淡々としていなくもない日常。>日記・雑記目次 >2003年12月の日記

◆2003年12月の日記◆

031201 「気をつけているから大丈夫」はむしろ危ない。

公衆衛生学での話です。

乳児の誤飲事故を防ごうということで、とある自治体で、生後3ヶ月の子どもがいる家庭に、誤飲チェッカーなるものを配った、という話がありました。配っただけでは心配だ、ということで、後日、使っているかどうかの調査が行われたということでした。

調査の第一問は、「誤飲チェッカーをもらったことをおぼえていますか」です。ここで「いいえ」と答えたら、別室に連れて行かれて、お説教をされた上で新しい誤飲チェッカーがもらえたりするのだそうです。 誤飲チェッカーの効果が一番期待できないのが、「誤飲チェッカーをもらったことすらおぼえてない母親のいる家庭」であるというのは確実でしょう。

では2番目に危ないのはどういう家庭かというと、誤飲チェッカーの存在は覚えているけど使っていない家庭のうち、「気をつけているから大丈夫」と答えた家庭なのだそうです。使い方がわからないなら教えればいいし、忙しくても時間ができたときにチェックしてもらえばそれで解決です。でも、「気をつけているから大丈夫」という家庭は、指導が少し難しいと、その先生はおっしゃっていました。

「気をつけているなら大丈夫だろう、と思うでしょう。でもね、気をつけなくても大丈夫なように対策をたてるのが、危機管理ということなんですよ。たいていの家庭では、赤ちゃんに対して気をつけてはいるんです。でも、気をつけているにもかかわらず、誤飲などの事故が起こってしまう。ですから、気をつけているから大丈夫なんてことは全然ないんです」

いろいろな場面において、ことが起こるたびに、「気をつけないからいけないんだよ」「キミの注意力不足だ」などなど、原因を個人の注意力に帰結させることはしばしばあります。でも、危機管理というのは、「特に気をつけなくても」事故が起こらないようにする事を指すのですね。たぶん医療事故防止対策にも通じる考え方、なのでしょう。

031202 そのメールは実は。

メールは便利です。遠くてもすぐに届きますし、文字情報なだけに電話などの音声情報よりも、情報が細部まで確実に伝わることが多いです。送る前に読み返すことができます。常時接続なら、送信のたびに料金を支払う必要はありません。携帯メールなどで、一通あたりの料金を支払うにしても、画像でも添付しない限り、その金額は微々たるものです。

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さて、先日、@desu.ne.jpメールのアドレスを取得しました。転送アドレスとして利用しています。携帯に送るメールを@desu.ne.jpに送ってもらい、@desu.ne.jpからパソコンと携帯に転送する設定にしたのです。こうすれば、携帯に送られるメールを、パソコンでも受け取ることができます。また、一部のプロバイダからわたしの携帯にメールを送ろうとするとうまくいかないというエラーが報告されていたのですが、そのエラーも、避けることができます。

ところがこの@desu.ne.jp、時々遅配を起こすのです。最長で24時間遅れたことがあります。状況説明のメールが一通届かなくてでもほかのメールが届いていただけにまさかそのメールだけがピンポイントで届いていないとは双方夢にも思わずそのために会話がちぐはぐになったとか、突然意味の分からないメールが来て日付を確認したら昨日の日付だったとか、朝の集まりのための連絡が昼過ぎに届くとか、何通メールを送っても反応がないとすねていたら実は即座に返信してくれていて向こうも返事が来ないと気をもんでいたとか、様々なトラブルを、経験してきました。

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相手の送ったメールが確実に自分に届いている、自分の送ったメールが確実に相手に届いている、そう思いこむからいけないのだな、とは思うのです。でも、たとえば返事が来ないとき、「うん、きっとメールの調子が悪くて、どこかで不通になっているんだよ」とはなかなか思いづらいものがあります。そう思ってしかるべきなときに限ってそうは思えなくて、余分なストレスをためこんでしまいます。まったくもって余分です。

こないだテレビでやっていたアニメ名場面集で、クレヨンしんちゃんが自分の出した手紙が届くかどうか心配で結局届けられるまで郵便屋さんについていくという場面が放映されていたのを思い出しました。全てのメールに開封確認を要求していた知人もいました。

まさか一通一通確認するわけには、いかないのですけれどもね。

031203 こまごまとしたことに。

テストが近かったり実習でリーダー役をいつのまにか務めていたりして、何かとストレスの多い今日このごろです。ストレスがかかっているというよりは自らため込んでいるというほうが適切なのでしょうけれど、とにかくストレスを感じてはいるのです。

