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第124話
源義経と鳴子温泉

 第116話と第120話で紹介した鳴子温泉は、こけしで有名ですが、源義経とも縁のある町です。
 源義経は平家の滅亡に活躍しましたが、その後、源頼朝の許可を受けずに検非違使に任官したりしたので、やがて源頼朝に追われます。京を脱出した源義経たちは、追っ手から逃げながら日本海側を通って、奥州藤原氏が治める岩手県の平泉にたどり着きます。

 宮城県の鳴子温泉は、源義経と縁の深い場所でもあります。日本海側から峠を越えてやってきた源義経一行は、鳴子温泉の西側にある尿前の関(しとまえのせき)にたどり着きました。私が尿前の関を訪れた2014年3月下旬の頃になっても、写真で見るように雪がたくさん残っていました。現在の尿前の関は江戸時代の頃にあった場所に史跡として整備されています。

 源義経が鳴子にたどり着いた頃に尿前の関があった場所は、写真の木戸をくぐってさらに50から100メートル歩いた所だったそうです。尿前の関まで乗ったタクシー運転手の話によりますと、源義経が来た頃の尿前の関の位置には石でできた灯籠があるそうなので、そこまで歩いてみることにしました。石畳の部分は除雪されていましたが、石畳の両側には雪が1メートルほど積もってます。灯籠はどこだろうかと探してみると、確かに灯籠はありました。2つ目の写真がその灯籠です。下の方が雪で積もっているので分かりにくかったですが、12世紀終わり頃に尿前の関を通る義経一行を想像するのもいいものですね。

 尿前の関を無事通過した源義経一行は、奥州藤原氏が治める領地に入って一安心したようです。現在の鳴子温泉の地に到着した一行は、温泉に浸かりました。京都から逃げてくる途中で義経の正室が亀若丸を生みました。赤ちゃんが泣くのも憚るような逃避行の真っ最中だったからでしょうか、亀若丸は産声をあげなかったそうです。奥州藤原氏が治める鳴子について安心したのか、川原湯に浸かった時に亀若丸は初めて産声をあげました。一説によりますと、この故事が元になって、この地が「啼子」と呼ばれるようになり、やがて「鳴子」と呼ばれることになりました。また、亀若丸が浸かった川原湯は姥乃湯(右の写真)で、義経ゆかりの湯として有名な湯となっています。

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