こんなことがありました(日記)

2005年6月




2005年6月28日(火)
週末に、13年くらい前に働いていた塾で講師の募集をしているのをネットで見つけた。塾長が同じ人だったこともあり、思い切って電話してみた。 電話口で、「実は十数年前にお世話になっていた砂川ですが…」と言ったら、覚えていてくれて懐かしがってくれた。それで、早速今日、面接に。 塾長(女性)は全然変わっていなくて、むしろ若返っているように見えてびっくりだった。

当時、勤めていた教師の話やら、生徒の話やらをして、なんだかこちらも懐かしい気分になった。20代半ば頃の自分を思い出して、今の自分と比較してみると、なんだかとても不思議な感じがする。内面的に成長した部分はたくさんあるけど、生活の質はだいぶ下降気味…ため息。面接の結果は週末くらいに出る予定。年齢が年齢だけに、微妙かもな…

と、バイトを探さなくちゃいけないという状況の中、実は、とても大変なことが…。なんと、ついに、この部屋を出なければいけなくなってしまったのだ!家主が、諸般の事情により、この部屋を売ることを決心したことがその理由。「いつまでに」と言われたわけではないが、家主の都合を考えると、できるだけ早くというところ。7月中くらいに引越し先を決めて、8月の頭くらいには移りたいところ。

しかし、引っ越すと言っても…うむー。どうすればいいのやら…。頭が痛い。


2005年6月25日(土)
1週間ぶりの日記も、1週間前と同じくパレードがらみの話。先週から配り始めたガイドブック、実は、一部の広告の右側が微妙に切れているのであった…(文字情報に影響はないんだけど)。ということで、それらの広告主へ、謝罪と今後の対応について書かれた手紙を持参。僕が担当した7件はすべて二丁目のお店なので、夜に友人と二丁目で待ち合わせて、謝ってまわった。

もともとお店を訪問するのは苦手なのに、用件が用件なので、とても緊張して、一軒ごとに1日は寿命が縮まったじゃないかしら、という感じだった。でも、ほんと、きれいに広告が掲載されなかったスポンサーには、とても失礼な結果になってしまって、申し訳ない限り。この場を借りて改めて陳謝。

そういえば、2000年に実行委員長をやったときも、たくさん頭を下げてまわったなー。あの頃は、毎日「死にたい」って思ってたっけ(「死にたい」って言葉、軽々しく口に出さないようにはしてるけど、その頃は本当にそう思ってたので書きました。不快になる人がいたらごめんなさい)。あの頃の重圧のすごさって、どう語っても伝えきれない。その頃に比べると、なんだかんだ言って、パレード準備もだいぶ楽になったような気がする。

とはいえ、このままパレードどっぷりでは、僕は自分の人生、棒にふってしまいます。早く自分の生活の土台をつくらねば。


2005年6月18日(土)
昼は、パレード・ガイドブックの発送作業、夜は、二丁目でスポンサーのバーへ配布作業…だったのだが、僕は久々に腹痛がひどかったので、夜から合流することに。

配布のために集まったボランティアスタッフは20代前半くらいの若い人が多かった(しかも素敵な人ばかり)。昼から作業している人が大部分だったにもかかわらず、誰も文句一つ言わず、バーへ届ける作業をこなしていて、その姿を見ていると、なんだか爽やかな気分になって、僕も励まされた。

こうやって何らかの活動に関わりたいと思っている若い人は結構いるんだよね(ただ、政治性がわかりやすく出る活動には引いちゃうみたいだけど…)。そういう人たちの動機をすくい上げる場としても、パレードは重要だ、と思った。そして、そういう人たちに、自分が活動をしてきた中で得た経験を伝えていきたい、とも。若い人を育てることを意識する年になったんだなぁ。