なんだか楽しみがないなあと思ったので、学校から帰ってカバンを置いて母親に近所のスーパーのポイントカードを借りて、「紗々」を買ってきました。たった一箱買って193円払って、「シールでいいですか」と聞かれて「はい」と答えたら、袋をもらわなかったということでエコポイントとかいうものが加算されていました。

今年はずっと探していたのに見かけていなかったので、見つかってよかった、と、ちょっと幸せな気分になりました。夕ご飯のあとに3枚食べてやっぱり買ってきてよかった、ともう一回幸せです。まだまだ何枚も残っています。

こんな簡単なことで幸せだなあとか思えるうちはきっと大丈夫なんでしょうね。いろいろと。

031204 自業自得。

衛生学実習でとったアンケートを集計するための、パソコン仕事に追われています。集計のための関数づくりです。「わたしがやった方が早いから」と、引き受けたのが原因です。わかってます。

昨日グループが解散してから取り組んでいたのですが、4時間やって終わらず、バイトのためにパソコン室を離れました。家のパソコンに、添付ファイルで送ったのですがマイクロソフト社の製品同士なのに開くことができなくて、帰宅後作業という計画はついえました。朝7時からパソコン室が開いているはずだと思って学校に行ったのですが9時からのまちがいでした。

現在8時です。今日は9時30分からグループが集合なので、それまで作業をして、集まりに出て謝ってパソコン室に戻って、作業を続けさせてもらうことします。調子に乗ってアンケートの項目数を多くしすぎたために、今集まっている60通のアンケートを集計しないと、今後の集計予定が立たないのです。

がんばります。わたしはまだまだ、だいじょうぶです。

031205 ものを作る。

毎日衛生学の話をしていますね。ほかに書くことのない地味な生活なのです。許してください。

というわけで今日も一日衛生学実習でした。朝9時から晩の6時までみっちり作業をしてその後絵に行き、雨の中帰ってきました。

昨日から今日にかけて、すでに集まった60人分のアンケートを集計していました。さんざん苦労して終わったあとに先生と話をしていたら、データの集計の、もっと簡単な方法を教えてもらってしまいました。なんで気づかなかったんだろうと、ちょっと悔しいですけれども、そんなことを言っていても始まらないので、次回からはその簡単な方法を採用することにします。おかげで、集計に要する手間が、予想の3分の2くらいですみそうです。ただし、入力の手間は変わりません。ぎっしり8ページのアンケートx1000人分。集計も含めて期限は12月22日。17日は衛生学・公衆衛生学のテスト。先のことを考えるのはやめにしましょう。

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まあ、それでも。一緒のグループの人たちはわたしの期待した以上にとてもよくやってくれています。苦手な外交業務はほとんど免除してもらっています。集まったデータを集計してみたらそれなりに考察しがいのある結果が出ていました。なんとかなるかな、と、今のところは思ったりしているのです。

協力して一つのものを作るという作業は、たいへんだけど、確かに楽しいものですね。

「○○先生が授業でアンケートとらせてくれるって」「印刷やっといたよ」「できたからメールで送っといたよ」「解析終了!」「けっこう有意差出てるじゃん」「じゃあ、ホワイトボードに書いとくよ」何かができたときに、報告しあえる相手がいるってのも、いいものです。

来週以降、アンケートが本格的に集まりはじめます。正念場です。

031206 ひさしぶりにチャゲアスなど。

ここ一週間、チャゲアスの「涙・BOY」の一節が思い出されて仕方ありませんでした。ここしばらく音楽を聴くような生活から遠ざかっていたのですけれど、とうとう、「Standing Ovation」のCDを、本棚から引っ張り出してきました。パソコンで聴いています。

いいのは、「涙・BOY」だけではないですね。「MOONLIGHT BLUES」も、「終章(エピローグ)」もいい。この3曲をエンドレスリピートで、しばらく聴き続けそうな感じです。

実は3曲とも少し切ない歌で、感情移入してしまって、なんだか泣きそうになっています。ついでだから泣いてしまえばいいのかもしれません。なんの損得もなく泣くというのも、すっきりできていいかもしれませんね。

031207 人権週間、ですか。

12月4日から12月10日は人権週間なのだそうです。テレビでは、「人権週間です。人権は大事です。人権を守りましょう。」という旨のメッセージが、CMとして頻繁に流されています。

