1 秋の田のかりほの庵の苫をあらみ  
 わが衣手は露にぬれつつ     
   

○実りの秋だけど、実ったからって安心はできない。
鳥や獣…まぁいないとは思いたいけど人間が荒らしたりするから。
しっかり作物の取り入れが終わるまで、仮小屋で見張るぐらいはしなくちゃね。
でもこの仮小屋、本当にひどい建て方で藁葺きの屋根が粗くて隙間だらけ。
おかげで朝には服の袖が、びっしょりだ。


☆秋、田んぼの辺の小屋にいたら、屋根の萱が粗く袖が露で濡れてしまった。

あきのたの かりほのいほを とまをあらみ わがころもでは つゆにぬれつつ
 出典 後撰和歌集

英訳  Tenchi Tenno

Coarse the rush-mat roof  
Sheltering the harvest-hut
Of the autumn rice-field;--
And my sleeves are growing wet
With the moisture dripping through.

*翻訳システムを使っての直訳
結構 笑えたので そのまま使用してみました

粗さで突進マット屋根
収穫小屋を保護している.
秋田について;--
そして, 私のスリーブはぬれるようになっている.
湿気しずくが終わっていた状態で.



天智天皇 てんち・てんじてんのう(626〜671) 第三十八代天皇。
舒明天皇の第一皇子。はじめかつらぎ/葛城皇子、なかのおおえの/中大兄皇子と称した。
母は皇極(斉明)天皇。
森鴎外の『帝諡考』では天智とは殷の紂王が自決のときに身に付けていた宝玉の
天智玉にちなんでいる可能性を指摘。

645年、中臣鎌足らと蘇我蝦夷・入鹿父子を殺し、大化の改新を行う。
入鹿は、父蝦夷や自分の墓をみささぎ/陵と、子供をみこ/王子と呼ばせるなど
皇族をはばからず専横していた。
ムシコロスの年号で暗記したが、友人の学校ではムシゴヒキだったとか。
どうも授業で習ったことだと、この殺害事件のみを指しているように感じられるが、
この後色々行った政治改革が本当の大化の改新のメインである。

「大化」は天智天皇が設定した、日本最初の公式年号。
政治権力も旺盛だがその他の精力もお盛ん。
、弟の大海人皇子のかつて妻であった、額田王と結婚したり、元妻で額田王の姉に当たる、
鏡王女が大化の改進共謀役の鎌足の妻になっていたりして、
まつわる人間関係も複雑でおもしろい。

在位中には、近江国に大津京を造営、近江大津宮への遷都、
こうごねんじゃく/庚午年籍の作成、近江令の公布などを行った。
ちなみに近江令は藤原鎌足が編纂したといわれるが、内容がまったく不明で、
現存証拠もないことから、存在が疑問視されている。

また、661年から668年の間は天皇はおらず、中大兄皇子が称制を行っていた。
庚午年籍は日本史上初の戸籍制度。といっても
平安後期頃からすたれてしまい、復活するのは江戸時代。
現在、時の記念日は6月10日だが、これもこの方が671年5月1日に漏刻(水時計)を作り
時刻を一般に知らせるようにしたのが始まり。この時、一刻ごとに鐘を鳴らし
時を告げる係りとなったモノは「時の博士」と呼ばれた
太陽暦ではその日が6月10日になると、明治時代に制定された。



この歌の詞書は「題知らず」。王道の述懐の歌とも、りょうあん諒闇つまり天皇の妻や、
父母など近親者が亡くなった折りの、服喪期間の歌だとも言われる。
天皇が、農民の立場で詠んだ歌。今ならさしずめ貧乏旅行ぐらいでしか、実感わかなそうだけど、
当時雲上人の御上が、貧乏農民の立場で詠んだ歌っていうんだから、
ギャップは我ら以上にかなりなもの。
しかも、屋根が粗くて露がひどい…ってなんかリアリティ感じさせられる。

