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◆2003年8月の日記◆

030803 帰ってきました/「とくべつ」と「あたりまえ」

今日の晩、帰宅いたしました。7月20日からずっと、つまり二週間、県外にいたことになります。だからと言ってとくに違和感もなく、日常に復帰できそうな予感がします。

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例えば、日頃顔をあわせることのない人と、長い時間をともに過ごします。非日常が日常にすりかわりそうになります。特別なことなのに特別じゃないような気がしてなんとなく過ごしてしまったりします。いつもは特別なことが、あたりまえとして身の回りに在ることを、「これってすごいことだよね」と口に出すことで、少し、「とくべつ」の側に引き戻そうと、何度かこころみました。

「とくべつ」から「あたりまえ」への変化は、格下げではなくて格上げなのかもしれません。「あたりまえ」の安心感は、「とくべつ」のドキドキに比べて、決して見劣りがするものではない、そう感じています。それは、わたしのあこがれに、すぎないのでしょうか?

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旅の間、いつもとは違う時間のありがたみを忘れていたわけでは決してないと思うのですけれど、それでも、終わってみると、少しさみしいような、具体的に説明できない心残りがあるような、そんな気分にとらわれてしまいます。

そんな気分を味わいつつ、日常に復帰です。宿題がいくつか、たまっています。

030804 NOT FOUND (Mr. Children)

Mr. Childrenの歌の一節が、頭の中をぐるぐる回っていました。「愛するって奥が深いんだな」──どの曲だっけ、と、歌詞を検索してみました。「NOT FOUND」でした。

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長い休みには、過去に足を取られそうになります。幼いころの記憶から昨日の記憶に至るまで、思い出したくないことを次々と思い出してしまうのです。

たぶんまだ、どこかで過去の一部を否定していて、なきものにしようと試みつづけているのです。

過去は変えられません。でも、自分が過去に与えている意味付けを変えることくらいは、できるのではないかなあ?最近の希望です。

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自分の非を認めることと、自分を責めることは、全く違うことなのだと、今日、唐突に、気がつきました。ほんとうに自分が悪いとどこかで知っているときには、その事実から目をそらそうとしてしまいます。あぁ、自分を責めても、それはなにほどのことでもないのだと、たんにいちばんしんどいことから逃げているだけなのだと、目を閉じて息を深く吐き出しました。

そんなひまがあったら、出したほうがよい手紙でも、書くことにしましょう。

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あと どのくらいすれば忘れられんのだろう?
過去の自分に向けた この後悔と憎悪
君に触れていたい 優しい胸の上で
あの覚束無い子守唄を もう一度 もう一度

そう、あとどのくらいすれば、忘れられるのでしょうか?

それでいいのだと思うことができれば、異物感がなくなって、忘れられるのではないか、そんなふうに想像しています。

030807 ウサギが二羽。

昨日から今日にかけて、友人宅に泊まりに行っておりました。

自分を責めがち、焦りがちな今日この頃、「充分よくやってるよ」というメッセージを送ってもらって、たいへんうれしかったのです。否定されるかもしれないという恐怖感なしに話ができるというのは、とてもありがたいことです。「有り難い」=あることがむつかしい、という、もともとの意味においても。

ウサギが二羽いました。わたしと彼女が何をしていようといっしんに干草を食べつづけるウサギを見ていると、ただ、目の前のことを一生懸命やればいい、そんなものなのかな、と、思えてきました。何かをしている、何かができる「から」存在を許されるというわけではなくて。

030813 例えば毎日走るというルールについて。

広島に帰ってきて以来、なるべく毎日走ることにしています。

ちょっと試みて、数週間〜数ヶ月続けて、挫折する、というのがこれまでのパターンです。今回は、どうなるかわかりません。九月いっぱい続けられれば御の字と思っています。

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ひとつ、今までと違う点があります。

これまでは、朝5時あるいは6時に起きて走ると決めていました。これだと、寝過ごしたが最後、走れません。本来は走れるはずなのですけれど、暑いとかだるいとか知人に会いそうだとか理由を並べて、走れないことにしていました。朝起きても、雨が降っていて中止、ということも少なくありませんでした。でも、今回は、明るいうちならいつ走ってもいいというルールにしました。起き抜けだろうと昼間だろうと夕食前だろうとかまわないわけです。昼間は日焼けしそうなのでできるだけ避けたいですけれど。

