ語バージョンを歌っている映像が映し出されていたけど,その歌いっぷりには彼女の深い思いが強く感じられて胸に迫るものがあった。 実は僕は彼女のことをあまり知らなかったので,ネットでちょっと調べてみたんだけど,ドイツ出身の彼女が反ナチスを貫いたのは有名な話らしい。 先日の加藤シズエさんもそうだけど,自分の意思を貫く人ってやっぱりかっこいいなぁ。 |
| 2001年12月26日(水)
約10ヶ月ぶりに指導教官と面談。1時間くらい話す予定だったのが2時間に及んでしまった…。 しかも,「やっぱり博論書けないかも」と自信を失ってしまう面談だった。先生がおっしゃるには, 「本を書くなら素材があればいいけど,博士論文は規定演技みたいなものなので,漠然とした形ででも大きな問いがあって,それに答えていくような つくりじゃないとダメ」だとか。 僕は,新宿二丁目をフィールドとしているのだけれど,そこをテーマに論文を書き上げるような「大きな問い」というのがうまく見つけられずに頭を抱えてしまった。 小さい論文にはできそうな素材はいくつもあるんだけど…。 やっぱり博論への道はあまりにも険しいわ。800枚を貫く問いや概念を見つけるのは困難。やっぱりあきらめるしかないかなぁ(やる気になったり,やる気を失ったりの変化が激しい)。 とりあえず1月に指導教官を連れて二丁目に行くことになったけど,その結果「ここをテーマに書くのは難しいかもね」って言われたらどうしようって心配。 |
| 2001年12月25日(火)
今月の22日に加藤シズエさんが亡くなっていたことを遅まきながら知りました。 加藤シズエさんは,言わずと知れた日本の女性解放運動家の先駆者の一人。日本で産児調節運動を始め,戦後には女性初の国会議員の一人となった。 男爵と離婚し,運動家と再婚をしたという人生もドラマティック。 104歳で亡くなった彼女だけど,100歳を迎えてもかくしゃくとして凛として素敵だった(テレビか何かで観ただけだけど)。 そんな風に年を重ねたいと思わせる人だった。今の僕たちのジェンダーに関する問題意識からすると,疑問を感じる発言もなくはないけど, 現在のフェミニストたちからも尊敬を受けていた。僕もそんな風になりたいなぁ。 |
| 2001年12月24日(月)
クリスマス・イブ…キリスト者でもないのでどうでもいいわ,と思いつつも,なぜか「それなりに」過ごしてしまうとても世俗的なわたし。 今年も結局二つほどデートをして過ごしました。 で,夜遅めに家に帰ってきたら(お泊りではなかったのさ),NHKで20年ほど前に放送されたドラマ「安寿子の靴」をやっていた。 唐十郎さんの原作。高校生の男の子と小学生低学年くらいの女の子の出会いと別れを描いたドラマなんだけど,その淡く切ない恋心と,それを取り巻く大人たちのドロドロしい感じのコントラストが 印象的なドラマ。 間に「安寿と厨子王(ってこんな漢字だっけ?)」の物語を挟み込んだ,NHKらしい独特な映像で,高校生の時にこのドラマを見た僕は,とても感動しました。 高校時代,そのドラマを観た後,気分が高揚して眠れずに朝方ふらふらと散歩したのを覚えてます。 今回,再放送を観ながら,何にそんなに感動したんだろうって考えていたんだけど,幼いませた女の子とナイーブな(日本語的な意味で「ナイーブな」)高校生の男の子が家を離れて一緒に行動する姿が, 美しく見えたんだなー。 今もそうだけど,僕は婚姻+血縁家族を疑う余地のない所与のものとして,親密性が実現される最上の場みたいな考え方が嫌いだから,それから脱して新しい関係性を築こうとする志向が 感じられるものが好きなんだよね。当時もそれいう思いが強くあったんじゃないかな。 だからハッピーエンドに終わって欲しいところだけど,まあ,現実的にはそんなことありえないわけで,二人が警察に保護されて, 女の子が母親に連れて行かれ別れる場面がとても切なくて,今回も胸が締めつけられました。 さてさて,このHPも20,000ヒットを超えました。多くの人に継続して見てもらえてうれしいです。ありがとう! |
