こんなことがありました(日記)

2002年4月


いよいよ新年度のはじまり…。
僕は新しい居住スタイル(共同生活)でこの新年度を迎えました。


2002年4月30日(火)

今年度勤めるある研究職の4月分の給料がようやく入り,これで何とか今年度の生活ができそうな安心感がでてきた。でもとりあえず,これまでの友人からの借金の返済をしなくちゃ。

実は,この職は1年毎の契約で3年まで更新可なんだけど,来年は,自分の論文執筆や,その職の身分で参加している研究グループの状況により更新できるかどうかわからないので, なんとか来年しのげるような貯金をしたいのよねー。そのためには,もう一つくらいバイトしたほうがいいかも…。週に1日くらいのバイトないかしら。

といことで,一番にいいのは,フィールドワークも兼ねてどっかのゲイバーで週一とかで働くことなんだけど,話芸はないわ,妙に年をとって使いづらいわじゃ無理よね…それでもいいっていうバーを知ってる人がいたら紹介してねん。

2002年4月29日(月)

フランスの大統領選挙で極右勢力のルペン氏が残ったとことが,フランスのみならずヨーロッパにも衝撃を与え,日本でも取りざたされていることは周知のとおり。

そのルペン氏が「極右」と呼ばれる理由の一つに,徹底した外国人排斥の思想があるわけだけれど,その彼が「日本やスイスの国籍法は完全にわれわれの考えと一致する」と述べたという。 確かに,日本での国籍取得は極めて難しく,難民もほとんど受け入れていない。

そう,実は,僕たちは既にルペン氏的国家に住んでいる(そして,その国家を維持している)のだ。確かに,首相の靖国神社参拝といい,歴史修正主義言説の跋扈といい,この国は,まさしく極右的国家に他ならない。とりあえず,こうした発言が自由にできるし,マスコミも政府や政治家を叩くことがができる(しかし,その対象は巧妙に選ばれているのだけれど)ということで,憂さ晴らしはできているので,なんとなくデモクラティックな国に住んでいると勘違いしてしまえるのだ。

現在,報道規制に関係する法律に関して議論が起きているが,たぶん,とりあえず当分の間は,現在懸念されているような政治家批判に対する制限がおこなわれることはないだろう。 それは,ガス抜きとしてうまく機能しているのだから。

今の僕にとっては,どんなに批判や文句が語られていても,国の政治が変わる様子が見えない(変えようという意思が有権者に見えない<せいぜい単発的な選挙で与党勢力が負けるくらい)という状況こそが恐ろしい。

2002年4月27日(土)

テラ出版さんが運営する(って言うのかな)フリースペース「Qube」のオープンパーティーに行ってきました。 場所は,もちろん二丁目。以前Gamosというクラブのあったところです。勉強会とかにも使いやすそうな大きさで,内装も明るい感じで良い感じでした。

僕は早く行き過ぎて,なんだかえらい方々の側に座ってしまったので,緊張のあまり次々とジン・トニックをおかわりしてしまい,顔見知りがたくさん来たときには, すっかり酔っ払いになっていました。

その勢いで,いろんな人といろんな話をしたのだけれど,後で考えるとちょっと…という話もしたような気が。普段は,近寄りがたい人にまで積極的に話しかけて, 良かったんだか悪かったんだか。ただ,普段は結構人見知りで物怖じしてしまう僕だけれど,酔うとだいぶ平気になっちゃうのね,と今更ながら再確認。

これから先,フィールドワークで色んなタイプのバーに行かなくちゃと思っているんだけど,酔ってその勢いで行った方がいいかしら。 ということで,今後,僕の酔っ払い姿が(といっても酔っても見た目的にはあんまり分からないらしいんだけど),二丁目のあちこちで目撃されるかもしれません。

2002年4月26日(金)

「タックスノット20周年記念大合同展」へ友達(以前の日記に書いたとても素敵なヘテロ・カップル)と行ってきました。ちなみにタックスノットといのは,大塚隆史さんのゲイバーで,月ごとに色んな人の作品が展示されています。そのタックスノットが20周年を迎えるということで,これまでそこで作品を発表された方々の作品が一同に会したわけです。