人権を守りましょうというのは正しいことだと思うのです。しかし、「人権を守りましょう」と「啓発」すれば、人権が守られるようになるのでしょうか?日々人権を侵害している人は、「人権を守りましょう」のメッセージにはっと気がつき、「そうだ、人権を守らなきゃ」なんて改心したりするのでしょうか。

スローガンとして唱えねばならない、というのは理解できるのです。どうなんでしょうね、何かしらの効果をねらった宣伝なのでしょうか。

031208 イラクにおける日本人外交官殺害報道に対する違和感。

イラクで殺害された日本人外交官2名のニュースが、連日流れています。予期せぬ殉職への同情・哀惜を差し引くとしても、優秀な方々だったみたいですし、「人道」という意味でも、日本が誇るに足るような外交官であったと思われます。「国家的損失」というのは、あながち誇張でもないのでしょう。そして、夫あるいは父、息子を、突然失ったご家族の気持ちというのは、推し量ることしかできませんけれど、きっととてもつらいものだと思います。

ただ、こうやって11月29日から今日12月8日まで連日トップで報道されるというのは、なんだかやたらと扱いが大きいなあと、ちょっと違和感を感じています。日本とイラクのために働いていて殺されたのだからこのくらいの扱いは当然、なのでしょうか。たぶん、わたしたちの知らないところでは、今この瞬間にも、国家・社会にとって損失といえるような突然の死が、そこかしこで起こっているのだと思うのですけれど。

遺体との対面だとか告別式だとかの様子に続くのは「彼らの死を無駄にしないために云々」のコメントです。死を悼むというのはきっと当然の、それこそ誰も非難できないたぐいの感情・行動なのでしょうけれど、こうも続くと、「彼らの死を無駄にしないために、だからこっちの方向へ行こうじゃないか」の扇動に使われているのではないかと勘ぐってしまいます。わたしは、考えすぎているのでしょうか。

031209 ああ、そうだったんだ。

悲しかったりさみしかったりいらいらしてたり怒ってたりねたんでいたり、各種マイナスの感情に気持ちの大きな部分が支配されているときには、そうでないときには特に気をつけなくても見えるはずのものが、見えなくなってしまうものなのですね。マイナスの感情を持っているときにはむしろ、そのマイナスの感情の原因と思われるところに気持ちを集中させているのだから、普段より多くのものが見えてきてもよさそうなものなのですけれども、なかなかそうはいかないものです。とくに、被害者気分のときには、自分が実は誰かに対して加害者になっているだなんて、たとえ想像しようと試してみることを思いついたとしても、うまく想像することができません。「こんなにいっぱい考えてみても、やっぱりわたしは被害者だわ」とかなんとか、よけいに腹を立てたりして。

感情を害している旨わかってもらおうと、文句を言ったり殻に閉じこもったり怒鳴ってみたり。そうこうしているうちに相手との距離はさらに広がります。たいてい、そもそものきっかけは些細なことなのですけれども、いつの間にかことが大きくなってしまって、意地を張らざるを得なくなってしまいます。

少し落ち着いたら、度の強すぎる眼鏡を外した時みたいに、世界がまっすぐ見えるようになりました。手をさしのべてもらえたのは、とてもよかった、です。

031211 C型肝炎流行の謎。

最近、C型肝炎の話題が各種メディアにしばしば登場します。C型肝炎というのは肝臓のウイルス感染症です。自覚症状はないのですが、放置すると肝臓の働きが悪くなって元に戻らなくなる肝硬変や、肝がんの原因となってしまいます。

C型肝炎は、注射の回しうちや、針刺し事故、輸血などで感染します。ただし現在は、輸血用血液はかなり厳重な検査をくぐっているので輸血による感染はほとんどゼロとのことです。

さてこのC型肝炎、現在60代以上の方々に非常に多いことが知られています。だいたい、20人に1人くらいです。60代以上の人たちにC型肝炎が多いせいで、日本は世界で有数の肝がん多発国となっています。それに対して、今の20代や30代には、C型肝炎はほとんどみられません。1000人に1人、いるかいないかくらいです。新たな感染は、ほとんど起こっていません。

ということは、現在60歳以上の人たちはどこでC型肝炎ウイルスに感染したのでしょうか。そもそもの原因は戦後の闇市です、と、先日の衛生学講義で耳にしました。

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戦後、旧日本軍は、戦争中に使っていた覚醒剤、つまりヒロポンを大量に闇市に流しました。戦争が終わったら覚醒剤の使い道がなくなったからです。当時は錠剤として合法的に売買され、15歳〜25歳の人口の5%もの人々が、覚醒剤を服用していたといいます。

