46 由良のとをわたる舟人梶をたえ
行方も知らぬ恋の道かな


○大事な友達?口うるさい幼馴染?
 笑いながら同じ時を刻んだし、涙の時はハンカチくれた。
 なのに貴方の態度はあいまいで、かじ/舵をとれない渡り船。
 あっちへふらふら、こっちにふらふら…私の心伝えづらい。
 この恋これからどうなるか、見当つかずまた吐息。

☆由良海峡を渡る舟が、梶をなくし さ迷うように、この恋のなりゆきも
 行方がわからないことだ。

ゆらのとをわたるふなびとかぢをたえ ゆくへもしらぬこひのみちかな
出典 新古今集

Sone no Yoshitada

Like a mariner
Sailing over Yura's strait
With his rudder gone,--
Whither, o'er the deep of love,
Lies the goal, I do not know.

船員のように
由良の海峡の上を航行すること.
彼の過ぎ去った舵--
目的地…o'er…愛の深さ
目標, Iが知らない偽り.


曾根好忠 そねのよしただ (生没年不明)曾禰と記すことも。
円融・花山・一条の三帝に仕えたらしい。 丹後、現在の京都北部で国司役である 
たんごのじょう/丹後掾を務めたため「曽丹後掾」と呼ばれた。その後略され「曾丹後」、
 のちにさらに略され「曾丹」と呼ばれたのを 本人は嘆き、
「しまいには『そた』と呼ばれるようになってしまう」とぼやいている。

『そた』…ってなんだか響きが カワイイが オッサンになっていたら 
そんな呼ばれ方はイヤかも知れない

 歌には自信を持っており 、円融院が船岡でね(子)の日の野遊びを催した際、美麗な装いの
殿上人らに混じって粗末な服装で末座に座っていたため、下人に追い出されてことがあるという。

しかも、無断出席とでもいうのか、 「招かれた歌人達に比べ、自分は劣らないから出席した」
と闖入しての行いであった。
当時優雅な貴族的 「風流じゃのぉ」な歌が流行していたのに対し、 
その歌風は、野趣的で、非常に革新的であったため、生前はあまり評価されず、不遇であった。

宮廷外の歌壇で活躍した。死後高く認められる様になったが、
やっぱり死んでからより、生きてる内に誉められたいよね



詞書は「題知らず」 ゆらは地名だが、広大な海を前にゆらゆらと 水が揺れる響きが伝わる。

漂流する舟に、不安定な恋の行く末が重なり、 それとない焦燥感が醸し出されている。
梶は事故で手元からなくなったのではなく、自ら捨て去り舟に行方をまかせてみるという 見方もできる。

異説としては、舟とは男の体 由良のと/門とは 女の人の大事な部分指し、
巧く由良の門に入れられなかった失敗した一夜から、
恋の行方がわからないと歎く男の悲哀説。
(ワハハ…男の人には身につまされるでしょうが、高尚な歌世界を
こう解釈してしまうとは、女から見れば笑い話)

出世もできず埋もれた自分を、先が見えないとなげく歌と見る解釈もある。
…このふたつは、あくまでおまけ。やはり人様を前に話す時は、純粋な恋の歌で通しましょう。

《由良のと》は京都の若狭湾と由良川がつながったあたり。『八雲抄』では紀伊(和歌山)となっているが、
作者が丹後にかかわり深い人物なので、京都説が有力。
「と」とは狭い通路の事で、ここでは瀬戸をさす。

********************************************

47 八重葎 しげれる宿のさびしきに
人こそ見えね秋は来にけり

○ 昔、ごうしゃ/豪奢だった我が家も、リストラ・倒産・超貧乏。
庭隅あちこち 雑草が生え、侘しいくらい荒れ果てた。
 もう誰の姿も見えないし、訪ね来る客もいないけど、秋だけはしっかり
 やってきて、樹々を紅く染めていく。


☆雑草で荒れた淋しいこの家に、もう訪れる人もいないが、秋だけは変わらず
 やって来ている。

やへむぐらしげれるやどのさびしきに ひとこそみえねあきはきにけり
出典 拾遺集

 Eikei Hoshi

To the humble cot,
Overgrown with thick-leaved vines
In its loneliness,
Comes the dreary autumn time;--
And not even man is there.

粗末な簡易寝台に
厚い葉をつけているつる植物で, はびこる.
その寂しさで
来る…物寂しい秋時間--
そして, どんな人さえもそこでそうしない
.

