16 立ち別れいなばの山の峰に生ふる
まつとしきかば今かへりこむ


○ばいばい、ここで別れよう。
あなたの姿、見えなくなっても忘れないから。
どこへ行くのかも言わなかったね。
あの稲羽山のふもとに生えてる松、その向こうの島根県。
約束するよ「あの松の下で、また会おう」
誰かが待ってるって聞いたなら、飛んでくる。
だから、今日はここでさよなら。


☆今は別れるけれど、稲葉山の松のようにあなたが待っているときいたら
すぐに帰ってきます。
 
たちわかれいなばのやまのみねにおふる まつとしきかばいまかへりこむ
出典 古今集
 
 Chunagon Yukihira

Though we parted be;
If on Mount Inaba's peak
I should hear the sound
Of the pine trees growing there,
Back at once I'll make my way.

我々は離れていたが, あること;
Inaba山に関して尖りなさい.
私は音を聞くべきである.
そこに生える松の木について
逆…すぐに, 私は進むつもりである.



中納言行平 ちゅうなごんゆきひら (819〜893)平城天皇の孫。阿保親王の二男。
在民部卿、在中納言とも呼ぶ。異母弟は、在原業平。
母親は身分の低い女だったと思われる。

行平の母が亡き後、業平の母 伊都内親王が行平を引き取り、一緒に育てたらしい。
昔から継子いじめの話は絶えないのに、心の広い方だ。

この人の名前は「ゆきひらなべ」の由来の人でもある。
昔、平らな土鍋で 海水を煮て塩を作ったことにひっかけて、
その塩焼きの名所だった 須磨に流されていたことから、
浅い鍋を「ユキヒラ鍋」と呼ぶようになった。

仁明・文徳・清和・陽成・光孝・宇多天皇(すごい人数)に仕えた。
実務能力に優れ、九州に出向した際は、穀物を運ぶ船が玄界灘でよく難破するので、
近辺に田を開き、そこでの年貢を優遇する処置をとって、船の往来を少なくし、
海難事故を減らすようにしている。
また、藤原氏の勧学院に習い、奨学院という一門の学問所を作り、
子弟教育の場として学問にも力を入れた。



詞書は「題知らず」。三十八歳のとき、因幡守に任じられた時の心境だろうか。
命令ですからね、転勤は仕方ないんですといいつつ、でもお別れは私も寂しいんだよ。
と訴えかけられている気がする歌。昔は任期を終え、京都にかえる時の歌と解釈をされていたが、
現在は京都から、任地へ向うときと見ることが多い。

この人は須磨のイメージが強いようで、謡曲『松風』も須磨が舞台。
 行脚の僧が、須磨の浦で、松風・村雨という海女の姉妹に出会う。
その菩提を弔おうとすると、松風は行平への恋慕の余り、形見の衣裳を纏い舞い狂った。
一夜が明け、僧がふと気づくと、残ったのは松を渡る風音のみ…という話。

《いなば》「往なば」と鳥取市南東「因幡」(稲葉山)の掛詞
《まつ》「待つ」と「松」の掛詞

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17 千早ぶる神代もきかず竜田川
からくれなゐに水くくるとは
 

○ 眩暈のしそうな、あか あか あか あか あか赤、紅、朱、茜、鴇色…。
 染め終えきった錦のような まっかなまっかな濃紅の水。
 散った紅葉でいっぱいの、夕焼け色の竜田川。
 こんなに不思議で綺麗な光景は、謎沢山の神話時代にだって
 きっと見られはしないだ ろうね。


☆ 不思議が多かった神代にだって、このように紅葉で赤く染まった竜田川を見る 
 こと等、なかったであろう。

ちはやぶるかみよもきかずたつたがは からくれなゐにみずくくるとは
出典 古今集

Ariwara no Narihira Ason

I have never heard
That, e'en when the gods held sway
In the ancient days,
E'er was water bound with red
Such as here in Tatta's stream

私は一度も聞いたことがない.
それ…神が動揺を保持したe'en(古語・詩語even
の略同じ、五分五分)
古代の日にE'er(古語・詩語everの略 かつて)は
赤で縛られる水だった.
Tattaの流れにおけるここのように


在原業平朝臣 ありわらのなりひらあそん (825〜880)平城天皇の孫で、阿呆親王の子。
在原家の第五子で中将だったことから、在五中将・在中将とも呼ばれる。
これたか惟喬親王に側近として仕えた。六歌仙・三十六歌仙の一人。
美女代表が小町なら、美男代表はこの人。