若かりし頃、いたずらでそこに潜りこんだりもしたのだろうか等と想像すると
ほほえましいが、この為この歌の本当の作者では無いという説も。
「秋田かる 仮庵を作り わが居れば 衣手さむく 露ぞおきにける」(詠み人知らず)を
平安王朝風に詠み変え、いつの頃からか、作者に天智天皇が擬せられるようになったとされる。
「衣食住第一番に定家入れ」「食う事がまず第一と定家撰り」との川柳は、
第一首目に衣・稲・庵の三拍子が揃っているのを巧く表現したもの。

《かりほの庵》は仮の小屋ってこと。田んぼの刈穂を収める小屋、という意見もあるらしい




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2 春すぎて夏来にけらし白妙の  
衣ほすてふ天の香具山       


○春が終わってもう夏。
 衣替えでもしているのかな。
 向こうに見える香具山にも
 白い布がひるがえっている。青い空に映えて、なんだか良い風景。
 気持ちいい1日がおくれそう。


☆春が過ぎ、夏が来た。衣替えの白い布が香具山にも翻っている。

 はるすぎてなつきにけらししろたえの ころもほすちょうあまのかぐやま

出典 新古今集

Jito Tenno

Spring, it seems, has passed,
And the summer come again;
For the silk-white robes,
So 'tis said, are spread to dry
On the "Mount of Heaven's Perfume."

跳びなさい,(spring=春が「跳ぶ」の命令形になってしまったらしい)
見える…通った.
そして, 夏は再び来る;
絹の白いローブのために
そのように…'…tis(it isの略)が言った…乾くように, 広げられる.
「天の香水の山」に関して.


持統天皇 じとうてんのう (645〜702)一首目の天智天皇の娘。第四十一代天皇。
本名 うのさらら/鵜野讃良、またの呼名を 広野媛といいどちらも なんだか可愛い名前だ。
諡号は おおやまねこあまのひろのひめのみこと/大倭根子天之広野日女尊。

諡には二種類あり、後の世代になると 漢字二文字の漢風諡号が多くなるが、これは和風諡号。
神社などで、よく神様の長い名前を見かけるのは、 こちらに沿った名前から来ている。

絵札では 当たり前のように十二単だが、本来は飛鳥時代なので 唐風の衣装が正解。
天智天皇の第二皇女で、天武天皇の皇后。
天智天皇は、自分の息子である大友皇子に皇位を譲り、
東宮(天皇後継者)の 自らの弟である大海人皇子を 宮中から遠ざけ隠棲させるが、
天智天皇の死後、大海人皇子は反旗を翻し、皇位を簒奪した。

いわば叔父VS甥の戦いで、持統天皇にとっても 腹違いの弟との戦いであるが、
夫側 大海人皇子に付き尽力した。
結局大海人の勝利で、天武天皇として即位。 余談ではあるが、これは皇子対皇子の 権力争いではなく、
簒奪による権力剥奪との見方が強い。

天皇になる前の後継者争いや、帝の流罪はままあることでも、すでに天皇についている人に 逆らい
殺すのは 史上あってはならないこととされた為、
大友皇子は近代までずーっと皇子 と呼ばれていたが、ようやく明治になって
僅かとはいえ皇位に居たことは否定できないと、弘文天皇と諡されている。

夫の天武天皇の死後、息子の草壁皇子を皇位につけようとしたが草壁皇子が早世したため、
 その子 かるのみこ/軽皇子が成人するまでの間、女帝として皇位についた。

草壁皇子 が病弱であったのに対し、明朗で人望高かった異腹子(姉の子)の、大津皇子 
 が皇位継承の邪魔になると、無実の反逆罪を着し、死刑にしたともいわれる。

  その治世中には、 こういんねんじゃく/庚寅年籍の作成、藤原京への遷都などが行わ
 れた。697年譲位して、太上天皇を名乗る。これが太上天皇の称号の初め。
 この後よく出てくる上皇とは、この太上天皇称号の略である。同時に何人も存  
 在する場合は本院・中院・新院などと呼び分けた。



