武隈の里 
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稲荷大神とは

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稲荷大神とは

竹駒稲荷 神々の分析 

稲荷の神様は太古から「倉稲魂神(うかのみたまのかみ)」であり、この神を中心として祀られている。竹駒神社の祭る神は倉稲魂神うかのみたまのかみ、宇迦之御魂神、保食神うけもちのかみ、稚産霊神わくむすびのかみ和久産巣日神の三神になっている。

倉稲魂神うかのみたまのかみを中心とした、この三神はどんな神なのか? 
竹駒神社御由緒によると、倉稲魂神うかのみたまのかみ、宇迦之御魂神--
保食神うけもちのかみと稚産霊神わくむすびのかみ和久産巣日神で、三柱の稲荷大神は「人間生活の基となる衣食住の守護神」と説明されている。

ここでは日本書紀や古事記等の古書からもう少し根源的に稲荷大神を考えて生きたいと思う。

記紀からの考察

 神々の誕生は神代上だけど、本文以外に「ある書」としていろんな話が書かれている。その中で、うかのみたまとかを探すと、以下のところに書かれている。加耶古代史観でいうと、それぞれが各集団のルーツを表していることがわかる。すなわち、加耶古代史観の分析では、結論だけ言うと、これらの神さんは

稲魂神うかのみたまのかみ、宇迦之御魂神---加羅系 北方 遊牧民族
保食神うけもちのかみ、       ----南方呉系 
稚産霊神わくむすびのかみ和久産巣日神-- --コムナリ加耶系(呉系が半島で南北融合後、回帰)
以上の三集団の祖先信仰なのだ。

倉稲魂神うかのみたまのかみ

五穀のない飢えた時代 倉稲魂神うかのみたま、は「日本書紀 神代上 第五段 ある書(第六)」に登場します。加耶古代史観で言えば「加羅系」の伝説、 ある書(第六(「物部」)系の物語だ。

伊奘諾尊イザナキと伊奘冉尊はまず風の神を生む。ついで餓えたときに生んだ子で、まだ五穀のない 餓えた時代に生まれた子供です。まだ五穀発見以前、「加羅系」が新天地の倭の地にやってきて間もない頃。加羅系は本来、遊牧民族がルーツで、当初はまだ農作もままならぬ時代を連想させる。稲荷というと農業の神様というイメージが多いけど、この倉稲魂神うかのみたまは、まだ農業が貧弱なころの時代、いわゆる新天地での開拓者精神みたいなもんだと思う。 なお、古事記では「宇迦之御魂神」、須佐之男命が出雲に定着してもうけた子供となっている。 

 保食神うけもちのかみ  保食神は五穀の起源、保食神うけもちのかみ、は「日本書紀 神代上 第五段 ある書(第十一)」に登場します。ある書(第十一)は「月夜見」が出てくる数少ない伝説だ。この集団は南方から流れてきた「南方呉」集団で、日本もこの「南方呉」系が根源的なルーツのひとつである。

 保食神は五穀の起源、ここで五穀が誕生する。ここでは 五穀の種の発見 牛馬 農耕の開始を象徴、弥生と縄文の分岐 、五穀の神様への感謝 、「天照大神と月夜見尊の決別」とかである。

加耶古代史観で言えば
  天照大神  半島から回帰した高麗加耶 
  月夜見   呉集団 
 保食神(うけもちのかみ)が「稲荷大神」に入っているのは数少ない。祐徳や笠間にも入っていない。何故か? 五穀の誕生こそ農業の神様らしいのだが、もともと「月夜見」は天照と会い並ぶのに、日本書紀では全くといっていいほど記載が無い。歴史の敗者かもしれない。

 

東北の神社に何故? 
阿武隈川の神明社は「天照」と「月夜見」の二つが祀られるし、日月堂というのもあって、阿武隈側の歴史では日月は同列なんです。古事記にはうけもち神は登場しない。倭国と保食神は関係しない。

