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◆2004年5月の日記◆

040506 勤勉さとか超自我とか。

お久しぶりです。連休も終わって日常に復帰、それと同時にこの日記も再開することにしました。

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ここしばらくは、半ば意図的にだらだら過ごしています。面白くない授業には出なかったり、配属されている研究室から早めに帰ってさっさとジムに行ったりです。日頃のわたしにはない行動です。

数ヶ月前までのわたしは、どちらかというと勤勉であったと自己評価しております。しかしその勤勉さは、わたしの中にいるもう一人のわたしとでもいうべきものによって、かくあるべしと強制されることによって実現していたらしいのです。強制の根拠は、「きちんとやらないとたいへんなことが起こる」という、底知れぬ恐怖であるようでした。脅迫ですね。幼いころの体験が、ベースになっているのだろうと推測しています。

昔は、その「もう一人のわたし」に唯々諾々と従っていました。しかし、最近、だんだんうんざりしてきました。よって、ストライキです。内的な反抗期なのかもしれません。

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勤勉な方が自己評価は高まります。しかし、できれば、自分の意図と調和した形で、日々を過ごしたいと願っているのです。何もかもきちんとやらなくても、とんでもないことなんて起こらないということを身にしみて納得しつつあります。完全に納得したら、脅迫されることもなくなるでしょう。

あと10日で臨床実習ですから、そのときまでは、猶予期間と決めました。もうしばらくだらだらしてみようと思っています。

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040507 パソコン壊れました。

今日の午後4時頃、学校で作業中に、わたしのthinkpadのマイドキュメントが開かなくなりました。同時に、起動が突然重くなりました。再起動しようとしたらスタートメニューが開きませんでした。電源ボタンで再起動を試みました。

システムエラーを示す青い画面が表示されました。記されている英文の一行目を読むか読まないかの間に、自動的に再起動が始まりました。そして、再び青い画面が表示され、再起動が行われました。

次に出てきたのは、システム復元をうながす画面でした。助かった、と思い、正常に起動した最新の構成で起動、を選びました。正常に起動したように見えました。

確かに、画面は正常に表示されていました。ポインタも自由に動きます。しかし、マイドキュメントは開きません。マイコンピュータも開きません。Openofficeも開きません。砂時計がしばらく表示された後、何事も亡かったかのように、もとの矢印が表示されて、それでおしまいなのです。

スタートメニューは開きました。しかし、「最近使ったファイル」を、開くことはできませんでした。これはおかしい、と思い、スタートメニューから再起動しようとしました。いつもより長い時間をかけて表示された再起動ボタンを押しても、いつまで経っても何も起こりません。電源ボタン長押しによる強制再起動を行うことにしました。

数回の再起動の後、起動中にAccess IBMボタンを押して、レスキュー画面を表示しました。マイドキュメント中のファイルをフラッシュメモリにバックアップし、当面の身の安全を得ました。そして、再セットアップしかないとあきらめ、購入時の状態に復元、を選択しました。画面が進まないといらいらし始めたころ、「復元できませんでした」とのメッセージが表示されました。

レスキュー画面から脱出してみると、買ったときに表示されていた、Windows登録画面が出てきました。ひょっとして復元されたのかしら、と期待したのですけれど、マウスを動かしてもポインタがまったく反応しません。

電源ボタンで再起動して、再び復元を試みました。前回と同じところで止まりました。キャンセルをクリックしました。レスキュー画面から脱出してみると、「NTDTR is missing press any key to restart」というメッセージが出て、そこで止まってしまいました。キーを叩いても何も起こりません。

今は、電源ボタンで立ち上げようとしても、「NTDTR is missing press any key to restart」というメッセージが出て、そこで止まってしまう状態です。レスキュー画面には行けるけれども、行ったからといって何もできません。デスクトップ上に置いていたファイルを取り出しておこうと思ったら、そのファイルは、復元を試みたときに消されてしまったようでした。

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6時前にあきらめて状況を先生に報告し、家に帰ってきました。

保証書を探してパソコン書類入れをあさると、thinkpadの保証書だけが入っていませんでした。ひょっとして、と、物入れにしている段ボール箱を見やると、購入証明書が貼り付いていました。もう一度書類入れの中を確認すると、保証書の代わりに購入証明書を添付すると書いてありました。少し生気を取り戻しました。

IBMサポートセンターに修理依頼を送信しました。月曜日に、取りに来てくれるらしいです。幸いなことに保証期間内です。

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ほんとうは絵に行くべき日だったのですけれど、なんだかその気力が失せてしまいました。ひどく疲れています。ショックだとかパニックだとかはありません。ただ、ぼんやりとしています。

