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第17話
第一次世界大戦にアメリカが参戦した理由は?(前編)

 第一次世界大戦は、それまでの戦争とは大きくことなり、前線で戦う兵士だけでなく銃後と呼ばれる後方にいる人々も巻き込む総力戦でした。これまでの歴史をいくつかの時期に分ける時に、第一次世界大戦が近代と現代を分ける時期だという研究者もいます。
 教育実習に行った時に第一次世界大戦を担当しました。その中でアメリカの参戦についても触れました。
 アメリカは、1823年にモンロー大統領が出した「モンロー・ドクトリン」で、欧米情勢には干渉しないという立場を取っていました。アメリカは、第一次世界大戦が始まる当初は中立の立場を取っていましたが、1917年4月になるとドイツに対して宣戦布告し、連合国側で参戦します。
 高校の歴史教科書を見てみると、アメリカが参戦した理由として、ルシタニア号事件を挙げています。このルシタニア号事件とは、1915年5月にイギリス船籍のルシタニア号がドイツの潜水艦によって撃沈された事件です。この船には128名のアメリカ人が乗り組んでいて、アメリカ人が犠牲になったことがアメリカの参戦へと導いたという説明が教科書にはよく載っています。

 しかし、本当にルシタニア号事件がアメリカを参戦へと導いた直接の原因なのでしょうか。ドイツは潜水艦攻撃を始めるに当たって、潜水艦攻撃を行う海域と攻撃の対象と船を指定していました。潜水艦攻撃の対象となったのは交戦国の船籍で、交戦国の海域に入港する船舶に限定していました。ルシタニア号はイギリス船籍なので、当然ドイツ潜水艦の攻撃の対象になります。また、ルシタニア号が撃沈されたのはグレートブリテン島の程近くなので、潜水艦攻撃が行われる海域内の地点でした。このように考えると、ルシタニア号は撃沈されるべくして撃沈されたと言えます。
 ルシタニア号事件は、当時の新聞にも掲載されましたので、アメリカ市民の間で反ドイツ感情が湧き起こって、そのような世論がアメリカ議会を動かし、参戦へと踏み切っていったと見ることもできるでしょう。しかし、ルシタニア号事件からアメリカの参戦まで約2年が経過していますので、その間、ずっと反ドイツ感情の高まりが続いたとは思いにくいのです。
 このように考えると、ルシタニア号事件とアメリカの参戦には直接的な関係があると言い切れるのか、と疑問を持つようになりました。
 ではアメリカが参戦した理由とは一体何なのでしょうか。

 第一次世界大戦が始まった当初、アメリカは中立の立場を取りました。中立の立場になったのには、一つは従来のモンロー・ドクトリンに基づいて、ヨーロッパ情勢には不干渉の立場を取ることが理由だったのでしょう。また、アメリカは移民によってできた国ですから、アメリカ国内にはドイツ系移民も数多くいます。例えば、ウィスコンシン州はドイツ系移民が多く集まって作られたと言われています。アメリカは19世紀の中頃に国を二つに分けて戦う南北戦争を経験していますから、協商側または同盟側のいずれかに味方して参戦した結果、国内が再び不安定になることを望まなかったと思います。
 ですから、アメリカ市民の多くも協商・同盟いずれかの味方をするよりは中立を望んだのではないでしょうか。それを確かめられるような全米をカバーする世論調査の資料が手元に無いので、「リテラリー・ダイジェスト」誌が行ったアンケート調査を紹介したいと思います。
 この調査は、1914年7月28日に第一次世界大戦が始まった時、全米の新聞雑誌編集長を対象に行ったアンケート調査です。アメリカは中立すべきか、それとも協商・同盟のいずれに味方すべきかについて尋ねています。その結果を表したのが下の図です。

協商側
105
中立
242
同盟側
20

 この調査結果を見てみますと、同盟側(ドイツ、オーストリア)よりは協商側(イギリス、フランス、ロシア)に味方する方が多いですが、半数以上の編集長が中立が妥当ではないかと考えています。
 1914年7月のアメリカの人口は約9900万人で、そのうちの367名に対するアンケート調査ですから、調査結果が全米市民の考えを反映しているとは言えないかもしれません。しかし、編集長はオピニオン・リーダーと言えるでしょうから、このようなアンケート調査を読んだ市民の多くは「やっぱり中立が望ましい」と考えたことでしょう。

 その後、中立の立場を取ったアメリカは、協商国(のち連合国)・同盟国双方に軍需物資を供給しました。第一次世界大戦は大量に物資を消耗しましたから、戦争を戦い抜くために必要な軍需物資の確保は時間との戦いでもありました。各国は自国だけでは戦争に必要な全ての物資を賄い切れないので、1830年頃に本格的な産業革命を経験し既に工業国でもあったアメリカに対して協商(連合国・同盟両陣営から軍需物資の注文が殺到しました。そのおかげで開戦時は約30億ドルあった債務を1915年のうちに完済してしまいました。
 イギリス・ドイツ両国の海軍は、武器・弾薬・食糧・原材料などの軍需物資を積んだ船が相手国に向かうのを阻止しようしました。イギリスは世界最強と言われた海軍力を活かして海上封鎖を行ってドイツやオーストリアに向かう船舶の航行を阻止しました。他方、ドイツは潜水艦でイギリスの封鎖ラインを突破して敵国の船を攻撃しました。1917年1月までは中立国の船は潜水艦の攻撃対象では無かったので、ドイツ潜水艦はもっぱら交戦国の船を攻撃しました。
 そんな中、イギリス船籍のルシタニア号がドイツの潜水艦から発射された魚雷によって撃沈しました。ルシタニア号にはアメリカ市民も乗っていたので、128名のアメリカ市民が犠牲になりました。
 ルシタニア号事件(1915年5月7日)以後、アメリカ参戦(1917年4月6日)までどのような経緯があったのでしょうか。それは回を改めて話すことにしましょう。

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