2月15日(日)食堂に 閉店間際に 飛び込んで
2月14日(土)一瞬に 気が軽くなる こともある
2月13日(金)案内を するはずなのに もてなされ
2月12日(木)ボスアネソ 考えた壁の 作り方
2月11日(水)何であれ それをするのは まずいよね
2月9日(月)代償は 予想通りの 出費かな
2月7日(土)酔っぱらい 血を流しながら からむ者
2月6日(金)生ビール 悲しい話と ポップコーン
2月5日(木)のどかにも 決まらぬままに 右往左往
2月4日(水)ぎりぎりで 得られた出会いに 感謝する
2月3日(火)雪道で 滑った代償 高くつく
2月2日(月)妖しさが 漂う街で 1週間
2月1日(日)いろいろと 振り回されて 果ての地へ

 突然ではありますが、私もソウル駐在期間が残すところ1ヶ月あまりとなり、かなり忙しいのと少しでも多く韓国語に触れていたいという気持ちがあるので日記を中断します。どうしても日本語で日記を書いているとその時間がもったいないような気がしてきたからです。ただ気が向いたらまた書くかもしれませんが、そのへんはどうなるか分かりません。ですので、とりあえず中断という形をとります。更新が少なくなるので日記猿人への登録もやめます。

 今まで読んで下さった皆様に感謝を申し上げたいのですが、それは正式に私が帰るときに申し上げたいと思います。なお、掲示板はまだ存続いたしますので、書き込んでいただいて結構です。

2月15日(日)

 夜にちょっと職場に出かけて、10時近くにご飯を食べていこうと思い、食堂に入ったときのこと。そこでは、登山帰りのおっさん3人が真露を飲んで酔っぱらって大声で喋っていた。店のおばさんが出てきて「10時で終わりだよ」とかなり不機嫌そうに姿を見せる。食事にするものはプデチゲくらいしかなく、それを注文する。閉店間際でプデチゲじゃあちょっと手間がかかるよなあとか思ったが、仕方がない。本当に不機嫌そうだった。一言謝ったが「腹減ってるものは仕方ねーだろ、たーけ(そこまでは言っていない)」と言っておばさんはプデチゲを作りに厨房に入った。

 とりあえず、ものは出てきた。コンロで煮込む。横の酔っぱらいは依然として大声で喋っている。真露をもう1本注文した。おばさんいわく「もう終わりだよ、うちが遠いんだよ」と不満たらたらこぼしながら、真露を出してくる。こちらはプデチゲを必死に食べる。半分くらい食べたところだろうか。少しスープの方が少なくなっていた。おばさんが「汁を少しいれようか」と聞いてきた。かなり不機嫌でそんなことをしてくれるとは考えてもいなかったので少し当惑したが、汁を追加してもらった。

 依然として、酔っぱらいは大声で喋っている。もう大体食べ終わった頃だろうか。おばさんが今度はにっこり笑って「汁を追加しようか?」と聞いてくる。また当惑して今度はもう食べ終わったところだったので遠慮した。そうすると「私が『閉店間際だから早く食べろ』と言ったみたいに食べていたから、もう少しゆっくり食べていいよ」と言った。おかしくて仕方がなかった。笑っていると「どうして笑ってるんだい?」と聞いてくる。やっぱりおかしい。とても落ちついた気持ちでそこをあとにした。依然として酔っぱらいは大声で喋っていた。



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2月14日(土)

 海外に駐在していて一番の仕事というのはお客さんの案内だと思う。で、これがなかなか難しい。いくらその人が喜びそうなところをセットしても、料理がうまくいかなかったりとか、聞かれたことにうまく答えられないとか。私なんかは特に聞かれたことに対して、おぼろげな知識しかないことが多く、結構ハッタリをかましていることもある(私が案内した方、すみません)。

