「エビータ」 映画(ビデオ)
あーラテンの国だぁ。音楽ももちろんだけれど、大衆の情熱というか、熱し方がとても熱い(へんな日本語だなぁ)。主人公エバ自体がとても熱いもの。特に中盤、人々に演説してまわる場面なんか、感動的なほど。舞台ではとてもできない群衆のシーンなど、映像も迫力があって、ラテンの熱い血を感じました。
そして、熱い場面で熱すれば熱するだけ、静かな場面がとても生きてくる。大統領夫人になって最初の演説の場面「泣かないで、アルゼンチン」や死んでいく場面「わたしは生きた」など、静かな感情と言いましょうか、じーんとしみてきます。
そうそう、マドンナって歌うまいのね、知らなかった(笑)。それにとってもかわいく歌えるのね。最近宝塚を見慣れている目にはちょっとふくよかかなと思うけれど、「エビータ」の迫力を出すにはちゃっぱりこれぐらいの体格がないとだめかなとも思います。
例えばグレース・ケリーのような超美形ではないと思うけれど、内からにじみ出る存在感というか迫力があって、ぴったりの配役だと思いました。
エバの強さでふと思い出すのが「風とともに去りぬ」のスカーレットだけれど、スカーレットには強さしかなかったのに対して、エビータはかわいさがある。短い人生だったとはいえ、伴侶に恵まれて、幸せに死ねたのはその違いなんだろうなと思ったりする。
ところで、どうして「エバ」が「エビータ」になるのでしょう? 愛称なのかな?
<独り言>
「聖女か悪女か」
わたしは彼女は感情や情熱の人だったと思います。ただ自分の前に伸びる道を心の導くままに走り抜けた人。
『これ以外どんな道があったというの?』
『富も名声も幻。わたしはあなたを愛し、あなたに愛されたい』エバは感情の人。
第三者が彼女が聖者・悪者を判断するのは自由だけれど、彼女の中には善も悪もなかったと思います。彼女にあったのは、ただ激情だけ。
そして、そんな彼女を見守る存在が「チェ」。エバが激情そのものなら、「チェ」は彼女が彼女であるために切り捨てた「なにか」だったのではないかと思います。「エバ」のことを冷ややかに、そして暖かくいつも見守っています。彼女に怒り、悲しみ、哀れみ、さげずみながら、誰よりも彼女のことを理解し、愛していたのではないでしょうか。
善と悪がまったく相容れないものなのに離れることができないように、エバとチェも離れることはできない。彼らは表裏一体なのだから。
善と悪は別個には存在しない。存在しえない。人が分離したがる善と悪。それをそのまま混沌としたまま抱き込んだゆえに分裂したのが「エバ」と「チェ」だったのではないかと思います。
「わたしは生きた」
と死んでいったエバ。その生き様に感動を覚えながらも、
「あなたは『生きて』よかったでしょうけれど、じゃあ残された人はどうなるの? あなたがめちゃくちゃにしたままの国はどうするの?」
と皮肉も言いたくなるけれど、それは「エバ」ではなく「チェ」の領分。そして、エバが死んでしまった以上、彼はもう何も言わないのでしょう