2001/07/12   

(1)

Kota Kinabalu ―――Sapulut

クロッカー山脈を越える

KK

ホテルから少し歩くと屋台がある。ビルの中庭みたいなところだが、

無造作に机が並ぶ。安達さんお勧めで焼き飯、サテー等。

ビールはタイガー&ステラ。屋台で手羽の鳥を焼く。

街角は案外と暗い印象。日本が明るすぎるのかも。

KK−KN 

KKからクローカ山脈を横断してケニンガウへ向かう。2000mくらいあるのだろうか。

ジャングルの尾根を越えねばならない。33年前は山脈を迂回した。KKから計軽便鉄道で南下、渓谷を遡ってテノムまで行き、そこからKNへ自動車で行ったものだ。

いよいよ内陸へ

今回の強力ガイド Jeffry OH さん

06:40ホテル発 運転手ガイドはJeffrey

07:50道路の傾斜は急、山岳道路はようやく尾根を越える。時折、日本のススキに似た植物が見える。時折、朝顔の花を見る。峠を超えると、棚田が広がる。

まだ田植えしてしばらくたったばかり、熱帯ジャングルから、涼しい高原に入った感じである。

08:20 Tambunan

09:10   Keninngau

ケニンガウまでは、運転はさほど難しくはない。道路も山岳道路なれど舗装であり、道標もしっかりしている。

さてケニンガウ到着、昔の思い出を頼り、店屋を探す。やっと探し出した昔の食堂で、昔を語らいながら、ビールを飲む。バスケをした育英小学校の庭も、おぼろげながら思い出す。

ケダイの前で

33年前、私達が宿泊したレストハウスをようやくのこと発見。しかし、無残に、今は機能せず。 しばし、昔を思い出す。

33年前のレストハウス

09:45 出発

Keningauのシェルのスタンドで燃料補給。これ以上奥地はスタンドはなさそう。Kenningauを出ると平原を走る。道路は舗装、最後のShellのスタンドで燃料補給.周りは小刻みの谷あり。道路を走る車は少ない。

10:30 Sook到着

このあたりより道路舗装中、車もスピードダウン

11:10 Nabawan

周囲は禿山ばかり、小高い山が続く。高床式住居点在。舗装なしの山岳道路となる。

11:45 Pandewan

昔の面影もなく、スンスンラン峠もどこか判らず。33年前

ジャングルの中ではあるが、運転手も散在する工事現場の人間に、方向を確認しながら走る。Nabawanあたりから本道から外れた模様。

まあ、道もよくわかるものだと思う

工事現場から派生する道はどこが本道なのか判らない。道路標識などなく、わずか電線が続くだけ。その電線もSapulutに近づくにつれて消える。

Sungai Matoi 33年前

かってのSungai Matoi、Sunpukonスンプコンでの苦戦のあとはどこだろうかと探しながら走るがジャングルばかりでも判らず。

12:15

ジャングルの中、工事現場多く、何回となく遭遇。Tawauへの木材運搬道路の整備か?しばらく雨がないので、道路は砂塵もうもう、まるで砂漠地帯を走るかのよう。周囲の草木は茶色に染まる。

12:55

ようやく人家らしいものが見える。Sapulutも近い。大きな川、橋に出くわす。橋を渡ると左に折れる。待望のSapulut村へ到着、両側に家が立ち並ぶ道路を走る

つり橋 対岸上にバラカイヤ 
まず、ツリ橋を発見対岸の岡の家にバラカイヤを発見。昔のままだ。
33年前

昔とはかけられている場所も違うが、橋の揺れ方は変わらない。

対岸のバラカイヤにて、昔の名残を詮索する。 下にサプルート川

33年前 バラカイヤにて

Sapulutの宿泊


聞くと、「尋ね人」は、葬儀のため村に帰りおらず。あとで解ったが、村長、Lantirの兄弟、Bantuが3日前亡くなっていた。それでも、初めて訪ねたところがラッキー。「尋ね人」のタタルアン村村長の息子Philemonが民宿を経営しているところに出くわしたからだ。

私達の写真をみて、すぐさま、父親の子供の頃の写真を、あてて見せた。聡明そうな若者だ。この民宿はかってバツプングルのリゾート地が流行っていた頃の建物で、大きなタイヤが目印。

オランカヤの長男Philemon

オランカヤの長男Philemonは、妻と赤ちゃんの家族で、この民宿を切り盛り。彼の妹が小学校へ通うために同居している。Kazumiと呼ばれる。かって日本人が訪れたとき、生まれたらしい。



またPhilemonの妹のAnancithが近所に住まいしている。オランカヤの後継者は、既に村を出て、一軒屋に住み、英語を操つる。もはや長屋の大家族は崩壊の前兆か?