| 2001年12月23日(日)
風邪もようやく完治し,今日は,ゲイ業界の有名人(?)Oさんと二丁目のココロ・カフェに行ってきました。実は僕はココロ・カフェに入るのは初めて (ココロ・カフェというのは数ヶ月前に二丁目にできたおしゃれなレストラン・バー。ゲイ資本でつくられた本格的なレストラン・バーとして評判だったの)。 うわさには聞いていたけど,二丁目にある店にしては珍しく広々としていて,とってもいい感じだった。お金があったら毎日でも来たいわ。 Oさんから受け取るものがあったので,ついでに食事して,バーへ寄ってという感じだったんだけど,このシーズンにおしゃれなレストランバーへ一緒に行くなんて デート気分で気持ち良かったわん。 最近ちょっとした用が続いてOさんと会う機会が多かったんだけど,「あら,とても素敵な方だわ」と再確認して, ちょっとした片思い気分(Oさんはとっても素敵な相方をお持ち)。Hすることは決してない,たぶん告ることもない,ちょっと切ないこの気分はとても懐かしい感じで, なんだか妙にうれしい。 それはそうと,このHPももうすぐ20,000ヒットしそうです。キリ番ゲットした人には,『パレード』と『窓をあければ』をお贈りします。良かったらメールくださいね。 |
| 2001年12月22日(土)
なんだか前回書いた木曜日の日記,とっても肝心な一文が消えていて意味不明な文章になっていたわ。読んで「?」と思った人ごめんなさい。 加筆したので読み直してみてね。 さてさて今日は家庭教師の日。ようやく彼も気合いが入ってきて,反抗的態度も見られなくなり,いい感じになってきた…といっても, 実は入試は1月の半ば。推薦をもらっての入試なので合格の確率は高いらしんだけど(でも,それで落ちたらよけいやばい),もう少し早く気合い入れてくれたらもっと良かったんだけど。 勉強タイムが終わって,いつものようにリビングルームでお父さんお母さんも交えてお話していたら,学校の成績表を見せてくれた。 ほとんど5で(もちろん5段階評価),4が2〜3あるくらいのすごく良い成績。でも,思わず本人たちを前にして「なぜあの英語力で5がもらえるのかしら…」と つぶやいてしまった。 最上級(〜estね)の構文に良く出てくるamong(「〜の中で」)という単語の意味もわからず,「〜の」というofの意味もわからず after 〜(「〜の後」)を何度言っても「その後〜」とまったく逆に訳してしまう(beforeも同じく逆に訳す)彼が5をとってしまうなんて, 学校の英語教育はどうなってんの? 出題範囲の教科書を丸暗記すれば良い点がとれてしまうような教育は間違ってるわ! まあ,おかげで彼は推薦をとれたんだけどね。 でも,その入試まで家庭教師はあと3〜4回ってとこ。なんだかこっちが緊張しまくり。 |
| 2001年12月20日(木)
風邪がなかなか良くならないので,再度,耳鼻咽喉科へ(前回行ったところ)。そこの医師は,さばさばした感じの女性で,なんだかかっこいい。 結局,強めの抗生剤を倍処方してもらうことになったのだけれど,診察の終わり際に「のどに直接薬を塗る方法もあります。 よく効きますけど,とてもしみます」と言われたので,ちょっとためらったけど,効くならと思って「お願いします」と答えたところ, のどの奥を脱脂綿付きの棒で激しくぐりぐりされた。しみるというより痛いんですけど,それもかなり…と思ったけど,確かに少し良くなった感じ。 話は変わり,久々にドラマネタ。そう,観た人も多いと思う。「金八先生スペシャル」。 何週間か前には同性愛をテーマにしていた時もやけに中途半端な話だったけど(同性愛を友情とすり代えていたし, レズビアンを終始「レズ」と言っていたし),今回のトランスジェンダーをテーマにした話も,ありゃまーという感じ。 何がびっくりって,トランスジェンダーと思われる生徒(女性から男性へのトランスジェンダーなので,学校では「女生徒」扱い)の お母さんが金八先生に説明するシーンで,彼女(彼?)