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◆2004年3月の日記◆

040305 近況報告。

更新が滞りがちになっておりますが元気にしております。Nokoです。

月曜日から水曜日にかけて、開業医の先生のところで実習させていただきました。「あとで教科書を見ておこうメモ」がぜんぜん片付いていないのに、土曜の晩には、少し遠くの病院まで、泊まりがけの実習に出発です。

当初の予定では、もう少し余裕があるはずだったのですけれど、その見通しは、ちょっと甘かったようです。そのうえ、春眠暁を覚えずということなのか、眠くて眠くて、ちょっとの暇を見つけては布団にもぐり込んで寝てしまう、あるいは少なくとも、寝てしまいたいと切実に願う、そんな状況です。

というわけで明日の夜から1週間ほど留守にします。帰ってくるのは、14日の日曜日の予定です。ではそのときまで、ごきげんよう。

040314 (たぶん理想の)地域医療。

一週間、少し遠くのとある病院で実習させていただいてきました。山間部にある、農村医療を旗印に掲げた病院です。

システムとして、うまいな、と思いました。本院があって、分院があって、そのまわりに診療所があります。本院では高度先進医療が可能です。分院は、手術などはできませんけれども、たいていの検査・投薬は行うことができます。診療所の設備は、いわゆる「町のお医者さん」の設備とほとんど変わりません。基本的には、日頃診療所に通って、何かあれば分院・本院へ、ということになります。通えない人のところには、医師が往診を行います。本院・分院・診療所の連携は非常によいです。、ほとんどが本院出身の医師であるから、というのが一つの理由でしょう。介護系の施設との連携もきちんとしています。本院に入院した患者さんが退院しても、自分の住んでいるところできちんとしたケアを受けることが可能です。

わたしが泊まっていたのは分院でした。家と、店が数軒のほかには、ほとんど何もないところでした。診療所がある村に至っては、店すらほとんどないところがありました。診療所の看板には、「僻地診療所」とはっきり書かれていました。そういう周辺状況を考慮したとき、この病院の行っている地域医療というのは、与えられた状況の中ではかなり最善に近いのではないかと思います。

あぁ、これならやっていけるよなぁ、と、病院の今を眺めるわたしは感慨を持つわけですけれど、その「やっていける」システムが今ここにある、その陰には、50年だか60年だかの歴史があったわけですよね。ここまでのものを、作り上げてきた歴史があって、それを支えてきた人たちが、今も現役で働いているというのは、すごいことなんだと、なんだか素直に感心して帰ってきました。

040315 わたしが医者を志した理由。

わたしは子どものころから『科学者』になりたいと思っていました。その希望に従い、理学部生物系に入学、学部4年間に加え、大学院で半年過ごしました。学生生活前半は部活に明け暮れ、中盤からそれにバイトが加わり、ちゃんと勉強したと言えるのは最後の1年半だけでした。

おそらく、少なくとも外側から見れば、順調な学生生活だったのだと思います。しかし、大学院一年生の夏休み、医学部再受験を決意しました。そのときはちょうど、論文を書き終えた直後でした。自分へのごほうびとして設定した、2週間にわたる北海道一人旅の最中に、心を決めた記憶があります。

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そうやって決意した背景には、13歳から17歳にかけて、拒食症にかかっていた、という事情があります。

当時はそういう病気が、少なくともわたしの住んでいるような地方都市ではあまり知られておらず、それゆえに治療も遅れましたし、両親など周囲の理解も得られませんでしたし、何より、自分自身が、状況を把握することができず、病状をいたずらに悪化させることになりました。両親をはじめとする周囲の人々を、必要以上に苦しめることにもなりました。

わたし自身、自分が病気だと思っていませんでしたし、周りもおそらく、病気だとは思っていませんでした。「病気ではなく、単なるわがまま」という認識に、ずいぶん追いつめられました。追いつめたのも追いつめられたのも、わたし自身でもあり、周囲でもあります。

