21 今来むといひしばかりに長月の
 有明の月を待ち出でつるかな


○…嘘つき。「今すぐ、会いに行くよ」
その言葉を信じて、ずっと起きて待っているのに。
することもなく、9月の月をずっと見ていた。
もう夜が明ける。月はうっすら白くなり、雲も紺闇薄らぎ、茜に染まる。
かりそめの言葉をあてにして、今夜も私はまちぼうけ。
暁月夜が目に凍みる


☆今来るといった言葉を信じて待っていたのに、こうしてまた明け方の月を
一人で見ることになってしまった。

いまこむといひしばかりにながつきの ありあけのつきをまちいでつるかな
出典 古今集

Sosei Hoshi

Just because she said,
"In a moment I will come,"
I've awaited her
E'en until the moon of dawn,
In the long month, hath appeared.

ただ, 彼女は言った.
「見る間に, 私は来るつもりである」
私は彼女を待ち受けた.
夜明けの月までのE'en
長い月の間, hath(古語haveの直説法・三人称・単数・現在形)は現れた.



素性法師 そせいほうし (生没年不明) 生没年が、859〜922年説もあるのだが、
彼の兄に当たる由性が、生没831〜914と判明しており、
ちょっと年が離れすぎていて根拠が薄い。
俗名 良岑はるとし/玄利。父は僧正遍昭。

三十六歌仙の一人。清和天皇に仕えたが、父を訪ねた時、父によって僧にされた。

もうちょっと詳細に話すと、僧になった遍昭の元に、
妻が訪れても「私は俗世と違う人間だから」とでも
いわんばかりに、逢ってもくれなかった。

そこで妻は、左近将監となっていた息子の玄利を、遍昭の元に出向かせたら
「僧の子は僧が良い」と よくわからない理屈で出家させられてしまったという訳。
宇多朝でごんのりっし/権律師にいたる。
宇多天皇と何らかのつながりがあった、ともいわれるが未詳。

京都洛北の雲林院のち大和国(奈良県)良因院の住持となった。良因朝臣との呼名もある。
これは、宇多天皇が吉野に出向いた折、
近くの良因院に素性法師が居るのを聞き、催しに召した所、素性はすぐにやってきた。
喜んだ天皇は、今日の集まりは、俗人ばかりなので、
素性も法師ではなく良因朝臣として参加するように言った為。



詞書は「題知らず」
勿論本人は男性だが、女性の立場に立って詠んだ歌とされている。

時は男が女の元に忍び込んで、恋愛するシステム。
口説き落されるまでは女が圧倒的優位だが、いったん恋愛関係が成立すると、
今度は男が通ってくるのを女は待つしかなくなってしまう。

そのような時、ただの恨みつらみではなく、こういう歌を相手に贈ると効果的かも。
解釈としては、一夜説とつきごろ月来説がある。

一夜だけ待ちぼうけしたと見るか、
ずーっと待ち続けして数ヶ月たって、長月つまり九月の月を見てしまったとするかの説である。
私としては、中間の数日説…かな?八月の終わりぐらいに、今行くよとの手紙をもらって、
男が何らかの理由で数日来れない内に、
月が変わってしまったのでこういう歌を贈ったという雰囲気。一

夜だと、もうちょっと詰るような感じがしそうだし、数ヶ月なら、もうそれは待つというより
終わった恋愛な気がするから。あくまでも、私見だけどね。

《長月》旧暦九月。夜が長いことから、こう呼ばれた。(実際に長いのは冬だけ
    ど遅くまで遊べる夜は、夏の方が長いの意味)

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22 吹くからに秋の草木のしをるれば
むべ山風をあらしといふら

○ 山風を、あらしとも言うの。
吹けば秋草や、木々が荒されて、色も褪せる。
漢字でだって山+風で嵐。昔名前をつけた人、巧く考えたよね


☆ これが吹くと草木が萎れて荒されるから、山風をあらしというのだろう。
文字にしても山風合わせ、嵐となる。

ふくからにあきのくさきのしをるれば むべやまかぜをあらしといふらむ
出典 古今集

Bunya no Yasuhide

Since 'tis by its breath
Autumn's leaves of grass and trees
Riven are and waste,--
Men may to the mountain wind
Fitly given the name, "The Wild."