 しかしながら、自分が説明したことに対して感動してもらうとそれはそれは嬉しい。今日案内した人に対しては大した説明もできず、料理もお気に召したか分からないのだが(アンコウ鍋だった)、帰り際に鍾路の1本裏筋にあるピマッコルの説明をしてそこを歩いたところ、その道幅にいたく感動されて朝鮮時代の道幅はこれくらいだったんですねえ、とか、写真を撮ったりとそれはそれは本当に感動されていた。今日はこれで救われた。最近、ちょっと気が重かったから。どんな嫌なことがあってもちょっとした1つの出来事で気分が軽くなる私は単純で恵まれた性格かもしれない。


2月13日(金)

 今日は日本の上司が来るということで、職場を早退して迎えに出ました。まずは、鍾閣で待ち合わせして、バスが来るのを待つ。そうするとバスではなく、タクシーで上司はやってきた。私は日本人2人で来ると思っていたのだが、案内していた韓国人の方もいたので少し当惑した。結局、そのままホテルへ向かう。

 実は、今日はもう1人の韓国人とも待ち合わせしていた。しかしながら、どうも考えが食い違っており、きちんと約束されておらず、ホテルで何とか会うことができた。しまった、やはりメールだけではなく電話で確認しておくべきだった。

 とりあえず、どうしようかと思っていたが、その韓国人が自分の家で食事を用意していると言ったので家に向かう。それなら、事前に言ってくれと思い、私は結構不機嫌だった。でも、悪気はないから怒れないし。私は最低ですわ。これも読まれてますし。

 家では大量の食事でもてなしてもらう。私は案内をするために行ったのではなかったのか。その疑問がつきまとう。そこでゆっくりして、市場等を見学して、10時過ぎまで家におじゃました。そこのお母さんがとても明るい人で、その場はとてもなごやかだった。次から次へと出てくる食事に感謝するだけである。果物もたくさん出てきて。う〜ん、結局私は何をしに行ったのだろう。こういう心境でいると結構疲れるものである。


2月12日(木)

 せっかくこの地に来たんです。できるだけ楽しみたいんです。腹も割って、奥深くまで入り込みたいんです。壁なんて日本に作っていくらでも作ればいいじゃないか。なのに、何でここで壁を作る必要があるわけ?そのざっくばらんさが俺は好きなのに。こうやって、面と向かっていえない自分に一番壁があるのかもしれない。うまくつきあうということはどういうことなのか。うまく付き合うとは全く害を受けないということなのか。こういえるのも、自分が害に遭っていないからか。何だか寂しいな。こんなに長い間住んでいるのに。

 今日の夜、バスに乗りながらそんなことを思いました。


2月11日(水)

 せっかく少し安定していた韓国の経済ですが、労使政委員会の合意により整理解雇の法制化が合法化されそうな雲行きになり、それに反発した民主労総が全面ストの構えを見せ始めまして、それに反応して株式市場、為替市場、金利市場等、全ての市場が急落しつつあります。明朝はどうなるのか分かりませんが、地下鉄の全面ストが予定されているとのことです。私も出勤が心配です。と書きましたが、それほど心配はしていません。まあ何とかなるんではないか、今までの経験からそう思ってます。と書いて新聞を見たら撤回されてました。まあこんなもんです。

 ところで、何でこんなことをするんでしょうか。株価が下がるのは目に見えてますし、市民にも迷惑がかかりますし、全くいいことがありません。いつでもそうですが、そのためにどれだけ悪影響が出るか。それくらい考えてほしいものです。それだけ国を揺り動かすほどの大きな組織なんですから。私はこの民主労総という組織には疑問を抱かざるを得ません。本当に。それにしても、晩に食べたナクチポックムはまずかった。にんにく入れすぎじゃ。すいません、最後は愚痴でした。


2月9日(月)