いつ走ってもよいことにすると、だいたい毎日走れることがわかりました。さいわい、この夏はそんなに暑くないので、助かっています。

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「こうでなければならない」と思い込んでいることが、わたしにはとてもたくさんあります。取り除いても取り除いても、まだまだ見つかります。おかげで日に日に自由になっていくような気分を味わうことができます。

岸田秀の「三島由紀夫論」を、ふと思い出しました。

そのほかにも彼が精神的には死んでいたことを示す徴候はたくさんある。例えばあの規則正しい生活、約束固さである。これは決して誠実さの表現ではない。自発的な感情や欲望が欠けているので、そうしたものに基づいて行動することが出来ず、観念的に決定した何らかの規則にすがらざるを得ない。そしていったん決めた規則にいささかも違反してはならない。規則をちょっとでも崩せばすべてが崩れてしまうからである。

少しずつでも、自由になっていけるといいな、と思っています。

030814 パソコンで伝えられること・伝えられないこと。

8月14日のC.M.contents 贖罪に、「PC画面で伝えられることは少ない」とありました。

画面上に、ずいぶんとたくさんの文字を書きためてきました。それで伝えたこと、伝わったことはたくさんあります。文字に置き換えられることなら、およそどんなものでも、伝えられることでしょう。でも、伝わらないこと、伝えられないこともたくさんあります。雰囲気とか手触りとか、間のとりかたとか、沈黙とか。

パソコン上の文字を、少しさみしく感じる今日このごろです。だからといってそれさえなくなったら、きっととても困ってしまうのですけれど。

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そう、やっぱり空間を共有しなきゃだよね、と決意したとして──

たぶん、無理をすれば会えないことはないのです。どこまで無理をしようか、決めかねているだけで。それはつまり、会いたいとしても、どれだけ会いたいのかを、はかりかねていることと、同値でありましょう。何を犠牲にしても、とは、非常事態でもないかぎり、なかなか言いきれないものです。

楽勝、と、それは無理、の間には、できないこともない、の草地が茫漠と広がっています。荒地のようなその風景に、どこまで行こうかと迷う日々、なのでした。

030815 サイトの存在がばれると困る、っていうのは。

「閉鎖しました」と書いてある元トップページを目にすることが続きました。理由が書いてあるものも、書いていないものもありました。忙しいのかもしれないし、飽きたのかもしれません。『友人・知人・家族にばれたから』という理由も、多いみたいですね。

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サイトの存在がばれたから閉鎖するというのは、見られたら困るようなこと(悪口とか、秘密とか)でも書いていたのかな、と思っていました。でも、ひょっとしたらそうでもないかもしれません。単に、やりにくいというだけの場合もあるのでしょう。

やりにくいというのはつまり──想定していない、ということになるのでしょうか。まさかこんなところで話を出されるとは思わなかったな、みたいな。

バレエを習っている友人が、知人のいるスタジオには通いにくいと申しておりました。スタジオで知り合った人と友人になるのはかまわないのだそうです。サイトがばれないことを望む気持ちと似ているように思います。

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わたしの場合──周りの人にばれるのはちっともかまいません。でも、面と向かって話題にされると、ちょっと照れます。

030818 文章修行宣言。

サイト紹介に書いているように、「自分の考え」なるものをはっきりさせるために、考えていることを文字にする、それがこのサイトの、一番の目的です。

で、せっかく書くのなら、できるだけ『よい』文章を書きたいと思っています。

──『よい』文章とは、何でしょうか。先日立ち読みした本によれば、「自分にしか書けないことを誰にでもわかるように書いた」ものなのだそうです。なかなかこれが、むつかしいのですよね。自分が書いていることははたして他の人にも書けることなのか、そして、自分の意図は読んでいる人にじゅうぶん伝わっているのか。

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文章を書く上で、気をつけていることがあります。書き並べてみます。