以来…'…その息によるtis
秋の草と木の葉
裂ける…むだになりなさい.--
人は山に曲がりくねるかもしれない.
適任に, 名前, 「Wild(野生の・自然な)」を与える



文屋康秀 ぶんや・ふんやのやすひで (生没年不明) 六歌仙。
文琳とも称した。縫殿助文屋宗干の子とも言われるが未詳。

縫殿助とは、あまり聞きなれないがその名の通り、縫い物をつかさどる役所。

若い頃、小野小町と親しく三河へ赴任となったとき、小町に誘いをかけたが、
結局 小町は一緒に行かなかった というのがエピソードであるぐらいで
あまり、人物的には 知られていないかも。

『古今集』では、「詞たくみにて、そのさま身におはず。いはば、あきひと商人の
よき衣着たらむがごとし」と評されてる。

言葉が巧みだが、体裁が釣合い取れていない。商人が良い服を纏っているようだ
…何だかひねくれているが、一応見栄えは悪くないと言っているのか?

取りようによっては、身分卑しいが一生懸命体裁を整えて、
何とか様になっているとでも言うような、
おエライさんが下を皮肉るような調子が見えるのは、
下級役人という経歴を知っているからだろうか。
この歌だけを見たら確かに格調高いイメージはないが…。

先にも出た、同じ 六歌仙の一人小町に思いを寄せるのを、その他五歌仙 
それぞれの人物に託して躍り分ける歌舞伎舞踊
ろっかせんすがたのいろどり/六歌仙容彩のひとつ「文屋」はこの人が主役。
官女相手に、軽妙な舞踏を披露する形となっている。



詞書には「これさだの皇子の家の歌合の歌」とある。
 
『古今集』に載っている歌なのだが、詠み人が康秀の子の朝康となっている物もある。

いくつかの古写本には「あさやす」と書かれている事と、
この歌が詠まれた890年頃には康秀が、
かなり老齢で歌会の他の出席メンバーと 年が離れすぎているのが根拠となっている。

が、小倉百人一種では三十七番目に、別途朝康の歌が載っているので、
テストに出たら割り切って、康秀に丸をしよう。
あんまり深い意味はなく、「嵐」という言葉の成り立ちを歌にしただけなので、
一度覚えれば忘れにくいだろう。

これと似たような試みとしては
「雪降れば きごと木毎に花ぞ 咲きにける いづれ梅と分きて 折らまし」
と、「梅」を「木+毎」と詠んだ紀友則。
「事ごとに 悲しかりけり むべ宣しこそ 秋の心を 愁と言ひけれ」
と、「愁」を「秋+心」と詠んだ藤原季道などの歌がある。

《むべ》なるほど。うべとも言う
《しをる》萎れる、枯れる

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23 月みれば千々にものこそかなしけれ
  わが身ひとつの秋にはあらねど


 ○秋って、なんとなくもの哀しい。
 澄み切った月。吐息も白く、冷えた夜。
 枯れはじめた枝。カサリ乾いた音をたて、地面に落ちて行く葉っぱ。
 静寂に包まれて、月を見ていると、世界でたった独りになった気分。
 別に、私一人にだけ秋が来るんじゃないって、わかってはいるのだけれど。


☆月を見ていると、様々なもの悲しさがやってくる。秋のせいだが、秋は私
 独りにやってくる物ではないのだがなぁ

つきみればちぢにものこそかなしけれ わがみひとつのあきにはあらねど
出典 古今集

Oe no Chisato

Gaze I at the moon,
Myriad things arise in thought,
And my thoughts are sad;--
Yet, 'tis not for me alone,
That the autumn time has come

月の凝視I
無数のものは考えで起こる.
そして, 私の考えは悲しい;--
まだ…'…tis…私だけ
秋時間は来た.


大江千里 おおえせんり (生没年不明)大江おとんど/音人の二男。三十六歌仙の一人。
在原行平・業平の甥に当たる。大江家は元々はじすくね土師宿禰の名前だったが、
途中大枝朝臣の姓を賜り、父 音人の代で大江姓に改めた。

今時にも通じる名前だが、名前を直訳すると千里に渡るでっかい入り江の意味で、
苗字と名前が一致していて、なかなか名付け親ナイスな命名。
和歌だけではなく、漢詩にも優れていた。
…というより、家が漢学者なので叩き込まれたのではないだろうか。
本人も学者兼歌人兼漢学者。

…安定はしているが、出世と金にはあまり縁の無さそうな肩書きだ。
『大江千里集』は、『白氏文集』にある漢詩を主題とし、
和歌にしたてたものをメインとした歌集で、この歌もその中の一つ。