この覚醒剤は多くの場合、仕事や勉強のため徹夜する人によって「覚醒」のために用いられていました。この時点では合法であり、注射ではなく錠剤です。

しかし多くの人が服用するようになるとやはり一部の人は依存症にかかります。危機感を覚えた政府は、覚醒剤取締法を制定して、覚醒剤を非合法としました。

非合法となった覚醒剤は値段が上がりました。値段が上がると少ない量で高い効果を得られる、注射が広まることになりました。注射の回しうちによってC型肝炎は、覚醒剤常用者の間で大流行しました。

さて当時は、今のような献血制度がなく、輸血用血液は、お金と引き替えに血を売る行為=売血でまかなわれていました。売血は手っ取り早いお金儲けの手段です。覚醒剤の回しうちでC型肝炎にかかった人の多くが、売血行為に手を染めました。ちなみに、頻繁に血を抜くと血が薄まって売ろうとしても売れない血になってしまうのですが、それを防ぐために売血常習者は鉄分を注射したそうで、その鉄分注射の回しうちによっても、肝炎が蔓延した可能性があるのだそうです。

こうして、C型肝炎ウイルスを含む輸血用血液によって、非合法活動にまったく手を染めていない人にも感染が広がることになりました。当時は今と違って、血液を介してうつる病気に対する危機意識が低い時代でしたから、消毒不十分などの理由により、医療行為を介してC型肝炎が感染する可能性も十分にあったことでしょう。ますます、いわゆる「普通の人」に、C型肝炎が広がりました。

ちなみに現在、C型肝炎が特に多い地域は、いわゆる「仁義なき戦いの本部」のたぐいが置かれている地域とほぼ一致するのだそうです。ただし、C型肝炎にかかっているからそういう関係者だという図式は、まったく成り立ちません。念のため。

今の時代は、輸血用血液はかなり厳重なスクリーニングを通っていますし、医療行為もずいぶん気をつけてなされるようになりましたから、C型肝炎に新たにかかる人はほとんどいません。ただし、現在でも、注射の回しうちやいれずみ、ピアスによって感染する人はいるそうです。

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現在は40歳以上の人を対象に、C型肝炎の検査が行われることになっています。一度受けて感染していないとわかればもう受ける必要はない検査です。感染していたとしても自覚症状がない場合が多いので、対象になっている人はできるだけ受けるのがよいと考えています。

C型肝炎にかかっていることがわかったとしても、インターフェロンなどで治療を行えば、初期のうちならウイルスを駆除できる可能性は十分にあります。ウイルスが駆除できなくても、各種治療により、肝硬変や肝がんの発症を防いだり少なくとも遅らせたりすることは可能です。

031212 ちょっと涙もろい。

このところ涙もろいです。

テレビや新聞、ネットなどで、ちょっといい話を見聞きするとすぐ涙が出そうになります。こないだ新聞広告に「まいど一号」という、東大阪の中小企業が集まって人工衛星を打ち上げるプロジェクトが載っていました。それを見てなぜか泣きそうになってしまいました。自分でも理由はよくわかりません。あぁ、がんばってるんだなあ、と思うと泣けてくるみたいです。 悲しい話への感情移入もいつになく容易になっています。たとえばチャゲアスの歌で、簡単に涙を浮かべてしまいます。

昨晩、とある日記を読んで涙が出てきたのでそういうことならと浅田次郎の「鉄道員」を手に取り「鉄道員」と「ラブレター」を布団の中で読んだら号泣してしまって、そのまま寝て起きたら奥二重のはずのまぶたが一重になっていました。

季節のせいなのか体調のせいなのかよくわかりません。マスカラでも塗っていない限り、たいして困ることはないのですけれども。

031213 検定と前提について。

衛生学実習がそろそろ佳境です。パソコン係のわたしは、連日学校のパソコンに向かいつづけで眼精疲労に悩んでいます。

実習でとったアンケートの内容は、うつ状態の自己評価テストと生活状況の調査です。生活状況の調査には、たとえば登校頻度だとか、部活の有無だとか、どこに住んでいるかとか、彼氏/彼女がいるのかどうかとか、自分は明るいと思うかどうかとか、そんな質問が含まれます。各種質問の回答とうつ状態自己評価テストの得点を比べ、うつ状態と関連の深い項目を挙げたい、というのが目的です。

うつ状態自己評価テストの得点別に各質問項目に対する回答を集計すると、関連がありそうな項目がいくつか挙がりました。次は、これが本当に関連があるのか、それともただの偶然である可能性の方が高いのかを、調べねばなりません。これを検定といいます。検定の方法は、なんだかいっぱいあります。そのどれかを使えばいいらしいです。