この歌も「題不知」。他校の友人と、この歌の暗記披露で争った記憶があるが、
 これは下記の通り、本歌がいっぱいあるから。
「春過ぎて 夏来たるらし 白栲の 衣ほしたり 天の香具山」
「春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほしたり 天のかご山」
「春過ぎて 夏ぞ来ぬらし 白妙の 衣乾かす 天の香具山」

 上三つの歌の平安王朝期の改作。…どれも現代人から見たら、ほとんど同じに見えるのだが…。 
香具山にはあまかし天檮明神という名の神様がおり、この神は 衣を濡らして人の言葉の真偽を確かめた、
という伝説があった。
上記はこれを歌にしたもの、と考えられている。
平安王朝の人はその伝説を踏まえて「衣ほすてふ」(干すという)
にしたのではないか、と考えられている。
確かに甘檮明神の衣を指すなら、「衣ほしたり」(干している)では無理がある。
その衣、普通の人間の目には見えないのだからねぇ。
清々しくて好きだ、この雰囲気。

爽やかな初夏の風と、ぬけるような青い空、新芽が目立つ山に 白い夏用の服が翻って干されている…。
今時にも通じそうな自然的な景色。
と、思っていたら落とし穴。ここでの衣は夏を迎える準備ではなく、冬物をしまう前の虫干しだと見る説も。

また、ここでの「衣干す」は実景ではなく、初夏山に咲く卯の花の比喩、
春霞の喩えだという見方もある。
「秋濡れた衣を夏の山で干し」「濡た御衣次の御歌で干し給ひ」との川柳は、
 一首目が衣が濡れるという歌だったのを、二首目で乾かしてるという並べ方を
 巧く表現している。

《天の香具山》あまのかぐやま、平安時代はあめのかごやまと呼んでいた。
     奈良の橿原市の山で、畝傍山・耳成山と並ぶ、大和三山の一つ。
     元々は高天原、神様の国にあったとされるので、天の香具山で、  
     山の名前。ただの香具山では、正式ではない。



3 足びきの山鳥の尾のしだり尾の   
  ながながし夜をひとりかもねむ    
 

○会いに行くっていってくれたから、ずっと待ってる。
 一昨日も、昨日も、…今日も。でも、連絡もくれないね。
 窓の外に止っている山鳥の、長い長いしっぽ。
あのしっぽみたいに長い長い夜を、
今日もまた独りですごさなくちゃ行けないのかな。

☆あの山鳥の長い尾の様に、ながいながい夜をまた独りつまらなく眠るのか

 あしひきのやまどりのをのしだりをの ながながしよをひとりかもねむ
 出典 拾遺集

Kakinomoto no Hitomaro

Ah! the foot-drawn trail
Of the mountain-pheasant's tail
Drooped like down-curved branch!--
Through this long, long-dragging night
Must I keep my couch alone?

Ah!足で描かれた道(足引きをそのまま翻訳?)
-キジによる山では, テールである.
下にで曲がったブランチのように, 垂れ下がった!--
この長くて, 長い間, ドラッギングしている夜を通して
私は自分の寝椅子を単独に保たなければならないか?



柿本人麿 かきのもとひとまろ(生没年不明) 
平安時代は人丸と表記し、ひとまると読んでいた。
人麻呂・人麿呂とも。やっと出ました恋の歌。
それがどちらかというと高い身分じゃない人が 読んだ辺り身近だ。

草壁皇子、その死後は高市皇子に仕え、宮廷詩人でありながら、あっちこっちに行かされた転勤族。
ご臨終も島根県石見国の役人として、地方で向えてしまったらしい。 (大和国で死亡説も)
「柿本人麿なむ、歌の聖なりける」の 言葉の通り 歌聖と呼ばれる程の凄い詩人なのに、
所詮は下級役人ゆえか。奥さんと死に目にも会えず、遠方の地で凄まじき物は宮仕え。

終焉の地とされる島根県益田市と、兵庫県明石市には、人麻呂をまつる柿本神社・人丸神社があり、
火災除けの神(火止まる)、安産の神(人生まる)、目の神(地名が明石なので、目が明かし)水難除けの神等
としてまつられている。
他はごろあわせなのに、何故水難だけ何も理由付けがないのだろう、と感じた方するどい。
人麿呂が水刑に処された故ではないかという説もある。