を身ごもっているときに流産を防ぐために病院で手を尽くしてもらった(たぶん投薬を受けたという意味)のだけれど, 「そうやって生まれた子でまれに自分のことを男の子だと思って生まれてくる女の子がいるらしいんです」と語るのだ。 確かに,ある薬を妊娠中に投与されて生まれてきた女の子に,活発な,一般的に「男の子っぽい」と言われる女の子が多くみられる… みたいな報告がなされたことがあった(あまりはっきり覚えてないけど)。 しかし,それは「男の子と思って生まれてくる」ということじゃないでしょう。っていうか,生まれてくるときに「男女」という言語的区分を知っていていて, それを意識して生まれてくる子どもがいたら,それは大変な超常現象よ。前世を覚えている子どもって感じ?(それはそれでありかもだけど) それにしても,ある意味興味深いのは,同性愛とかトランスジェンダーという話題に関係してくると,金八先生の語る話が破綻するというところ。 この破綻こそが,同性愛者やトランスジェンダーの人が置かれている社会状況を,逆説的な意味でうまく照らし出していると思う。 |
| 2001年12月17日(月)
風邪を引きずりつつ忘年会に行ったせいか,体調はすっかり後退してしまった。 しかも,今日は,うちの研究室の大先輩というか大先生というか, 名誉教授の中根千枝先生の文化勲章受賞記念講演の案内送付を手伝いに学校へ行って作業してしまったため,更に悪化。 僕の指導教官が作業手伝い募集のメールを送っていたので,たまにはいいとこ見せようと思って行くことにしたのでした。 体調としてはあんまり良い選択じゃなかったけど,10ヶ月ぶり(!)に先生に連絡をとることになって良かった良かった。 「すっかり見放されているだろうなぁ」と思っていた先生からも「自分が共同研究してもいいと思っているほど興味を持っています」とか 「世界は砂川君の考察を待っています」という励ましの言葉をいただいたし。 きっかけをつくってくれた中根大先生の文化勲章受賞に感謝。 ちなみに中根先生は,もともとインドの家族制度などに関する研究で有名なのですが(『家族の構造』東京大学出版会),その名が ポピュラーになったのは『タテ社会の人間関係』(講談社新書)という日本社会の分析です。「タテ社会」という言葉は,今ではよく耳にする言葉ですが 中根先生の作られた言葉なのです。また,女性初の東大教授だったということでも有名ですね(なんだか雑学コーナーみたい)。 |
| 2001年12月16日(日)
風邪も少々良くなったので,G-menさんの忘年会へ。 さすが,というか,当たり前というかG-men系の色気のある男がいっぱい。目の保養になりました。食べ物もおいしかったし。 途中,友人が若い小説家を引っ張ってきて紹介してくれたのだけれど,その人に「で,砂川さんは(と名札の名前を読みつつ) 何をなさっている方ですか?」と聞かれて言葉に詰まってしまった。 最近,僕のことを知っていて欲しくないような出会い(超軽いH目的とか)の相手に知られていて,「砂川秀樹」と認識されるや否や, 急に相手が引いちゃって悲しい思いをしたりとかいうことがよくある反面,知っていて欲しいような人に知られていなかったりということもあるのよねー。 VOICEの打ち上げでたまたまテーブルが一緒になった出演者に「ぷれいすの方ですか?」と聞かれたりするし…。 なんだか顔の知られ方って不思議なもんだね。 |
| 2001年12月15日(土)