恵慶法師 えぎょう・えけいほうし (生没年不明) 本名・経歴ほとんど不明。
播磨(兵庫)国分寺講師を務めた。
講師とは、お寺で経を説く役。川原院に集う歌人たちの、中心的存在であった。



 この歌は「河原院にて荒れたる宿に 秋来るといふ心を 人々詠みはべりけるに」という詞書。
   河原院は14の源 融の元邸宅。 恵慶の頃は、友人で子孫の一人である 安法法師が住んでいた。
しかし融〜安法この間に約百年の隔たりがあるとはいえ、 
人様の家を見て「すっげぇ雑草茫々…こんな家じゃ誰も来ないよな」と歌うのは、
失礼ではないのだろうか…。

きっと子孫も文句言えない程の廃屋と化していたのだろう。
祇園精舎の鐘の声的感覚。工場廃屋とか、
遊園地跡とかを見た時に感じる、ノスタルジーを思い出す。

ここでの「さびしさ」は 三重に見るべしとの説があり、
ひとつめが雑草だらけの邸宅。大きいだけに、荒れ果てているのは見るに忍びない。
ふたつめが人の見えない近辺。
山里でなく、当時の首都圏京都内なのに誰の姿も見えない、これはまして淋しい。
しかも かつてはこぞって人が集まり、華やかな衣装に 若き公達に
溢れていた場所であるだろうから、尚更だ。
みっつめは それでも昔と変わらずに訪れる、秋の寂しさ。
これらを踏まえて、暗記をしてみると結構胸に来る歌。

 《葎》カナムグラ・ヤエムグラ等の種類があり、広範囲の荒地にはえる蔓性の雑草。
ここでは秋の歌だが、本来は夏の季語として使用されることが多い

**************************************************

48 風をいたみ岩うつ波のおのれのみ
砕けてものを思ふころかな

○岩を砕かせようとして、幾度も波は打ちつける。
 だけど岩は泰然と、何もかわらずそこに在る。
私の想いも、同じみたい。
 悲惨なぐらい苦しんで、心砕いて慕っても、あなたは私を見てくれない。
 岩のように泰然と、けしてこちらに振り向かない。


☆ 烈しい風に乗って、岩にうちつけては砕け散る波のように、私も千々に思い悩んでいる。

かぜをいたみいはうつなみのおのれのみ くだけてものをおもふころかな
 出典 詞花集

Minamoto no Shigeyuki

Like a driven wave,
Dashed by fierce winds on a rock,
So it is, alas!
Crushed and all alone am I;
Thinking over what has been.

駆動波のように
岩石の上に激しい風によって猛進した.
したがって, そうする, ああ!
破砕…単身…私である.
ことの上で思うのがあった.


源重之 みなもとのしげゆき (?〜1000・1001?) 清和天皇皇子の貞元親王の孫。
父は従五位下 源兼信であるが、父の兄 源かねただ兼忠の養子となっている。
三十六歌仙の一人で、百首歌はこの人よりはじまると言われている。

冷泉天皇が東宮時代に奉った百首歌は現存最古のもの。
 平兼盛と親交があった。 この人が出仕している間に、五人も天皇が代っており、
さぞ大変だったろう。日本各地へ赴任したため、地方で詠まれた歌も多い。
赴任先の陸奥(青森)で死亡した。

この人が安達が原の黒塚に、幾人も美女を囲っていたことを
(赴任していった安達が原に、妹を伴っていったのをからかってとの説も)
平兼盛が「みちのく安達が原の黒塚に鬼こもれりというのはまことか」
(安達が原に鬼がいるって本当?)と歌でからかった事が元となり、
あべの/阿倍さだとう/貞任一族の 苦心の再挙に 
鬼女伝説を織り込んだ謡曲『奥州安達が原』がつくられた。



この歌は「冷泉院春宮と申けるとき百首歌奉りけるによめる」の詞書。
春宮=東宮で、先に述べた現存最古の百首歌のうちのひとつ。
女流歌人で19の作者の『伊勢集』に
「風吹けばいはうつ波のおのれのみ くだけてものを思ふころかな」というのがあり、
本歌取りではないかと疑われる。

上の句下の句で区切ると、意味がとりづらい。
三句目四句目を連鎖させ、「おのれのみ砕けて」で 自分だけが砕けての意で解する。

意味としては反対だが(はげしい風の中、岩にぶつかっていくように)
当って砕けろの歌と私は覚えた。
…なんとなく印象弱くて、無理やりインパクトをつけただけ。

狂歌でこれを元歌にした 
「山伏の腰に付けたる法螺貝のちゃうと落ち ていと割れ砕けて物を思ふ頃かな」というのがある。
「ちゃうと落ち」の部分がなんだか可愛い。

《風をいたみ》風が烈しいので 

***************************************

49 御垣守衛士のたく火の夜はもえて
ひるは消えつつ物をこそ思へ

○ いにしえ神々が身近な頃、闇夜に揺れるはアグニ(阿嗜尼)の炎。
夜虫は火の穂をその身に纏い、浄穢から己をときはなつ。
 昼は消えやり姿を滅し、夜間瞬くその焔。
私の心も重なって ゆららゆららと くぐつ/傀儡に踊る。
 月光の夜は灼き焦がれ、陽光の頃は消え入るほどに。
 今日も焚いてる篝火に、悩み惑うて奄奄吐息。


☆ 御垣守の灯す火のように、夜は燃えやり、昼はわが身が消えてしまうほど、
想い悩んでいます。
  
みかきもりゑじのたくひのよるはもえ ひるはきえつつものをこそおもへ
出典 詞花集

Onakatomi no Yoshinobu Ason

Like the warder's fires
At the Imperial gateway kept,--
Burning through the night,
Through the day in ashes dulled,--
Is the love aglow in me.

