51 かくとだにえやは伊吹のさしも草
  さしも知らじな燃ゆる思ひを

 
○これほど貴方を想う気持ち。
ぷすぷす 燻る お灸みたい、いぶき山の蓬でつくったお灸。
焦がれるほどに好きなのに、燃え立つことはしないから、
貴方は全然気付かない。
黙して語らずいるけれど、こんなに貴方が好きなのに、
貴方は少しも気付かない。


☆このように恋い慕っていると言う事すらできないのだから、
伊吹山のさしも草のように焦がれている胸中を決してご存知ないでしょう。

かくとだにえやはいぶきのさしもぐさ さしもしらじなもゆるおもひを
出典 後拾遺集

Fujiwara no Sanekata Ason
(…日本古典をあまり知らない外国の人は日本人ってアソンという名前が多いなぁと思っていたりして)

That, 'tis as it is,
How can I make known to her?
So, she may n'er know
That the love I feel for her
Like Ibuki's moxa burns.

それ…'…tis…それ
どのように…私は彼女に知らせることができるか.
そのように…彼女…n'er
(erは、えーとかあーとか言葉につかえたときなどの発音。
うーんとか言った意味?)は知るかもしれない.
愛Iは彼女に同情する.
伊吹のもののように, もぐさは燃える.


藤原実方朝臣 ふじわらのさねかたあそん (?〜998)藤原定時の子。
父の弟、叔父済時の養子となる。

余談であるが、「伯父」は父母の兄で、「叔父」は父母の弟。
 若い頃はお偉方に気に入られ、出世街道を驀進し 花形である 左近衛中将にまでなる。
が、宮中で藤原行成と口論し、冠を打ち落とした罪から田舎に左遷。
奥州の陸奥の守として一生を終えた。

…それにしても左遷理由がすごい。 
もうちょっと詳しく説明すると、ある年殿上人達で 花見に出かけた際、突然のにわか雨。
そこで実方は 「桜狩雨は降り来ぬ同じくは 濡るとも花のかげに宿らむ」
 (花見中に雨が降ってきた。たとえ桜とともに濡れても木陰に宿っていたいものだ)
と詠い、実際その場でびしょぬれで立っていた。

それを見ていた行成が
「歌はすばらしいが、実方の行為は変だ」と言ったのを怨み、宮中で論争。
激昂した実方は笏で行成の冠を打ち落とし、庭に投げ捨てた。
しかし行成は悠然と雑役に冠を取らせ、笄で髪を整えて反論。
それを見た一条天皇が行成を誉め、実方には「歌枕でも見て参れ」と
陸奥に左遷を命じ、その地で没したという訳…あわれ。

清少納言とも交友があった。死後は雀となって京に帰り、内裏の台盤所を荒らしていると噂された。
その霊を慰めるため雀塚がつくられ、加茂の橋本社にまつられて、歌人の尊敬を集めた。



この歌は「女に始めて遣はしける」と詞書がある。
正直、修辞がこりすぎてあんまり好きじゃない。

 第一ラブレターにお灸のように焦がれてます…ってあんまり嬉しくない。
発音もつっかえやすいし、意味とりにくいしで実は 今も苦手札である。
切ない思いを言えないのは なぜかは 三説あり「1」想いが
あまり過ぎ、自分でもどういっていいかわからない
「2」言葉には限りがあり、とても想いを伝えきることはできない
「3」こんなに思っているとだけでも言い出しかねているので…の三つ。
あえて固定の理由を探さなくても、全部の気持ちが含まれているのでは、という気もする。

《かくとだに》このようにとだけ、こんふうだとだけでも
《えやはいぶき》えやは言ふ、であえて言うべきだろうか、そうでないだろうの意と、
栃木県の伊吹山を掛けている。
《さしも草》さしもだけだと、そうと。さしも草はお灸の原料となるよもぎ蓬系の草。
同音異義語(掛詞)をならべ、修辞色を濃くしている
《思ひ》思い、とお灸の火の掛詞