結局昨夜はあまり眠れないまま大阪へ。体調はすこぶる悪し。つらーい。 しかし,前回の研究会は休んでしまったし,次回の二日間にわたる研究会のコーディネートを引き受けているので,その報告もしなくちゃいけないから休むわけにもいかないのだ。 風が吹きすさび,落ち葉が舞う万博記念公園をくぐり抜け民族博物館へ。天気が良かったのが救い。暖かい陽射しと太陽の塔がちょっと元気をくれた。 公園内は人影がほとんどなく,そのへんでHできそう…。 4〜5時間の研究会,最後まで持つかしらと思ったりしていたけど,始まってみるととても面白くて,終わり際には何だか体調が良くなっていたりして。 今日は,フェミニスト人類学者の中谷先生の報告だったんだけど,中谷先生ってむっちゃかっこいいの。最初に,「フェミニスト人類学者」として名乗ることの意味とか話してくださったのだけれど, うんうんとうなずきまくるような納得する話だった。 それは,日本で「〜主義人類学」といった名乗りがなされないことへの疑問だったんだけど,それはつまり 日本の人類学が(たぶん人類学に限らない)いかに脱政治化されているかということなんだと思う。 自らのポジションを明らかにすること,そのポジションから発言することによって生じることへの責任を負うこと,そんなことを考えさせられた。 報告の中心は,東南アジアの後発近代国家が,いかに「近代家族」のイメージを使って,成立してきたかという感じの話でした。 中谷先生は,いかに親族や家族といったテーマとジェンダーを絡めていくかという問題意識を持っていらっしゃるらしく,それは,まさに最近僕が考えていたことと同じで驚いた。 僕は,もう少しセクシュアリティという側面から考えていきたいと思っているけど。ということで,すっかりやる気が出たみたいだけど,これが長続きしたためしがないんだな。 なんて今から言ってるようじゃね。 |
| 2001年12月14日(金)
火曜日あたりから「風邪ひいたかな?」という感じがしていたけど,いよいよ本格的にやばくなってきた。 今週末はいろいろと忙しいので早めに治そうと思って,水曜日には近くの個人医院に行ったんだけど,「よく寝て十分に栄養をとることですね」と言われて, 炎症止めの薬をもらっただけだった。もしかしたらこの段階で抗生剤を飲んだらすぐに良くなるかしらと思った行ったのに(実のところどうなのかわからないが), 抗生剤は出してもらえなかった。 で,しっかり寝てしっかり食べて…という生活をしていたものの,それは体重を増やしただけで,風邪はすっかり悪化の一途をたどってしまった。 そして,結局,今日は自分の住んでいるマンションに入っている耳鼻咽喉科で抗生剤をもらってきた(抗生剤を簡単に出すところそうじゃないところ,どっちが良心的というのかしら?)。 明日は民博の研究会で大阪だし,あさってはG-menの忘年会だしということで,いつも週末にやっている家庭教師は今日の夜にやってきた。声を出すとのどが痛くてつらいー。 ついでに,生徒の英語力もやっぱり危うくてつらい。免疫力がよけいに下がったかも。 |
| 2001年12月13日(木)
授業に出た後,図書館で新聞記事の検索をしていたら,数ヶ月前にある先生の紹介で知り合ったイタリアからの留学生Dさんに久しぶりに会った。 検索が一息ついたところで,彼とコーヒーを飲みに学食へ。そこで,よく聞かれていつも答えに窮する「毎日どういう生活してるの?」という質問をされ,やはり答えに窮した。 「うーん,掃除したり洗濯したり炊事したり…」と言ったら笑われた(当たり前)。そんな話から,どうして僕の研究が進んでいないかとか(それは多分に金銭的な問題に基づく精神的問題), 今後どうするつもりかとか,そんな話をまるで指導教官のように聞いてくれた。 先々の話の中で,「本当に大学の教員になりたいの?」と尋ねられて,自分が考えないようにしている問題を言い当てられたようで,「うっ」と思った。 「大学院終了したらどうするの?}という質問には,だいたい「一応,大学教員を目指しているけど…」と答えてはいるけど,それって生活の安定とかを考えてのことなんだよね。 だけど,「本当に」それがやりたいことかどうかと問われると,自信を持って肯定することはできない。僕は,自分にはNGOワーカーとかコミュニティワーカーとしては結構才能があると思ってるし(なんて不遜な), やっぱり自分はHIVのことやセクシュアリティのことなどにからんだ活動をやりたいんだと思う。だけど,日本でそのようなことを生業とすることは極めて困難だ(あまり日本を出る気はない)。 ただ,実は大学教員を目指したとしても,それが実現する可能性は低いんだけどね。なんだか八方ふさがりって感じ。 で,Dさんとの会話では,とりあえず博論を書かなくちゃ,といういつもの結論に至った。あとのことは,それから考えればいいや(前向きなんだかなげやりなんだか)。 |