こんなところでしょうか。考えていることを細かいところまで正確に写し取ることができて、しかも読みやすく、というのが、現在の心がけです。

030820 記憶。

何度も何度もフラッシュバックする記憶が、いくつかあります。書き出してみると、実は同じことを何度も思い出していることがわかりました。

それらの記憶は、あたかも映像であるかのような静止画像からなります。その画像の中のものは、意外なほどにあざやかに、頭の中に再現することができるのでした。電話で話しながら見つめていた壁紙の凹凸。いぶし金のボタンがとれかかった黒いセーター。某ドーナツ店のトレイと皿、コーヒーカップ。一口コンロにのった中華鍋。コタツ机と畳の目。ボックス前の黒板。コンクリート。夜の公園。樹。

そして、それらの映像のなかにいるのは、わたしひとりです。

030821 平和記念資料館。

平和記念資料館に、行きました。ひんぱんに、前は通りかかるのですけれど、中に入ることは、めったにありません。

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平和資料館に足を踏み入れたのは、小学校のころ以来、だったでしょうか。15年くらい、経っている計算です。

数年前に建てなおされたと、聞いています。記憶の中の資料館とは、ずいぶん違っていました。殺菌されているな、というのが、感想です。被爆馬の剥製はもう、ありませんでした。怪我をした方々の写真も、ずいぶん、減っていたように思います。資料と見学者を隔てるガラスは、厚くなっていました。小学生だったわたしを、心底おびえさせた資料館では、すでに、なくなっていました。これだけなのかあ、少し、さみしく感じました。

少し、物足りない気がしたのは、たんに、わたしの、怖いもの見たさなのでしょうか。だとしたらずいぶん、申し訳ないことです。

生々しい現実をつきつけて、どうだ恐ろしいだろう、だから原爆はいけないんだ、戦争はいけないんだ、と叩きこむのが、教育上よいことなのかどうかは、わかりません。わたし自身、幼いころに資料館の資料におびえたことが、よかったのかどうか、決めかねています。

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爆風とか熱線とかで街がこなごなになったあとに、黒い雨が降ったという記述がありました。焼け野原に死んだ人や怪我をした人や助けに来た人、探しに来た人がうごめいている、その上に真っ黒な雨が降りかかるさまを想像しました。それはやっぱり、あってはならない光景です。

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原爆は恐ろしい、と思います。平和は大事だ、と思います。そう言って今日の日記を終われば、すべては丸くおさまるでしょうか。でも、「原爆は恐ろしい。平和は大事。」と、ただその結論だけを、繰り返すのは、少し抵抗があります。

小学校では毎年、原爆のビデオを見せられました。怖がりのわたしは、上映会が憂鬱でしかたがありませんでした。上映会が終わると、感想文を書かされました。「げんばくはおそろしいです」「せんそうはいけないとおもいます」「へいわなせかいになってほしいです」などといった決り文句を、ほとんど頭を素通りさせるようにして、原稿用紙に書きつけていました。これって自分の文章なんだろうか?自分の考えなんだろうか?やんわりと強制されているようで、不愉快でした。

平和がいい、戦争はいけない、原爆は怖いだなんて、反論の余地がありません。みんなそんなことはわかっていて、それでも戦争があって原爆があるのです。そんななかで、みんなで声を合わせて「原爆は恐ろしい。平和は大事。」なんてお題目を叫ぶのは、何も言っていないのと同じことなのではないか、子供のころから、そんな疑問に、とらわれています。

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「原爆は恐ろしい。平和は大事。」それを改めて認識するのも、悪くはない。そういう考え方は、理解できます。

ただ、なんとなく──そんなに単純なものではないだろう、と、感じてもいます。それは、もっと厳しい選択なのではないでしょうか。それは自分の身を脅かされたときに自分をどこまで守るかの問題かもしれませんし、日頃なんとなく抱いている「このくらいやっても当然」といった感覚を問いなおすという課題なのかもしれません。

「原爆は恐ろしい。平和は大事。」そこで思考を停止してもダメなんだよ、わたしの感じているいらだちは、そういうことなんだろうなと、いまは思っています。

030824 墓参り。

墓参りに、行ってきました。

朝6時20分に家を出て、父の車で港に向かいました。

祖父母を拾うのかと思いきや、行くのはわたしと父の二人だけでした。「じいちゃんとか来んのん。じいちゃんのお父さんの墓じゃろう?」「来んねえ」「ぜんぜん?」「ぜんぜん。」「ほいじゃあ、お父さんくらいしか、お参りする人おらんね。わたしももう、十年以上ぶりくらいだし。」