ここで,そこにあった数々の作品の「出来」みたいなことについて論評する気は毛頭ないので(そんなえらそうなことはとてもいえるような素養はありません),全体の感想を。

僕がこの合同展で感じたのは,呼吸するように作品が生まれてくることの素晴らしさ,ということ。もちろん,それは簡単に生まれてきたという意味では決してなく,自分の日々の生活の中にあるものを吸い込んで,それを,それぞれの身体の中で変換して,それを吐き出していくという作業ということの僕なりの比喩(呼吸と違うのはその変換と吐き出しにエネルギーを必要としたり,往々にして,苦悶をもたらしたりすること)。

この比喩でポイントなのは,「日々の生活の中」と「身体」。自分の実感から遊離した大仰なことを言おうとするのではない感じとか,社会の中で構成された自分の身体性の引き受けなおしとか,あるはそれをずらしていくこととか。でも,それなのに堅く構えない気軽さとか身軽さがあって。観るものを威圧しない。息をつまらせない…。

と,結局勝手なことを偉そうに言ってしまいました。もし作品を出された方でこの文章に気分される方がいたらごめんなさい。これは,当たり前だけど「解釈」じゃなくて「感想」です。
この合同展は30日(火)まで,新宿文化センター地下の展示室でやっています。まだ足を運ばれていない方はぜひ。僕ももう一度くらい行く予定です。

2002年4月24日(水)

最近ロシアでネオナチの勢力が強まっているというニュースは耳にしていたけど,なんとロシアの内務省特殊警察がそのネオナチに戦闘訓練を行っていたことが, ある新聞の女性記者の潜入取材によって明らかになったという(<尊敬に値するジャーナリスト魂だと思う)。内務省高官は「青年に愛国的軍事教育をした」と認めているとか(以上「朝日新聞」4/24朝刊より)。

先日届いたあるメーリングリストによると,ロシアでは,同性愛を禁止する法律案が提出されているらしい (数年前に一旦廃止された法律なんだけど)。それは,どうやら風紀を取り締まる法律の一貫のようだ。 この流れはまさにナチスドイツが台頭した頃のドイツと一緒。広く同意の得られやすい対象者から次第に人権が奪われていくという仕組みになっている。

ちょうど同じ新聞に,石原慎太郎の支持率が78パーセントという記事があった。日本も確実に右傾化していることは間違いない。こんな流れの中で,僕には,一体何ができるんだろう?

2002年4月21日(日)

昨日今日と,あるデータベースづくりのため入力作業をやったりしていたのだけど,今日の夕方になってふとむなしさに襲われてしまった… んでもってテレビをつけたら,沖縄で南米料理の店を開いている移民帰り(っていうのかしら? 一旦,移民として出たけど何十年もたって戻ってきた人たちとか, 「二世」とか)の人たちを料理とともに紹介する番組をやっていて,それを観てたらなんだか涙がにじんできた。

これって,ホームシックってやつかしら? 帰ったら帰ったで色んなしがらみがあって,嫌な面があって,「うー」と苦悶すること間違いなしなんだけど,時々, 沖縄のあの「まったり感」が懐かしくなるのよね。もちろん,その「まったり感」を意識するようになったのは,沖縄を離れてからなんだけど。

でも,今僕にとって大事な人たちが東京にいることも事実。そして,東京自体も好きな場所。…なんだか引き裂かれている感じ。 まぁ,いずれにせよ,あと2年は確実に東京にいることになったので,その後のことはその頃に考えればいいか。

2002年4月19日(金)

エイズ関係のあるメーリングリスト上でここ最近やりとりされていた内容に腹をたて,昨日,「キーッ!」って感じの批判メールを送ってしまった。 今日は,その僕のメールに対するレスへのレスやフォロー(になってなかったりするけど)のメールを書いたりして,ちょっと消耗。 ついつい熱くなって思ったことを言わずにいられない癖は相変わらず。

ちなみに僕が怒ったのは,そのメーリングリスト上で,HIV診療を長らくやっているある医師がある場面で HIVの感染拡大について悲痛ともいえるような「なんとかしなければ」という発言をしていた,という話が出て(そこまではいいんだけど), その後,HIV感染拡大の危機と対処の緊急性みたいな議論がやりとりされ始めたんだけど,そのやりとりの中に, 現在最も深刻な状況にある男性同性間の感染拡大の話がちーっとも出てこない。

