武隈の里 
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西行 おもはくの橋 再考  
 

芭蕉は西行の足跡をたどり、歌枕の地を訪ねた。
西行は2度、陸奥へきた。

一度目は晩秋の頃、
   1140年代  平泉に向かう途上、まだ若い20代後半、平泉へ着いたのは旧暦10月12日、今でいえば12月初旬
      平泉では源義家   「八幡太郎」   基衡の時代 
   先祖の藤原氏を思って修行の旅  ---京都からは1000kmの旅

    能因法師が陸奥行きより、100年後
       「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」
 
2度目は文治2年(1186年)の秋、
 西は70歳近い年、 平家によって焼き討ちにあった東大寺再興のため、藤原氏へ東大寺へ砂金を勧進することを依頼  
 この翌年、義経が平泉へ。このときは三代目 秀衡の時代

              外部リンク 山家集
    

0946:  みちのくにへ修行してまかりけるに、白川の關にとまりて、所がらにや常よりも月おもしろくあはれにて、能因が、秋風ぞ吹くと申しけむ折、いつなりけむと思ひ出でられて、名殘おほくおぼえければ、關屋の柱に書き付けける

白川の關屋を月のもる影は人のこころをとむるなりけり

0947:  さきにいりて、しのぶと申すわたり、あらぬ世のことにおぼえてあはれなり。都出でし日數思ひつづくれば、霞とともにと侍ることのあとたどるまで來にける、心ひとつに思ひ知られてよみける

都出でてあふ坂越えし折までは心かすめし白川の關

武隈に入る前は福島の信夫

信夫
0949:  あづまへまかりけるに、しのぶの奧にはべりける社の紅葉を

ときはなる松の緑も神さびて紅葉ぞ秋はあけの玉垣       

  ここでも紅葉の歌を詠む。紅葉まっさかりであった頃だろう。


武隈の松


別項で書いたが
  初代から4代目   朝日山 鼻輪崎にあったが、4代目は名取川の橋げたの為、伐採。武隈松は断絶する。西行がみた「跡」はこちらのほうだ。
 
5代目以降 現在の二木、竹駒神社の後ろにある。芭蕉が見たのはこちらの松だ。

西行は南長谷から山麓沿いの東街道を歩き、朝日山の鼻輪松の跡を訪ねたのだろう。 でに武隈松は昔のこととしながらも一応、跡を訪ねたという。
西行はそこから引き返し、東街道に出て北上した・ ここから約4.5kmで道祖神社

0948:  たけくまの松は昔になりたりけれども、跡をだにとて見にまかりてよめる

枯れにける松なき宿のたけくまはみきと云ひてもかひなからまし
    


 この西行の歌を理化するためには以下のことを念頭におく・。

橘 季通 (すえみち)は父の則光朝臣のお供で陸奥国の行った際に見た
この二木の松について次のように歌っている。(時期はさだかではないが、前九年合戦以前)
「みきと云ひても」という文句は 橘 季通の次の歌にひっかけている。

当初の歌の「みき」は 「三木」で、二木にかけているのだが、何故、ここに「三木」と出てくるのか? 研究対象やね。 二股の木が一本と普通の木か? 根は二つだが、一方は
根際から二つに別れであるのか?


 「武隈の松はふた木を都人いかがと問はばみきとこたへむ」 後拾遺和歌集 1086年

武隈の松は二木をみきと云うはよく読めるにはあらぬなりけり 僧正深覚

        981年 清少納言が橘則光(たちばなののりみつ)と結婚
        橘 季通 (すえみち)は則光と清少納言の子供


かたみの薄

 
   志賀沢川を越えれば前方に笠島だ。 っ笠島の丘陵に差し掛かり、
登っていくと登りきったところ、左側に道祖神神社がある。実方が落馬したところである。

  かたみの薄のある、実方のお墓はここからもう少し北、約1kmにある。丘を通り越して道は下り、平地になったあたり、左手に見える。 

そこは川の流れるあたり、竹やぶの中を少し登る。
西行が詠んだ場所は この実方のお墓のあるあたりであったろう。 

実方 辞世の句

みちのくの阿古耶の松を訪ねわび 
身は朽ち人になるぞかなしき
   


   西行は突然、お墓に遭遇した風にはかいているが、実は、実方の
お墓を訪ねていったことは確かであろう。 同じ藤原であり、祖先は同じルーツ、
赴任先で不慮の死を遂げた実方に弔いのひとことでもあったろう。 突然、現れたところに演出効果がさるのか?

 芭蕉は残念ながら笠島まではいけず? 何故なのか? 単なるぬかるみで行けないでは老骨に鞭打って
来た割には? 気力も衰えてしまったのか? 曾良日記なんかでは「行き過ぎて見ず」とあるが、肝心の場所を
行きすぎるのも合点がいかない。 
 

笠島
0945:  みちのくににまかりたりけるに、野中に、常よりもとおぼしき塚の見えけるを、人に問ひければ、中將の御墓と申すはこれが亊なりと申しければ、中將とは誰がことぞと又問ひければ、實方の御ことなりと申しける、いと悲しかりけり。さらぬだにものあはれにおぼえけるに、霜がれの薄ほのぼの見え渡りて、後にかたらむも、詞なきやうにおぼえて

朽ちもせぬ其名ばかりをとどめ置きて枯野の薄かたみにぞ見る


名取川 おもはくの橋


   おもはくの橋はどこか? 塩釜の野田の玉川にかかる橋ともあるが、ここでは名取川を考えてみた

  実方お墓から一山超えると、眼前にあh仙台の町がパンpラマ的に広がる。左手の
山麓は「高舘」、すこし行くと「名取熊野三社」がある。西行は名取川のどこを渡ったのか?