公の歴史書『三代実録』に「体貌閑麗」「放縦不拘」
つまり全体の身のこなしが物静かで、麗しく、
やりたいことを好き勝手にやっていたと性格だと記されている。
官公の文書で男で美人だったと残っているのは、多分この人ぐらいだろう。

『伊勢物語』(『在五が物語』『在五中将日記』ともいう)では、主人公が「男」としかないが、
これは業平がモデルとされている。
天皇の妻になろうとした人と、かけおち(?)しちゃう情熱の人。
相手は藤原たかいこ高子で、業平30才・高子15才ぐらい。
今なら立派な未成年者誘拐+青少年保護法にひっかかって犯罪者な上、
周囲から一生ロリコン呼ばわりされてしまうだろう。
昔なら、これぐらいの年齢差普通だったんじゃないかと思われる方もいるだろうが、
紫の上が光源氏を当初「親切なお兄様」としか、みていなかったのだから、
やはり当時でも適齢相手としては、ちょっと齢が離れていたのでは?
この事から、このカケオチは事実でないとする説も。

 ちなみにこの件は大失敗。
『伊勢物語』では、途中ふと気付くと、女は鬼に食われでしまったとなっている。
実際は藤原氏一族兄弟が高子を連れ戻し、清和天皇の後宮に入れたため、二人の中は裂かれた。
ちなみに高子さんも、ただのお人形さん的お嬢様ではなかったらしく 晩年、行い良しからずの理由で
皇太后の位を剥奪されている。(皇太后位剥奪なんて、めったにない)。

また、他にも業平は伊勢に出かけた折り、伊勢神宮の斎宮をたらしこみ、
なんと恋で盲目になった斎宮が真夜中に業平の元へ訪れたという事件まである。

神に仕えるおとめ/処女が、電気も街灯もない、真っ暗な樹々の道を越え 男の元へ行くのは、
愛の大抒情詩ロマンでもあるが、それ以上に大スキャンダルだった。

家柄良く、そこそこの位につき、顔が良ければ、人生勝ったもんな気がするが、
この方見てると結構不幸。行動が破滅型なのか、
自分で不幸を招き寄せる行動ばかりしている気もする。
そんな所は顔だけ自業自得男、光源氏に似ている。
(もっとも光源氏は大出世するけどね)。
平安初期の代表プレイボーイ。



『古今和歌集』で歌について紀貫之に、
「その心あまりて、ことば足らず。しほれる花の色なくして匂ひ残れるごとし」
…伝えたいことは壮大で満ち溢れているが、
いかんせん言葉が足りないと評されている。

この歌の詞書は「二条の后の春宮のみやす所と申しける時に、
御屏風に竜田川もみぢ流れたるかたを描けりけるを題にてよめる」…歌より長い。

要するに屏風に描いた紅葉の竜田川を詠んだと言う事。
当初は「くぐる」を、一面の葉っぱが水流の下に潜っていると解釈したが、
現在は紅葉が赤く水をくくり染めにしている意としている。
尚、この歌以前まではもみぢ=黄葉
と表記されており、「紅」でとらえた最古の歌。

落語の「千早振る」は関取である竜田川が、
千早と神代という花魁に振られ、失意のまま実家の豆腐屋を継ぐ。
そこへある日、女乞食があらわれ、よく見るとそれは落ちぶれた千早大夫。「
お前にやるおカラなどない」と叩き出された千早は、井戸に身を投げて死ぬ。
千早の幼名は「とは」であった…という珍解釈。…でも、暗記しやすいかも。

《ちはやぶる》神に掛かる枕詞。霊力で千の磐も破る「千磐破」とか烈しく振
       る「千早振」から来たとされる
《竜田川》奈良県の大和川に繋がる、龍田山ふもとの川
《くくる》括り染め・絞り染めとも。白く残したい個所を、紐できつく縛り、
     染料に浸す染物

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18 すみの江の岸による波よるさへや
夢のかよひ路人めよくらむ


○他につきあっている人がいるって、薄々気づいてる。
大丈夫、誰にもばれたりしないよう昼間はしらんぷりしているよ。
せめて夜の夢の中ぐらい、一途に貴方に向いたい。
なのに私の見る夢は あっちへふらふら
こっちへふらふら寄せては返す、大阪湾の波みたい。

全てを俯瞰し神様のよう、風景 遥か見下ろせるのに。
なのに夢の中でさえ、あなたの事だけ思い通りにはならないよ。
ざわざわ騒ぐ潮騒が、耳もと煩く心を惑う 


☆うち「よる」波のように、「夜」ぐらいは貴方に逢いたいのに
 夢の中でさえ、思ったように貴方のところへ通えないのはなぜだろうか。

 すみのえのきしによるなみよるさへや ゆめのかよひぢひとめよくらむ
 出典 古今集

Fujiwara no Toshiyuki Ason

Lo! the gathered waves
On the shore of Sumi's bay!
E'en in gathered night,
When in dreams I go to thee,
I must shun the eyes of men.