結局、いくつかの幸運な偶然とわたし自身の成長によって、長い時間をかけて、拒食症自体はおそらく完治しました。その過程の中で、直接/間接に、多くの人に助けてもらいました。しかしそれでも、「ほかにやりようはあっただろうに」という思いは、今もわたしの中に残っています。

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「そうか、以前のわたしは病気だったんだ」ということに気づいたのは、大学(理学部)に入って初めての夏休みでした。きっかけは、図書館でふと手に取った本でした。本の題名も表紙も忘れましたけれど、そのとき見回した図書館の床と壁、本棚、そして自分の立っていた位置を、静止画像として鮮明に、今でも思い浮かべることができます。

「もっと早く気づいていればなあ、誰か気づいてくれていればなあ」「せめて誰か、わたしの話にちゃんと耳を傾けてくれていたらなあ」そんなことを考えるうちに、そういう、「病気だとわかってもらいにくい、でもしんどい病気」にかかってしまった人の支援ができる仕事っていいなあと思うようになっていました。

はじめは、教育学部へ転部して、臨床心理士になろうと思いました。しかし、あるとき、関係妄想らしき症状にとりつかれた際、大学の保健管理センターへ相談に行き、そこで薬、おそらくは軽い精神安定剤を処方されて劇的に症状が改善した経験をきっかけに、「薬は処方できるに越したことはない」と、医者を目指すことに決めました。ちなみに、そのときわたしを診察してくださった神経科のドクターには、患者として2度お目にかかっただけなのですけれど、それでもわたしは、「あのような医者になりたいものだ」と、今でも思っています。メモを取りながらゆったりと話を聴いてくれるその姿勢が、とても安心できるものだったのです。

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さて、こうして心を決めていったわけなのですけれど、いろいろ忙しかったのと、「研究者」に対するあこがれが捨てきれなかったのと両方で、結局大学院1年目の半ばまで、理学部に在籍していました。

学部4年/大学院1年のときに所属していた研究室は、これ以上望めないというほど、人間関係・設備・資金、すべての点で恵まれたところでした。とくに教授および直接お世話になった先輩2人のことは、今でも、出会えてラッキーだったと思っています。

そういう恵まれた環境の中で「研究者としての生活」の一部始終を、見るだけでなく自分でやってみて、「ここで『出ていってもいい』と思うなら、場所を変えたって同じだ」と納得したから、踏ん切りがついたというところもあったのでしょう。

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医学部に来た当初は、「心の問題だし」というわけで、精神科志望でした。しかし今は、精神科にそもそも来ない、来ようと思いつきもしない人のサポートのほうがわたしの希望に近いのではないかと思い、精神科志望からは少し離れつつあります。今は、内科がいいかな、と思っています。

再受験を後悔したことは、幸いなことに、今のところありません。しかし、ともすれば、診断技術や治療技術といった、成果のわかりやすい分野に引き寄せられてしまうので、もう少し、成果のわかりにくくてでも大事なことに、気を配れるようでありたいと思っています。まずは、人の語ることをしみじみと聴けるように。これは日頃から、ですね。

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040316 たぶん嫌いでかまわない。

誰かのことが嫌いだと、気づいてしまうことがあります。どきっとして、そんなことないよ、だってね、と、打ち消そうとします。だってだって、いいところがあんなにいっぱいある人で、尊敬もしてるつもりで、わたしが気に食わないだなんて思ってるのはまったくもって私怨に過ぎなくて、嫉妬とかもあるかもしれなくて、それって不当な感情で、などなど、いろいろと理由を持ち出して、嫌いだという感情を、意識の外に追いやろうとします。嫌いなんかじゃないんだ、と、自分を説得しようとします。

でも、別に、嫌いだってかまわないんだなあと、ふと思いました。嫌い、という感情を基盤にした行動には、気をつける必要があるのでしょうけれど、でも、だからといって、無理して好きだと思いこまなくてもいい。まあ、いいところもあるのはよくわかってるけど、嫌いなら嫌いでいいや、仕方ないよね、と認めたら、なんだかとても、楽になりました。

