| 日頃自分の威厳の無さを気にしている大佐が、新たにしでかし でくれたのは今朝のこと。 「おはよう!諸君」 元気に片手を上げて司令官室に入ってきた大佐に、こちらも敬礼 で挨拶を返そうとして、俺は固まった。 普段なら黒い手先にあるピンクの肉球に目が行って、そのかわい らしい造形に心和むのだが、今視線は大佐の顔に吸い寄せられて 目が離せない。 「少尉 どうか…あ…」 俺の様子がおかしいからか、伺ってきたファルニャンも視線を 追って固まった。 そうなると流石に皆揃って、何があったと思うのは当然で大佐の 方に視線は一斉に集められた」 「な…なんだね?みんな揃って」 「それ…」 俺が力なく指差したのは、大佐の顔の鼻下辺り。そこには何故か 世間で言うドジョウヒゲなるものが黒々二本、左右に分かれ伸び ていた。 「これか 私の顔に威厳を持たせるのに丁度いいだろう?」 ――ちっとも良くない。 どうみても仔猫のアンタにそのドジョウヒゲ は、失敗したヒトコマ漫画そのままだ。 ヤダと言い張る大佐を無理矢理抱き固め、眉墨で描かれたヒゲ はティッシュで軽くこすればすぐに落ちたのはいいとして、やはり ここは威厳とは見た目ではないと柄でもないが、説教しなくちゃ 駄目だろう …あの顔で出歩かれたりしたら、それこそマスニャング大佐の名前 の持つ威厳はあっというまに吹っ飛んでしまう。 「だいたい 偉く立派に見えたいというのならばまず第一に『なにぬ ねの』をきちんと発音できるようにしてください」 「…?普通に言えるぞ な・に・ぬ・ね・の」 「ええ今はね でも大佐興奮すると『にゃにぬねにょ』になってます」 「そんな事はない!」 強固に否定する大佐に、俺は机からストロー状の長く黄色いプラ スティックの先に、狐のしっぽを小さくしたようなほわほわの毛玉を つけたオモチャを差し出した。 目線をそらしているのだが、大佐の耳や尻尾はぴくりと小さく動い ていて、大佐が興味を持っているのがよく解る。 「ホラ」 ひょいと、それを動かせば大佐は反射的に「にゃっ!」と全身で 飛びついてきた後、慌てて元の場所に座りなおした。 「ち…っ違うぞ今のは 目の前でにゃにかが…」 「大佐 今『にゃにか』って言ってます」 「にゃ?にゃにかのにゃにが変なのだ」 「さっき言ったでしょう 興奮するとなにぬねのがいえてないって」 慌てて自分の口元を覆っても、今更だ。 また顔に妙な落書きなんぞをされる前に、「なにぬねの」の練習を しましょうと言えば、大佐は大人しくこくりと頷いた。 「にゃ…にゃに……」 「な・に」 「にゃ・に…な・に・にゅ…」 「ぬ!」 「にゃにぬ…」 つっかえつっかえ一生懸命繰り返す大佐は可愛いが、ちっとも進 まぬやり取りのせいで、練習中の大佐代行で書類処理を行なう俺 の声は、すこし尖ってしまっていた。 「…にゃ…むぅう…」 突如くぐもった声に、顔を上げてみれば大佐は涙目で自分の尻尾 を齧っていた。 甘噛みなどではなく、本気で噛み付いているというレベルなのは 咥えられている箇所の毛の凹み具合から察せられる。 「大佐!なにやってるんスかっ」 大急ぎで口をこじあけて、歯を外させる俺に大佐は涙目をぬぐって ぽつりと呟いた。 「私が覚え悪くて ワンをいらいらさせてるから…痛くすればちゃん と覚えるかと思ったのだ」 拭った後から、また滲んできた涙を今度は俺の指で拭う。 「…ねぇ大佐 無理しないでそのままでいてくれるほうが俺は嬉しい ですよ?」 俺の発言で、大佐は少しおどろいた表情になり首を傾げた。 「偉くみえなくてもいいのか?」 「俺は 今のままの大佐に惹かれてココに来たんです突然大佐が 変ったらそっちの方がショックです …ね、いまのままで居て?」 キリッとしたマスニャング大佐も悪くない…というより、俺の想像の 中ではかなりの好みだが、それはこの際置いておき。 興奮すると『にゃにぬねにょ』になる大佐を、むしろそれが愛らしさ という武器になるのだと言いくるめ、「消毒」と称して血の痕が滲む 黒い尻尾を、俺は舌で舐め清めた。 |