見よ, 参集は振られる.
Sumiの湾の岸で!
集まっている夜のE'en
夢では私があなたに行く場合
私は人の目を避けなければならない.


藤原敏行朝臣 ふじわらとしゆきのあそん (?〜901?・907?)藤原富士麿の子。
三十六歌仙。和歌だけでなく、書道にも優れていた芸術家。
書道の教科書で見かけることもあるかもしれない。
書道の達人と名高い小野道風が、村上天皇に「古今の中で、書道の名人は誰か」との問いに、
「空海と藤原敏行こそ古今の妙筆です」と答えている。

京都市右京区高野山の、神護寺に現存する鐘銘は、
 敏行の手に寄るものとされている。
『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』には色好みの男として登場している。
勿体無いことに、27歳で亡くなった。



この歌の詞書は「寛平の御時きさいの宮の歌合のうた」
待つ身である女性の立場で詠んだ、歌会用の歌。
「…よる波よる…」は☆マークの訳通り掛詞。
古典版おしゃれな駄洒落とでも覚えておけば、テストで思い出すかも。

別の解釈としては、自分が人目を避けすぎて、
相手が夢にも出ないのではなく、恋人が夢路までも避けるので、
逢えないという哀しみに満ちた歌となる。
夜の波のたゆたう様子が、不安な恋のイメージと重なって、揺れる心が具象化される。

《住之江》ここでは、大阪市住吉の海辺
《くらむ》避ける。ぐらむとも言う

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19 難波潟みじかき芦のふしのまも
 あはでこの世をすぐしてよとや


○ 少しでもいいから、会いたいよ。
大阪湾に生えている、節と節の間が短い芦を知っているよね。
青々として真っ直ぐに、冷たい茎を水に浸す、廻りのざわめき関係無く
 一生懸命伸びて行く。
その節程のちょっとの時間も会わないで、空しくこの世を過ごせというの? 
冷たい、ひどい…でも、逢いたい。


☆ 難波潟に生えている芦の節ほど、短い時間でも貴方にあえないと、この世が
 むなしく感じられてなりません。

なにはがたみじかきあしのふしのまも あはでこのよをすぐしてよとや
 出典 新古今集

Ise

Even for a space
Short as joint of tiny reed
From Naniwa's marsh,
We must never meet again
In this life? This, do you ask?

スペースにさえ
小さいアシの接続部として, 短い.
Naniwaの沼地から
我々は二度と会ってはいけない.
この人生で? これ…あなたは尋ねる.


伊勢 いせ (877〜940・生没年不明説も)伊勢守 藤原つぐかげ継蔭の娘。
伊勢の御・伊勢の御息所とも。三十六歌仙の1人。
十三歳頃、宇多天皇の中宮 温子の元へ出仕した。
この方、歴史上でもめったに見ない女性の恋の遍歴者。
あまり一般的には知られていないが、現代でも眉を顰められる、
略奪愛・親子ドンブリ(意味がわからなくても、お父さんお母さん、
先生等に聞いてはいけません)を最高権力者とやってのけた。

十四歳の頃、温子の弟で貴公子出世頭、十六歳の藤原仲平と恋愛。
仲平の婿入りで破局した。そのショックから一度宮仕えを辞めるが、温子のお声掛りで再度復帰。

次は仲平の兄  (菅原道真を追い落とす悪役で有名) 藤原時平と恋愛。
当時仲平も再び手紙を送ったり、源としみ敏相や平貞文なども恋をしかけるが、
これは伊勢が相手にしなかったらしく、「恋文を見たという、返事だけでも下さい」という手紙に対し、
伊勢は「見た」と相手の書いた手紙から、その個所を切りぬいて
貼って返したというエピソードも。…ひでぇ。

さらに後、二十歳の頃自分の主人である温子内親王の夫、
宇多天皇に愛され、行明親王を産んだが親王は 夭折。
…自分に二度も宮仕えをするチャンスをくれた、女主人の旦那を寝取るとは何事―?
とそれだけでも現代なら大スキャンダル。

更に宇多天皇の落飾後(出家)温子の娘、均子内親王に仕えるが
ここでもその魔性は発揮。均子の夫で、あまりの美男ぶりに
玉光宮(光源氏があまりの美しさに周囲が光ると、
命名されたのと同じ)と呼ばれる宇多天皇第四皇子 あつよし/敦慶親王に愛され、
なかつかさ/中務を産んだ。

