こんなことがありました(日記)

2004年4月


いよいよ新年度、大変な日々が始まることになりそうだ。


2004年4月28日(水)
今までになく日記の間が空いてしまった。木曜日の授業が終わり、しばらく呆(ほう)けていた。そして、月曜日になってからようやく翌日の授業の準備にとりかかり、火曜日に二コマの授業。これまたぐったり。でも、これから1週間休みが入るので、ちょっと一息をつける。そのせいで気分に余裕ができたのか、前から読もう読もうと思っていた星野智幸さんの『ロンリー・ハーツ・キラー』(中央公論社)をようやく読むことができた。

星野さんの小説は、正直言って難しい(僕には)。一つの「物語」としてわかった気になることを拒否する力を持っているからだろう。それは、ありふれた物語の形式が投影される「スクリーン」となること(結果、そのような物語を再生産すること)を回避し、読者の抱く単線的な予期を意識的に裏切る結果なのだと僕は考えている。しかし、その「裏切り」は苦味と痛みを残しつつも、どこか心地よさも含み持ち、それは、当然ながら決して「癒し」をもたらすものではないにもかかわらず、不思議と力を与えてくれるのだ。

この小説は、三部に分かれているが、それが入れ子細工のようになっており、意味決定が常に先送りされる形になっている(これから読む人のためにあまり詳しくは書かないけど)。そういう意味で、ふと、ジャック・デリダの<差延>という概念を思い浮かべた。更に、この小説の中で読者が「話されたもの」と「書かれたもの」をある意味「混乱する」つくりは、パロール(音声言語)とエクリチュール(書くこと/書かれたもの)の関係についての議論を思い出させる(この辺のことは、ちゃんと説明する自信がないので、興味ある人は自分で調べてね)

そのような構造からも、そして、描写されているものからも、僕は、「書き言葉という手段で、『言葉』そのものと、『言葉』のあり方を通して見えるこの国の情況が書かれているなぁ」と感じた(ビデオカメラで映すという行為や映像が重要なモチーフとして登場し続けるのに、なぜか僕はそう感じたんだよね)。

そして、小説全体には、ピカソのキュービズムの絵のイメージが重なった。様々な面を一枚の絵に描いた絵(という表現で合ってるのかな?)のように、「言葉」の様々な姿とこの国の情況の様々な面が書かれていると。そして、その書かれている情況は、共時的なものだけでなく、「過去」でもあり、「現在」でもあり、「未来」でもある、とも思った。

なんて、勝手な印象を並べてしまった…。とにもかくにも、小説の持つ力を感じさせてくれる本であることは間違いない。こうして、僕がその本をめぐって言葉を書き連ねるのも、その力に動かされた結果であるのだから。


2004年4月22日(木)
月曜日の日記に書いたとおり、大人数の性教育授業がゴールデンウィーク明けから分割されることになったので、今日は、分割前の最後の授業。分割後、もう一方のクラスを担当してもらう友人(実は、このHPの対談にも登場しているかじさんなんだけど)にも一緒に来てもらった。やはり、あれこれ授業内容のこととか、その不安とかストレスとかをシェアできる人がいるとだいぶ気が楽になる。

とはいえ、今日も、大教室で大人数の生徒を相手にすると疲労感がすごい。しかも、今日はすごく暑かったので、汗はダラダラ。生徒もつらそう。550人教室とはいえ、生徒たちは詰め詰めには座らないので、階段に座ってる生徒もちらほら。まぁ、次回からはもう少し余裕がでるだろう(とはいっても…250人〜300人にはなるからなぁ)。

帰りに駅のトイレに入って用をすませたら、尿がワインみたいな色でびっくり! 「ひぇー、血尿!」と大騒ぎして友人にメール送ったりして心配かけたけど、その後の様子を見た結果、ただの脱水症状だったみたい。ご心配かけた皆さんごめんなさい。

