武隈の里 
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竹駒神社 復飾 明治維新以降

封土記から竹駒神社 縁起略いわく

 「竹駒寺 寶窟山武駒寺寶珠院 真言宗 城州醍醐 報恩院末寺
永承年間(1046〜1053); 能因開基

今、竹駒寺は岩沼市桜にあるけれど、これは江戸時代までの「竹駒寺」とはちょっと違う。
もともとは稲荷町、今の竹駒神社のところにあった。 神社を取り仕切った寺、別当寺だが、
「竹駒寺」という別当寺のうしろに武駒明神があった。江戸時代まではお寺が上であった。
 
ところが、 明治維新以降、「神仏分離」、時の政府方針により明治2年 竹駒寺は「廃絶」となった。
明治以降は神道が上になった。そこで竹駒寺のお坊さんは武駒神社の神主さんになった
のです。これを「復飾」という。 本来、竹駒寺は祈祷専門で墓地とかは周りにはなかった。

明治7年 竹駒神社は県社となる。

岩沼の町場の人のお寺がなくなってしまった。侍さんのほうは「法常寺」だが、庶民は困る。
武駒寺は明治38年、やっと竹駒寺は今の地に再建された。そのあいだ36年間はお寺が
なかったのです。 

、竹駒寺末寺の「高福寺」、「光明院」に引き継がれ、今の竹駒寺は光明院のあった場所に再建される

 

竹駒寺 門前の松


 

大正5年当時も竹駒神社



 入り口の大きな赤い鳥居から歩くと、何故か拝殿への参道はクランク形に曲がる? そこに見事な黒松が二つ!! 
クランク形に曲がる参道とこの見事な黒松は? 


 江戸時代の絵図と比べると、本来はこの二本の松が立つところが門前の入り口なようだ。「二木松」にもひけをとらない優れた松。 お寺を廻ってみると、門前に松を植えているのに出くわす。 。この黒松が竹駒寺当時の名残か? この二つの黒松の向こうにもうひとつ見事な黒松がある。








唐門に向かっていくと右手に続くは赤松の植え込みである。 

黒松は竹駒寺時代の遺構かなと? 武隈寺の時代はこの門前松が入り口ではなかったろうか?
竹駒明神はこの右手のほう、今は馬事博物館などあるほうにあったとか。

廃寺になったあと、竹駒神社は入り口を別のところに作り、それにつなげたではないだろうか?
 

竹駒神社


かって 小野篁勧進のときから
「稲荷明神」

江戸時代、芭蕉とやってきた曾良は
「岩沼入口の左の方に日記に竹駒明神という神社」と書いている。

楼門
江戸時代後期 の作
  唐門は今度修復される予定だが、楼門のほうは?






唐門




 初午の祭   2007年は3月25日から (旧暦2月初午)

竹駒寺の境内で馬市が開かれたのであろうか。
「初午大祭」は竹駒神社最大の祭りで、旧暦2月初午の日から7日間 
  新暦年では日にちは一定せず。

2003年  3月10日から
2004年 2月21日
2005年 3月11日
2006年 3月6日
2007年  3月25日!!!!
2008年  3月19日


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