日本武尊東征

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景行27年
  熊襲 征討   熊襲国に至る。
  

景行40年
 日本武尊は西の熊襲平定してまもなく、東の夷のうち蝦夷ははなはだ強し。 休むまもなく
 東方へ出かける。 お供は吉備武彦、大伴武日連である。
  
    加耶古代史観 では
      吉備 倭の土着
      大伴武日連  半島新羅 (鮮卑系)

「日本武尊はすなわち上総より転じて陸奥國に入る。
時に大きな鏡を懸けて、海路」より葦浦に廻る。横に玉浦を渡りて、蝦夷の境に至る。 蝦夷の賊首、島津神、国津神等 竹水門に屯みて防ぐ
然るに遥かに王船をみて予めその勢いを怖れて、心の中で、勝てないなと思い、弓矢を捨てて
自ら服罪する。



 


蝦夷との境


これらの比較では 巷では以下のように説明されている。
    葦浦   所在未詳 ?千葉 江見町 吉浦
    玉浦--- 九十九里濱
    竹水門  所在未詳 多賀城に近い 七ヶ浜町の湊浜? 

とかされているが、?
これでは「蝦夷との境」がもっと南になるような感じだし、各場所がお互い離れすぎている。 
房総から海岸どおりでは温暖な地域が続く。 蝦夷が北方にいたとしても海岸部は
早くから南方からの民が住んでいたと思う。海岸沿いに北上した場合、気候的にも一変するのは
阿武隈川河口に達したところだ。

 いままで阿武隈山地によって西風は避けられたが、阿武隈川河口では蔵王の脊梁山脈を
超えてきた風がまともにあたる。 阿武隈川河口の北側はまさに蝦夷の領域。 
 
加耶古代史観で言えば、
日本武尊を代表とする大和勢力が陸奥を目指した時、阿武隈川以南は既に先住系の
移住があった。おそらくは先住の民としては
   南方呉系-
   加羅系
だから、日本武尊が目指す蝦夷との境は阿武隈川である。


  「葦浦、玉浦、蝦夷との境、竹水門」はいずれも距離的に近い。


  こでは次のように比定する。
   仮説

   「葦浦」 -----阿武隈川河口 南 鳥の海-----陸に上がれば「逢隈」の地  
               

   「玉浦」 -----阿武隈川河口 北 玉浦(岩沼市) google map
               同じ名前の玉浦を何故、世間はそうと言わないのか?
  玉浦あたりは遠望浦ともいって古来、歌枕で読まれたところ。 「武隈」はその陸上にあたる。

   「竹水門」----名取川河口   閖上 (名取市) ゆりあげ-- google map
           名取川を遡れば二口渓谷、有耶無耶関 、山形へ抜ける主要な道 
          陸奥と言えば「出羽」も最初は陸奥国であった。

 日本武尊は上総(今の千葉県)から「陸奥国」に入る。 この時には既に陸奥国は存在している。 この当時の陸奥国はどこまでか? 阿武隈川以南を陸奥で、蝦夷との境は阿武隈川である。 横しまに玉浦を渡るとは、阿武隈川の河口を横切って玉浦へ行く。 
そして、蝦夷が引き入れたみなとは「名取川河口   閖上 (名取市)」 ゆりあげ 
ゆりあげの字はなかなか面白い。いろんな説がるようだが、「竹水門」と「閖上」はどことなく似ている。

日本武尊の伝承


名取市 ゆりあげの湊の近くには日本武尊東征時勧請の多賀神社 その近くに尊が東夷平定を祈ったとい う「皇壇ヶ原」 そこには多賀神社があり、イザナキ イザナミを祀る。
岩沼市の北の町である。

蝦夷を平定したあと、日高見国より還りて、西南の方、常陸(茨城県)をへて甲斐国にいたり
酒折宮へ。 ここで日高見国 は「北上川下流域」とされるのが一般であるが、日本武尊の最前線という
意味では変動的なものであろう。 平定して、すぐ「日高見国」ができたとも思わない。

村田には「日本武尊の東征の折りこの地に滞在に由来. 白鳥神社がある。


 

封内風土記巻之五によると

  遠望浦の名前は「岩沼郷」のところで紹介されている。
これは地名ではなく、岩沼以東をいう。


地図で見るとよくわかる。


 


 悠遠の様、そこから遠望浦といわれた。二の倉海岸で行くと「白砂青松」を思わせる
 海岸が広がっている。それは、相馬から松島にいたるまで綺麗な弧を描く海岸線!!

  橘為仲の歌 平安時代末期の武士  陸奥守 「やまとうた」から引用

  「みちのくにに侍りけるころ、八月十五夜に京を思ひ出でて、大宮の女房のもとにつかはしける

   見し人もとふの浦風音せぬにつれなくすめる秋の夜の月(新古930)
    (とふの浦 は陸奥の歌枕 風にかかる )

まさか海岸まで行き、詠んだわけでもないだろう。遠望浦から上がる十五夜を見て

北釜濱から仙台方面
北釜から南方 、相之釜濱

武隈の 浜辺に立てる 松だにも 我がこと一人 ありきとやみる
                                           源 重之



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