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統計方法の本を、図書館で借りてきました。統計の本にしては易しく書いてあるように見受けられたのですが、それでも読んでいるうちにわからなくてくらくらしてきて、数学、特に統計学に長けた人に助けを求めました。

アンケートの質問内容と回答様式、今のところのデータ分布を知らせたところ、こういうときにはこういう方法を使うんだよ、というかなり明快な答えが返ってきました。いくつか、今までわかりそうでわからなかったこともついでにたずねて、これまた明快な答えを得ました。頭のいい人に教えてもらうというのは、少なくとも教わる側にとっては時間と労力の大幅な節約になりますね。ちょっと視界が明るくなりました。

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しかし、「じゃあこれをエクセルで式作って処理するんだよね?」と確認したら「統計ソフトはないの?エクセルじゃ、冬休み中かかっても終わらないよ」と言われました。統計ソフトは各種事情により使えません。ふむ、それを最初に伝えておくべきだったんですね。申し訳ありません。わたしの中でエクセルを使うというのが揺るぎない前提だったのと同様に、その人の中でも統計ソフトを使うというのが揺るぎない前提だったのでしょう。

複雑な検定方法は面白そうなのでやってみたいのですけれど、発表の日は22日ですので冬休み中かけることはできません。エクセルでできる数少ない処理を使って、初歩的な検定だけ行うことにします。

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アンケート結果がそろってから結果を出すまでの猶予は、多く見積もって2日です。冬休み前の正念場っぽいです。がんばります。

031214 患者さんの希望にどこまで沿うのが正当なんだろう。

12月13日の、「じっぽ当直日誌・スーパーマイルド」を読んで、思い出したことがあります。

先日、友人の一人が学校に、医療倫理の本を持って現われました。「どうするのが最善か判断に迷うケース」とそれに対する考え方が書いてある本なのだそうです。ひとつケースを取り上げて、空きコマにディスカッションをしてみようじゃないか、という彼の提案を受け入れ、日頃の勉強会メンバーで集まって、一時間ほど討論してみました。

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ケースは、便秘と下痢を繰り返している中年の男性でした。ストレス性のものであることは、医者の目から見ると明らかであるという設定です。しかし、彼は自分が「ストレス性の」病気だなんて信じたくはありません。もっと重大な病気、つまり大腸癌かもしれないと心配でたまらず、CTを撮ってもらいに来ています。大腸癌ならCTに映るだろうというわけです。しかし大腸癌が原因でこういう症状が出ているとは、医者としては考えられません。さて、どうしましょうか。

言われるとおりCTを撮るか、撮らないかが問題です。話の大勢は「そんな要求に負けてCTを撮るなんてとんでもない。そんなことだから無駄な検査が横行するんだ」でした。

特に医療保険を適用する場合、こういう無駄な検査は、医療費の無駄遣いになります。また、「この医者は患者の言いなりになる」という関係を、その患者さんとの間に築いてしまう可能性があり、それが問題であるという話になりました。ここで負けたら、今後も言いなりだ、というわけです。「ストレスだ」という説明を受け入れてもらえないのはそもそも、それまでの信頼関係とか説明の仕方とかの問題だ、という話にもなりました。思い切って担当を別の医者に代わってもらえ、とか。一番いいのは自費で人間ドックに入ってもらうことだろう、とか。

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たぶん以上の話は正論だと思うのですけれど、心配なことがあります。たとえば今症状に出ている便秘や下痢と何の関係もなく、特に症状をきたさない癌などの病気が、お腹のどこかにできていて、CTを撮って偶然見つかってしまう、そういう可能性がないわけではないのです。そんなことがあったりしたら医療訴訟は確実だよなあ、と思ってみたりして。訴訟になっても医者サイドが勝てるんでしょうか?最近の報道を見ていると非常に不安になるのですけれども。

まあそんなことは滅多にないにしても、「なんて不親切な病院だ、患者の話も聞かず、検査もせず、ただ帰してしまうなんて」と、あらん限りの悪評を立てられるおそれもあります。患者さんが激減したりしたら、病院としてはやっぱり困るでしょう。

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実は、わたしだったら勢いに押されて撮ってしまうかもしれないなあと思ったのですけれど、それは口に出せないままでした。別の一人が、「それで安心するなら、撮ってあげればいいでしょう」と発言して集中砲火を浴びていましたから。