というか,なんとなくヘテロを前提としている話が続いたので,「それって変なんじゃないの?!」というメールを書いたというわけ。 しかし,その後の展開で,男性同性間での感染予防のためにどれだけ予算が投下されているかを調べた上で具体的な提言をしたほうがいいよね,という話になって(ごもっとも), なんとなーく,僕がやるしかないのよねー,という雰囲気に。やばし。自分の首を絞めてしまった。だけど,大事なことであることは確か。

でも,まぁ,今年はエイズ関係のお金をもらって生活できそうな見通しがついたし,二つの研究(博論へむけての研究と「ぷれいす東京」での研究)の合間をぬって やるしかないわね。

それはそうと,久しぶりに特設コラムをアップしました。「伏見憲明著『ゲイという[経験]』を読む」です。書評といえるほどのものじゃないけど,読んでもらえるとうれしいわん。

2002年4月16日(火)

知人に誘われて,ある人のお墓参りに行った。会ってみたいなぁと思っているうちにその方が亡くなってしまい,それから1年が過ぎ,ようやく初めて出会えたという気がした。「お墓」とは言っても,墓石があるようなものではなく,多くの人の位牌が並んでいるお寺の地下の共同墓といった感じ。 本人の希望をご両親が叶えてそのような供養の形になったらしい。

「家」のお墓に入るのではない,そういう形の供養もいいなぁ,と思った。僕の場合,散骨がいいなぁとも思うけど,その希望をかなえるためには多くの人手を煩わしてしまいそうだし。 まぁ,とりあえず,遺骨がどこに行こうが葬儀がどこでどのように行われようが,東京で知人・友人たちが偲ぶ会でもやってくれれば満足だわ。と,老後のことを飛び越えて,死んだ後のことを考えたりして。

と,今日はなんだかんだと外出していたのだけれど,実はまたもや風邪をひいてしまっているのです。まぁ,微熱とか鼻水とか体のだるさとかという程度のものなんだけど,こういう風邪の時ってどうしたらいいいか,いつも悩むんだよねー。 なんだかずっと寝ているのもなぁ…という感じだし。かと言って,集中力がないから本を読んでいても頭に入んないし。

しかも,尿管結石っぽい腰痛も発生(これまで二度,尿管結石になったことがあるので,なんとなく分かる)。実は,みかけによらず病気がちな僕。 やっぱり肥満(とその原因の食生活)とかから改善しないとダメかしら(そりゃそうだろ,という声がたくさん聞こえてきそう)。

2002年4月14日(日)

最近日々感じたことを書こうと思うと政治がらみの話が多くなってしまう。アンフェアーなスキャンダル報道でマスコミが大騒ぎしているうちに, いよいよ報道規制にかかわる法案と有事法制案が通りそうな気配だ。しかし,どれもこれも有権者が選んだ国会議員がなしたことなのだから,有権者が選んだ道と言うべきなのだろうか…。

はぁ,厭世的になりそうな今日この頃。だけど,いくら「厭世」的になっても「世」から離れて生きていくこともできなし。 せめて,非常に個人的な(それも深く追求すれば社会との相互関係にあるけど)幸せを実現したいもんだ…しかし,色っぽい出会いもなく,現時点で全財産数千円の貧しい状態じゃあ,それも期待できないわ。しくしく。

2002年4月11日(木)

昨日,今日と昼の新宿二丁目を「フィールドワーク」のためにうろうろしていた。地図と名簿を持って一つ一つのビルをチェックするという, 本当にフィールドワークっぽいフィールドワークだった。なんだか後ろめたーい感じで,人がいるとドキドキしたりして…。

今回はっきり認識したのは,自分は,やっぱり(?)調査するという行為に対して否定的なものを感じているってこと(今更そんなこと言ってどうすんの, って感じだけど)。たぶん調査は続けるんだけど,その中でこの否定的な感覚の意味を考えたいなと,思っています。

今日届いた『月刊みんぱく』という,国立民族博物館が編集している薄い冊子に興味深い(しかし,一部疑問のある)話が書いてあった。 法政大学の川村湊さんが書いた「女と男のいる韓国」というエッセイなんだけど,それによると,現代の韓国には日本語の「女」に対応することばがない,という。

彼によるとヨソン(女性),ヨジャ(女子)という言葉はもともと漢語なのだとか。そして,ケーチプ(女の子),マヌラ(妻),チプサラム(家内)は「女」の種類をいうことばで, 「女」という一般名詞ではない。ということで,日本語でいうなら「ヤマトことば」にあたるような表現で女性一般を指す言葉なはい,と。