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52 明けぬれば暮るるものとは知りながら
  なほ恨めしき朝ぼらけかな

○もう行くの?
私の問いに、あなたは肩をすくめて背中で答え、
振り向きもせずに出ていった。
夜になれば来てくれる。癒しの時間は貴方と居れる。
そして必ず宵は来る。
頭の奥でそう呟いて、無理やりめ双眸を閉じ2度寝する。
…それでもやっぱり一緒にいたい。
貴方が私と離れてしまう、朝方の月がうらめしい。


☆夜が明けてまた夜は来ると知っていても、貴方と別れなければいけない朝が
恨めしい

あけぬればくるるものとはしりながら なほうらめしきあさぼらけかな
出典 後拾遺集


Fujiwara no Michinobu Ason
Though I know full well
That the night will come again
E'en when day has dawned,
Yet, in truth, I hate the sight
Of the morning's coming light.

私は完全な井戸を知っているが,
夜は再び来るだろう.
日が明けたとき, E'enは明けた.
しかし, 真実で, 私は光景が嫌いだ.
朝の次の光について.



藤原道信朝臣 ふじわらのみちのぶあそん (972〜994)左近衛中将。
藤原為光の子だが、藤原兼家の養子となり、兼家没後藤原道兼に引取られた。

肉親と縁が薄い上、本人も二十三歳で亡くなっている。
死の二年前、実の父藤原為光が亡くなったのを大いに歎き、 
その孝心に人々は感じ入ったといわれ、
また「いみじき秀歌の上手」と性格才能ともに夭折が惜しまれた。



「女の許より雪の降り侍りける日帰りてつかわしける」つまり、これも後朝の歌で
恋人の家から、雪の降る中帰った日に相手に贈った歌。
薄雪の朝方の清楚さが眩しく、率直で瑞々しラブレターだ。
いい話だが、届ける従者は雪道ちょっぴり大変だったろう。

ちなみに「くるる」を来るるだと思っていた私は
「思いっきり日が明けた昼間になると、貴方は堂々と、
挨拶の振りでもしてここへ来るのに、
こっそり帰ってしまう朝が恨めしい」と かなり平安朝の風習を無視した、
女の立場での正反対の訳を作り上げていた…勉強不足に恥じ入る。
念のために暮るるとは暮れる、つまり夜が来る事。

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53 歎けきつつひとりぬる夜の明くる間は
  いかに久しきものとかは知る


○ずっとずっと逢っていない。
まるで沈黙パールピンクのこの携帯。ナシの礫の返信メール。
見え隠れする、他の女の存在感。
信じて、待って、疑って、あなたを待ってるこの夜が
どんなに長いか貴方は知らない。


☆あなたが来ないと嘆き独り寝る夜が、どんなに長いものかご存知ないでしょう。

なげきつつひとりぬるよのあくるまは いかにひさしきものとかはしる
出典 拾遺集

Udaisho Michitsuna no Haha
Sighing all alone,
Through the long watch of the night,
Till the break of day:--
Can you realize at all
What a tedious thing it is?

単身ため息をつくこと.
夜の長い腕時計を通して
日の中断まで:--
あなたは全く換金することができる.
それは何と退屈なものなのだろう


右大将道綱母 うだいしょうみちつなのはは (936?〜995?)藤原倫寧の娘。
本朝三美人の一人で、藤原兼家との結婚生活を書いた『かげろう蜻蛉日記』の著者。
本妻ではなく、側室であった。

ちなみに「この世をば我が世と思ふ望月の」で有名な権力者 
道長は兼家の本妻 時姫の息子。
道綱母の 実の息子は道綱一人。 
本妻の息子が全員関白にまで昇りつめるのに、
道綱は 異母弟道長の なかば お情けで、万年大納言であった。

母の家柄がものいう時代でもあったのだが、
道綱は恋人にラブレターが書けないから、
母に代筆してくれと頼んだり、母親が出家しようかしらと呟くと
 泣きながら自分も付いていくと訴えたりと 
残っている逸話がとにかく情けない。