 この歌、本当は人麿呂作とはどこにも書かれていない
なぜ人麿が作者に擬せられたのかも不明。詞書は「だい知らず」。
山鳥の部分は、「夫婦が別に暮らす」という山鳥にまつわる伝説と
「恋する人と別々に寝る」という作者を掛け合わしている。
『龍吟明訣抄』では、題知らずであるこの歌に、相応しいタイトルをつけよと命じられた
二条家の為重、がこの歌に「逢恋」、冷泉家の為邦は「待恋」と題付けした。

結局「逢恋」が採用されたとあるので、お互いに思い合っていながら、
事情があって中々逢瀬がままならない苦しみを詠っているとの解釈。

どちらかというと、冷たくなってしまった相手を待ちつづける「待恋」の方がふさわしい気がするが、
山鳥に関する伝説を踏まえるなら、やはり「逢恋」が正解である。

人麿の死の約四百年後、 あわたさぬきのかみかねふさ/粟田讃岐守兼房が、
上手く歌を詠みたくて、人麿にすがっていたところ、夢に人麿が現われた。
兼房は感動し、その覚えている姿を絵師に描かせ、
それを拝むようになった。すると、歌が思うように詠めるようになったという伝説がある。

さらに後に、歌人六条あきすえ/顕季が、その絵を借りて写し、「人丸影供」を始める。
人丸影具とは、人丸像を壁に掛け、その前に御供え・盃を捧げ、その後、像の前で歌合を行うというもの。
元永元(1118)年六月十六日に始まったと『古今著聞集』にある。
また、現代では「柿本」の単語で、正統の和歌と、
またはこの歌を詠む一派を指すことになっている。

《山鳥》山の中に住む鳥一般をさすが、ここではキジ科の春の季語に使われ
  る鳥。本来一夫多妻性で、オスは黒い横縞の入った長い尾を持っている
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4 田子の浦に打ち出でてみれば白妙の
富士の高嶺に雪は降りつつ


○静岡の田子の浦海岸へ行ってみた。
 船に乗って何気なく振り返ると、
 蒼穹の下、雪が積もった富士山が
 眩しいぐらい輝いている。あの真っ白さに誘われて、私の心も漂白気分。


☆田子の浦海岸から、富士山を仰ぎ見る。雪が積もり白絹を覆ったように美しい。

たごのうらにうちいでてみればしろたへの ふじのたかねにゆきはふりつつ
出典 古今和歌集

Yamabe no Akahito

When to Tago's coast
I the way have gone, and see
Perfect whiteness laid
On Mount Fuji's lofty peak
By the drift of falling snow.

Tagoの海岸に
私…方向に行った…見る.
横たえられる完全な白さ
山…富士の高まいなピーク
低下するドリフトによって, 雪が降りなさい


山部赤人 やまべのあかひと (生没年不明)
山辺と表記し、やまのべのあかひとと呼ぶことも。 
柿本人麿とほぼ同期で、やっぱり下級役人。『萬葉集』を代表する歌人。
『古今集』で「人麿は赤人の上に立たむことかた難く、
赤人は人麿が下に立たむこと難くなむありけり」と
どっちが上とも下とも言えないと、ともに歌聖とあがめられた。三十六歌仙の一人。
聖武天皇に仕え、行幸に従って吉野や難波に行き、各地で自然観照の名歌を詠んだ、
自然歌人の代表。
人麿呂より、わずかに後までいきていたらしいが、未詳。



この歌も「題知らず」。『新古今集』に
「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける」とあるのを、改作した。
今回はパクリでなく、完全に本人の歌の変形版。
パクリというと人聞き悪いが、当時は「本歌取り」と称して、前人の句を踏まえその上で、
よりよく改作・または一部を読みこみ発表するというのは技法の一つ。
…現代でやったら、著作権訴訟が、頻繁に起きてしまいそうな技法だ。