さて、イラクでの日本人人質事件のその後、今は、「自己責任」を声高に言う人たちとそれを批判する人たちの言説が大量に流れている。しかし、自分が後者の人間なので一層そう感じるのだろうか、前者の人たちが今の日本社会では支配的な印象を受ける…まぁ、小泉政権もそうだし、その小泉政権を多くの人は支持してるわけだから、やっぱり思い違いじゃないよね。

その支配的な言説に対して後者の立場の人たち抵抗の言説を発しているという構図といえるかもしれない。最近、後者の立場の人の意見を積極的に掲載しているcreativeというホームページを知人に教えてもらった。それを読むと少し気持ちが落ち着く。だけど、前者の声が大きい社会に生きてるという事実は変わらない。暗澹たる思い。今回のこの事件に対するこの社会の反応は、これからどうやって生きていくのか、考えさせられるものとなっている。


2004年4月19日(月)
体調は何とか回復。しかし、腹痛は慢性的なもので、その大元の原因は恐らくストレスなので、うまくストレスを発散させる方法を見つけねば。 近いうちに友人の勧める気功を受けに行ってみようかしらん、と思ったりもしている。このようなものを批判する人もいるけど、僕は病院にも既に何度も行っていて、今のところ命にかかわるという状態ではないし、かつ、病院では解決は望めないらしいようなので、こういうのを試してみるのもいいのではないかと。それに、結構「気」とか信じてるし。

で、今いちばん頭を悩ませているのが例の大人数授業…しかも、今日学校側から電話があり、登録者数が約670人であることが判明。ぼー然。提案として、1.ホールで授業をやる、2.後期に同じ授業を設けて生徒をうつらせる、3.同じ時間に同じ講座を設け別の教師を招く、というものが挙げられた。先方としては、2にして欲しかったようだが、僕としては、1年間これをやるのは難しいので、3を選び、資格をクリアーしそうで頼めそうな友人にお願いすることにした。たまたま日曜日に、その友人と授業について相談話をしていたのだけれど、それが功を奏した感じ。

ゴールデンウィーク後からそのような分割授業になる予定。これで、少しは気分が楽になる。しかし…半分に割ったとしても330人。まぁ、欠席する人も多いだろうから、250人くらいか(ちなみに前回の授業は200人以上休んでいた計算になる…)。だけど、一度、あの大人数を経験すると少し楽な気がしてくるから不思議だ。最初に250人いて、「ひぇー」と思っていたのに。そういう意味では、良い経験だったかも。


2004年4月18日(日)
昨日は夕方頃から悪寒が始まり、すぐに熱が出始め、ぐったりしていた。さらに、最近また定期化している腹痛も重なり、泣きながら横になっていた。腹痛の方は、便通がよくないことが原因。完全に出ないわけじゃないのだけれど、最近は、2〜3日に1回くらい下剤に頼らないと痛くなってしまう(下剤をあまり使うのは良くないって言うけど…)。

熱の方は、汗をかきつつ寝続けていたら、すぐにさがった。寝ているときに、たまにメールのやりとりをするある人のことを思い出し、「泣き言メールでも送ろうかしら」と思っていたら、その人から電話がかかってきてびっくり。滅多に電話で話したりしない相手だけになおさら。去年の七夕に初めて会って以来全く会っていないけど、結構好きな人なので、なんだかその電話で元気をもらったという感じ。

しかし、心身ともに不安定であることは確か。慣れない非常勤講師の仕事が最大の原因だけど、人質事件をめぐる社会の反応に疲弊させられた。 今日の夜、家族の会見があったけど、三人をかばいつつ「今後が心配」と語っていた家族の言葉がとても印象的だった。

それ以前に、三人が、ドバイの病院に入る時に見せた表情と、家族がそこで合流し、後日一緒に出てきた後の表情があまりにも違うのも痛々しかった。 それは、家族が日本の情況を説明し、そのことに三人が大きなショックを受けたことを物語っている。解放され戻ってきても苦しい思いをしなければならない…なんという社会に僕たちは生きているのだろう。