気が変わることは、あるかもしれません。いずれ好きになるかもしれません。ならないかもしれません。でも今、無理に自分に言い聞かせる必要はないのでしょう。そこから、はじめてみます。

人を愛するって申しましても、そうそう心から愛せるときばかりじゃございません。そんなときでもまず、態度だけはその方のためになるように優しくいたします。そこから始まるのです。
(曽野綾子、「誰のために愛するか」)

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040317 対話の効用。

書くことで思い出す/思いつくことはたくさんあります。書くことは、考えるための非常に強力な道具であると思っています。

でも、あるとき電話で話していて、話すことで得られるインスピレーションも、捨てたもんじゃないと気づきました。話している相手から受ける影響はもちろんあるのですけれど、それだけじゃありません。相手にになんとかして伝えようとするその切実さが、何かを産む、あるいは自分の中から何かを引きずり出すのだろうと、思っています。

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040319 国試委員の仕事。

3月20日から3日間、医師国家試験が行われます。 各大学には、4年生と5年生が、受験生である6年生・浪人生をサポートする、国家試験対策委員会というシステムが存在します。

多くの大学では、受験生と同じホテルに泊まり込んで各種の世話を行うようですけれど、わたしの大学が存在する街は、国家試験の受験会場になっているため、受験生はホテルに泊まりません。よって、国家試験対策委員会の仕事も、限られたものになります。

その限られた仕事の一つが、国家試験の前日に行われる、予備校の直前講座で話された情報を、受験生一人一人に届けることです。予備校の直前講座は、主なもので2種類かあります。本物は東京で行われ、ほかの街ではビデオ講座が開催されます。今年は、うちの大学の受験生はみな、片方の講座を受けたそうですので、他方の講座の情報を、流すことになります。受験生は自宅にいますから、情報伝達手段はメールです。東京の、国試対策委員全国本部みたいなものからファックスで送られてくる情報をパソコンに打ち込んで、メーリングリストに流すのです。片方の講座だけでも、テキストが100ページ以上あり、いくら、本部が示してくれているポイントだけ拾って打ち込むとはいえ、かなりの手間を要します。

こうやって打ち込んだ情報を見る人は少ない、と聞きました。

そのうえ、東京から送られてくる情報を受信するには、時間もお金もかかります。ファックスだからこそのトラブルも多発します。講座はこの街でも、ビデオながら受講できるのですから、誰か、5年生なり6年生なりがノートをきちんと取ってきて、それを回せば早いのかなとふと思い、先輩にその旨尋ねてみました。

答えは――みんな同じ情報、っていう安心感が、大事なんだよ、とのことでした。なるほどそういうことでしたか、それならばと、うなずきました。『同じ情報』の安心感というものを無碍に否定できないくらいには、受験生というものはデリケートな存在なのだ、ということなのでしょう。

全国の受験生のみなさまがた、幸運をお祈りいたしております。

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040320 浮上しました。

外出はおっくうなままで、また、過眠傾向も続いていますけれど、それでも、気分自体はずいぶんと明るくなりました。

自分自身の捉え方の、ある一面において、自分が間違っていたということに深く納得したのです。持っていないものに向けている注意のほんの一部でも、持っているものに向ければ、それでよかったのでですね。それでよかったというのは言いすぎかもしれませんけれど、でも。

そんなことは何度も言われましたし、読みましたし、口にすることだってできました。そういう意味で、知ってはいたのです。それにもかかわらず、あらためて気づく必要がありました。

気づいた瞬間に、いろいろなことが全部つながって、それこそオセロの黒が白、白が黒にぱたぱたとひっくり返るように、たくさんのことが明らかになりました。正しい過ごし方ができなかった時間を想ってヒステリーを起こしてじたばたするだろうと思いきや、そんなことは全然なくて、そうかそうだったのかと、妙にすがすがしく感じさえしました。落ち着いている自分自身をいぶかしく思うほどでした。何も増えてはいないはずなのに、何かが決定的に違うと確信しています。ほんとうのことというものは、そのくらいの力を持つものなのかもしれません。