この頃の女性は、本名が伝わる事が少なく、先も述べたが宮仕えをしていない場合、
○○の母とか△△の女とか呼ばれる。 
女と書いて「娘」と読むので、妙な誤解はしないように。

この人、女らしいというか執念深いと言うか、あんまり友達になりたくないタイプ。
日記も歌も 愚痴や嘆きばっかりなんだもん。



この歌が詠まれた背景には、兼家が町小路の女に通いつめ、
しばらく自分のところに来なかった という出来事があった。
詞書は「入道摂政まかりたるに、かどを遅く開けければ 
立ちわづらいぬと 言ひいれて侍りければ」

『拾遺集』によると、久しぶりにやってきた兼家が、門前でしばらく待たされ
「門を開けるのが遅い」と怒ったのを、
「私はもっと長い夜をずーっと待っているのよ」とこの歌で切り返したとある。
勿論遅いのはわざとである。

この話に従うと「明くる」は夜が明けるだけでなく、
門を「開ける」の掛詞となっていることになる。
『蜻蛉日記』だと少し違っていて、兼家は待つのは面倒とばかりに さっさと帰ってしまい
「少し閉め出されたからって…私は普段 こんなに待っているのに」と
皮肉めいてしおれた菊と共に贈りつけたとしている。
うーん萎れた菊というあたりが、怖いなぁ。

ちょっと歌の雰囲気をこわすが、「なげきいか」で上下の句を暗記すると忘れない、

《ぬる》寝る

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54 忘れじの行末まではかたければ
  今日をかぎりの命ともがな

 
○「どこまでも。とわ永久に愛しつづけるよ」
このまま時が止まればいい。
あなたの言葉は幸せくれても、永遠の愛なんて信じない。
薄酷な未来に心踏みにじられるより先に、花開く蕾のような
幸福に心ひた浸 して死んでしまいたい。
夢幻が見える今のまま、私の命よ絶えて欲しい。


☆いつまでもこの恋を忘れないと言いますが、行く末ずっとは頼みがたいので
幸福な今のまま命よ絶えて欲しい。
わすれじのゆくすゑまではかたければ けふをかぎりのいのちともがな
出典 新古今集

Gido Sanshi no Haha
If "not to forget"
Will for him in future years
Be too difficult;--
It were well this very day
That my life, ah me! should close.

忘れないように」ならば
彼に関する意志将来の年で
難し過ぎる;--
それはこのまさしくその日に良かった.
それ…私の人生…私をahする…閉じるべきである



儀同三司母 ぎどうさんしのはは (?〜996)高内侍とも言う。
円融天皇に出仕した。この方、女性で珍しく名前が判明しています。
高階成忠の娘で、たかしなきし/高階貴子。

藤原道隆と結婚し、定子・隆家・伊周を産んだ。
和歌だけでなく、漢詩文にも通じていた。
儀同三司とは官名で、息子の藤原 これちか/伊周のこと。
准大臣の異名で、「大納言より上だが大臣より 下の位を授ける」と宣旨が出たことから、
伊周が太政大臣・左大臣・右大臣と同じ、という意味で
「儀同三司」と唐の位階からとって自称した。
…中途半端な冠位の与え方だな〜、
普通そういうのは、官名を考えて与えないだろうか。

伊周は自分の恋人の所へ他の男が通っていると激怒し、
兄弟 隆家とともに、花山天皇の衣に射掛けるという 事件を引き起こし、
大宰府に左遷させられた。
ちなみに花山天皇は、伊周の恋人の妹の下に通っていて、
まったくの誤解。