番人の炎のように
保たれるImperial(帝国・皇帝の)ゲートウェイで--
夜を通して燃えること.
鈍くされる灰の日を通して--
愛は私で熱しているか?


  大中臣能宜朝臣 おおなかとみのよしのぶあそん (921〜991)本名 藤原能宜。藤原頼基の子。
三十六歌仙の一人で、伊勢祭主。

代々の神官…異色の肩書。神祇を司とっていたことから、
ただの「大中臣」「中臣」というだけで、当時はこの人を指した。
伊勢祭主なんて、同時代に二人いないもんね。
神官ではあったが、歌才を認められ和歌所寄人…和歌選定職人も勤めている。「梨壷の五人」の一人。


詞書は「題知らず」 本来は作者不明の歌であるという説も。
ちょっと大げさに感じるが、当時の夜は本当の闇。
よほど裕福でなければ、夜間中火を焚き続けるなど不可能。
稀にしか見ることのできなかった衛士の篝火は、記憶に鮮明と刻まれたであろう。
ドラマチックな炎の色彩が夜に冴えて、印象的。

『師説抄』『三奥抄』などでは三句目が「夜は燃えて」になっている。「夜」を「よる」と詠まず、
「よはもえて」でこっちの方が響きが好い気がする。

《御垣守》門番の役人。内裏の垣を守る=尊い垣根を守るから由来。
この単語テストによく出たので覚えておこう
《衛士》門を守護する役。全国から毎年交替でこの為に徴収された兵士で、
一見格好よさそうな役職名だが、田舎者の意が込められている。

*********************************************

50 君がため惜しからざりし命さへ
  ながくもがなと思ひけるかな


○「あなたの為なら死んでもいい」そんな言葉が嘘になる。
 かわした心は変わらないけど、
死んでしまったらもう逢えない。
少しも命惜しくないと思ったけれど、このまま君を見ていたい。
 生き長らえて、いつまでも君とずっと逢い続けたい。


☆ 貴方の為に惜しくない命だと思っていたが、実際に恋が成就してしまうと長生きしたく
思うようになってしまった。

きみがためをしからざりしいのちさへ ながくもがなとおもひけるかな
出典 後拾遺集

Fujiwara no Yoshitaka

For thy precious sake,
Once my (eager) life itself
Was not dear to me.
But 'tis now my heart's desire
It may long, long years endure.

あなたの貴重な目的のために
私の(切望している)人生自体の一度
私には親愛なる人がなかったか?
しかし…'…現在, 私の心願をtisする.
それは長さ長い年の間続くかもしれない.


藤原義孝 ふじわらのよしたか (954〜974)藤原伊尹の三男。右少将。

幼少の頃から歌に優れ、連歌の催しで誰も続けることができなかった
 上の句に対し、十二歳の義孝が 下の句を続け絶賛された。
そのことを 聞いた藤原道長の娘 上東門院が 「人麿・赤人の生まれ変わり」 とまで誉めている。
兄 かたたか/挙賢はぜんしょうしょう/前少将、 義孝はごのしょうしょう/後少将と呼ばれた。

『大鏡』にはこの兄弟を 「花を折り給ひしきんだち君達」と
評していて、 きらびやかな宮廷花形人気者扱い。
ただし、この二人両方が 同じようにハンサムだったためか、 
兄が弟の才能をねたみ(?)あんまり仲がよくなかった。

本人は恵まれた条件にもかかわらず 現世に執着薄く、若くして出家の意志も 
厚かったが 子の行成のために断念している。

容姿端麗、性格温厚、宗教熱心で当時の若い公達のように遊びまわることもない 真面目やさんだったけど、
二十一歳で天然痘で夭折。美人薄命は男にも当てはまるのか。
臨終の際も 法華経を読みたいから火葬にしないよう遺言し ほうべんぽん方便品を唱えつつ亡くなった。

先ほどの兄とは別の兄の これちか誉周も同日同病で没している。 先に出た子供とは書家で有名な藤原行成。
この次の51の歌の逸話にも登場している。



「女のもとより帰りて遣はしける」の詞書。 「きぬぎぬ/後朝」の歌。
男女が初めて一緒に過ごした夜の翌朝、互いの着物を交換して別れたことを指し 「衣々」とも表記。

後に共寝の翌朝そのものを示すようになり、その時の 想いを
歌に託して男から女に遣わす 慣わしのことで、
この歌を忘れるというのは、結婚式当日に 
結婚指輪を忘れてしまうのと同じぐらい 失礼とされた。

技巧的・情熱的な歌ではないが、本人の性格の生真面目さが伝わってくる歌。
初エッチした翌朝こんな歌が届いたら、もらった女性の顔も思わずほころんじゃいそう。
命が惜しいという歌だけに、 若死にしてしまった義孝に人生の皮肉を感じるなぁ。

『百人秀歌』『小倉色紙』などでは五句目が「思ひぬるかな」となっている。
室町頃の本から「思ひける」と写されるようになったようで、本来はぬるが正しいらしい。

戻る

あなたのホームページ・メルマガで広告収入