2004年4月17日(土)
人質になった三人をめぐって沸きおこっている「自己責任」論には、本当にうんざりする。単に自分の起こした行動によってその結果が生じたという意味なら、確かにそうだろう。しかし、その言葉には明らかに非難する意味がこめられている。

しかし、人が何らかのリスクを承知で何らかの行動をとるとき、ほとんどの場合、必ずそのような結果が生じると「わかっていて」、そのような行動をとるわけではない。三人がイラクに渡ったのは、確かに危険だった。 しかし、三人は、死ぬかもしれないとは思っても、人質になり交渉の材料になるということは予想していなかったことだろう。仮に若干そのような予想があったとしても、それは、「必ず人質になる」という確信でありえるわけはなく、また、死ぬかもしれないという思いも、「必ず」死ぬという確信だったわけではない。

もしも、危険を冒してイラクに行ったことを非難するならば、三人が人質にならなかったとしても非難しなければならなかったことになる。だから、そのような人たちは、今イラクにいる報道関係者も同様に責め、帰国を求めなくてはいけない(そのような論点から、渡航禁止ということが言われ始めているが…)。それだけではない。今、あちこちの、危険な地域と言われる場所で働いているNGOワーカーも、そのような場所で取材するジャーナリストも。

また、危険を承知で何らかの行動をとった結果、窮地に追い込まれたり、悲劇的な結果が生じたことに対して、「自己責任」だの「自業自得」だのという言葉をなげかけるならば、何年か前に新大久保駅で線路に転落した人を助けようとして亡くなった二人にも、スペースシャトルの事故で亡くなった人たちにも、冒険の途中で行方不明になった植村直巳さんにも、それこそ、布教を続けてはりつけにされたキリストにも、そのような言葉をなげかけなければならない。他、誰かを助けようとして自分の命を失った、世界中の数え切れない人々に対しても。

さらに、三人に「自己責任」という言葉をなげかけ謝罪を要求するような人たちは、自分が「生活習慣病」や「性感染症」になった時には、同じ言葉をなげかけれらなければならないし、謝罪を要求されなくてはならい。医療費は税金から払われているのだから。

こうして、「自発的な」リスク回避意識が拡がり、強まり、管理社会は進んでいくのだろう。なんて素晴らしき社会!(もちろん皮肉)


2004年4月15日(木)
人質となっていた三人が解放されたというニュースが報道された。ほんとにほっとした。しかし、その後連れ去られたというジャーナリスト二人の消息はまだわかっていない。他にも人質になっている人はいるし、また、ファルージャでの戦闘も停戦中とはいえ、終結したわけではない。数日前の新聞報道で800人のイラク市民が亡くなったと書かれていた。今はさらに増えていることだろう。米軍による虐殺に関する情報も流れているようだ。

それに、今回の事件をきっかけに、日本に広がる恐ろしいメンタリティをまざまざと見せつけられた(られている)という僕の思いは何も変わらない。同じように感じているという知人が、次のような中島みゆきさんの歌があることを教えてくれた。『私の子供になりなさい』というアルバムに入ってる「4・2・3」というタイトルの歌だそうだ。

この国は危ない/何度でも同じあやまちを繰り返すだろう/平和を望むと言いながらも/日本と名の付いていないものにならば/いくらだって冷たくなれるのだろう/慌てた時に人は正体を顕わすね/あの国の中で事件は終わり/私の中ではこの国への怖れが/黒い炎を噴きあげはじめた

彼女は、きっと、何か別の国際事件が起きたときにこの詞を書いたのだろう。今の僕の心情とあまりにも同じなので、驚く。このような自分の気持ちを代弁してくれるような言葉に出会うと心が支えられる。火曜日のHPで紹介した山中速人さんのHPでは、今回の事件をめぐる対立の構造を見事に分析した「あなたはどっち?二つの「迷惑」論」という文章が書かれている。このような文章を読むと、少し気持ちが落ち着く。