それにしても、天皇に射掛けるなど前代未聞。
かりに相手が天皇でなくても、当時の恋愛システムから考えてやっていることは 
利巧とはいいがたい。
とりなしをした定子が、いつまでも兄弟が許されないのを憤り、
髪を落としたのでようやく許され、
伊周は准大臣に任命された。没する一年前に道隆が亡くなり、出家。
子供達はその後道長との権力闘争に負け(天皇射掛事件による自滅.
罪は許されても、やはりそれ以上は望めない立場になってしまった)、
悲嘆のうちに死亡した。


「中関白かよひそめ侍りける頃」中関白、つまり藤原道隆が 
自分の元へ通い始めた頃の歌。
通い婚だった当時、女は待つ恋愛しか許されず、まして時の権力者の後継ぎと、
身分の低い娘で不安になる心がよく表われている。
男女ともに通じる歌だが、特に女って相手がどんなに好きでも、
心の奥で 瞬時冷静に 未来を考えちゃうんだよね。

『栄華物語』に二人の恋愛の様子が、詳しく書かれている
もっともこの後 貴子さんは 無事道隆さんと結婚して、
ご覧の通り何人か子供を産んでいます。

《かたければ》かた難ければ、いつ迄もとは難しいので
《もがな》…あってほしい、ありたい

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55 瀧の音は絶えて久しくなりぬれど
 名こそ流れてなほ聞えけれ

 
○まなこ眼にうつるは削れたいわお巌。
耳に聴こゆは、昔日の音。
  飛沫は涼しく、跳ね散って 緑艶濃く、照り返る。
  今では水も枯れはてて、懐古の風景荒れ果てる。
それでも滝の名残とし、人々は愛でなつかしむ。

☆ 滝の音は絶えてしまったが、その滝の名はまだ有名であることだ。

たきのおとはたえてひさしくなりぬれど なこそながれてなほきこえけれ
 出典 拾遺集

Fujiwara no Kinto
Though the waterfall
In its flow ceased long ago,
And its sound is stilled;
Yet, in name it ever flows,
And in fame may yet be heard.

滝である.
昔にやめられたその流れで
そして, その音はstilled(静かな)される;
しかし, 名前では, それは流れる.
しかし, 名声…聞かれなさい.


大納言公任 だいなごんきんとう (996〜1041)藤原公任。四条大納言とも言う。
父は太政大臣藤原頼忠、母は代明親王の娘。 学識豊かで有職故実にも詳しく、
音楽・和歌・漢詩に優れた能筆家であった。
有職故実とは今で言う礼法に近い学問で、
公家や武家の公ごとの習慣・儀礼を研究すること。
後世になって公家を有職、武家を故実というようになり

『北山抄』『ごうけ/江家 しだい/次第』など 有職書が多数伝えられている。
また武家では室町期に、小笠原家など故実家が現れた。
 公任の優秀振りを しめすのが「三船の才」(三舟の才)。
宴会の席で、和歌・漢詩・管絃用にそれぞれ三艘の舟を用意し、
各々自分が すぐれていると思う
船に乗れ、というお達しが出た際、どの舟も全て難なくクリアしたことから、こう呼ばれた。

「道長時代の四納言」と称された一人でもある(他の三人は、
権中納言 藤原斉信、権中納言 源俊賢、権中納言 藤原行成)。
『金玉集』『三十六人撰』『北山抄』『和歌朗詠抄』などの編者で、
『拾遺集』の撰者でもある。
紀貫之に継ぐとされる、和歌・歌学の大家でもあった。



大覚寺に人々 あまたまかりたちけるに古き 滝をよみ侍りける」の詞書。
嵯峨天皇の離宮であった大覚寺の、池にあった昔の滝跡を見て詠んだということ。

一部の『拾遺集』で「たきの音」の個所が、「たきの糸」となっている歌もある。
原典は糸であったらしいが、糸のような滝ってショボショボとあんまり風情が感じられないので、
ここはやはり涼しげな「音」を押したい。
上の句で たき・たえて、 下の句でなこそ・ながれ・なほと重ねることで 流暢な調べを醸している。
意味は深読みすることもなく、そのまんまで簡単。

 《名こそ流れて》有名になって

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