「ラストサムライ」 2004年1月24日 



 よかったです……真田広之♪←どしょっぱつから、論点、ずれてます(笑
 好きなんです、この人。いい俳優さんですよね。日本時代劇ではぜひともこれからもがんばって欲しい方だと思います。
 さきほど調べたら「たそがれ清兵衛」ので主演だったのですね。ぜひとも見なくては♪
 かなり、濃いんですけどね(笑)。
 この映画でもこてこてに濃かったです。台詞がほとんどないから、動作がとにかく、濃い!、見ていて少々疲れました(でも、好き)。

 疲れると言えば、この映画そのものがとても疲れました。見終わったあと、首から肩にかけて、ばしばしに凝り固まっておりました。
 見ていて非常に疲れるほど、迫力のある映像でした。
 特に、一番最初に勝元の軍勢が攻めてくるシーン。吉野の山奥(のわりには、とても吉野にないだろうシダっぽい木がありましたが…)、霧もやの向こうから現れる騎馬軍。
 映画だとわかっていても、怖かったです。わたしでも、逃げます。というか、わたしだったら、発砲する前から逃げてます。迫力あるよなぁ。
 鎧甲ってこんなに美しくて、怖いものだったのですね。このシーンだけでも、映画館に行って見る価値はあります。いえ、これは、ぜひとも大きなスクリーンで見ていただきたいです。
 他にも、殺陣シーンは体中がこわばるほど、迫力がありました。
 やっぱり、馬ですね。今回は武士のため、翻るマントは出てきませんでしたが、それでも十分かっこいいです。
 そういえば、ロード・オブ・ザ・リングでも、騎士たちは騎乗で戦うことにこだわっていましたっけ。この映画でも、最後は騎乗で戦えて、よかったねと思いました。
 できることなら。
 真田広之には最初の鉄砲隊を突破させてあげて欲しかったし、渡辺謙には大村の首を討ち取らせてあげたかったですけど。

 とはいえ、そんなシーンばかりでもなく、戦闘シーン以外はむしろとても静かです。静と動の対比がよくできている映画だったと思います。
 ま、いささか、つくりものめいてはいましたが。
 いい味を出していたのは、やはり渡辺謙。彼にしか、できませんね。
 一応念のため、日本殺陣界のプリンス(?)松平健を当てはめてみましたが、「ちゃんちゃんちゃん、ちゃちゃちゃちゃ、ちゃーんちゃーんちゃーん」という音楽と共に、征伐群をすべてうち捨て、最後は「成敗!」とか言って大村を殺してしまいそうです(笑)。おなじケンちゃんでも、彼では健康すぎてだめですね。それではラスト・ラムライになりません。

 トム・クルーズもいい俳優さんになりましたね。若いころはにやけたにーちゃんでしたが、年齢を重ね、落ち着きを重ねて、渋みが増してきた感じです。
 ま、彼が主演のため、どうがんばってもエンターティメント映画となってしまう感は否めませんが。エンターティメント俳優さんとしてはこれからも楽しみです。

……で。
 で、ですね。
 やはり、ラストサムライというからには「武士道」に触れなくてはいけないでしょうし、アメリカの作り上げた日本侍の映画ということに関しても触れなきゃ、いかんのでしょうねぇ。。。

 いや、おかしくはないのではないかとは(これも断言できないけど)、思うのですけど。。。今までの日本に対するひどい誤解映画に比べたら、いいのではないかと。でも、やっぱり違うような、、、
 どこか、微妙にずれを感じるんです。ただ、それがなんなのか、一度見ただけではよくわかりません。
 強いて言うなら、美化のしすぎ、、、なのかなぁ。それとも、単純化のしすぎ。
 わたし自身、武士道というものには詳しくないし、ましてや武士ではないので、こうだ! とは言えないのですが。
 すみません、かなり歯切れが悪いです。
 自分の国のことを語られているのに、それが正しいのか正しくないのかも判じることができないのは情けないですね。
 現在図書館で「武士道」なる本を予約中です。はい、きちんと勉強します。

 それに、誤解といえばですね。
 日本人の魂=武士道という描き方がされているように感じたのですが、もしそうなのだとしたら、それがそもそも誤解なのではないかと。
 そんなことを言ったら、京都の人に怒られまっせ?
 公家にとって、日本二千年の歴史を支えてきたのは雅なる精神なのですから。
 それに、肝心の侍もね。
 侍たちが一直線すぎるというか、単純すぎるというか、なんというか。
 大体、あの戦いはむなしすぎます。
 そりゃ、武士道は「いかに死ぬか」が大事らしくて、だから、こういう映画の中の侍たちの行動の描き方もわかるのですが、でも、それでも生きたいとか、武士道を貫くことは護るべき人を護れないことではないかとか、そういう葛藤があると思うのです。その上で、武士道を貫いて死んでいくのだと思うのです。そういうものがまったく見えてこないあたり、美化しすぎというより、「ばかにしていないか?」と思ってしまう。
 最後に官軍が土下座しちゃうのもなんだかなぁ。。。そりゃ、ないだろ?
 