今日は、「性の健康学」という授業の2回目だったのだが、そこで思い切って、人質事件の話をしてみた。真面目に聞いてくれた生徒もいたが、僕の思いや考えが伝わったのかどうかわからなかった。しかも、先週250人くらいだった授業だったが、なんと今日は、550人教室がいっぱい…という感じになっていて、語りかけるのがとても難しいと感じた(授業終了時に提出してもらった紙を数えたら約450枚あった…200人も増えたことになる)。

話は変わるが、この授業の件もほんとにほんとに頭が痛い。厳しく注意しても授業中に平気で出入りする生徒が何人もいる。後で聞いたら、この教室での授業は基本的にそういうものらしい…。「出入り自由」という方針にしている先生もいるようだ。真面目に聞いてくれている学生の方が多いけど、やはりそういった学生のほうが目について、むちゃくちゃ気が滅入る。ほんと、精神状態がおかしくなってしまわないか心配だ。とりあえず、1回1回をこなす気持ちでやっていくしかないのだろうけど…。


2004年4月13日(火)
人質事件へ対する冷酷な反応について、僕は、うまく言語化して批判することができないが、小説家の星野智幸さんや社会学者の山中速人さんは、さすがしっかりとした言葉で語っている。

友人でもある星野さんの文章には、ほんとに共感することが多い。山中速人さんは、僕が大学院に入るときに色々と相談にのっていただいた方。今回の事件で、危険なイラクに入った彼らを批判する声に対して、次のように反論する(正確には、直接アクセスして読んでね)。 彼らのような人たちがいないと、戦場で何が行われ何が起きているか、占領している側の情報しか流れなくなり、世界の人々は事実を知る術がなくなってしまう、と。説得力のある言葉だ。

今回の事件をきっかけに、星野さんが書いているような日本にうずまく「憎悪」を、僕も感知してしまった。まるで自分に向けられているような感じさえしてしまう。そのせいで、僕の心は萎縮してしまった感じがする。恐れおののいている、と言ったほうがいいかもしれない。不登校や引きこもりの始まりとして語られる話として、「何かあったわけでなく、まわりの人が怖くなった」というのがあるけど、その感覚というのは、こういうものなのかもしれない。

しかし、こうして共感できる言葉に出会えたり、「このHPを読んだことをきっかけに自分もできることをやった、だから書くことはむだではないよ」と言って力づけてくれる友達の声に支えられ、なんとか生きている。

今日、もう一つの大学での授業が始まった。二コマ。140人くらいと55人くらい。授業は「ジェンダー論」だけど、人質事件の話を少しするべきだよなぁ、と思っていた。だけど、なぜかそのことに触れられなかった。やっぱり何かに怯えているのかもしれない。


2004年4月10日(土)
首相官邸緊急抗議行動へ参加してきた。集まったのは1000人くらい。衆議院議員会館のロビーで集会を行った後、首相官邸の前で抗議…のはずが、警察に阻まれ、首相官邸のだいぶ手前で二グループに分かれる形にされて、そこでシュプレヒコールをあげることになった。これくらいの規模の抗議行動さえ、こんなに制限される日本の「民主主義」とは一体何?

正直言って、『たぶんこの何十倍の人が集まっても、日本政府は自衛隊撤退の表明をすることはないのだろうな』という絶望的な思いがある。しかし、三人に連帯する気持ちを何らかの形で表さずにはいられず、同居人を誘って参加したのだった。

この事件のことがずっと胸にのしかかり、何も手につかない。NGOの活動をやってきた二人や、フリーのジャーナリストをやってきた彼に対して、自分と近い(というか同じ)世界の人という感触がある。三人は、僕でありえたし、僕の友人でありえた。

彼らを批判できる人は、その「自分でありえた」という感覚がもてない人たちなのだろう。あるいは、危険があってとしてもその地へ向かう、その気持ちを想像できない人。危険といわれても、その地には危険の中で生きている(あるいは殺されていっている)人たちがいる、愛する人たちがいる。三人にとって、そこには家族がいるのも同然だったに違いない。

もし、家族に会うために危険な場所に行った結果、これと同じようなことが起こった場合、その人を批判をする声が同じくらいあがるだろうか? むしろ美談としての語りのほうが圧倒したのではないだろうか? 