詞書は「これさだの皇子の家の歌合によめる」
『白氏文集』「燕子楼」 燕子楼中 霜月ノ夜 秋来ツテ 只一人ノ為ニ長シ
(燕子楼に霜が降りる夜、秋は私一人の為に長い)を踏まえている。
しかしながら、この歌『猿丸大夫集』にも載っており、詳細がいささかあやしい。
その為、本来作者不明説もある。

正岡子規は、「上の句に難はないが、下の句は秋ではないが等と
当たり前の事で蛇足」と評している歌。

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24 このたびはぬさも取りあへず手向山
 紅葉のにしき神のまにまに

 ○今度の出張、急に命じられたから
 いつものおまじな呪いもできなかった。
「ぬさ幣」っていって、旅行が無事に済みますように、神社の神様にささげるの。   
そのかわり、途中見つけた、綾錦のような手向山のこの紅葉。
 幣の変わりに手向けます。神様、どうかお受け取りを。


☆この度は幣を捧げる暇もなく、出発をしてしまった。かわりに錦のような
手向山の紅葉を送りますので、神の御心のままお受け取りください。

このたびはぬさもとりあえずたむけやま もみじのにしきかみのまにまに
出典 古今集

Kan Ke

At the present time,
Since no offering I could bring,
See, Mount Tamuke!
Here are brocades of red leaves,
At the pleasure of the god.

現在で
私が持って来ることができた提供以来でない
見て, Tamukeを取り付けなさい!
ここに, 赤い葉の綾錦がある.
神の喜びで.


菅家 (菅公)かんけ(845〜903)菅家、菅公、菅丞相などと尊称される。
菅原是善の三男。あざな字は さん/三。贈太政大臣。
ここでと付くのは、死後贈られた官位という意味。
ご存知天神様こと菅原の道真公

「阿衡事件」の解決で宇多天皇の信を得る。
「阿衡事件」とは、藤原基経に官位を命じる際、勅書に「阿衡(中国の摂政・関白)に任ずる」と書いたら、
基経が「阿衡は名前だけで、職務はない」と仕事を放棄した事件。
藤原氏が、珍しく外戚関係に無い宇多天皇と、
仲が悪かったので、単純に嫌がらせなのだが、結局勅書を直しての落着。

「綸言汗の如し」(天皇陛下のお言葉は、汗と一緒で、一度出ちゃったら、どんな内容だろうとも、
それは絶対戻すことはできない)の日本国では、前代未聞とされる事件。

道真は、894年に遣唐使に任命されるが、その廃止を建議し、入れられた。
テストでハクシ遣唐使で暗記した人も多いはず。仕事も有能、歌も巧い為超スピードで出世したのだが、
それ故金持ちボンボンに嫉まれて超田舎に左遷。

醍醐天皇に右大臣に任ぜられたのが頂点で、左大臣 藤原時平の中傷により、
「醍醐天皇を廃し、娘婿の斎世親王を皇位につけようと企んだ罪」で
だざいごんのそち/大宰権帥に落とされ、その地で死亡した。

が、皆様後存知の通り、道真公は怨霊として復活。
まず追放劇の共犯 藤原菅根が死亡、
次に主犯藤原時平が祈祷師にすがるも、道真の霊が邪魔をし若く死亡。

道真の後に右大臣になったみなもとのひかる源光は、
乗馬したまま泥沼に突っ込み溺死。道真を流罪に処した醍醐天皇と、
時平の妹との間に生まれた皇太子も死亡、
母である時平の妹も死亡。その次に立てた皇太子も五歳で天然痘で夭逝。

清涼殿に雷が落ち、平まれよ/希世が柱にぶつかって死亡、
藤原清貫は袖に火が付き死亡。

同時頃紫宸殿にも落雷があり、髪が燃えて死ぬ者、膝が焼けて死ぬ者、
腹が焼けて死ぬ者と計五人の雷による死者が出た。
「道真が朕を殺そうとしている」と恐怖から体調を崩し、
退位した醍醐天皇も七日後インフルエンザ(?)で死亡。

…偶然にしても、シャレにならならない死亡率。
これら全て、道真のたたりであるとして、朝廷はその怨霊を鎮める為に、まず道真の罪を取り消した。
また、右大臣より一階級上の、正一位左大臣を追贈。
最終的には太政大臣の称号を与え、京都北野に天満天神として祭り上げた。
ここまでするのは、配流劇に関わった者が、みな後ろめたかったから…
つまり、無実であるのを承知していながら、見て見ぬフリをしていた為というのが定説。