| 2001年12月11日(火)
メディカルトリビューンという会社がやっているオンライン・マガジンに『Sexual Science』というのがあって,今日は,その記事のための座談会に行ってきました。 タイトルは「ゲイ・リベレーションのこれまでとこれから」。出席者は,僕の他に造形作家でありゲイバー「タックスノット」のマスターである大塚隆史さんと, 「NPO法人アカー」の柏崎正雄さん。司会は,『Sexual Science』の編集をされている川辺さん。 座談会ではお互いの意見を率直に交換できて,和やかで,かつ充実した感じでとてもよかったです。大塚さんが語ってくださった1980年前後のゲイをとりまく状況の話は,とても興味深いものでした。 柏崎さんが語られたご自分の経験と運動の関係についてのお話も,「なるほどなー」と納得するものでした。 お二人の話にはいろいろと考えさせられるところがありました。座談会の中でも終わってからの食事会でも何度か出た話しで,「やっぱり顔を合わせて話すのは大切だよねー」というがあったのだけれど,本当にそうだと思いました。 インターネットの発達のおかげで,顔を合わせなくてもコミュニケーションがとれるようになっているけど,会うことは重要だよね。やっぱり伝わる情報量がぜんぜん違うし(振る舞いとか語り口とか声のトーンとかにも大事な情報が含まれてるもんね)。 もちろん,容易に顔を合わせられない状況にある人同士がコミュニケーションをとれるという,インターネットが実現したことは,すごい革命だと思うけど(色んな情報が手に入るし)。 で,そんな座談会で語られた話は,来月掲載される予定です。どうぞお楽しみに〜。 |
| 2001年12月9日(日)
G-Front関西さんの集まりで講演して参りました。 講演が終わるまで,これまでで一番緊張していたんじゃないかしらというくらい緊張していました。だって,G-Front関西さんと言えば,知る人ぞ知るゲイリブを牽引してきた団体のひとつ(今は,「ゲイ」だけじゃなく,色んな人が参加してる)。 それに,大阪には,どうしても「しゃべり文化」というイメージがあって,話がうまくないと嫌な顔をされるのでは…という心配もあったのだ。それに加え,G-Front関西さんがつくってくれたチラシを 前日確認してみたら「トークショー」という名前になっている…げげっ,「ショー」だったの?と不安増大。 さらに,当日,いきなりべーすけさん(Voiceの司会などでおなじみのしゃべりのうまいお方)が来ていて,よけいに緊張。 しかし,行ってみたら,僕の付け焼刃的なゲイ団体分析とか,退屈なセルフヒストリーとかにも,皆さんやさしく耳を傾けてくれた。ほっ。 その後,交流会もあって参加させてもらったけど,色んな感じの人がいて面白い場だなぁ,と思った。女性(MtF TG/TSの人を含む)の割合が半分かそれ以上くらいで,ヘテロセクシュアルの人もいる。 何だかみんなマイペースな感じで居心地よさそうだった。僕の個人的欲望面からは,もっと色気むんむんのゲイがいるといいなぁ,という感じだけど,コミュニティ・ワーカーとしては「いい場所だなー」と思いました。 ということで,「実は,前々から…」と言い寄られることもなく,特に色っぽい出会いはなく帰ってきました(講演しに行ったんだから当然なんだけど)。でも,色んな人と会えてよかったです(べーすけさんの紹介で堂山教師の会の方にもあえたし)。 この前,松山にも行ったけど,最近,東京以外の活動団体と一緒に何かやることに興味を持っています。G-Front関西さんとも,また一緒に何かできるといいな,と思ってます。でも,もっと,みんなに役に立つ話ができるように活動も勉強もがんばなきゃって感じ。 がんばろー。 |