今日の集会で、今井さんがイラクに入る前に電話で話したという活動仲間が、その時の様子を語っていた。彼は、イラクに入ることをとても迷い、電話口で大きな声をあげて泣いていたという。自分の使命感や正義感、そして死への恐怖、その狭間でどんなに苦しんだだろう。そして、今、どんな気持ちでいるんだろう。そんなことを考えると、胸がつぶれそうだ…。


2004年4月8日(木)2
なんて重く苦しいニュースだろう。イラクで日本人の民間人三人が人質になってしまった。このことが起きた背景には、当然、米国支持、自衛隊派遣を許した日本の有権者の選択がある (むろん、だからといってテロリストの行為が正当化されるわけではない。そんなこと言うのもバカバカしいくらい当たり前のこと)。

福田官房長官は、記者会見で「イラク復興の人道支援をしている自衛隊を撤退させる必要はない」ときっぱり言っていた。一体、三人の生命を犠牲にしてまで行う「人道支援」って何だ?


2004年4月8日(木)
某大学での「性の健康学」という名の授業の初日。早めに出たら1時間前に到着した。事前に話す内容はちゃんと書いて準備してあったし、「まぁ、今日はガイダンスだからそんなに問題はないだろう」と思っていた。 そして、授業開始時間ちょうどに到着するように教室へ向かってびっくり! 教室にどしどし生徒が入ってる。う…。「たぶん多くても100人から150人だろう」と思って、マイクも準備せずに向かった僕が馬鹿だった。 教室に入ってみたら、マイクがないと声が届かなそう。焦って、「マイクとりに行って来ます。ちょっと待っててください」と言い残して、非常勤講師控え室へダッシュ(ちなみに教室は4階、控え室は別の建物の2階)。

息せき切って戻ってみたら、もう教室はびっしり。立ってる生徒もいるので、席をつめて座ってもらう。そして、マイクのスイッチを入れて愕然。オンのランプがつかない。うぅぅ…。何度やってもつかない。 認めたくなかったが、どう考えても電池切れ。再び教室を空けるわけにも行かず、あきらめてしばらく肉声で話す。しかし、そのうち、後ろの方から「聞こえません」という声があがったので、再び講師控え室に行くことに その間、学生たちには、紙に「1.この授業に希望すること 2.性に関して抱いている疑問や不安」書いてもらうことにして、またもや駆け足。

そんなハプニングもあり、思っていた以上の大人数だったこともあり、すっかりテンパってしまった僕。その後、たぶんかなり早口だったと思う。学生達もぎゅうぎゅう詰めにされてつらそうなので、それを見ると余計に焦ってしまった。 結局、時間いっぱい授業するつもりだったがかなり早く切り上げた。

授業が終わり、担当の事務職員に教室変更の相談に行った。職員と話して、今日使った教室が250名の教室だったことを知る。げげっ、そんなに生徒がいたとは。結局、次回から550名の大教室を使うことになった。その時に、職員が「今日は初日で、まだ授業登録は済んでいないので…」と口にしたので、「次回は減ると思います」と続くのかと思いきや、なんと「更に増えると思います」だって。ひぃぃぃ。もしかして、300名くらいの授業になる?