2005年6月17日(金)
星野智幸さんの『在日ヲロシア人の悲劇』を読んだ。届いた日の夜に、ふと読み始めたら止まらなくなって、一気に読み終わってしまった。とにかく面白い。これまでの星野さんの作品と同じように練り上げられた複雑な構成ではあるが、細かな表現自体はあっさりしていて、僕のように小説をさほど読みなれていない者にも読みやすくなっている。

「戦後民主主義」を体現するような憲三。彼が思い入れを持つ娘、好美は、反体制的な平和運動に身を投じハンガーストライキの中で死に、別れた妻と家を出た息子、純は「一人右翼」として活動する。この構図は、まさに、日本の言説配置そのもののようである。娘と理解し合い、支援しているつもりの恵三だが、それは自己のある種の挫折から生じる幻想を投影しているに過ぎない。また、男女の平等性を口にしつつも、その実、男ジェンダーを背負う自分への振り返りはない。

この作品を「戦後民主主義」批判ととらえる人もいるかもしれない。しかし、そのような読みはあまりにも素朴すぎる。様々な言説と日本に蔓延する心性が共犯関係を築きながら、好美を死に至らしめる。もちろん、好美自身も無垢な存在ではない。現在の日本のありようを、家族というモチーフを使って描いている。その中には、読む人自身の姿が必ずどこかにあることだろう。

僕自身は、最初、自分がヘテロだったら恵三だったな、と思ったが、次第に、好美でもあり、純でもあり、離婚後自殺した妻、貴子でもある、と思うようになった。読み進めるうちに、自分自身を問うている、そんな小説だ。


2005年6月15日(水)
先月フジテレビで放送された性教育やジェンダー教育についての討論の前半を、「ジェンダー論」の授業で学生たちにみせた。現在の性教育を批判する形で出演しているのが、山谷えり子参議院議員(彼女は、性交について図入りで説明している小学低学年用性教育テキストを国会で取り上げ問題にした)と八木秀次「新しい歴史教科書を…」代表。 それに反論する形で出演しているのは、浅井春夫氏(立教大学教授)、村瀬幸浩氏(一橋大学講師)、入江彰信氏(公立小学校教諭)。

後者の人たちは、別に、そのようなテキストをつかった性教育が絶対に必要と言い張るわけではなく、それぞれの学校で保護者や教員が話し合いながらすすめていけばいい、ということを語っていた。まったくその通りだと思う。しかし、山谷は、「お母さん方が学校へ文句を言っても、先生方はとりあってくれないというので、国会でとりあげなければならないと思って」という。

まぁ、細かな議論はここでは紹介しないけど、僕が驚いたのはそれを観た学生の反応。「まぁ、3〜4割は、そういう教育はよくないってコメントペーパーに書いてくるかなぁ…」と思っていたけど、ざっとみた感じでは、たぶん7〜8割は、「そんな『過激な』性教育がおこなわれているとは知らなかった、小学低学年に教えるのは早すぎ」とか「図入りで説明するのはどうかと思う」みたいなもの。

「過激な」という言葉がやたら目についたのは、番組が、そういう言葉を使っていたせいもあるだろう。にしても…小学低学年に、図入りで性交を説明することの何が問題なわけ?(山谷が読み上げたテキストの文章は、「お父さんのペニスがお母さんのワギナに入って、精子を卵子に届けます」という感じの内容だった)。 みんなそういう行為の結果で生まれてきたわけだし、大部分の人はそういう行為をするわけでしょ。

しかも、だいたいそういう授業って、自分がどうやって誕生してきたのかという話から始まっているわけで、いきなり、そんな説明しているわけじゃない。性交について説明することを恐れるのは、大人の方が性交にいやらしい意味を投影しているから。教えるとそういうことをやりたがる子どもが出てくるんじゃないか、とかいうことを書いてくる人には、何を根拠に言ってるの?といいたい。だいたい、そういうことを教わらない子にも(そういう子だからこそ、の可能性も大)、性行為の真似事をしたりする子はいくらでもいる