その民族誌的事実は興味深いのだけれど,彼が最後に書いている「「女」の存在感があまり強いので,わざわざ「ことば」にする必要はなかったのだ」なんて不思議な直感(?) には大疑問(一応,その後に「真偽のほどは不明である」と書いてるけど)。

疑問ついでにいうなら,途中に登場する「ホモセクシュアルはあり,これはどうも学校や軍隊やヤクザ組織などの極端な男性社会の産物のようだ」という文章には,「?」。 今だにこんな文章があちこちで書かれてるのよね,と思うと怒りよりも脱力感に襲われる。

2002年4月9日(火)

このHPからもリンクをはっている土屋君のページ「airpump」の旅行記を読んだ。
彼らしい多感さと,ひょうひょうさ,しかしさりげない意志の強さを感じさせる,良い内容だった。 文章そのものも,決して意匠を凝らしたような美文ではないけど,胸にすっと入ってくるすごく素敵な文章だと思った。

彼は,今,芸大の大学院で保存修復を学んでいて,今回の旅行は研修旅行(?)だったらしい。なので,彼が観てまわった色々なお寺の仏像が登場して, それもとても興味深いんだけど,仏像をめぐる旅の中での人との出会いや彼自身の内省が,心に響く。

僕が一番印象に残ったのは,6日目(だったかな)に登場する少年とのやりとり。彼自身のせつなさも伝わってくる胸がきゅんとする話だった。 ちょっと長い旅行記だけど,彼らしさを味わうには,時間にゆとりのある時にゆっくり読んだ方がいいかな。

2002年4月8日(月)

徹夜で準備して臨んだ指導教官との面談…ここしばらく調べていた基本的な情報と,考察と言えるほどでもない素朴な感想をまとめただけだったけど, 意外に先生には好評だった。ほっ。

話もはずみ,なんとなくご機嫌で面談を終えたんだけど,しかし終わった後に,今向かっている研究の方向性について, ふと「これは僕のやりたかったことか?」という疑問と,「このままでは,人類学がこれまで『『異文化』に向けていたまなざしと, それに潜む政治的問題を再生産するだけなのでは?」という不安がふつふつとわいてきた。

「これまでの人類学のやり方をやってみて,その中でそのあり方の問題を考える」というのもありかな,とは思うけど…。
うーん…いくつも乗り越えなくてはいけない山がたくさんありそう。ほんとに博論までたどり着けるかなぁ。

2002年4月6日(土)

友人の「博士学位記もらっちゃいました」パーティーへ行ってきた。
前に彼女の博士論文公開審査会の話をこの日記に書いたけど,彼女は,学問の政治性を意識しつつ隘路をぬうようにして素晴らしい博士論文を書き上げた。その結果,見事,博士となったわけだ。それもセクシュアルマイノリティをテーマとしつつ博士論文を書き上げて通った人は日本の大学ではほとんどいないだろう,すばらしいぃぃ。

僕もがんばらなきゃーと思いつつ,今頃二丁目のマッピングをやっているようで大丈夫なのかしら,という気も…。月曜日の指導教官との面談はどうなることやら。 いつもいつも「いよいよ引導を渡されるかも」と不安をもって臨むのよねー。更に今回は,前回出された宿題がいくつかあって,それをちゃんとはこなしていないのよん。 やばいわ・・・(最近,何人もの友人から「いつも『やばい』って言ってるよね」って言われた…情けな)。

そうそう,話が戻って今日のパーティー。仲の良い友人(ヘテロ・カップル)と行き帰り一緒だったんだけど,ほんとすっごく素敵なカップルなのよねん。 二人とも知的で穏やかでおしゃれで美しい。難を言うとしたら,その「出来過ぎ」なところ。でも二人と一緒だと,こっちも幸せな気分になってくる。 良い友人を持って幸せだわ。しかし…やっぱり,僕も素敵なパートナーが欲しい〜〜!!!(心の奥底からの叫び)

2002年4月4日(木)

少々痛みを残しつつも,すっかりお腹も元気になり,前々から予定していた友達(「今月のお客様」にも登場の鍛冶さん)の誕生日祝いの食事会へ。
京王プラザホテルのビュッフェレストランでマレーシア料理フェアっていうのをやっているのを知って,なんだか懐かしくて(って言ってもエイズの会議でクアラルンプールに行っただけなんだけど), 「そこで食事しよー」と僕が彼女を誘ったのがきっかけとなった食事会なのでした。

