エリザベート 人物編 ![]()
大好きなミュージカル「エリザベート」。観劇日記では書けなかったストーリーの方を少しだけ書こうかなと思います。
このミュージカル、CDを聞くたびに違う考えが浮かんでしまって、なかなかまとまらない。なので、以下の文章も「その1」としてお読みください(笑)。
今回はちょっときつめ(?)でかなり偏見が入ってます。ご了承くださいませ。
あれだけ騒いでいるわりには、エリザベート&トートって好きじゃないんです。エリザは我が儘女だし、トートに至ってはストーカー以外のなにもんでもないよ?(いえ、演じている人は好きなんですけど(^^;))。キャラクターとして一番好きなのは、やっぱりフランツかなぁ。
たしかに、満点の人じゃない。「おいおい、それは違うだろ??」と思うことも多いです。「一人にしてください」って言われてさっさと出ていくのも「おーい?」って思うし、究極は「母上はもういない、帰っておいで」だもんね。違うでしょ、それは。
そもそもプロポーズで「世界を二人で回ろう」って、それはないでしょ? できもしないことを口説き文句に使うんじゃないっ!
でもね、もとは凡庸だけど優しい人だと思う。本人もいい皇帝、いい息子、いい夫、いい父親になろうと必死じゃない? それが結局は命取りになっているような気もするけれど。
ゾフイ皇太后のセリフじゃないけど、彼は選び間違えたと思う。フランツにはエリザを包み込むだけの器量がなかったと言われるけど、その逆もまた言えること。エリザに彼を支えるだけの器量はないもん。自由のない彼がエリザに憧れる気持ちはよくわかるけど、それが不幸の始まりってものだわ。
「夜のボート」なんて泣かずには聞けないわ。なんてかわいそうなんでしょ。もう、エリザなんてとっととトートに押しつけて、もっといい人探しなさいよって言いたくなる(笑。
できることなら、わたしが包んであげたいわ。でも、最後までエリザのことを愛し続けているフランツだから、わたしも好きなんだよなぁ。わたしの愛は報われないのね(笑
少し話はずれるけれど、このシーンに入る前、ルキーニの語り(?)が入るんだけど、ここだけとっても優しいの。この声を聞くと泣きたくなる。どうしてここだけこんなに優しいんだろう? これがルキーニの本音?
「エリザベート」のラスト、じつと言うとわたしは怒ってます(一路エリザと山口トートの歌声には聞き惚れておりますが ^^;)。
エリザもトートも幸せいっぱいでデュエットしてるけどさ、今までに一体どれだけの人を踏みつけにしてきたの? で、二人だけめでたしめでたし? 残されたフランツや家族(子供は他にもいたはず)、それに国民はどうなるの? そもそも黄泉の国でどんな顔してルドルフに会う気だろう。彼が死んだときだって、エリザが悲しんでいたのは彼の死そのものではなくて、「息子を失った自分」。なにが「安らぎを得たのね」だわ。それは本来あなたが与えるべきものだったはず。
だから、その後のルキーニの「騙されるなよ」は正しいと思う。不幸さえも利用しているとは思わないけれど。
大体、この二人も長く続くとは思えないんだよね。だって、デュエットからして、「命委ねる、それはわたしだけに」「俺だけに」って食い違ってるよ?(笑
で、今度は黄泉の世界でトートと「夜のボート」を歌うか?
……真剣に怒っているので、少しばかり理性が飛んでるわ(笑
トートを「死そのもの」として捕らえるか、「死を操る者」として捕らえるかによって少し解釈は違ってくるかもしれない。上の話は後者として捕らえた場合です。「死そのもの」として捕らえちゃうと話がまたややこしくなると思ってます。なので、お預け。
でも、宝塚版の方はトートを「死」と表現してる部分もあるけれど、東宝版は「死を操る者」としてのイメージが強いかなぁ。
いろいろ書きましたが、わたしはフランツ派だから、エリザやトートには手厳し過ぎるんだな。
エリザの気持ちもわからないでもない。エリザ・パパには許されることも、彼女には許されないわけだしね。なんだかんだ言いながら、「夢とうつつの狭間で」はついうるうるしてしまう(^^;)。
他に好きなのはエルマーかな。ああいう情熱的な革命家というキャラクターは好きだわ。でもこの人も結局トートに破滅させられていくのよね(泣)。