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◆2005年3月の日記◆

050311 パスポートの写真。

わたしのパスポートの写真は、2000年夏に撮ったものです。髪はすでにショートカットで、ピンクに染めています。眼鏡は銀縁です。今よりおそらく化粧は薄く、少し日に焼けているようです。

顔がとがっているねと、言われました。無敵だったんだろうねこのころは、とも。そうだったかもしれません。あれから、いろんなことがありました。それまでにも人生いろいろあって、それなりに丸くなったつもりではいました、それでもそれから、やっぱりいろいろ、あったようにも思います。

こないだ再びパスポートサイズの写真を撮りました。黒髪の、眼鏡を外したわたしがびっくりしたような顔でこちらを見ています。自分で信じていたよりもこころもち幼く、頼りない感じです。もう28歳、母がわたしだけでなく弟もすでに産んでいた年齢だというのに。

少しは丸く、なったでしょうか。せめて、あのころに比べれば。

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また5年もしたら、「あのころのわたしはね」と、懐かしく語るようになるのでしょうか。これからの5年というものはわたしにとって、どのようなものになっていくのでしょうか。

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10年くらい前までは、自分の未来が全部、見えているような気がしていました。自分の選択だけで、全てが決まっていく、そう信じていました。そう、昔は、自分の将来をはっきり語ることで、しっかりした子だとの評判を得ていたのです。

でも今は、人生にはいろいろなことが起こってしまうものだということを、少しは知るようになりました。そのときそのときの選択の積み重ねで緩やかに流れていく流されていく、そんな感じ、なのでしょうか。見えない、けど、だからこそ、見届けてやろうよ、と、少し胸を張って、自分に言い聞かせています。

050325 病気を経験した医師。

わたしは最近まで、大きな病気をしたことがありませんでした。それは、医師になる上でハンディだと思っていました。しかしここ1年以上、ある病気をわずらってきて、それゆえに適性が少しでも上がったかというと、疑問です。病気であるがゆえのハンディのほうが、よほど大きいように思えます。現在の学習にも支障が出ていますし、就職活動にも障害になるでしょう。就職するころに治るという保証もありません。この病気を抱えたまま研修医として働くのは非常に困難に思えます。

自分が病気をしたことがあるから病気の人の気持ちがわかる、それが嘘だとは言いません。病気になった医師が、患者さんの気持ちがわかるようになったという本はちまたにあふれています。

でも、病気をしたから患者の気持ちがわかるというのが全てではないでしょう。河合隼雄が、カウンセラーは健康な人間がつくべき職業で、心を病んだことがある人間が『その経験を生かして』つくべき職業ではないと語っていた記憶があります。お産を経験した助産師が必ずしも産婦に同情的でない、という話も、聞いたことがあります。

病むというのはただつらいだけの体験なのかもしれない、そう思い始めています。僥倖として何かを見つけることは、あるかもしれませんけれど。

そういう体験の中にいる人に接する職業が医師である、そういうことなのかもしれません。病気は病気なりに、できることをするしかないのでしょう。


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