で,やはり「今月のお客様」一人目に登場してもらった,がんすけも誘って三人での食事会。二人には,ほんと〜〜に色んな面で助けられていて,僕にとってはかけがえのない恩人のようなもの。 「恩人」っていうと,ちょっと他人行儀ね。僕は勝手に家族のように思ってるんだけどね。

食事は,まぁまぁ。お腹が本調子じゃなかったので,僕にしては思いっきり食べられなかったのに悔いが残る(って言ったら,きっと一緒に行った二人は「あれで???」と驚くと思うけど)。 でも,やっぱり親しい人と食事をするのは,元気になるわね。

そうそう,その後は,新宿二丁目の地図書きのために,強い風が吹く中,二丁目のすべての通りを歩いて白地図に色々と書き込むという,ちょっと人類学者っぽい怪しい行動をとりました。 風で地図がバタバタするし,結構寒いし,人目も気になるしで,ちょっとつらい作業だったわ。でもこれは人類学者になるための試練ね(<<ほんとか?)

2002年4月3日(水)

なんと新年度に入って早速体調を崩してしまった。1日の夜に激しい腹痛に襲われたのだ。
うなりつつ眠れぬ夜を過ごし,翌朝には,かなり痛みはおさまっていたものの左わき腹あたりに痛みが残っていて,歩くと更に痛む状態。なので,とりあえず病院へ。行ったのは,色々迷った挙句,杉並区では最も大きい病院の一つのK総合病院。 午前10時頃に行ったら,覚悟していたとはいえ,かなりの混みよう…。1時間半以上待ってようやく診察を受けられた。

医師に病状を説明したら,まず結石を疑われて尿検査とレントゲンをとることに。僕は,尿管結石を2回やっているので「それとは随分痛みが違いますけど…」 と言いつつ,しかし,言われるままに。
レントゲン技師のお兄ちゃんがかわいかったのはよかったんだけど(「パンツ少し下げてもいいですか」と聞かれたときにはドキドキしちゃった),30分くらいたって出たデータからはやっぱり結石ではないことが分かり,話は振り出しに戻ってしまった。 結局医師は首を傾けつつ,「炎症を起こしているんじゃないかと…」とあまり自信なさそうな結論。 整腸剤を出してもらうことになったものの,一応,炎症の確認のために採血をして,その結果を聞くために翌日にまた来ることになった。

しかし,帰ってから,今度は,なんと熱が出始めた(行ったときも既に熱はあったかもしれないのだけれど,医師に「熱は?」と聞かれた時に「はかっていませんが,ないと思います」と答えたら, 熱ははかられなかった)。
で,熱は38.5度くらいまでに上がって,丸一日こんこんと寝続けた。翌日には,なんとか微熱に下がり,少々ふらつきながらも午後に血液検査の結果を聞きに行った。医師は前日と違っていたので,カルテはあるものの病状を説明しなおし, 血液検査の結果の説明を受けた。結局,「炎症を起こしているみたいですね…たぶんそんなに強い菌じゃないと思いますが…」という話で,「あっそーですか」という感じ。 昨日とったレントゲンを見ながら説明を受けたんだけど,しばらくの間,違う人のレントゲン写真が出されていて,その写真で説明を受けた(途中で「もう一枚レントゲンがあったはず」,という話になり医師は間違いに気づいたんだけどね)…なんだかなー。

そんなこんなやりとりで学んだことは,結局一晩で収まるような腹痛は,病院行ってもムダなのね,ということ。まぁ,激しい痛みが一日経っても収まらないとか,とても耐えられない激しい痛み…というのは行くべきなんだろうけど。
しかも,今回,いきなり紹介状なしに大きな総合病院へ行ったので,「特定療養費」っつうのをとられて,初回に7000円あまりも払うことになってしまった (今は,紹介状なしに200床以上の病院にいきなり行くと数千円のお金を払うのよ)。

まぁ,血液検査のおかげで,前々からそうだろうなーと思っていた尿酸値の高さが確認できて良かった(?)し,肝機能等には問題ないこともわかったし,まったくムダではなかったかな。それに,かわいいレントゲン技師の人とボディ・コンタクトもあったし…(無理やり意義を見出している気も)。




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