家には、これまで使っていた「居間の共用パソコン」がありますので、両親と作業時間が重ならない限りは、作業にほとんど支障ありません。現にこうやって、サイトの更新すらできています。しかし今は基礎配属実習中で、データのまとめ・プレゼンの準備にパソコンが必要です。水曜日に発表なので、しばらくは実習仲間に迷惑をかけてしまうことになりそうです。

この週末は、本を読んで勉強して、手紙を書くことに費やしましょうか。それも、悪くないかもしれません。

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040508 ジムに通っています。

4月10日に書いたとおり、ジムに通っています。そろそろ、通いはじめて1ヶ月が経ちました。だいたい、2日に1回から3日に1回のペースです。行くたびに筋トレをして、時間があるときには、エアロバイクなどの有酸素運動を加えています。

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先日、一ヶ月ぶりに会った体育会系の某氏に、「わたし、筋肉ついたと思う?」と聞いてみました。「ふくらはぎにはついたかもしれない」・・・ふくらはぎの筋トレはしていないはずなのですけれども。「上半身とかは?いろいろがんばったんだけど」「ぱっと見にはわからないなあ」「わかんないかぁ。ちゃんと見たらわかるかなあ?」「ちゃんと見て、増えてなかったらショックでしょ」「それもそうだね」

自己評価としては、体表から筋肉の形がおぼろげながらわかるようになったような気がしています。

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問題のシェイプアップ効果ですが、痩せると思いきや、痩せるどころか、体重が着々と増えております。「運動したから」と安心して好きなだけ食べているのが原因のようです。お菓子を食べなくても、そのぶん食事を増やしたら意味がないのですね。当たり前のことなのですけれど。

最近飲んでいる薬の副作用に責任転嫁することを考えましたけれど、たとえ副作用だったとしても、体重が増えているという事実に変わりはありません。「運動だけ」で痩せることはあきらめて、多少は食事制限に取り組むことに決めました。とりあえず、夕飯でごはんをおかわりするのをやめることにします。

一回トレーニングに行ったからといって一回分の効果がすぐすぐ見えるわけではない、というのがしんどいところですけれど、この一回がなければ次もないわけです。たぶん、来年の春くらいには何かしらの効果が実感できるはずだと信じて、こつこつがんばっていこうと思っています。

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040509 書けなくなっていたわけ。

4月下旬から5月上旬にかけて、「書けない」という理由でこのサイトを休止していました。休止する前も、書きづらいと思いながらやっとのことで更新するようなありさまでした。何が原因で書けなかったのか、お話ししようと思います。

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一つの理由は、単なるエネルギーの枯渇です。今まで、「多少やる気がなくてもこれはできる」と思っていたこと――本を読むとか絵を描くとか勉強するとかサイトを更新するとか――がまとめてできなくなっていました。今は、本は少しは読めるようになりました。絵はまだ、気合いを入れ直さないと描けない感じです。勉強は、必要に駆られれば、でしょうか。あまり長くは続けられないようです。

そしてもう一つの理由は、「わたしの内面などというものを、この広いネットの世界に、ぬけぬけとさらしていていいのだろうか」という疑問です。確かに、自分の内面を見つめること、つまり、自分がどういう状態にあるか、その理由は何か、改善するにはどうすればいいのか、そういうことを考えることはわたしにとってたいへん重要ですし、そうやって考える上で、文章化することはとても有益です。そして文章化する際に、こうやってネット上に公開して、他者の存在を意識することは、思考を明晰にする上で、たいへん効果のあることだと信じています。しかし、だからといって、そういうものを多くの人の目に触れさせることが、果たして正しいのかどうか。わからなくなってしまったのでした。わたしの文章が誰かを不愉快にしている可能性は否定できません。誰かの「ためになる」なんてことはたぶんないでしょう。ためになる文章なんて、そうそう書けるはずもないのですけれど。

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一つめの理由、エネルギーの枯渇に関しては、だいぶん回復してきました。

二つめの理由、こんなことをさらしていていいのか、については、積極的にいいとは思わないけれど、こうやって書くことはわたしにとって必要だから、続ける、という結論に達しました。