ちなみにこの時点で宇多天皇も存命中。…よくこの人の宮仕えを続けさせたな…。
不思議と人物がよかったのか、女御温子を始め誰もこの人非難していない。
『今昔物語集』に宇多天皇の次代の、醍醐天皇が歌を作るようにと命じた際、
使者として藤原これひら伊衡が伊勢のもとへと訪れた。

伊衡はそこで対面した伊勢の気品に感じ入ったとある。
華やかな恋愛遍歴と美貌の持主だったが、恋人や子供に次々先立たれ、
晩年は住む場所に困るほど不遇であったとも。



この歌の詞書は「題知らず」。情熱的だが、哀しげな女心を切々と訴えかける。
ただし、相手がこれだけいると誰に贈ったのやら…。
「あわで」の部分を「哀れ」がなまったのかぁーと勘違いをして、
短い一生を哀れにこの世を過ごすという意味にとっていた。
(そんな解釈は勿論ないが)あまり古典が好きではない人に、
無理やり「掛詞です!」と言い張れば通りそうだ。

《芦》イネ科の多年草。若葉は食料になり、茎で簾を作るのに利用。
   秋の季語

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20 わびぬれば今はた同じ難波なる
 みをつくしてもあはむとぞ思ふ


○せつない、わびしい、何もできない。
二人が逢っていることがばれたら、身の破滅。
わかっているから我慢してきた。
でも、そんなことすら もうどうでもいい。
太陽が化石になる前に、自分の意思で呼吸ができているうちに。
社会的地位も、人のウワサも気にしない。
海に立ってる船の目印みおつくし澪標。

その名の様に身も心も、命さえ尽くして、構わない。少しでも良いから逢いたく思う。

☆ 会えないのなら、身を尽くし死んだような侘しさです。大阪湾の澪標のように、 
 身を捨てても会いたいです。

わびぬればいまはたおなじなにはなる みをつくしてもあはむとぞおもふ
出典 後撰集

Motoyoshi Shinno

Now, in dire distress,
It is all the same to me!
So, then, let us meet
Even though it costs my life
In the Bay of Naniwa.

恐ろしい苦悩での現在
それは私にとってちょうど同じである!
次に, 会おう,そして
それは私の人生をかかるが,
Naniwaの湾の中で.


元良親王 もとよししんのう (890〜943)陽成天皇の第一皇子。三品兵部卿。
『大和物語』などに多く逸話が残っており、宇多院の妃の藤原ほうし/褒子をはじめ、
女房、人妻、姫君、と恋多き親王であったらしい。

また、『元良親王集』では数多くの女性との贈答歌が見える、風流色好みの貴公子と名高い。
一応フォローを入れておくと、当時の色好みは決して悪口ではない。
現在視点からこの単語眺めると、単に女好きスケベと、軽く悪い印象だが、
この頃は男女間の情を大事にする(モノはいいようですな)
価値ある一つの性格とされていたのである。

もっとも限度はあるし、『源氏物語』『和泉式部日記』等で浮気する男性に、
女性の煩悶する様子からも覗える通り、誠実さの欠如は非難される点でもあった。



詞書は「事いできて後に、きょうごくのみやすどころ京極御息所につかはしける」
京極御息所とは宇多院妃 褒子のこと。不倫の歌です。
日本代表歌集に、堂々やばい歌を載せてしまう。
内容良ければOKの心意気あっぱれだ。

しかも、歌合向の想像話ではなく、実際に不倫していて、周囲にばれた時に贈った歌。
元々褒子は父の藤原時平が、時の天皇 醍醐天皇に入内させるつもりであったが、
醍醐天皇の父である宇多院が、連れ帰って妃としたいきさつがある。

プレイボーイには、もってこいのシチュエーションかもしれないが、…普通はやらないだろうなぁ。
秘め事が 露顕して、色々悩み煩いそうなのに、まだ恋歌をつくって贈っているのは
恋のてだれの名に恥じず、その情熱振りには脱帽拍手。

 「今はた同じ」は @難波のなを「名」と見て、立ってしまった浮名は同じ
 A身を尽くしたに同じ Bこの事にさい悩まされ逢っても、いっそ想いを立ち
 きっても苦しさは同じと見る説がある。

《わびぬれば》わびしく思う
《はた》またの強調
《澪標》船の通路を示す為の杭、ここでは身を尽くしの掛詞。
本来は「みお/水脈つ串」 
   で水脈を示すために刺した串

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