武隈の里 
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封内風土記巻之五によると

  遠望浦の名前は「岩沼郷」のところで紹介されている。
これは地名ではなく、岩沼以東をいう。


地図で見るとよくわかる。


 


 悠遠の様、そこから遠望浦といわれた。二の倉海岸で行くと「白砂青松」を思わせる
 海岸が広がっている。それは、相馬から松島にいたるまで綺麗な弧を描く海岸線!!

  橘為仲の歌 平安時代末期の武士  陸奥守 「やまとうた」から引用

  「みちのくにに侍りけるころ、八月十五夜に京を思ひ出でて、大宮の女房のもとにつかはしける

   見し人もとふの浦風音せぬにつれなくすめる秋の夜の月(新古930)
    (とふの浦 は陸奥の歌枕 風にかかる )

まさか海岸まで行き、詠んだわけでもないだろう。遠望浦から上がる十五夜を見て

北釜濱から仙台方面
北釜から南方 、相之釜濱

武隈の 浜辺に立てる 松だにも 我がこと一人 ありきとやみる
                                           源 重之