 前のとたいして違わないだろ、と感じるかもしれないが「ける」だと、雪は既に止んでいる状態で、
「つつ」だと現在進行形で、まだ降っている状態。

 旅先で見た風景が、そのまま伝わってくる気がする。
青い空、真っ白な富士山、波の音、潮の香り。想像だけで、魂の洗濯させられそうな心地よい歌。
 この歌と作者を 覚えやすくしてくれるする川柳に、
「真白な名歌を赤い人が詠み」と歌と作者の名前比較して印象付けてくれるものがある。
「打ち出て見れば左右に鳥と鹿」これの前の歌に「山鳥」、次の歌に「鹿」 があるのを詠んでいる。

《田子の浦》 静岡県 富士川西の河口近くから、興津・由比・蒲原辺一帯の  
      海岸を指す。現在の田子の浦は、静岡県富士市でやや位置が 異なる。




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5 奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の
声聞くときぞ秋は悲しき


○秋って理由もないけれど、なんとなく物悲しい。
紅葉が散りきったこの山奥だと尚更だ。
とどめとばかりにどこからともなく哀しげ〜な鹿の声。
…最悪。まぁ、しみじみ秋にはひたれるけどね。

☆紅葉を踏み分けるほどの深山で、鹿の声。秋の寂しさが身に染みることだ。

おくやまに もみぢふみわけ なくしかの こゑきくときぞ あきはかなしき
出典 古今和歌集

Sarumaru Tayu

In the mountain depths,
Treading through the crimson leaves,
Cries the wandering stag.
When I hear the lonely cry,
Sad,--how sad--the autumn is!

山…深層
真紅の葉を通して踏み荒らすこと.
歩き回ることを男一人で泣かせる.
私が孤独な叫びを聞く場合
悲しい-how悲しいこと…秋はそうする.


猿丸太夫 さるまるだゆう・さるまるだいふ(生没年不明)
口伝で、さうまるだゆうと呼ぶことも。
九世紀後半、奈良後期もしくは平安初期頃の六歌仙、三十六歌仙。
猿に似ていたから猿丸といわれたという説も(ひどい…)。

大夫とは官職で、五位の称。本名・出身あれも謎これも謎すべて謎の人。
実在すらも疑われ『古今集』の中に大伴黒主の歌を評して
「古の猿丸大夫の次だ」とある外まったくの記載が無い。
この時代からすでに伝説の人物になっていたようだ。

あまりに謎だらけなので、聖徳太子の孫 弓削王と同一人物説だとか、
弓削の道鏡のことだとかの俗説も生まれた。
また、土器を売って暮していたが和歌がうまく宮中に召されたとか、
巡遊詩人だったとか、かなり幅広い伝説の持主。



『古今集』ではこの歌読人知らずになっている。
藤原公任が『三十六人撰』で猿丸大夫作としたことから、今に至る。

『古今集』の詞書では「これさだの皇子の家の歌合のうた 読み人知らず」と
なっていて『猿丸大夫集』では「鹿のなくを聞きて」となっている。
是貞皇子は大伴黒主の後の世代に生まれているので、
最初の猿丸大夫を「古の」と表記している部分と矛盾している。

余談だが、読み人知らずは、
@名前が本当にわからない A身分が低すぎて、名前を書いても誰にもわからない
B本当の作者はわかっているのだけれど、謹慎中の身で「昔はよかった」等と詠い、
ばれたらマズイとわざと不明にしている場合がある。

この場合は@かAの歌を利用したもの。 
 実際のところ鹿ってめったに鳴かなそうだし、鳴いても…あの声もの悲しいというより、
けたたましい気がするのだが…。
ここでの紅葉は、一般で想像する カエデ科の紅い葉のものではなく、
萩の黄色い葉と推測する説がある。

これは『新撰万葉集』ではもみじが「黄葉」とあり、中秋をさしていたことと、
『古今集』でこの後に萩を詠んだ歌が続くことからの説である。
また、紅葉を踏み分けるのは作者であるとする説と、鹿であるとする説もある。
私はストレートに鹿だと思っていたが、山奥分け入る平安朝役人…ワイルドで捨てがたい。

《奥山》山の奥深く。対して里に近い山を、端山という

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