=一円玉=
電子表示は緑色の鈍い光で601という数字を映し出す。
それを見た友人は、彼女の外見に似合わない、
赤色の可愛らしいがま口の財布を覗き込む。
彼女が数秒覗き込んでいるのを見て私は左のポケットに手を突っ込んだ。
手には、軽いが確かに金属の感触。
彼女の舌打ちを合図に、私は左手の中の銀色を弾いた。
「いやあ、流石一円娘。お前さんの友人である限り一円には困らないね」
コンビニエンスストアでの会計を終えたと同時に、そんな言葉を投げかけてくる。
にやにやと小馬鹿にしたような表情の友人。
普段から目つきが悪い彼女は、この表情がよく似合う上によくする。
このようなやり取りは毎度のことなので返事はしない。
彼女もそう思っていたのか、返事をしない私に気を悪くした風もなく歩き出す。
吐く息も白いこの季節。そろそろ雪が降ってもいい頃だと思う。
雪が好きな私は、この間雪の降る夢を見て喜び、起きて落胆したものだ。
朝起きたら一面銀世界。高台にある私の家からは街が銀色に染まってみえる。
友人や家族は大げさだと笑うが、
私はその景色を見てこの世界に、この国に生まれてよかったと心底思う。
雪の降り積もった冬の朝は、秋頃よりも早起きが出来る。
秋も秋で庭や山が粧う姿は心の温かくなるような色合いを見せてくれるのだが、
私は雪のほうが好きだ。
私の目標は、あの雪の白さのように気高く清く生きること。
その為にはどうしたら良いのかは、いまいち分からないでいるのだけれど……。
「……」
それにしても寒い。マフラーに口まで埋まり、ポケットに手を入れて背中を丸めて歩く。
自然に視線は下がり気味になる。視界には灰色のアスファルトと友人のスニーカーだけだ。
「……」
ああ、この格好で歩くのは気高いとはいわないのだろう。
背筋を伸ばし、前を見つめて歩くべきだ。
ふと横を歩く友人に目を向けてみる。
さっき購入したものが入っている買い物袋は背負ったバックに入れたのだろう。
黒くて無骨な男らしいバックだが矢張り彼女には似合う。
髪の毛は短い。スポーツもしていないのにスポーツマンらしい髪型だ。
でもやっぱりその纏う気配に、よく似合っている。
口元には不敵な笑みを見せながら歩く。視線は常に前を向いて進む。
「……」
ああ、悔しいが。本当に悔しいのだが。
私の理想に、私より近づいているのはこの隣を男らしく歩く彼女なのだ。
「……ん」
じっと見ていた、というより睨んでいたのかもしれない。そんな私に気づいたのだろう。
私の主観で、彼女はもっとあると主張するのだけれど
少し高音の、彼女の中で唯一女らしいポイントである。可愛らしい声を出す。
「……」
「……」
そして、にやりと可愛らしくも無い笑いを見せる。矢張り男前だ。
「……よし。ヒントをやろう」
彼女は私の考えていたことが分かるのだろう。
前に一度彼女に酔った勢いで、私の理想を話したらしいし、
何よりも彼女の頭の回転は素晴らしい。
簡単で分かりやすい例として定期テストで九割未満を取ったことがない。
まったくこれは一体どういうことなのだろうか。
小学生の頃は大して私と変わらなかったはずなのに。
「あんたが、何で一円玉を常に持ち歩いているのかに気づけたら。
きっと格好良くなる。うん。多分な……多分。それじゃあね。また明日」
徐々に小さくなる声と、八の字に変化する眉を見ていると疑わしくなるのだが。
そんな微妙な言葉を残して彼女は自宅に向かうために、
私の進む道とは別の道へと歩いていった。
後姿をしばらく眺めてみると、やっぱり背筋は伸び、頭が下がることは無い。
彼女の目の前では絶対に言わないが、心底格好良いと思う。
気持ち良い性格も心地よい。ずっと友達でありたいと願っている。
私は彼女に嫌われたくは無いと、嫌われることを恐れているのだ。
それにしても一円玉。
寒さ対策としてポケットに突っ込んである左手を握ってみる。
軽い金属の感触。弄るとそれらは五枚程あるみたいだ。
試しに一つ取り出してみると矢張り一円玉。
何の変哲も無いこの一円玉が私の理想への道らしい。
「……」
一円玉が道標。なんとも滑稽だが私にひどく似合っている気がした。
さて、彼女に言われた通りに一円玉について考えてみようじゃないか。
だらだらと考え続けても、同じ思考を繰り返すだけになる。
今日から、彼女との分かれ道から自宅までの道のりを思考の道とすることにしよう。
幸い此処から自宅までの距離は短くは無い距離なのだから。
私と一円玉の付き合いは長い上に親密なのでは無いだろうか。
いつもそばにいる相棒といった感じだ。
私が彼らに抱く印象としては、別にいらない。いてもいなくても同じ。
だけれども気づくといるといったもの。
「……」
もう少し考えてみよう。
知らず知らずのうちに一円玉は私の左のポケットに存在する。