 今日は久しぶりに職場に行く。机の上にどっさりと仕事が積もっていた。そのうえに次から次から仕事がふりかかってきて、大変だった。ところで、積もったと言えば、午後3時くらいから雪が降り出してかなり積もった。かなりと言うほどの雪ではないが、何だかソウルに2年も住んでくると5センチくらいでも大雪と言う感覚になってくる。帰りがもう12時近かったが、路面が凍って完全にスケート状態だった。タクシーは危なくて乗りたくなかったので、何とか地下鉄のあるうちに帰りった。ああ、そういえば、先週の火曜日に転んでその後撮った写真も現像してみたが、転んだ以降の写真は全然撮れていなかった。写真の現像料が安くてそれで分かった。がっくり。それよりもカメラがおかしくなったのが痛い。ああああああああああ。

2月7日(土)

 今日で研修は終わりである。挨拶などをしているとあっと言う間に午前が終わる。係の人、2人と一緒に昼食を一緒にした。豆腐の店だった。スンドゥブ、コンビジ、テンジャンチゲ、等々。豆腐ずくしだった。そこの店の定食を頼んで、予想通りの豆腐ずくし。そういえば、先週もこんなんだったなと思いながら食べる。話を聞いてみるとこういう店も少なからずあるようである。

 挨拶をして別れ、バスに乗って帰る。家までは1時間もあれば着く。荷物が多くて結構きつかったが、一般バスで帰った。家に帰って少し寝て夕方の約束に出かける。大学の近くに行ったが、卒業シーズンのせいか学生であふれていた。しかしながら、帰り際には酔っぱらって喧嘩したのか血を流している学生もおり、警官にいいがかりをつけている者もいたし、恐ろしかった。目がかなり来ていた。


2月6日(金)

 今日もいろいろと案内してもらう。何だか同じ係の人がお疲れのようだ。あとで聞くと隣の係の人の肉親が亡くなられたそうで、昨日その通夜に行ってきたそうでほとんど寝ていないそうだ。ただ案内してもらい仕事の後で、簡単に飲みにいった。明日の午前でお別れだからだ。そこはセルフホップと書いてあり、テーブルごとに生ビールの樽があり、自分で注いでその量の分だけ請求されるというシステムだった。

 無料のポップコーンとフライドチキンで2時間ほど2人で飲んだ。何だか悲しい話が多かった。家庭で苦労が多いらしい。そのためにストレスがたまり、体にも悪影響が出ているそうだ。


2月5日(木)

 今日は研修の最中に調査のためにあちこちでかけることになっていた。それをお願いしていたら、急に「それじゃあ行きましょう」と言って同じ係の人が出発した。何も準備していない私は慌てた。なんでこんなに急なんだろうと思いながら出発した。しかも最初は私が行くと思っていたところへは行かずに、今日行かないはずのところへ行った。その時点で気付かねばならなかった。そうなのだ。行程が行き当たりばったりなのだ。そう気付いたときにはもう遅かった。

 午後はさんざん人を待ったりしなければならなかったし、それに疲ればかりが残った。果たしてこんなんでいいのだろうか。実にのどかだった。そんな1日だった。


2月4日(水)

 今日は、研修の後に岡夫妻に会いに行く。元オカトホさんとは何度も会ったことはあるのだが、りなぽんさんと会うのは初めてである。岡夫妻が日本に帰る前にぜひということでついに実現した。城南市内のマクドナルドで待ち合わせをして、そしてりなぽんさんは現れた。以前トホホページで写真を拝見したことはあったので、若干顔は違って見えたものの、ダウンジャケットでその人だとすぐに分かった。会って少し話をして、バスと地下鉄に乗って岡夫妻の家の近くに行く。行ってみると思ったよりも食堂などが多かった。その中のアンコウ・蟹の鍋の店に行く。そこでコッケチムを食べた。中にミドドクというホヤ風の味のものが入っていて、以前掲示板で話題になったこともあり、何でこんなものが好きなんだと突っ込まれた。