稚産霊神わくむすびのかみ 稚産霊神わくむすびのかみ---(日本書紀」神代第五段 ある書 第二)
 ある書第二は「コムナリ加耶」の伝承である。コムナリ加耶は百済系、でも百済にも二つの百済(オンジュ百済とプル百済)があって、いわゆるプル百済です。この集団は「応神」から「雄略」に絡む集団。 倭国が半島と倭と最大の領域をもった時代が雄略天皇の頃、コムナリ加耶の全盛期だ。当時、加羅とも連携、このコムナリ加耶の応神移動はいわゆる「八幡宮」と関係ありだ。このあたりは「秦」氏の伝承とつながるところ。日本書紀では、「火神カグツチは埴山姫を娶り、「稚産霊」(わくむすひ)を生む。この神の頭の上に蚕と桑がなり、臍の中に五穀生まれる。」とあり、五穀や養蚕の開始を意味する神。 

 「古事記」 神々の生成では、「尿に生まれる神は「みつはのめの神 彌都波能賈神」と「わくむすひのかみ)和久産巣日神」とある。この神の子が豊宇気毘賈神という。伊邪那美神は「火之神」を生んで亡くなる。みつはのめの神ーー潅漑用の水の神、わくむすひのかみ−−若い生産の神。みつはのめの神は潅漑用の水の神で、同じく岩沼市にある「金蛇水神社」の神様になる。
 ここに竹駒神社稲荷と金蛇水神社の接点がある。灌漑、鉄の誕生等が農業生産の飛躍的発達をもたらした。
    

稲荷大神の三柱

問題はこれらの三柱が同じ稲荷大神として祀られている。倉稲魂神うかのみたまのかみ、宇迦之御魂神---加羅系 北方 遊牧民族
保食神うけもちのかみ、-  ----南方呉系 
稚産霊神わくむすびのかみ和久産巣日神----コムナリ加耶系 呉系が半島で南北融合後、回帰。

結果、三大勢力が共生していた。

参考資料------------------------------------------------------

竹駒神社 近辺

稲荷の本来の神様は倉稲魂神うかのみたまのかみ。今の竹駒神社の近くに
丸山神社、東武神社がありますが、それらは保食神を祭っています。
東武(とうたけ)神社  竹駒神社の西南 ほどちかい所 「保食神」を祀る
 祭日は陰暦2月初午、

丸山神社  竹駒神社 北 直ぐ 「保食神」を祀
 祭日は陰暦2月中午日

 

各地 稲荷の紹介 伏見稲荷(京都市伏見区)「稲荷大神のご鎮座は秦(はたの)伊呂巨(具)(いろこ(ぐ))によって和銅四年(7112月初午の日」。太秦の秦氏族、すなわち松尾大社を祀った秦都理《はたのとり》の弟が稲荷社を祀った秦伊呂巨(具)となっており、いわば分家と考えられていた。

宇伽之御魂大神うかのみたまのおおかみ

佐田彦大神さたひこのおおかみ

大宮能売大神おおみやのめのおおかみ、

田中大神たなかのおおかみ 

四大神しのおおかみ  


竹駒神社 宮城県岩沼市 842年 創建
  倉稲魂神うかのみたまのかみ
  保食神うけもちのかみ、
  稚産霊神わくむすびのかみ 
 竹駒神社の傍、丸山神社や東武神社は保食神うけもちのかみを祀る。

祐徳稲荷
(佐賀県鹿島市) 貞享4年(1687年)
 倉稲魂大神(ウガノミタマノオオカミ---日本書紀系
 大宮売大神(オオミヤメノオオカミ)---天細女命

 猿田彦大神(サルタヒコノオオカミ)

笠間稲荷神社(茨城県笠間市  652年)「稲荷大神はご神名を宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ」---古事記系 第36代孝徳天皇の御代、白雉(はくち)2年(651年)

千代保稲荷神社(岐阜県海津市)

豊川稲荷 豊川閣妙厳寺」と称し、曹洞宗の名刹といわれ  豊川ダ枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)

岡山 最上稲荷ご本尊は最上位経王大菩薩?通常の稲荷神社とはちょっと違う。

福島稲荷神社 豊受比売命(とようけひめのみこと)
    大國主命(おおくにぬしのみこと)
    事代主命(ことしろぬしのみこと)

鵠沼伏見稲荷                             宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)
佐田彦大神(さたひこのおおかみ)
大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)
田中大神(たなかのおおかみ)
   四大神(しのおおかみ)

花園稲荷神社 倉稲魂命 又の御名は豊受姫命ともいう 
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参考資料------日本書紀 古事記から