夜明け前の闇がいちばん深かった、そんな安心したようなことを言っていたら明日あたり反動でまた落ち込んでしまうかもしれないと、少しばかり身構えつつも、それでもやっぱり、浮上しましたと、ここに報告いたします。

心配してくださった方々、どうもありがとうございました。

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040322 歳をとること。

3ヶ月ぶりに病院に行ってきました。ここの先生は女性で、わたしが中学生のころから時々お世話になっています。母より5つ程度、年上のはずです。叔父の、高校時代の同級生であったと、聞いたことがあります。

元気、と聞かれて、いえ、ちょっと・・・と、最近の状況を話しました。わたしもそういう時期があったのを覚えているわ、しんどいときには、お薬に頼るのもいいものよ、と、笑いかけてくださいました。

少し弱っているからか、どうなのか、なんだかその笑顔でふっと気がゆるんでしまったわたしは、こういう笑顔ができるなら、歳をとることだってきっと悪くはないと、思ったのでした。

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040327 博多でオフ会。

去る3月27日土曜日、博多でオフ会が行われました。

と、人ごとのように書いていますが、わたしもそこに参加しておりました。メンバーは、「いやしのつえ」のじっぽ先生、「えむじょSTATION」のあねごさん、「ちりんの部屋」のちりんさん、そしてわたしでした。わたしは、ちりんさんとは面識があり、じっぽ先生、あねごさんとは初対面でした。

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宿泊先のホテルにチェックインして、あねごさん、ちりんさん、わたしはホテルの廊下で一堂に会しました。このときが、あねごさんとの初対面でした。彼女の写真は、サイトで比較的多く目にしますので、顔は知っていました。いいなーすらっとしてるなー、きっぱりした声と顔立ちだなー、というのが第一印象でした。気配りの人だと噂には聞いていたのですけれど、確かに、噂に違わず。ちなみにそのときのわたしは、かなり挙動不審だったかもしれないことをここで白状しておきます。人見知りなのです。

この3人で、博多の一風堂というラーメン屋にお昼ご飯を食べに行きました。あねごさんは連日の過密スケジュールでややお疲れとのことでしたが、お疲れでないはずのわたしよりずっとエネルギーに満ちあふれていて、話題を見つけては、わたしにもちゃんと話を振ってくださって、おかげで「何を話したらいいんだろう」というとまどいはほとんど感じることなく過ごすことができました。ちりんさんが替え玉を平らげるさまは、芸といってよいものがあったと思われます。

その後某公園を花見と称して歩き回り、その合間をみてじっぽ先生に、「いきなりですが、一つ質問があります。あ、ガンダム い、ウルトラマン う、ドラえもん どれが一番好きですか。記号でお答えください。ちりんさんからの伝言でした」という、携帯初メールにしては、というより初メールであろうとなかろうと失礼極まりないメールを送信しました。わたしだったら黙殺しかねませんけれど、じっぽ先生は、「遅くなったけど、『う』」と、かなり早いタイミングで返信を送ってくださいました。このメールの話は、あとでまた出てきます。

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歩き疲れたのでホテルに戻って、じっぽ先生の登場を待つ、と称して寝ておりました。じっぽ先生着いたって、というちりんさんからのメールで、あわてて身支度を調えてロビーに降りました。途中で、コート姿の紳士一名とすれ違い、ひょっとして、と思ったのですけれど、この時点では確信が持てず、まさか間違っていたら「じっぽ先生ですか?」だなんてダメージが大きすぎるのでしれっと通り過ぎ、ようとして、そういえばわたしがじっぽ先生と一人で対面したら、お互い顔を知らないわけで永遠に気づくことができないということに思い至り、あねごさんとちりんさんを呼んで一緒に行ってもらうことにしました。下に降りると先ほどの男性がいました。「あの紳士は、やっぱりじっぽ先生だったのか!」と、わたしは一人で納得しておりました。