 いろいろな話をして、2次会へ。お約束のノレバンに行く。のっけから2時間の予約でりなぽんさんの気合いの入り方が違う。岡夫妻の歌う曲目を聞いて思わず、歴史を感じてしまい、少し感動してしまった。とはいえ、私も構わず歌っていたのだが、pipibandの2曲をりなぽんさんがイ・ユンジョンばりの絶叫で歌ったので、楽しかった。あれほどpipibandを完璧に歌える日本人がいただろうか。う〜む、私は幸福者かもしれない。というわけで、私もアホなくらいに歌ってしまいました。元オカトホさんから今度東京でクラブに行きましょうとまで言われてしまった。実に楽しい一日でした。


2月3日(火)

 今日は午前中、仕事をして午後から南漢山城という山城に連れていってもらった。そこは「地球の歩き方」によれば百済の最初の王朝があったと伝えられるところで、李氏朝鮮時代に清の侵攻に備えて古城を復元したところだそうだ。曇りがちで景色はさほどよくなかったものの、1km以上雪のまだ残る道を歩いた。全体を歩こうとすればかなり時間がかかることが分かる。一緒に行ったのは安さんと言う日本語のできる女性だったが、元々その城南市の出身でここには小学生の時に遠足で必ず来たそうで、あまり来るのは好きではないそうだ。

 それでも、山城の最も高いところにあるスアジャンデというところまで行こうというので歩く。はじめは城壁に沿って歩こうとしたが、かなり坂がきついので整備されている道の方を歩く。途中雪が残って凍っており、かなり滑る。私も革靴で来ているのでかなり転びかけた。ところで、なかなか目的のスアジャンデにはなかなか着かない。地図を見てもかなり遠そうだったのだが、安さんいわく、そんなに遠くなかったはずだと。それでも、かなり歩いて着かないため、引き返そうとしたときに寺のようなものが見え、その後ろにその目的の物はあった。そこで写真を撮って引き返す。

 帰りは下りなので来るときよりももっと滑る。安さんが盛んに滑って転びそうになるので気を使っていたら、逆に自分の方が転んでしまった。そして持っていたカメラのレンズのフードがかけてしまった。それだけのようだったのだが、後から見てみるとオートフォーカスのカメラのシャッターが押せなくなっていた。面倒なことになった。

 そして職場に戻り、仕事のあとは時間が空いたので、ブルーヒル百貨店という百貨店に行く。ここは青丘グループの作った百貨店で、行ってみると確かに雰囲気もよく、センスもいい。しかしながら客がいない。理由は青丘グループが去年の年末に不渡りを出したか、その寸前の状態にあるからである。いい百貨店だが残念だ。あとから聞いた話だが、カードも使えなくなっているそうだ。 そこで明日会うことになっている岡夫妻に渡す子供用のぬいぐるみを買い、そこの食堂でご飯を食べて、バスで旅館に戻った。途中、バスがあっちに寄ったりこっちに寄ったりするので、本当に旅館の方に行くのか不安だったが、無事にたどり着いた。

 ちなみに旅館ではソウル市内に部屋から無料でかけることができるので、電話線を持っていけばメールも読むことが出来る。また各テーブルごとに電話機のある喫茶店に行っても同様である。私はソウル市内も自由にかけられる喫茶店を見つけてそこでメールを読んだり長電話をしたりしていた。旅館だと、自分が長時間使うとほかの人が使えなくなるからだ。そんなことをしながら結局旅館に戻ったのは11時を過ぎていたか。いったい俺は何をしているんだろう。


2月2日(月)

 今週から研修のため、朝7時に出発して城南市へ向かう。地下鉄に乗り、3号線の終点水西(スソ)で乗り換えればいい。8時前には地下鉄の盆唐(ブンダン)線のテピョン駅に着いた。とりあえず、荷物が多いので大きいカバンは預けようと思い、旅館をさがす。旅館は駅の周辺にいくつかあったが、どこも何だか妖しいのである。朝だから光ってはいないが、夜になれば明らかにピンクの明かりがともり、その旅館に混じって按摩などもあるので、かなり不安である。私は結局なるべく妖しくないところに決めた。とりあえずアジュンマに事情を話して荷物を預けることに成功した。