東街道は山麓沿いに走る。名取川は下流は幅も広く、渡れるところはだいぶ上流になる。いわば、山から平野にでる扇状地の要あたりだ。現在でも道路はそこを渡る。
新しい道ができて古い橋は狭くてあまり使われていないが、顕在だ。








 0950:  ふりたるたな橋を、紅葉のうづみたりける、渡りにくくてやすらはれて、人に尋ねければ、おもはくの橋と申すはこれなりと申しけるを聞きて

ふままうき紅葉の錦散りしきて人も通はぬおもはくの橋  

しのぶの里より奧に、二日ばかり入りてある橋なり


    名取川
どうしたわけか明治以降、このおもはくの橋は、塩釜駅の南にある野田の玉川にかけられた橋だと
されてきた。しかし、詠んでみても、景観からみても「おもはくの橋」は名取川にかかる橋だと思う。
 

 0951:  名取川をわたりけるに、岸の紅葉の影を見て

なとり川きしの紅葉のうつる影は同じ錦を底にさへ敷く


0952:  十月十二日、平泉にまかりつきたりけるに、雪ふり嵐はげしく、ことの外に荒れたりけり。いつしか衣川見まほしくてまかりむかひて見けり。河の岸につきて、衣川の城しまはしたる、ことがらやうかはりて、ものを見るここちしけり。汀氷りてとりわけさびしければ

とりわきて心もしみてさえぞ渡る衣川見にきたる今日しも

外部リンク源平盛衰記 参照

「 「長徳4年(998年」

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0945:  みちのくににまかりたりけるに、野中に、常よりもとおぼしき塚の見えけるを、人に問ひければ、中將の御墓と申すはこれが亊なりと申しければ、中將とは誰がことぞと又問ひければ、實方の御ことなりと申しける、いと悲しかりけり。さらぬだにものあはれにおぼえけるに、霜がれの薄ほのぼの見え渡りて、後にかたらむも、詞なきやうにおぼえて 朽ちもせぬ其名ばかりをとどめ置きて枯野の薄かたみにぞ見る  

0946:  みちのくにへ修行してまかりけるに、白川の關にとまりて、所がらにや常よりも月おもしろくあはれにて、能因が、秋風ぞ吹くと申しけむ折、いつなりけむと思ひ出でられて、名殘おほくおぼえければ、關屋の柱に書き付けける 白川の關屋を月のもる影は人のこころをとむるなりけり  

0947:  さきにいりて、しのぶと申すわたり、あらぬ世のことにおぼえてあはれなり。都出でし日數思ひつづくれば、霞とともにと侍ることのあとたどるまで來にける、心ひとつに思ひ知られてよみける 都出でてあふ坂越えし折までは心かすめし白川の關  

0948:  たけくまの松は昔になりたりけれども、跡をだにとて見にまかりてよめる 枯れにける松なき宿のたけくまはみきと云ひてもかひなからまし  

0949:  あづまへまかりけるに、しのぶの奧にはべりける社の紅葉を ときはなる松の緑も神さびて紅葉ぞ秋はあけの玉垣  

0950:  ふりたるたな橋を、紅葉のうづみたりける、渡りにくくてやすらはれて、人に尋ねければ、おもはくの橋と申すはこれなりと申しけるを聞きて ふままうき紅葉の錦散りしきて人も通はぬおもはくの橋  しのぶの里より奧に、二日ばかり入りてある橋なり  

0951:  名取川をわたりけるに、岸の紅葉の影を見て なとり川きしの紅葉のうつる影は同じ錦を底にさへ敷く  

0952:  十月十二日、平泉にまかりつきたりけるに、雪ふり嵐はげしく、ことの外に荒れたりけり。いつしか衣川見まほしくてまかりむかひて見けり。河の岸につきて、衣川の城しまはしたる、ことがらやうかはりて、ものを見るここちしけり。汀氷りてとりわけさびしければ とりわきて心もしみてさえぞ渡る衣川見にきたる今日しも

 0953:  陸奧國にて、年の暮によめる 常よりも心ぼそくぞおもほゆる旅の空にて年の暮れぬる  

0954:  奈良の僧、とがのことによりて、あまた陸奧國へ遣はされしに、中尊寺と申す所にまかりあひて、都の物語すれば、涙ながす、いとあはれなり。かかることは、かたきことなり、命あらば物がたりにもせむと申して、遠國述懷と申すことをよみ侍りしに 涙をば衣川にぞ流しつるふるき都をおもひ出でつつ

 0955:  みちのくにに、平泉にむかひて、たはしねと申す山の侍るに、こと木は少なきやうに、櫻のかぎり見えて、花の咲きたるを見てよめる 聞きもせずたはしね山の櫻ばな吉野の外にかかるべしとは  

0956: 奧に猶人みぬ花の散らぬあれや尋ねを入らむ山ほととぎす  

0957:  又の年の三月に、出羽の國に越えて、たきの山と申す山寺に侍りける、櫻の常よりも薄紅の色こき花にて、なみたてりけるを、寺の人々も見興じければ たぐひなき思ひいではの櫻かな薄紅の花のにほひは