 が、一緒に見た夫に「微妙に誤解がない?」と聞いたところ
「そうかぁ?? すこぶるいい映画だと思うぞ。武士道に関する誤解もないだろ? 大体、渡辺謙が日本人に対する誤解を一切許さなかったって言うし」
 と感動していましたので、あまり深く考えなければいいのかもしれません(笑
 それにしては、勝元の村がまるっきりの農村ってあたり、やっぱり、誤解じゃないのかぁ??って気がしないでもないのですが、、、

 とはいえ、そんなことをぐだぐだ言わなかったからこそ、ここまでわかりやすい、日本人だけではなくて世界の人にも理解してもらえそうな映画になったのだと思いますし、それはそれはいいことなのではないかと思います。
 日本人がこの映画を作っていたら、禅問答みたいなわけのわからん映画になっていたかもしれませんしねぇ。ここまでの予算もとれなかっただろうし(笑
 それに、誤解やなんかがあったとしても、日本文化に対する敬意なるものが感じられますし、アメリカ人が日本の武士道に敬意をしめして作ったエンターティメント映画としてみればいいのではないでしょうか。
 日本映画に出てくるアメリカ人だって、向こうに言わせれば誤解まるけなのでしょうしね(笑
 大体「座頭市」では農民が田圃でタップ(?)踊ってたもんね。あれが許されるんだから、これだって許されるだろう……知っていて外すか知らずに外すかという、大きな違いはありそうですが(^^;)

 誤解といえば、じつは、どしょっぱつから、誤解では???と思ったんです。
「日本は八百万の神によって作られたという」
……たしかに、いざなみもいさなぎも八百万の神の一人ではあるんですが、、、、ビミョーにニュアンスが違いません?
「刀によって」
……矛じゃなかったっけ???
「幾人かの男たちによって作れた」
 ちがーう! いざなみは女神だぞ? 
 大体、日本神道の最高神天照大神(このぐらいの変換は一発でせんかっ!>ATOK)は女神だぞ?
 基本的に多神教の世界では女神の方が力は強かったりするんだぞ? 武士道の裏では女の力もかなり強いんだからっ! (とわたしは勝手に思っている 笑)
 勝手に男だけで作ったことにすんなよ。
 最初から「やっぱ、誤解してない??」と思ってしまったせいで、ついついあら探しをしてしまったのですよね(笑
 とね、けっこうあるの(笑
 わたしとしでも、素直に鑑賞したかったのですが。
 大体、誤解があったっていいじゃない。べつに歴史の勉強なり、日本の勉強をしているわけでもないですし、完璧な明治時代を再現しなくても、そういうことはNHKの大河ドラマにでもまかせておけばいいのよね、これ、アメリカ映画だし、、、と思ってしまっていいのだろうか?(笑

 それにしても、本当にむなしい戦いでした。
 新しきものと古きものの戦い。滅びるためだけに戦うなんて、なんてむなしいんだろう。

 と思って、ふと年始にひいたおみくじの歌を思い出しました。
「花は皆 散りてあとなきこずえには……」

 そうか。
 消え去るために滅びるのではなくて、あとにくるものに融合して残るために滅びるのね。
 滅びて初めて、新しきものの中に生き残ることができるのね。
 そして、そのためにこそ、彼は滅びることを選んだのね。
 この映画では、若い天皇がその思いをきちんと受け止め、すくい上げてくれていましたし。
 ま、公家である天皇が武士の魂を持っているとは思えないんですけどね。
 このあたりは、武士道だけに限定されない、日本人の心というものだと解釈するべきなのでしょう。きっと。

 「いかに死んだか」を問う天皇に「いかに生きたか」を話すトム・クルーズ。古きものと新しきものを融合させた者ということでしょうか。まさに、主題どおりのラストでした。

 ってあたりで、締めてよいでしょうか?