このテーマの授業は本当はワークショップ形式でやりたいもの。講義でもできるだけ学生とのやりとりが欲しい。しかし、その人数では…。これから頭をしぼって授業の構成の工夫が必要だぁ。学生に書いてもらった紙には、「面白い授業を期待します」というのがたくさんあった。ふー。むちゃくちゃ大変。


2004年4月6日(火)
ストレスがかかるとよく現れる顎や顔の痛みや腹痛が始まった。どちらも、何もできなくなるくらいかなり痛む。授業が軌道に乗れば無くなるのだろうか。

先日買った『The Big Issue Japan』(ホームレスの人たちが街角で売ってる冊子)に、うつ病についての特集記事が載っていた。僕は自分が「精神的に調子よくないなぁ」と感じるときは、睡眠時間が長くなり、食べる量が増え、ある種の欲求も過剰になるので、「これは、うつ病の症状と逆だよなぁ」と ずっと思っていた。しかし、実は、今は「過食、過眠、強い無気力、対人関係における病的過敏性などの症状を伴う」状態を新しいうつ病とし、「非定型うつ病」というらしい。

まぁ、だからといって自分がそれに当てはまるかどうかはわからないけどね。なんだかこんなこと書くと、僕がすごいがんばり屋さんみたいでとてもがんばってるように思われるかもしれないけど、そうでもないんだよねぇ。だからこそ問題。大してがんばっているわけでもないのに、プレッシャーやストレスばかり感じて、こんな風になっちゃうんだもんねぇ。がんばれないし、かといって、開き直ることもできないこの中途半端な性格変わらないもんかしら。


2004年4月3日(土)
『週刊文春』の出版禁止の問題について。この日記で特に触れては来なかったが、僕はこの出来事を、ちと腹立たしい思いを持って見ていた。それは出版禁止に対してではなく、マスメディアのあり方についてだ。僕は、出版禁止という仮処分を招いた原因はマスメディア自身だと思っている。

結局、先日、東京高裁で出版禁止命令は取り消され、申し立てていた側が特別抗告をしないということを決め、出版禁止命令取り消しは確定したらしい。申し立て人が特別抗告をしないのは、文春側がその問題の号の未出荷分を販売しないと決定したことが大きな理由らしい。

この問題については、僕のとても大切な友人である星野智幸さんのホームページの日記(3/20,25,26)に書いてあることが最も共感できる。その中に登場してくる「自分のこととして考えてみる」というのは、僕も同居人とこの件で議論した時に言ったことだ。

僕なら、次のような状況を想像する。僕が政治家になったとして(<なんでそんな仮定かという疑問はさておき)、僕の家族それぞれが抱えている様々な問題が暴き立てられる…。その「報道」(っていえるほどのものか)が出た後に、裁判に訴えて勝ったとして、僕の家族を見る周りの目は変わるのだろうか?

僕が今回のことで面白いなぁと思うのは、日頃「人権という壁」とか「行き過ぎた人権保護」のような表現などを使って様々な「人権」を批判しているメディアほど、今回の出来事を「(報道の)権利」の侵害として反発していることだ。「報道の権利」も広い意味での「人権」の一つのはず。

彼ら的には、プライバシー保護や福祉を受ける権利、信条の自由を守り、社会的平等性を求める権利などには「行き過ぎ」というのがあるが、「報道の権利」には「行き過ぎ」はないということか? 「報道の権利」は、他の全ての権利に優先するということか?

どこかで誰かが「文春側ももっと大きな問題で報道の権利をめぐって闘いたかっただろうに」と書いてあったが、「もっと大きな問題」になりそうなものは、「自主規制」によって出さないだろうよ。そういえば、国会議員の秘書給与問題も、なんで一部の議員しか追求されなかったんだ? 「報道の権利」なんて言うなら、それに見合った報道しろよ、と言いたいもんだ。



2001年
6月  7月  8月  9月  10月  11月  12月

2002年
1月  2月  3月  4月  5月  6月

7月  8月  9月  10月  11月  12月

2003年
1月  2月  3月  4月  5月  6月

7月  8月  9月  10月  11月  12月

2004年
1月  2月  3月


最新月の日記へ

トップページへもどる
ary0209.h