一円娘というあだ名もこの一円玉のおかげであることは間違いない。
いつだって私のポケットに存在しているせいと、私の名前が円であるということからだ。
決して「えん」と読むわけではない。「まどか」である。
なんともやさしい響きではないだろうか、自分の名前は結構好きなほうなのだ。
例え、それのせいで珍妙なあだ名を付けられているとしても……。
左手の中の銀色を掲げてみる。
「お前との関係を考えれば、私は今よりも気高く美しくなるらしいぞ」
空に太陽は見えない、薄暗い灰色の雲が広がっている、
掲げた銀色には良く似合っていると思った。
帰り道も後半。直線距離で二百メートルといったところだろうか。
私はいつもこの地点でふと我に返る。
そう、それは何をしていてもだ。テストの点数が悪く落ち込んでいたときでも、
友人が告白されている現場を盗み見てしまったときでもだ。
それは既に習慣になっており、体が覚えてしまったことなのだろう。
我に返った私の次の行動は決まっている。
滑るようにして少し老朽化の進んだ建物に入り込む。
出るときには決まって、右手に紙袋。
中身はうぐいすパンと、りんご風味の酢のジュースである。
この二つは私の大好物で、ちょっと自信のあるこのプロポーションは、
彼らによって作り出されたといっても過言ではない。
ただ、何故かこの二つはコンビニには無いのだ、この商店でしか私は出会ったことは無い。
この松竹商店との付き合いは長い。
小学校に通いだした頃からの付き合いだから、もうかなりになる。
店主のおばちゃんは、私が入るとにっこり笑って中身の入った紙袋を出してくれるほどだ。
そして私もにっこり笑って二百円を差し出す、そして―――
ちらりと視界の端に白いもの。
期待に胸を躍らせながら空を見上げると、一円玉に良く似た色の雲からは小麦粉のような雪。
胸の中の心臓がわくわくしているのを感じる。手のひらにはむずむずとした形容しがたい感覚。
きっと今、私の瞳はらんらんと輝いているのだろう。
今まで考えていたことは、全てほっぽり出してしまった。
意味もなく走り出したくなった私は、家に向かって全力で駆け出す。
家までは地獄のような坂と、天国へ続くような階段がある。
いつも体力が大幅に消費されていくのを体全体で感じる道なのだが、
雪が降っているならば私は無敵だ。
疲労すらも心地よく感じる私は、右手にしっかりと紙袋を抱えて家に飛び込んだ。
これから着替えて意味もなく街を歩くのだ。
雪の降る中街を歩く、いいじゃないか。とても魅力的だ。
折角だからあの、男らしい彼女を連れて遊びに行くのだ!!
「……」
目の前でもぐもぐと幸せそうにうぐいすパンをかじる女子を、見つめる。
きっと視線には呆れという感情が、多少ブレンドされているだろう。
パンを御酢のジュースとやらに持ち替えた彼女の服装はパジャマだ。
ちなみに私もパジャマである。
彼女と別れて、家に着き、母にただいまと言い。
帰り道のコンビニで買った雑誌を読もうと、ベッドに倒れこみ。
着替えてないことに気づき、着替え。トイレに行って。
母と少し雑談をしていたら。突然のチャイム。
インターホンで友人だと確認し出てみると、外には雪。
はしゃぐ彼女に連れられて街を歩き回り、なし崩し的に彼女の家に泊まることになった。
確かに、彼女の家は高台にありそこから見る雪化粧した街並はきれいなのだ。
これは毎年のこと、初雪のたびに彼女の家に泊まっている。
妙にテンションのあがった目の前の娘は今にも叫びだしそうだ。
「ねえ」
「なあに」
にっこりと透き通った笑みを見せる。
「……一円玉をどうしていつもあんたが持っているか分かった?」
質問をしては見たが、分かっていないだろうことは容易に予想がついた。
ただ、目の前で彼女が召し上がっているものを見ると、
恐らく彼女のコートの左ポケットには新たな一円玉が追加されたのだろう。
「……わかんなかった」
ああ、今の表情で分かった。この娘はその話題すら忘れていたのだろう。
考えている途中で雪に気づいたに違いない。
この娘の思考回路は雪が最優先事項であることを、私はよく知っている。
ぐるりと部屋を見渡してみると、小奇麗にされている。
そして料理などの家事は私なんかよりも良くこなす。
つまり決して横着な性格ではないのだ。
それなのにと思う。
あの松竹商店で買い物したあとに一円玉がポケットに追加されることを私は知っている。
彼女の好物であるあの二点セットの合計の代金は、百九十九円なのだ。
「……私は、未だにあんたの事を掴みきれないでいるみたいだよ」
「私、ミステリアスな女性も目指しているのよ。実はね。」
得意げに笑う彼女の後ろでは未だに雪が降り続く。
恐らくカーテンは閉めない。綺麗だが寒い夜になりそうだった。
おわり