| 2001年12月7日(金)
今度の日曜日にG-Front関西さんで講演することになっていて,その時にみんなに見せるビデオをちょっと編集しなくちゃいけなくて,文化人類学研究室がよく使う教室のビデオデッキを使わせてもらうことにした。 午前中なら授業が入ることはないだろう,と思って10時過ぎに行ったら,なんと今日は午前中から6時半くらいまで授業がいっぱいだという。 午後2時に新宿で待ち合わせがあったので,それまで学生室で時間をつぶすことに。その間,優秀な研究室の方々と話をしたりしていたのだけど,チベットの一妻多夫の話とか聞かせてもらって,結構勉強になった。 っつうか,僕は人類学のこと知らなすぎ。たまには研究室言って耳学問しよう(それより本を読めって感じだけど)。 で,新宿で人と会って研究室に7時頃戻ってきたけど,何と授業が終わっていない。結局終わったのは7時半近く。5時頃から始まって7時半までなんて…。 その授業は,博士論文を書きはじめている人たちのためのもの。その授業に出席している人たちが帰ろうとしているところで,ばったり顔を合わせたけど,何だか雰囲気が違うわーと思った。 やはり何かに向けて集中している雰囲気が漂っていて,何だか静かな迫力があった。「はー,やっぱり博論に取りかかっている人はすごいなー」と思いつつ,僕はビデオ編集を。 最近,G-menが出したパレードの記録ビデオをG-Front関西で数分間上映するんだけど(もちろん,G-menには許可をもらいました),その切り貼りを。 そのビデオには,僕のインタビューも結構でてくるんだけど,鼻のふちが「ある理由で」赤くなっているのが目立ってすっごい恥ずかしい。グフグフという笑い方もかっこ悪い。 まぁ,僕らしくていいけどね。でも,もっとかっこいい風にすればよかった。 他にも色んな人のインタビューが出てくるんだけど,今年実行委員でがんばったがんすけが,「2000年のパレードを砂川ががんばってやって,あいつが作った流れを無駄にしたくなかった」と語ってるのを聞いて, すっごいうるうるしちゃった(がんすけは泣き虫嫌いだから,これを聞いたら怒ると思うけど)。 他の人のインタビューも結構感動します。ぜひ,みんな買ってね(パレード本と一緒にね)。 |
| 2001年12月6日(木)
今日もゼミで映画を観た。タイトルは「アルジェの戦い」。イタリアとアルジェリアの合作で,1966年の作品。監督は,ジッロ・ポンテコルヴォ。 1962年までアルジェリアはフランスの植民地だったわけだけど,その独立運動の初期の様子がドキュメンタリー・タッチで描かれている。 Natalei Zemon Davisが『Slaves on Screen−Film and Historical VIsion』の中で指摘しているように,この映画は,抵抗運動組織側,フランス側のどちらかに一方的に立っているようには見えない。 抵抗運動組織がヨーロッパ人地区で爆弾テロを用いる場面では,その残酷さを意識させるようにカットがつながっている。その一方で,逮捕した活動家や協力者に対してフランス軍が行った拷問も描かれていて,その様子は正視するのがつらい。 この映画の中で,僕の印象に残ったのは,抵抗運動のリーダーの一人が若い活動家(この映画の中では主人公っぽい)に語った言葉。 「革命をはじめるのは難しい。しかし,それを進め維持していくのはもっと難しい。そして,さらにそれが成功したあとにもっと大きな困難が待っている」 これは,政治体制としては独立したとしても,それで植民地支配が終わるわけではないことを暗示している。それは,まさに今,アカデミックなところでポストコロニアリズムと呼ばれ大きな影響を持っている問題意識が指摘していることだ。 植民地支配が行われるのは制度や体制を通してだけではない。様々な文化装置を通して行われる,そして,支配は一方的に行われるのではなく,支配される側が自発的に服従する形をもつくりだす。 ポストコロニアリズムの中で,そういったことが指摘されている。 これが昨日の日記の最後に書いた話とつながることは言うまでもない。<<何だか最近ラディカルな運動家モード。 |