はぁ、コメントペーパー読む気おきないんだけど…来週のコメントペーパーに対して話しする時には、最初は「冷静に…」と思っていても、また話しているうちにプンプン怒り出しちゃうんだろうなぁ。てか、そのことを考えるだけでイライラして胸がドキドキしちゃうんだけど…


2005年6月14日(火)
中山文部科学大臣が、「そもそも従軍慰安婦という言葉は、その当事なかった。なかった言葉が教科書に出ていたが、間違ったことが教科書からなくなったことはよかった」などと発言したらしい。あまりにも頭の悪い発言に唖然としてしまう。

その時代にない言葉が載ることが間違いなら、「安土桃山時代」などの時代区分の名称が載ることも間違いである。また、様々な戦いや事件の名前も、それぞれの時代においては、たいてい、今私たちが読んでいるような名前では呼ばれてはいない。モノの名称もそうだ。縄文時代の「縄文土器」なんて、その当事の人がそんな名前で呼んでいたはずがない。歴史というのは、常に現在において名づける作業なのだ。

そのような超基本的な指摘すらしないマスコミにも腹が立つ。マスコミは、常に、「中韓の反発・抗議」ということしか取り上げないが、国内にも、反発している人は山ほどいる。それにしても、こんな発言しても、大臣の地位が揺るがされない時代になった。なんて恐ろしいことなんだろう。


2005年6月10日(金)
ちょうど一ヶ月前に提出した原稿の直しについて、編者の先生と会ってお話を。 「どんな直しが入るかしら」と思って緊張していたけど、方向性とか本質的な部分には問題はなかったようで、ひと安心。でも、細かい直しを結構求められたので、もうひとがんばりせねば、というところ。だけど、まぁ、どれも納得のいく指摘だったので、「勉強になりました」という感じだった(嫌味じゃなく)。丁寧に読んでもらってありがたい。良い本になるといいなぁ。

パレードの方は、ガイドブックの作業がひと段落して、ちょっと一息。デザインや進行を担当しているスタッフは、本当にかわいそうなくらい大変な思いをしていた。僕も、ガイドブック製作をスーパーバイズする立場だったので、印刷に入るまで気が気でなかった。細々と動かなくちゃいけないこともあったし。僕は、広報部門の部門長でもあるので、これからは、広報の実務などで忙しくなるはず。全く何やってんだか…。

うー、来週までにはバイトも決めなくちゃ。やっぱり、去年もやった早朝バイトをやろうかなぁ…


2005年6月1日(水)
博論第3章の発表。いつものように分量的にも内容的にも半分くらいのできだったが、とりあえず…。 今回の章は、「男色」から現代のゲイに至る歴史と分析。前半では、「日本は男色に寛容であったが、近代に西洋の価値観が入り非寛容になった」という言説への疑問と、ある種の社会変化モデル(というほどかっこいいものじゃないけど)を提示し、後半では、ごく最近のゲイの変化を書いた。

今回も、先生は「面白い」とか「よく書けてる」と褒めてはくれたが、やっぱりそれって「飴作戦なんでは」という確信がだんだん深まってきた。褒められた後に指摘された課題は、どれも結構大きなものだったし…。前半と後半がうまく結びついていないなぁ、と思っていたが、やっぱりそこも指摘された。

しかし、それよりも、僕に重くのしかかったのは、次章についての先生の言葉。章立てについての話になったときに、先生が「次章は一番面白いところですよね。砂川君のオリジナリティがあって」と皆の前でコメントしてくれたのだが、当の本人として、「へ?!そうなの?」と感じだったのだ。

実は、この章、一番調査が不足していて、「別の内容に置き換えようかなぁ」とすら思っていたところ。確かに先生と話をしたときに、先生は、この章の内容に興味を示していたのだが、そんなに印象深く覚えていてくれてたとは…。なんだかむちゃくちゃプレッシャーがかかって、既にブルー。

これからバイトも始めなくちゃいけないし…。パレードとバイトと博論、なんて本当にできるのだろうか?





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