というわけで今後ともよろしくお願いいたします。

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040512 研究室生活。

4月に学校が始まってから今週まで、「基礎配属実習」でした。カリキュラム上は今週いっぱいなのですけれど、わたしの実習は先方の都合により、本日終了いたしました。

基礎配属実習というのは要するに、基礎系の研究室――解剖学や生理学のように、患者さんを受け持たない研究室――に見習いとして所属させていただく期間のことです。わたしの所属させていただいた研究室は、抗がん剤の治療効果を高めるべく研究を行っているところでした。抗がん剤が効いたり効かなかったり、副作用が出たり出なかったりという個人差を、服用する前に予測できるシステムを確立することを目指しています。

研究室における作業の内容は、わたしが前の大学で所属していた研究室とよく似ていました。あぁそういえばこんな生活をしていたのだと、思い出しました。そして、わたしはやっぱり、研究の道へは進まないだろうなと、再確認しました。居心地が悪かったわけではありません。ただ、「新しいものを自分が見いだすことを第一の目的として」努力する性質の人間ではないのだろうなと、思うのです。日々の実践とその中での出会いや小さな工夫に喜びを見いだすほうが、きっと性に合っているのでしょう。

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教えてくださった先生は、母より少し若いくらいの女性で、子どもを二人持ちながら、仕事と家庭を見事に両立させておられました。わたしが選ぼうと思っている人生コースとは少し異なるコースを歩んでこられていますけれど、それでも、立派に両立している先人がいるのだと身近に感じる体験は、大きな希望を与えてくれました。収穫だったと、思っています。

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040513 わからなくても、いいのかもよ。

絵の先生の開いた個展に行ってきました。画廊の1階と2階に、B5くらいの小さな絵がずらりと並べられていました。

どのくらいの時間で描いたと思う、と先生に聞かれたので、5年くらいですか、と答えたら、5ヶ月だと返ってきました。170枚を5ヶ月で。何枚も同時進行で、描くのだそうです。

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よく見て、たくさんのことを吸収して帰りなさいと言われて、ハイとうなずきました。しかし、正直なところ、それらの絵のどこがいいのか、わたしにはよくわかりませんでした。これは面白くないから出さないんだ、と倉庫の中に入れられていたカサブランカの、実物に忠実とおぼしき絵のほうが、よっぽど「よい」絵に思えてしかたありませんでした。

「見た人が、これはなんだろうと、いろいろ想像を働かせる余地があるから面白い」先生はおっしゃいます。わたしには、面白いとは思えませんでした。白状すると、絵の教室で、先生やほかの生徒さんたちが、「これは面白い」と騒いでいるとき、わたしにはその10%もわかっていません。曖昧に笑ってはいますけれども。

こういうことがあると「ひょっとして才能とか美的感覚とかに欠陥があるのではなかろうか」と、かすかに不安がよぎります。わかったでしょう、と、自分を説き伏せようという誘惑が起こります。しかし、実際に口にするかどうかはともかくとして、わからないという感覚を、安易には手放さずにおこうと、思い直しました。それもわたしの感覚の、一つのあり方なのでしょうから。

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040514 「指先の花」を、読んでみました。

「指先の花―映画『世界の中心で、愛をさけぶ』律子の物語」を、本屋で立ち読みしてきました。新聞広告に出ていて、ひどく気になっていたのです。何が気になったのかというと、この小説が、『世界の中心で、愛をさけぶ』で恋人を亡くした朔太郎の、後の恋人、律子の視点で語られていること、です。

わたしが律子の立場だったら非常に憂鬱だろうと、思ったのでした。自分の恋人に、高校時代に彼女がいて、その彼女と永遠を誓っていて、その思いを残したまま、彼女が死んでしまった。「片方が死んでしまうことによって完成されてしまった永遠」なんてものに、対抗できる自信はありません。高校時代の話だからなおさらしんどい、と思うのは、わたしが高校時代に、過剰なあこがれを抱いているせいでしょうか。でも、だからといって、相手をあきらめることも、できそうにはありません。「今目の前にいるのはわたしなんだから」というのが、正しい態度かなとは、思うのですけれど。

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読んでみました。「それならわたしでも納得できる!」という解決では、ありませんでした。どういう解決なら納得するのか。自分で考えろということのなのかもしれません。

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040515 病人気分。

最近、ちょっと体調を崩しまして、病院に通っています。一朝一夕にどうにかなる、というものでもないようで、ほぼ定期の通院と相成りました。

はっきり言って、ずいぶん軽いもので、しかも、しばらくすれば完治することが予測されるものなのですけれど、それでも、いつ治るんだろうか、ほんとに治るんだろうか、このままだったらどうしようと、心配してしまうものなのですね。不調自体が不便だというのはもちろんなのですけれど、そういう心配も、ずいぶんしんどいものだと、あらためて気づきました。

医者になってしまう前に気づけてよかった、です。

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