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「君たち、昼はラーメンだったそうだから、そんなにおなかはすいてないよね?だったら、お酒が飲めてゆっくりできるところがいいのかな」店は、じっぽ先生があらかじめ探していてくださったのでした。「じゃ、行こうか」とコートを翻してすたすたと・・・

「じゃ、ここで」連れて行かれたのは、店内に中庭があって桜の花が1メートルくらいの高さで生けてあるようなそんなおしゃれなバーでした。すごーい、と、仰角45度で周りを見回してしまいました。

案内されたのは一番奥のテーブルでした。一応お互い、本名はわかっていたのですけれど、結局ハンドルネームで呼び合っておりました。話の内容はやはり、サイト運営についてでした。運営上の苦労だとか、サイト作成の自分にとっての意義だとか、サイトの歴史だとか。わたしやあねごさんは、サイトの存在を周囲に比較的オープンにしているわけですけれども、それでも、運営上の苦労など立ち入った話を、サイト運営を行っていない人に話したところでなかなかわかってもらえないところがあるのです。

じっぽ先生は非常に穏やかな話し方をなさいます。そして、周りに対する気配りにたいへん長けている方です。あねごさんも気配りの人なのですけれど、少しベクトルが異なるようです。じっぽ先生のほうがもう少し、裏方に回ろうとする傾向が強い感じでしょうか。「いやしのつえ」が読んでいて居心地のいいサイトなのは、じっぽ先生のこの人柄があってこそなのかもしれません。「洗練されている」という形容がしっくりくるようにも思います。気配りの仕方も、言葉の端々も。

じっぽ先生はずいぶん緊張なさっていたと聞きました。そうとは気づかなかったのですけれど。

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Nokoさんはもっとクールでアンニュイな人かと思ったと、じっぽ先生・あねごさんに盛んに言われました。サイトのイメージはそうなのでしょうか。5年くらい前までは、クールでアンニュイな人柄を演出しようと一生懸命になっていて、何を無駄なことをと周囲の人たちに笑われていたわたしです。今更ながら、その野望はかなってしまっていたようでした。

その、「クールでアンニュイ」のはずのわたしの過去のサイトがこちらにあります。『昔は恥ずかしいサイトを平気で公開していたものだよね」という話で盛り上がったので、記念に公開しておきます。そんな時代もありました。2年くらい前に一度公開したことがありますので、ひょっとしたら覚えている人があるかもしれません。昔は、音楽がなったり文字や絵が動いたり目がちらちらするような配色だったりするサイトが、今よりもっと広くはびこっていたのです。ちなみにあねごさん・じっぽ先生にも、『何であんなことをやっていたのだろうと苦笑しながら振り返ってしまうサイト上の過去』は存在するそうで、同類見つけたりと大変うれしかったのでした。ちなみにちりんさんにはそのような過去はないそうです。少々悔しゅうございます。

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気がついたら5時間経っていました。お開きにするにあたり記念写真を撮りました。ここで、上で書いた『ぶしつけなメール』が再登場します。ドラえもんのお面を、屋台で買ってあったのでした。じっぽ先生にドラえもんのお面をわたし、お面着用で記念撮影と相成りました。

ホテルに帰っておみやげ贈呈式を行い、寝て起きたらじっぽ先生はすでに出発なさったあとでした。残る3人は、昼ご飯を食べに街へ出て、パスタとピザをおなかいっぱい食べて、ホテル前で別れました。

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正直なところ、このオフ会に出るというのは、わたしにとってかなり大きな決意を要するできごとでした。人見知りだったり面倒くさがりだったり容姿に自信がなかったりサイトで培ったイメージが壊れるのが怖かったりと、理由は枚挙にいとまがありません。