 9時から出勤すればよかったのだが、初日ということもあり8時半に市庁に到着した。到着したときには、まだ受入先の人はおらず、横の係の人だけが3、4人出勤していた。

 ここからは仕事の話なのであまり詳しくは書けないが職場は面白かった。見るものすべてが新鮮だった。まだ新入のときの気持ちになった。5時には仕事を終え、夕方に係の南さんという人に市内を案内してもらった。私娼街はここだと教えてもらったりもしたが、まだ時間が早かったので人はいなかった。それにしてもこのあたりは大通りのすぐ裏なのだが、ちょっと裏道に入っただけで雰囲気が一変する。地下鉄のモラン駅のあたりからずっと妖しい。妖しいネオンが光っている。そんなところの食堂街で南さんとテジカルビを食べる。2人で入ったのに3人前を注文して、なかなかの人である。しかし、南さんがよく食べることもあってあっという間になくなった。「追加しましょうか」と聞くと、「ここはあまりおいしくないからほかのところへ行こう」というのでそこを出た。

 そして、寒い中(私はコートを着ていたが、南さんは背広と肉襦袢だけである)10分ほど歩いて、偶然見つけた鉄板焼の店に入り、そこでヘムルタン(海鮮鍋)のようなものを食べる。店員が調味料をふりに来るのだが、塩、胡椒などを踊りながらふって見せ、それを売り物にしているようだった。かなり繁盛しているようで客も多かった。それにしても飲んだ。結局1人当たり焼酎を1本半くらい飲んだだろうか。終わってまだ9時前だったのだが、ヘロヘロである。夜、旅館に戻っていつの間にか寝ていた。翌朝起きたらテレビがつけっぱなしであった。


2月1日(日)

 今日は朝8時前に出発して、統一展望台へ向かった。バスの番号は1番と分かっていたが、どこから乗っていいのかが分からず、うろうろして人に聞いて蔚陵島行きの旅客船ターミナルの前から乗ればいいと言う話を聞く。そこで待っていると、1番のバスが来た。しかし手前の3差路で左折して行くではないか。おいおい。来ないじゃないか。そのため、また移動。市外バスターミナルの前で待つ。待つこと10分ほどか。次の1番のバスが来た。それに乗る。乗るとあとは終点まで行けばいいと思っていたが、料金がどうもおかしいので、運転手に聞くと「終点まで行って乗り換えてくれ」とのこと。それなら地球の歩き方に書いてあるとおりだな、と思う。しかし、統一展望台へ行く途中の巨津が終点だった。運転手曰く、「ここで次に来る1番のバスに乗り換えてくれ」とのこと。なるほど、1番のバスでも統一展望台まで行くバスと行かないバスがあるのか、と納得する。

 5分ほどで次のバスは来た。それにしてもここ数日本当に暖かい。最低気温も0度前後。私はこんな軍事境界線の近くでこれだけの暖かさに出迎えてもらえるとは思ってもいなかった。マイナス15度くらいを想像していたからである。来たバスに乗り込み、終点まで行くと統一展望台の職員らしい人もいて、バスの運転手は「その人に着いて行け」という。言われるまま、着いていくと、すぐにシャトルバスが来て「乗れ」という。あとで思えば本来ここで乗るのではないのだが、シャトルバスの運転手がたまたまその時間に待機所にバスを置くために乗ってきたのだった。運良くそれに乗り、歩くと10分くらいの距離をあっと言う間に統一展望台への手続きをするおみやげ屋と一緒になった検問所にたどり着いた。ここに来るまでは人間の姿をほとんど見なかったが、そこに入ると結構たくさんの人がいた。皆自家用車で来ているようだ。自家用車で来た人は何か申告書のようなものを書いて届けなければならないようだ。私のようにバスで来た人は単にシャトルバスの乗車券を買えばよかった。