それにしても、作者名がフルネームだったり、
役職名や坊さん名などどうしてばらばらなんだ。
この場合、苗字に様をつけたようなもの。
浄瑠璃『菅原伝授手摺鑑』は、道真の舎人である、三つ子の兄弟が 配流事件を中心に活躍する物語。
『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』と並ぶ三大名作の一つで、
なかでも道真の若君の代わりに、自分の息子を利用する話は有名。



この歌の詞書は「朱雀院ならにおはしましたりける時に、たむけ山にてよみける」。
朱雀院とは宇多天皇のこと。「まにまに」がなんとなく間の抜けた発音なので、
印象深いが意味を知らない人も多い。ここでは(神様の)「御心のまま」にの意味。
無理やり「間に間に」と解釈しちゃうと、(日本のやおよろず八百万の)神様の間を埋め尽くす、
膨大な量の紅葉を捧げますと意味が変わっちゃうので御注意。

《このたび》この度とこの旅の掛詞
  《幣》神主さんが祝詞を読みながら振る、白い紙が付いたもの。当時の幣は  
     色のついた絹を小さく切ったものだったらしい。旅に出る時は、幣袋
     に入れて、峠や山や川の神に奉り、旅の無事を祈った
《手向山》手向けると奈良県の若草山南麓手向山神社付近の掛詞

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25 名にしおはば逢坂山のさねかづら
  人に知られでくるよしもがな

○京都と滋賀の間の関所「逢坂」山。
「逢う坂」の名前みたいにそこで、こっそり会えるといいな。
 「さねかずら」を探すフリをして、山に堂々入ってく。
  あなたも他人の顔をして、山で草木の採集の真似。
「さね」の名前を借りちゃって、ねっころがるのもいいかもね。   
  恋人達の逢引じゃなく、偶然出会ったフリをする。
これなら誰にもばれたりしない。ツタの蔓をたぐりよせ、貴方をこの場に引き寄せたい。


☆ 逢う坂と書く「逢坂山」、さ寝(恋しい人と寝る)に通じる「さねかづら」
その名の通り人に知られず、ここに来ることができないかなぁ

なにしおはばあふさかやまのさねかづら ひとにしられでくるよしもがな
出典 後撰集

Sanjo Udaijin

If thy name be true,
Trailing vine of "Meeting Hill,"
Is there not some way
Whereby, without ken of men,
I can draw thee to my side?

あなたの名前…本当にしなさい.
「ヒルに会う」の引きずっているつる植物
そこに, 何らかの道以外なくにある.
どうして…人の理解
私はあなたを側に引きつけてもよいか



三条右大臣 さんじょううだいじん (873〜932)本名藤原定方。
内大臣藤原高藤の二男。管絃の名手であると同時に、
庇護者として従兄弟の兼輔と活躍した。

京都の三条に住んでいて、右大臣に任じられたのでこう呼ばれた…って
それなら現代風に訳すと日本橋理事とかそんな意味だぞ。
他にもこう呼ばれた人がいるのでは?と考えてしまうが、特にいないらしい。



この歌の詞書は「女につかはしける」
当時、男が女の下へ通う恋愛形式であったので、女が「来る」と願うのは不自然。
この頃は「来る」と「行く」が同一視されていたと見て、「行く」と解したほうが納得がいく。
恋をしていても、いや恋をすると尚気になる人目は
今昔変わらず共通であったらしい。

さねかずらは植物名。実葛・真葛『和名抄』では
作弥加豆良『萬葉集』だと佐奈葛の名前で見える。
別名美男葛ってどんなんだ…。多年草常緑の蔓草の1種で、モクレン科。
冬には球状に群がった真紅の実をつける。蔓の中には粘性のある液があって、
男性はこれを水に浸し整髪料として使ったそうだ。だから「美男」葛?
女性は流れる黒髪が、美しさの第一条件だから、この当時のヘアムース使用者は
、洒落者の男性に限っていたんだね。

ここでは「さ寝」で恋しい人との共寝の意味も掛けてある。
 川柳で「名にし負ふ左右も山の御歌なり」というのがあり、これは前後の歌で
「山」が歌中に詠まれているのを指している。本当だ、今まで気付かなかった。

《名にしおはば》名前のとおりならば
《くる》来ると(ツタを)たぐるの掛詞

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