031215 歯医者に急患。

昨日の午後、左上の前歯(1番)の上方の歯肉が痛みはじめました。ずきずきします。昼食後から痛み始めて、夜には、痛くて眠れないほどになりました。布団に入ってから2度、起きて鎮痛剤を飲んだのですけれど、それでも寝付けません。

歯自体は痛くないし、歯に冷たいものや熱いものがしみたという記憶もありません。歯茎の上の方を押さえると痛みました。歯茎の炎症を起こしたんだろうと思い、鏡で、痛むあたりを観察してみました。何も見えません。歯茎が腫れている様子もありません。しかし、左上の前歯をたたくと痛くて、なんだかいやな予感がしました。叩打痛がなんとかと、歯学部の先生が講義でしゃべっていたのを聞いた記憶がかすかにあります。ろくでもないことの兆候だった気がするのですが、それ以上の記憶がありません。だんだん不安になってきました。

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今朝も痛みがまったくひいていなかったので、近所の歯医者に「痛いんですが、今日の午前中、できるだけ早く診ていただけますか?」と電話をかけました。快諾してもらってすぐに家を出ました。

わたしの話を聞いた歯医者は、神経が死んでるかもしれない、と言いました。とんでもないことを、と思ったのですが、結局彼の言う通りだったようです。神経などの、いわゆる「歯の中身」は死んで膿に化けていて、膿のために内圧が上がって痛みが発生したということでした。

くだんの歯には、10年くらい前一度虫歯になり、削って詰め物をした過去があります。その詰め物の内側から菌が増殖して、歯の中身だけを食い荒らしたようです。外側には何ら変化がなくて、穴も開いていませんでした。だから、食べ物がしみたりはしなかったのでしょう。

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とりあえず歯に穴を開けて内圧を下げてやれば痛みはなくなるということで、前歯を裏から削られました。削っているのはわかるのですけれど、全然痛くありません。なるほど神経が死んでいるんだ、と納得しました。歯ではなく歯茎が痛い、と感じたのも、歯がすでに痛みを感じなかったからなんですね。

なんとか、歯は抜かなくて済みそうです。今は歯に穴を開けたまま放置してあります。来週には何か詰めてくれるでしょう。

鎮痛薬と抗生物質をもらっていったん家に帰り、朝ご飯を食べて薬を飲んで学校に行きました。学校では何とか起きていたのですが、学校から帰ったら、ことりと寝てしまいました。昨晩の睡眠不足と鎮痛薬の副作用の、ダブルパンチと考えられます。もう目が覚めました。さてさてそろそろ、試験勉強再開です。

031217 久しぶりのテスト。

今日は久しぶりに、試験がありました。衛生学と公衆衛生学の試験です。二つの学問分野がどう違うのかは、相変わらず不明のままですけれど、テストはそれぞれ、まったく異なるものでした。

午前中は公衆衛生学の試験でした。国家試験対策と同様な問題、との予告通り、正しい記号を選ぶタイプの問題が40問でした。記号を選ぶだけなので、そんなに難しいものではありませんでしたけれど、誤植が多いのには閉口しました。観察が監察になっていたり、選択肢の番号だけがあって中身がなかったり、どう考えても正解がなかったりといった、不適切問題が多発していました。誤植訂正だけで、黒板が一枚埋まってしまったほどです。

午後は衛生学の試験でした。こちらは記述式で、A3で6ページはあったでしょうか。最初の2枚が長い長い記述を要求する問題で、最近手書きの機会が少ないわたしは、書いただけで疲れてしまいました。衛生学の試験は、ここ10年くらいだいたい同じような問題が出ていたのですけれど、今年は教授が張り切ったのか全然違う問題が三分の一を占めていて、一応念のため、と授業ノートを見直しておいてよかったなあ、とほっとしました。あとで先生に聞いたところによると、講義を欠席していた人は皆、その問題を白紙で提出していたそうです。

結果はまだ分かりませんけれども、とにかく試験終了です。明日から3日間実習に精を出し、日曜日休んで月曜日発表したら、冬休みです。

031220 実習準備追い込みの3日間。

ここ3日間は「衛生学実習の日」でした。あさっての発表のための、追いこみだったのです。過去形で語っているのは、今日の昼過ぎに、準備がとりあえず終了したからです。こうして日記が書けることが非常に喜ばしいです。おととい・昨日は、正直なところ、日記どころではありませんでした。

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ここ3日やっていたことは、主にパワーポイント作りです。発表中表示するスライドを調えていたのです。中でも一番時間を費やしたのが、グラフの作成でした。最終的に43枚のスライドを作ったわけですが、そのうちのほとんどがグラフで占められています。