この民宿を紹介しよう。

一回は食堂、炊事場、彼らの居間がある。炊事はガスを使うことができて改めて装備は不要。材料等は、持参した方が良い。

2階は各部屋に分かれて、4部屋とオープンスペースがある。各部屋にはベッドあり、窓もガラスで、カーテンもあり、心地よい。一軒、欧風の趣である。

ただ問題はトイレで、別棟にあるが、使用後は自分で、傍のドラム缶から水を取り流す水洗である。この程度は我慢せねばならぬ。また水道というのもなく、川沿いで水浴となる。川はすぐ下を流れている。日本では林間のロッジといった程度。電気は6時半から開通。しかし、店屋には冷えたビールもあり、冷蔵庫はあり、常時電気は来ている模様。どこから電気が来るか?テレビは白黒だが、見ることができる。


問題は通信手段、まだ電話は未開通。パラボラアンテナでBS放送はキャッチでき、その分は文明を受け取ることができるが一方通行。電話線をまず引くこと。インフラの整備が必要。今回も電話連絡とれず、行って見ないと解らずと、事前に手を打つのは困難。例えば、宿泊の予約等は、ちょっと難しい。料金的には格安。

1部屋20M$

炊事 20M$
Philemonの奥さんの実家



Sapulut 今昔

長屋住まいから一戸建て住居

木材道路建設で公共工事活発

英語教育

BS放送受信

村長Lantirの息子、Philemonは、はや村を出て、Sapulutの一軒屋に住む。Lantirのように一生、村の生活にはなじまない。ただ、恵まれたものだけが村を脱出できるのであろうか。

33年前は、まだ道路もなくジャングル地帯であったが、いまや木材運搬道路走り、あちこちで重建機がうなっている。首狩族も現金収入の道が開ける。

旅行者が増えると、会話のチャンスも増え、Philemonは、旅行者から英語を学んだようだ。またテレビ等からも英語を勉強できる。かって、私達若いときは、多少のマレイ語を習い、奥地に入った。でもこれからは多少の英語がコムニケーションの手段となろう。

村長Lantirの前の世代は、英語は知らないが、Lantirや、その息子Philemonは。なんとか英語を話す。密林の奥にもBS

ジャングルの中、ブルが走る。



内陸の交通手段


問題はKeningauから、Sapulutまでの交通手段。4WDがあれば交通可能だが、途中、ガソリンスタンド見当たらず。もっとも途中のNabawanの町には入らずに走ってので、Nabawanにあるかどうかは不明。

2/3は未舗装の山岳道路で、今回は雨なしのため、砂塵もうもうで、雨季には大変だろう。日本でいう山岳道路を走るに等しい。大型トラックも走り、道路の維持は大変であろう。

ランドクルーザをチャタできない場合、乗合自動車があり、それを利用することになる。Keningauの露店あつまる所に車がたむろしている。またKKからは「内陸快車」が走って入る。途中、みかけただけで詳しい情報は無い。

小学校はSapulutにあり、中学校はNabawanに行く。



Sabah地図 参考

Pensianganへの行きかた

Pensianganへは、まず車で50分ばかり道路を走り、Selumまで。ここからは船となる。川の遡行は、良くて2時間、悪ければ4時間。

Selumの船着場

我々は今回、断念。Selumまでとする。船着場でしばらく眺めていると、インドネシアへ行く集団が荷物を沢山掲げて、やってきた。そうか、この川を下るとインドネシア国境も間じかなのだ。


行動記録

12日 (1)Kota Kinabalu ―――Sapulut

13日 (2)Sapulut――――Tataluan  (3)Batu Pungglu

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