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Sapulut――――Tataluan 

Batu Punnggluへ向かう

7/13  

朝もや開けきらぬうち、Justin Bakayasuの来訪を受ける。昨夜來、Tataluan村から出てきたようだ。持参した写真を熱心に見る。またLantir も子供達をつれて来訪、抱き合う。

8:20出発

ランドクルーザに私達4人、運転手のJeffrey、民宿のPhilemon、村長Lantir,子供3人をつんで出発。

Sapulutから、船で、直接行くコースあるが、川の水位が低く、駄目。今回はLabangまで車で2時間、距離は短いものの、ジャングルの高低差のある山岳道路を走るため、案外時間がかかる。また道もよく知っていないと迷う恐れあり。

10:30

Labanng村の対岸で、車を降りる。


船着場までは、少し歩く。まず、対岸の村、Labangに行くために、つり橋を渡らねばならない。Sapulutのつり橋と同じくらいの長さ。重たい荷物は持ってもらい、揺れるつり橋を渡る。


対岸に出て、しばらく行くと村の中央に出る。途中、右手の溜池に赤い睡蓮の花が咲き乱れる。ここで、Supuluの娘に出会う。

11:30



ここからTataluan村まで船
行き1時間40分、 帰り 1時間15分程度

こぎ手は、philemonと、二人の少年、スラドー(Sapuluの息子)とインギュウ。


船外機をつけた小船だが、途中、数回、船を降りて、川の中を歩く。大体ひざ頭程度で危険なことはない。このところずっと雨が降らず水かさは極端に少ない。川底は石ころで、滑りやすい苔がついている。小船にはひっきりなしに水が浸入して、溜まった水をすくいだす。

両側は、以前もそうであったが案外開けていて、ボルネオ奥地とは感じにくい。村の直前に、父、母の墓地を知らされる。この船に関しては、民宿に頼む。150M$、川の遡行に関して、ベストは11月から5月

12:15

Tataluan村 到着

Tataluan村は今でも最奥。岸辺は洪水のため、中州が陸地と引っ付いている。かっては25人程度の村で、長屋もそう大きくなかったが、いまや村の人口は200人と膨れ上り、過密。右手に村長の離れがあり、左手に大勢住む長屋がある。

33年前

昔の面影はこの長屋の左手付近に残る。回りも、昔より開けたようだ。

長屋から川岸、対岸のジャングル

当時の村長、Bakayasuは既になく、その兄弟のAnloiのみ。2番目のBantu亡くなったばかり。

  Bakayasu Tawanon              お墓


Bakayasuの奥さんは、ひとりだけ長寿。

Bakayasuの長男、Lantirも45歳、二人の奥さんで、子供は17人もいる。

Lantir Bakayas33年前

last summer33 years ago

Justin

早速、昔の写真を差し出すと、皆で奪い合うようにして写真を見る。村長には、昔の子供時代の写真を見せて、各自の名前を教えてもらう。

Anloi33年前 

Sapulu33年前


33年前 中央 今立隊長

長屋構造


33年前


おりしもBantuの葬儀は続く。長屋に入ると、棺は入って左の隅、一段と高いところに安置されている。木をくりぬいた棺、周りは簡素だ。Bantuは、Bakayasu一族は

Bakayasu
    Bantu
          Iroh
          Anloi

となる。33年前、オランツアはBakayas。当時はAnloiがいただけで、Iroh, Bantuは逢っていない。Bantuの娘、Andantonがいた。確か、Andantonは嫁にいったはずで、旦那はJohnという。お父さんのBantuが亡くなったので、葬儀に帰ってきたか?



大広間はもっとこじんまりしていた。現在は相当の長さだ。窓際には一段高く、寝間に使うのであろう。ただこの間は、普段は使わないのではと思う。葬儀とか大勢の人が来た時の寝床になるのか。
中央の右側には食膳らしく、多少の魚と、タパイの入った甕がならぶ。

33年前、

よく見ると、かってのものより甕は小さく、飲んでみて酒の勢いも弱い。いつも酒好きがたむろ、葬儀の場であるからか?

この村の住人は、向かって右側、各部屋に分かれている。結構、奥深く、うなぎの寝床のようにある。入って見ると案外暗い。すぐ傍は、左手に一段高くベッド、床は懐かしい竹を敷いてある。

そういえば屋根は、いまやトタンであるが、かってはヤシの皮である。炊事場はずっと奥になる。所々、犬が寝そべって家族同様だ。水はどこからか引っ張ってくるので水道完備だ。

奥の離れには、貯蔵庫あり、裏の畑には、畑らしくない。問題はトイレ。川原まで降り、下流で水洗便所である。

大広間

33年前

子供達は、何時の時代も好奇心旺盛である。 33年前は子供達は10人ばかりで、名前も覚えたが、いまや200人の大家族では、子供達も限りない。

無邪気な子供 










33年前

村長の威厳

ひとつ不思議なのは、村長lantirは酒は余り好きでないみたい。皆に私達を紹介するまでもなく、酒も勧めなかった。葬儀のためなのだろうか?本人の性格か?
 ただ、土産は、村長の裁量、一族の序列どおり、ここの住人に土産を配る。17人のパタン。

子供は合計、17人、見たところ、小さい子ばかりで、小学校に入る前の。多分、Sapulutへ出ているのであろう。第一夫人(8人)、第二夫人、(9人)である。帰りの船は、lantirと息子のPhilemonで操ってくれたが、彼の子供5人も、つかの間の水遊びである。Labang

タタルアン村から帰路 この子達は、ジャングルから抜けだせるか?

行動記録

12日 (1)Kota Kinabalu ―――Sapulut

13日 (2)Sapulut――――Tataluan  (3)Batu Pungglu

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