容姿に自信はないままですし、サイトで培ったイメージは見事に壊れたようですけれど、初対面の人たちが相手とは思えないほど、たいへん楽しい時間を過ごすことができました。3人の気配りのおかげなのだろうと、感謝しております。

というわけでわたしからの報告はここまでです。他の3人から見たオフレポは以下を参照してください。

040329 ノートパソコン導入します。

ノートパソコンを、買うことにしました。ThinkPad X40 2371-15Jです。

なぜThinkpadかというと、某氏に洗脳されたからです。鈍器として使用できるほど丈夫で、コーヒーをこぼしても雨どいを伝って排出されて、キーボードが打ちやすく、1.5キロを切るB5ノートなら、買ってもいいかなと、決心しました。丈夫さが鍵です。壊れたら悲しいですから。

わたしが今座っているのは、居間に置いてあるデスクトップパソコンの前です。このパソコンは、わたしと両親、計3名の共用です。弟が帰省していると、計4名の共用となります。現在はこのパソコンで、母の、勉強用の英語CDが再生されつつあります。右斜め前50cmのスピーカーから英語を無視しつつ、でもときどき気を取られつつ、キーボードを打っているわけです。

そろそろ、ネットにつなぐことのできる、専用ノートパソコンを持ってもいいころだろうと、思いました。5年生となる4月からは、実習レポートなど、その場で書いてしまった方がいいものも多くなるでしょうから。微妙な空き時間にサイトの下書きをすることだって、できるかもしれません。

http://www.ccv.ne.jp/home/noko/olddiaries/0403.html#040329

040330 他人の不幸の上に成り立つ職業。

診療所実習に行ったら、こんな珍しい病気が見つかった患者さんがいたんだと、クラスメイトが、興奮気味に話しかけてきました。悪性疾患発見の場に立ち会えるなんて、たった二日間なのにラッキーだったよ、というわけです。それはラッキーだったねと返しながら、正直なところ、いいなぁと、うらやましく思っていました。

救急に行けば、一分一秒を争うような緊急の症例が来ないかしらと期待してしまいます。外科に行けば、何時間もかかる、難易度の高い大手術を「当たり」として扱ってしまいます。

しかし、患者さんにとっては、ラッキーどころの話ではありません。当たり前です。

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医者になるには、一人一人の患者さんが抱える疾患に注目し、それを「症例」として経験することが不可欠です。そうやって経験を積まない限りいつまで経っても一人前にはなれません。他人の不幸の上に成り立つ職業です。それはわかっているのです。

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こないだ別のクラスメイトが、「いつの間にか医者側の立場や考え方に染まっているのに気づいた」とつぶやいていました。わたしもいつの間にか、染まってしまったようです。

参考→平凡な医学生の日常(3/26)

http://www.ccv.ne.jp/home/noko/olddiaries/0403.html#040330

040331 thinkpad届きました。

昨日注文を確定したthinkpadは、今日の午前中に届きました。午後に電気屋を3軒回って無線LANのルータとインナーケースとATOK17、フラッシュメモリを買いました。

帰ってきてから延々と設定を行い、何とか今は、居間のテーブルで、無線LANを利用してネットにつないでいます。メールも、lunascapeのお気に入りも移植しました。各種ソフトをダウンロードし、サイト更新と文書作成の用が足りるようにしました。

これまでは共有パソコンだったために、たとえばブラウザのデフォルトはIEから動かせないとか、日本語入力のデフォルトはIMEから動かせないとかいった不都合があったのですけれど、今からはわたし専用のパソコンですから、カスタマイズし放題です。最終兵器彼女の壁紙も、拾ってきました。

あとは明日、マウスが届くのを待つばかりです。thinkpad購入について、わたしを洗脳したちりん氏は、「トラックポインタのないパソコンは考えられない」と、トラックポインタの活用を推奨しておられますけれど、デスクトップ生活が優に5年を超えるわたしには、マウスのないパソコンは考えられないのです。

http://www.ccv.ne.jp/home/noko/olddiaries/0403.html#040331


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