| 2001年12月5日(水)
今日は珍しく大学の図書館に行って4時間くらいこもっていた。 新聞のデータベースで,「同性愛」についての報道について調べていたのだ。 1984年の8月以降のデータでは,「同性愛」という語が含まれる記事が1600件あまり。 そのうち4分の1強がエイズと関係した記事。エイズの報道が増えることにより,同性愛者(といっても「男性」同性愛者だけど)について語られることが増えたことがわかる。 そのため,同性愛について調べると必然的にエイズについての記事も拾いあげることに。それにしても…80年代のエイズ報道とエイズ対策がどんなにひどかったことを改めて確認。 日本人女性初の患者が報告されたことによる,いわゆる「神戸事件」の時とか。その患者がすでに意識不明のため,「事情聴取ができない」と書いてある。まるで犯罪扱い。 しかも,「事情聴取」できなかったくせに,勝手に性交渉の相手が100人だったとか1000人だったとか書いてある(仮に本当にそうだったとしても,だから何よ!って感じ)。 当然,ゲイに関してもひどい報道がいっぱい。「ホモの献血お断り」という見出しが新聞にあるなんてすごくない?(ちなみに,今も同性愛者の献血は断わられるのよん) また,「ウイルスの拡大を防ぐため,とくに20万人以上という日本の男性同性愛者を,何としてでも検査に引っ張りださなければ…」という某医師のコメントもあったりして。 恐らく多くの医療関係者や行政関係者の意識はその頃とあまり変わっていない。変わったのはそのやり方。 「引っ張りだす」なんて言ってたら「引っ張り出せない」ことに気づいた彼らは,「ゲイ・コミュニティ」に自ら「みんなで検査を受けよう」と言わせることにした。 そして,それは成功を収めつつある。これは,まさに近代医学が人々を管理していく典型的な方法だ。 もちろん,「健康維持」という意味においても検査をして早く感染を知ることはとっても重要し,啓発する人はその意義を積極的に伝えて行く必要があるだろう。 だけど,わざわざ「みんなで」受ける必要はない。自分にとっての意味をじっくり考えた上で,自分のタイミングで自分の好きな場所で受ければいいのだ(もちろん「受けない」という選択もあると思う)。 |
| 2001年12月3日(月)
VOICEのアンケート結果を見るために,ぷれいす東京の事務所に行ってきた。 200枚以上集まっていて,このようなイベントにしては珍しいくらい高い回収率。全体的にはすこぶる評価は高いけど,なんとなく年々評価が厳しくなっている気がしなくもない。 最初の頃は珍しさとかみんながこんなに集まって感動,といった思いだけで楽しめたけど,去年から有料化されたことも手伝ってか,要求されることが多くなっていうということか。 あと,好みが随分と分かれているなぁ,という感じも。いろんな人が集まるようになってきた証拠なんだと思う。 でも,もっとも残念なのは,ぷれいすの啓発用オリジナルプログラムが,さほど評価されていないこと(評価が低〜いということでもないけど)。 今回傍観者であった僕は,結構いいできじゃない?と思って見てたんだけどなぁ…。 まぁ,「楽しむ」ことを目的にきている人が多いので仕方ないんだろうけど,もうちょっと違う目で評価して欲しい気もしました。もちろん啓発の仕方を考える側にも努力が必要なんだろうけど。 そして,VOICEのスタッフをしていた若い子と一緒に,VOICEから持ち帰った大量のゴミ(四谷区民ホールではゴミを持ち帰らなくちゃいけない)の分別をしました。 来年からは,会場にゴミ係りを置きましょうって感じ。エコロジカルな問題意識を持つことが求められている今,イベントをやる時には,ゴミ係りを置くことは必須だねん。 |