パワーポイントを使うにはノートパソコンが必要です。グループ内にノートパソコンを持っている人は一人しかいません。その一台のノートパソコンをわたしと所有者の二人でかわるがわる使いながらグラフを描き、表を作り、文章を打ち込みました。所有者は先週パワーポイントを購入したばかりなのにみるみるうちに操作に精通し、アニメだの特殊効果だのを駆使できるようになりました。こんなに早くマスターするとは思っていませんでした。

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今回のパワーポイント作りは先も見えるし全体像も見えるしで、これまでよりはずっと、楽しく作業することができました。アンケート依頼・回収では先が見えずいらだつばかり、打ち込みでは全体像が見えず疲れるばかりで、メンバー全員、だんだん憂鬱になってきていたのです。

今日実習室の鍵を開けてもらいに衛生学教室に行ったら、「担当の先生から話は聞いてるよ、よく趣旨を理解していい調査をしたようだね」と、ほめていただきました。がんばった、という自負があるぶん、嬉しかったです。こんなことしたって、とか、何もわたしがやらなくても、とか、いろいろマイナス思考にとらわれた瞬間は数限りなくあったのですけれど、まあ、やればやっただけの何かが得られるものなのかもしれません。ひょっとしたら幻想かもしれないけれど、そう思えている方が、精神衛生上よいですね。

あとは、口頭発表の原稿作りとリハーサルを残すのみです。発表に備えて、伸び放題だった髪を切りました。

031226 平和運動とエノラ・ゲイ。

エノラ・ゲイというのは広島に原爆を落とした飛行機です。現在、アメリカで実物が展示されているのだそうです。その展示に、原爆の被害に関する説明が添えられていないことに対して、被爆者および平和団体が抗議していると新聞に書いてありました。実家で購読している地方紙にはその抗議が特集されています。

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先日の記事には、怒った平和団体メンバーの一人が、エノラ・ゲイに赤ペンキを投げつけたとありました。原爆とそれを落とした飛行機とを同一視する、その気持ちは多少単純すぎるとはいえ想像できないわけではありませんけれども、赤ペンキを投げつけるというのは、いかにも短絡的です。よしにつけ悪しきにつけ、重要な歴史的資料なのですから、赤ペンキで回復困難なダメージを追わせるのは言語道断です。ペンキがかからなくてよかったと、胸をなで下ろしました。

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今日の記事には、機体を見た被爆者が、「8歳の女の子に返って」、怖くて泣き出したとありました。かの飛行機が原爆を落としたのはずいぶん上空からですから、彼女がその機体自体を、それと確認できるほどの至近距離で見た可能性はゼロと言いきってもいいはずです。ということは彼女はきっと、「これがエノラ・ゲイですよ」という情報さえあれば、それがまったく別の飛行機であろうと模型であろうと、きっと泣き出したことでしょう。それをさも重要なことであるかのごとく報道するのはおそらく正しい姿勢ではありません。

そもそも、抗議活動なんていう、相手方にとっては迷惑な行動を、わざわざアメリカまで行っておこなうのならば、人の見ているところで泣いてはいけないのです。そこまでの想いがあるのならば強くあらねばならない、少なくとも強く見せねばならないし、強くあれない部分は報道させるべきではない、そう思います。

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ペンキを投げるだの飛行機を見て泣くだののあまり賢いとは言えない行動に、いちいちいらだってしまうのは、わたしがどこかで平和運動というものに共感を抱いているから、なのかもしれないと、ふと思いました。ああいう活動が嫌いだからいちいち腹を立てているというだけでは、必ずしもないのかもしれません。

031229 枕の本。

「枕草子って、英語で何て言うか知ってる?」母に問われました。

「え、固有名詞だしローマ字でマクラノソウシちゃうのん」

The pillow bookなのだそうです。枕の本、です。「これを英語で言えますか?」に、書いてありました。よい枕の選び方だとか、寝る前に読むとよく眠れる本だとか、枕にするのに適した本だとか、そんな内容を予測してしまう題名です。枕草子は、わたしの記憶にある限りでは、「春はあけぼの」とか何とか、決して枕について書かれたものではないはずなのですが。

ひょっとして冗談かと思ってamazon.comで確認してみました。やはり「枕の本」とありました。まちがいありません。古文が読めて英語もできる、そこまで語学に長けた人なら、もっとセンスのある訳が思い浮かんでもよさそうなものですが、そういうわけにもいかないのでしょうか。

「これを英語で言えますか?」にはほかにも、日本の小説の英語名が載っていました。太宰治の「人間失格」は、「No longer human」なのだそうです。もはや人間ではないのだそうです。