倉稲魂神うかのみたま、 -古事記 五穀起源の次、須佐之男命の「大蛇退治」のところに登場する。須佐之男命は出雲国へ降りて、櫛名田比賈を隠所に起こして生まれる子、 八島士奴美神、 また大山津見神の娘、名は「「神大市比賈」を娶って生める子は大年神、次に宇迦之御魂神である。大国主神はまだ誕生せず。

日本書紀 神代上 第五段 ある書(第六)                   
日本書紀では「倉稲魂尊」 
伊奘諾尊イザナキと伊奘冉尊はまず風の神を生む。ついで餓えたときに生んだ子、倉稲魂神うかのみたまのみこと。これから海神、山神、土神、万物を生む。 伊奘冉尊 火神「か邁突智かぐつち」を産むとき、焼かれて亡くなる。

 伊奘諾尊は十拳剣でその子、火神「か邁突智かぐつちを三段に切る。剣の刃から垂れた智は天安河辺にある五百箇磐石となる。これが経津主神の祖。剣のつみはから垂れた血は 「甕速日神みかのはやひのかみ」 ついで「ひのはやひのかみ」 この「甕速日神みかのはやひのかみ」は、武甕槌神たけみかづちのかみの祖。

保食神うけもちのかみ、 

 古事記には保食神は登場しない。「五穀の起源」の話は 天岩屋戸のあとに出てくる。登場人物も異なる。
     日本書紀    古事記
    月夜見尊  −−速須佐之男命
    保食神、 -----大気津比賈神 --
    天照大神-------神産巣日
日本書紀 神代上 第五段 ある書(第十一) 
月夜見尊が具体的に登場する唯一の場面!天照大神は高天之原を御すべし、月夜見尊は、日に配べて天の事を知らすべし。月夜見尊は天照大神の勅をうけて保食神うけもちのかみを訪ねる。

ところが保食神は 首を回して國に向かい口から飯を出し、海にむかえば、鰭の広、鰭の狭をまた口から出す。また山に向かえば、毛の「あらもの」、毛の柔、また口から出る。それら飯、魚、獣を出してもてなす。月夜見尊は「汚らわしきかん、口から吐いたものでもてなすとは?」と怒って保食神を撃ち殺す。

 月夜見尊は帰り、天照大神に報告。 天照大神は非常に怒り、汝は悪い神だ、もう見たくない」それで月夜見尊は離れて住むようになった。後に、天照大神は天熊人を派遣、この時、保食神は既に死んでいた。ただし、その神の頂に牛馬化為るものあり、、ひたいの上に粟が生り、、眉の上に蚕なれり。眼の中に稗、腹の中に稲、陰に麦及び、大小豆が生まれていた。天熊人はそれらをとって奉る。天照大神は大変喜ぶ。「このものは食べて生活するもの」 粟、稗、麦、豆は陸田種子、稲は水田種子。 
その種を天狭田、永田に殖える。その秋、豊作。 また口の裏に蠶を含み、すなわち糸を引くことができた。  保食神は「宇気母知能加微」という。

稚産霊神わくむすびのかみ」    
「古事記」 神々の生成 
「和久産巣日神」
 火之迦具土神を産むとき、伊邪那美神は、みほと(女陰)焼かれて病み臥せる。たぐり(嘔吐)に生まれる神は金山毘古神、次に金山毘賈神。屎に生まれる神は「波邇夜須毘古神はにやすひこ神」、「はにやすひめのかみ波邇夜須毘賈神、」、ついで尿に生まれる神は「みつはのめの神 彌都波能賈神」と「わくむすひのかみ)和久産巣日神」とある。
この神の子が豊宇気毘賈神という。伊邪那美神は「火之神」を生んで亡くなる。
みつはのめの神ーー潅漑用の水の神   わくむすひのかみ−−若い生産の神

「日本書紀」神代第五段 ある書 第二                 伊奘冉尊 火神「か邁突智かぐつち」を産むとき、焼かれて亡くなる。その終わりのとき、「つちのかみはにやまびめ土神埴山姫」ならびに「水神罔象女みずのかみみつはのめ」を生む。すなわち、火神カグツチは埴山姫を娶り、「稚産霊」(わくむすひ)を生む。この神の頭の上に蚕と桑がなり、臍の中に五穀生まれる。
 ある書 第三には「水神罔象女」「土神埴山姫」、ここの「水神罔象女」は「水速女命」と同じ水神!!!----金蛇水神社