武隈の里 
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武隈館、鵜ヶ崎城、岩沼城 



武隈館  現 朝日山公園東南部

     「武隈館」のあったところ?はどこか?
    朝日山公園からの丘陵地帯 
    貞観大津波以降、「9世紀末か10世紀はじめ」から「11世紀前半あたり」まで。
    歌には歌われてはいるが、現在は武隈館の遺跡らしいものは何もない。
     
    朝日山公園東南部、白山古墳に続いて丘が続いていたと思われるが今は宅地造成されて
    崖の断面を見るのみで、痕跡はない。朝日山公園の白山古墳は「前方後方墳」!!

     多賀城に行く途中の宿舎だとしても、どこかに遺跡のかけらはないもんか?
 
鵜ヶ崎城 現在は鵜ヶ崎公園

     「封内風土記巻之五 郡邑」 によると古跡ひとつ、
    当時、ここ武隈の地に骨をうずめた「源重之」の居城、朝日山公園からの丘陵地帯の南端
    あたりにあたる。 岩沼七崎の「鵜ヶ崎」

       現、岩沼駅の北西にあり、高台はまだ」削られず、公園として整備はされている。 
     だが、案内文とか城址公園とかの雰囲気はない。かっては鵜ヶ崎神社もあったそうだが、
     今は枝垂桜の咲く頃、人が訪れる程度だ。
鵜ヶ崎城址の桜

岩沼城  「現 岩沼駅 」  

     朝日山公園からの丘陵の最先端、もう周りは沼等に囲まれた館である。
     天正年間以降、岩沼要害. 周りは沼や堀で囲まれた平城である。 岩沼の地名は
     「沼に囲まれた岩山」という雰囲気からきたものでは?

     明治以降、沼等は埋め立てられ、町の土地へ。鉄道開通のとき、本丸あたりの
     丘は壊されて岩沼駅になった。 西口が整備されて残りの丘も削られて     
     現在では残念ながらわずかの痕跡を残すのみ。 
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