 シャトルバスの出発時間になる。私は電話で9時40分と聞いていたが、その出発時間は10時だった。う〜ん、相変わらずわけが分からない。まあとりあえず、バスに乗り込む。バスに乗る時間は10分ほど。狭くなったりしている道を通って行くと、途中で検問らしいものがあり運転手が「6名」という。ん?どう見てもバスには客が7人いるぞ。いい加減だなあ。そんなところを通って駐車場に着く。長い階段を昇って行くとそこから北が見えた。それにしても検問所にあれだけいた人たちはどこに行ったのだろう。誰もいなかった。展望室で付近の施設の解説図を見て頭に入れ、望遠鏡で覗いてみる。北の警備施設が見えたり、そこの横に主体思想と書いてあるのが見えた。また北へのメッセージが書かれている鉄塔も見ることが出来た。名山と言われる金剛山もくもっていて見えにくいながらも見えた。そんなところを見て、再び展望室に戻ると人がたくさん座っており、その人達の前で係員の説明が始まっていた。にせの村の話とか、もっとも近いところでは300mの距離に北と南の警備施設があるとか。説明は「統一!」という叫び声で終わった。

 シャトルバスに乗ってまた検問所に戻る。それにしても人が全く入らないためか砂浜が完全に自然な姿であった。ゴミが流れてきている様子もなく、水もきれいだろう。ここはいい海水浴場になるのにと思う。検問所で降り、市内バスのバス停まで歩く。地球の歩き方によればシャトルバスがバス停まで乗せていってくれると書いてあったが、違った。結構違っていることが多い。

 市内バスに乗り、再び束草市内へ。市庁の前で市内の地図を見る。空港はかなりはずれにある。とりあえず昼食を食べる余裕はあったので、市内を少し歩いたが特に珍しい物はなく、空港から近いこともあるので今日も大浦(デポ)に行くことにした。バスに乗って大浦に到着。奥の方まで歩いて、1軒の店に入る。フェドッパプ(刺身丼)を食べようと思っていたが、何だか薦められるままにヒラメとウロクという魚の刺身とハマグリ焼きを食べることになった。ところでウロクって日本語で何ていうんだろう。辞書にも載っていない。ちょっと見た目は深海魚系だったが、食べると肉に少し弾力性があった。結局、メウンタンまで食べてまたも幸せな気分であった。

 しかし、ちょっとゆっくりしすぎて飛行機出発の40分前をすでに回っていた。大通りに出て空港に行くという5番のバスを待つ。しかしながら10分ほど待ってもそのバスは来ない。まあ、なかなかそのバスが来ないというのは昨日の日記にも書いたページを読んで知っていたので仕方がない、タクシーに乗った。空港はすぐだった。メーターを倒さないというのも知っていた。昨日の運転手はメーターを倒さなかったので、なぜかと聞くと、空港は束草市外にあるので、地域がちがうから定額の料金なんだという。ちなみに大浦からは3千ウォンだった。そうなのである。束草空港は束草市内にはないのである。隣のヤンヤン郡というところにある。妙に納得して(でも不条理だが)、空港に着いてチェックインしてすぐに飛行機に乗る。飛行機の中では乗務員からまた中国人に間違えられた。束草は中国人が多いのか。それとも私の顔が中華系に見えるのだろうか。不思議だった。そしてあっと言う間に飛行機はソウルに到着した。ついさっきまで、刺身を食べていたのに何だか不思議な気がした。でも、かなり北の果てまで行ったんだよな。いろいろな思い出が出来た。大浦は特に気に入った。日本人には全然紹介されていないから店の人も日本語を一言も話さないし、そこがよかった。


※2月2日から7日にかけてソウル近郊の城南市というところへ研修に行きます。ですので次の更新は7日の夜以降になります。

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