「なんかさ、蝿男とかそういう勢いだよね。人間じゃないんだってさ。」

英語圏の人が見れば何らかのニュアンスが感じられるのかもしれません。感じられないかもしれません。ひょっとしたら日本語に訳されている各種文学作品の題名も、そもそもの言語を母語とする人から見ればなんじゃこりゃ、なのかもしれません。それにしても、びっくりしました。

031230 輸血患者HIV感染。

輸血患者HIV感染 高感度検査「素通り」と、今朝の新聞一面にありました。「どれだけ費用を投じても輸血感染の悲劇を防ぐ必要がある」そうです。「最北医学生の日常」の12月29日の日記Half-boiled Doctor12月30日の日記でも、同じテーマが扱われています。

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これは難しい問題です。まず第一に、100%確実な検査というものは世の中に存在しません。全ての血液を「HIV陽性」と決めつけて捨てれば、輸血によるHIV感染は根絶できます。しかし、血液および血液の成分を必要としている患者さんがいて、今のところはヒトの血液以外にそういう成分を供給する手段がない以上、輸血全廃は無理です。

では、検査を高級にして、正確な検査を望む、となりますね。 血液製剤調査機構のページを見る限り、献血された血液は、HIVについて、かなり厳重なチェックをされていると考えてよいようです。しかし、どんなに高級な検査でも、100%というのは達成困難です。また、たとえば血液100mlに100万円かかったり、結果が出るのに1年かかったりするような検査では、いくら安全がどうこう、といっても、実際に全ての血液に適用するのは困難でしょう。

さてたとえば、ここに、「HIVを含む血液を1万本検査して、1本しか見落とさない検査」があったとします。1年に、HIVを含む血液が100本しか検査されなければ、おそらく、検査すり抜けは、1年に1本も出てこないでしょう。しかし、たとえばHIVを含む血液が、1年に10万本検査されれば、検査すり抜けが、1年に10本程度、出てくることになります。被害の絶対数は、検査の精度にもよりますけれど、献血者中に占めるHIV感染者の割合にもよるのです。

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そんなことを考えていると、「どれだけ費用を投じても輸血感染の悲劇を防ぐ必要がある」のはまあそうなのかもしれませんけれど、その方法が問題なのかな、と思えてきます。

たとえばHIVならHIVに、感染している可能性が高い人が、検査目的あるいはそれと知らずに献血に来てしまうことをいかに防ぐか、ということが重要でしょう。

検査目的で献血に来ても、HIV感染の有無は、献血者には知らされないのですけれど、それでも、検査目的の献血が、増えているのだそうです。

そして、HIVの感染が、いっときと違って、輸血とも同性愛とも注射回し射ちとも関係のない人にも、異性間性交渉などで広がるようになってしまいましたから、実はHIVにかかっているのに、そんなことは予想だにしていない人が、きっと増えているのだろうと思います。 どうすればいいのでしょうね。

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正直なところ、輸血によるHIV感染者は、これからも、たぶんゼロにはならないと、わたしは思っています。HIVを完治させる薬だとか、わたしが今夢にも考えつかないようなすばらしい検査だとか、そういうものがいきなり開発されれば、話は別ですけれど。

検査をこれ以上向上させる、と考えるよりも、そのお金を使って、検査目的の献血を啓蒙で減らしつつ、なんとかしてHIV感染蔓延を防ぎつつ、不可避的に生じてしまった犠牲者には、それ相応の補償をしていく、と考えた方が、現実的ではないかなあ、そんなことを考えています。

031231 では、よいお年を。

2003年は、わたしにとって、引きずってきた課題を片付ける年だったように思っています。

生育過程の問題を精神的に片付ける、本来幼児期に身につけておくべきだったかもしれない対人スキルを身につける、本当はやってみたかったけど意地を張ってやらずにいたことに手をつける。イベントはさほど多くなく、このサイトのタイトル通り「淡々と」過ごしていたわけなのですけれど、それでも、一年前に比べたら、成長はしているのだろうな、と、今は思えていて、それはずいぶんと幸せな気分です。年末は年末で、ずいぶんと静かな生活ですけれど、細々したことが、なんだかとても楽しいのです。

きっと、それでいいのでしょう。

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これが、年内最後の更新となります。今年1年、このサイトを訪問してくださって、どうもありがとうございました。来年もどうぞ、よろしくお願いいたします。よいお年をお迎えください。

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私信。「ちりんの部屋」が2周年ですね。おめでとうございます。


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