| 2001年12月2日(日)
今日は本当は家庭教師の日だけど,数学の証明問題を教えて欲しいという前回の依頼を自分でこなすのは嫌だったので,友達に代わりに行ってもらいました。 で,今日は久しぶりに,新宿をぶらぶら…新宿南口のサザンテラスあたりのイルミネーションが年々豪華になっているんだけど,今年もきれいに飾られていて,独りでみながら歩きました。ちょっと寂しいぃ。 家庭教師先からは夜に電話があって,来週は行くことになったけど,一週間に一回しかない家庭教師で英語を教えていてもどれくらい効果があるかわからないのに,二週間ぶりになっちゃうとねー。 なんだかやる気がいまいちでないけど,貴重な収入源のためがんばるしかないわね。 |
| 2001年12月1日(土)
ついにVOICE2001の開催日。僕は,今回は運営にまったくかかわっておらず,ちょこっと手伝ったくらい。今日も午後遅くに顔を出して(スタッフは午前9時に集合),ちょこっと封入作業とゴミ整理を手伝って,後は完全に観客。おかげで久しぶりにたっぷり楽しむことができました。 例年通り,幕開けは「貧乏女装」と自称しつつ,実はなかなか華やかなUPPER CAMP。会場をめいいっぱい盛り上げてくれます。 その後はゲイ&レズビアンを中心としたスクエア・ダンス・チームのEdo 8s。みんな楽しそうに踊っていて,その楽しさが伝わってきて,こちらも楽しくなるという感じ。そして,今年のパレードのテーマソングでも知られているYousuke君の歌は,初々しい感じでした。 それに続いて,ぷれいす東京のトークSHOW,VOICEは啓発イベントなので,これがメインなのです,本当は(結構勘違いしている人が多いけど)。 その後の親弐(ちかちか)君は,ゲイ・ミュージック・シーン初登場。しかし,沖縄のエイズイメージソング・グランプリ受賞歴があるだけあって,とびきりうまく,今回一番の話題となりました。 後半は,ユニット・バス(マッチョ系パフォーマンス?),The Wind Ensemble(吹奏楽),スキン・エコー(合唱),バブリーナ&体育Cutsさん,べーすけさん(ピアノ)と続きました。 ユニット・バスは,なんとふんどし姿。ドラァグが女性性を誇張してパロディ化しているとするなら,こちらは男性性のパロディとして評価できる気がします。 でも,しっかり観客をそそっていました。 吹奏楽と合唱は,「正統派」って感じ。吹奏楽は格調高い雰囲気をかもし出してくれました。スキン・エコーが歌う中島みゆきの「誕生」は涙,涙。バブリーナ&体育Cutsさんの「GO-GO! パレード」は元気をくれました。 巧みな司会をやり通した後にピアノで最後を飾るべーすけさんが選んだ曲は,QueenのSave Me。フレディ・マーキュリーがエイズで亡くなって10年になることも考えての選曲でした。 この10年間,僕自身エイズ関係の活動をする中で出会い別れた人のことを思い出し,胸が熱くなりました。 そして,紅白のようなフィナーレ,合同演奏で幕を閉じました。 終わってから聞いたところによると,観客は約380人,出演者約170人だったとか。STAG MAIL MAGでも書いたんだけど,観客で埋め尽くされ立ち見も出た様子を見て,僕は感慨に浸っていました。 今回が5回目を数えるこのイベント,最初は本当に客が来るかどうか不安でいっぱいでした。最初にディレクターを務めてくれたRさんを始め,これまでディレクターを務めた人はいつも大変でした。また,毎回,ボランティアたちは皆もくもくと働いてくれました。 そうして,VOICEはすっかり定着し安定感を増しました。僕の手からもすっかり遠のき,さびしいようなうれしいような。とにもかくにも,今年のスタッフのみなさん,出演者の皆さんお疲れさまでした。たっぷり楽しませてもらいました,ありがとう。 今の僕としては,早く今の中途半端な状況を脱して,新しいイベントを手がけてみたいなぁ,というところ。実はあれこれアイディアはあるんだけどなー。 |