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◆2004年6月の日記◆

040625 病気と療養について。

病気について、本人のせいだとか家族のせいだとか環境のせいだとか、いろいろ言われることがあります。でも、100%本人のせいだとか、誰かのせいだとかそういうことはなかなかないのだろうと、ふと思いました。もう少し気をつければ防げたかもしれない、そう思うことはきっと多いでしょうけれど、誰かの行動いかんによっては防げたはずだ、というのと、誰かがその病気を引き起こしたというのは、必ずしもイコールではありません。

たとえば、本人が気をつけさえすれば防げるということになっている「生活習慣病」だって、なりやすさというものは遺伝で決定されていたりするわけです。同じ生活をすれば、誰もがある病気にかからないとか、誰もがかかるとか、そんなことはなかなかありません。同じように細菌やウイルスにさらされても、病気にかかる人とかからない人がいるし、かかる人の中でも、重症度は人それぞれなのです。

そういう中で、病気になった本人は、しんどい目に遭うわけです。痛かったり苦しかったり様々なことができなくなったりします。薬を飲まなければならなくなったり、手術を受けねばならなくなったりします。生活上の制限が加わることもあります。お金もかかるでしょう。その結果、きれいさっぱり治ることもあるでしょうし、少しはよくなることもあるでしょう。まったく良くも悪くもならなかったり、できるだけのことはしたのに悪くなったり、死んでしまったりすることもあるでしょう。

わたしのせいじゃないのに、と思っても、治療に取り組まなきゃいけないのは本人なのですね。わたしがこんな目に遭ってるのはわたしのせいじゃないよぉ、って思っても、引き受けなきゃいけないのはわたしなんだなあ、と。とても厳しい話なのですけれど。

「この子にはなんの罪もないのに」と、よく言われますけれど、それはきっと、子どもだけではありません。自分や周りを責めたい気持ちが出てくるのはきっと自然なことでしょうけれど、そういう時期はあってもいいのでしょうけれど、それはある面においては真実なのでしょうけれど、でも、誰のせいであってもなくても、引き受けるのは自分しかいないんだよね、代わってもらえないからね――ややセンチメンタルに、思ったのでした。医者の卵として思った、というわけでは、必ずしもないのですけれど。

http://www.ccv.ne.jp/home/noko/olddiaries/0406.html#04625


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