港はずいぶんきれいに整備されていました。港といえば少し怪しげな場所である、というわたしの定義は、書き換えられました。空港並みの、清潔さです。

7時ちょうどの高速艇で、島に渡りました。わたしの本籍のある島です。もう、わたしの親類縁者のたぐいはだれも、住んでいないはずですけれども。祖父が生まれた島でもあります。祖父は中学生のころ、市内に出てきたと聞いています。「じいちゃんて、中学から下宿しよったん?」「いや、一家で出てきたんじゃあないかねえ」「農家だったんじゃろ?そんな簡単に引っ越せるかいね」「いや、農業はあまりやっとらんかったじゃろう」「何しよったん」「さあ」

船を下りて、墓地までしばらく歩きました。最後に来たのは、わたしが小学生のころだったはずです。そのころの、『いかにも田舎』のイメージとは、ずいぶん異なる風景でした。こんなに、きれいでしたっけ。

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墓地に着きました。「もっと凄まじい感じで草とか生えてなかったっけ。」「最近きれいになったけえね」「これじゃ、ヘビ出てこんね。安心してお参りできるわ」

とはいっても、墓はそれなりに荒れていました。石が、風化しつつありました。枯れた花が刺さっていました。このあたり一帯で盆に供えることになっている盆灯篭は、ひとつも立っていませんでした。わたしたちも、持っていったわけではないのですけれど。「で、わたしのひいじいちゃんの墓ってどれよ」「それ」「名前書いとらんよ。これ、じいちゃんのお兄さんの名前じゃろ」「いや、そこに入っとるんよ、いっしょに」

父が花を供えて水をかけるのを横目に、隣の墓を眺めて回り、拝んで回りました。いくつか、神頼みあるいは仏頼みしたいことを、頼んでおきました。あと、いつもありがとうございます、と。四国で遍路をしていたとき、わたしは先祖に守られているという旨の話を聞いたので、一言お礼を言わなければと、ずっと思っていたのです。

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いざ帰ろうと墓地の入口から見上げると、たくさんの墓が見えました。少なくとも大正時代から、ついこないだまでに死んだ人たちが眠っているもようです。これだけの数の人が死んだのだ、これだけの数の葬式が行われたのだ、と、気付きました。非業の死も夭折も大往生も、あったことでしょう。そして、墓に入っているどの人にもおそらく会ったことのないわたしが、墓参りに来ています。

なんとなく、不思議な感じがしました。悪い気分では、ないのですけれど。

家に帰りついたら、なぜか眠くて眠くて、昼までずっと、寝てしまいました。

030825 すっぱいぶどう。

わたしは、服装に気を使うのが苦手です。

まあ要するにめんどうだ、ということなわけですけれども、もう一つ、「かまわない」習慣を根付かせてしまった理由があるらしいと、最近気付きました。

その理由というのは、もともとそんなにスタイルとか顔とかよくない「から」あえていいかげんな服装をするというものです。「不細工なのにやたらとがんばってるよね」みたいな見られ方をしたくなかった、ともいえます。

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十代のころ、わたしは、じつに不細工でした。いま、写真を見ると、憂鬱になります。天然パーマで髪が爆発していて、どうしてもまとめることができませんでした。アラレちゃんめがねでした。表情は暗かったです。

十代のころというのは、自分に対しても、他人に対しても、残酷です。その上、持って生まれた容貌を、絶対視しがちです。「お母さんはあんなにきれいなのにねえ」とかなんとか、たぶん悪気のないであろう言葉を耳にしては、しょげかえっていました。

そして、わたしは、「そんなくだらないことは超越しました」というポーズを取ることに決めました。「そんなくだらないことに手間暇かけるほど、ひまじゃないもんね」子供のころの織田信長など、ぼろぼろの格好をしていながら大活躍する人の話を読んでは、「そうだよ、それがあるべき姿だよ」と、勝手に共感していました。

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「いらないもん!」と言っているものが、本当にいらないかと言うと全然そんなことはないわけです。かわいく生まれついていたらなあと、いつも願っていました。もし美人に生まれついていたならば、人生もっともっとうまく行くんだろうにと、夢見ていました。

たぶん、手に入ることが想像できることについて素直になるのは、そんなに難しいことではないのです。「手に入れたい、だからがんばる」かもしれないし、「ほしいけど、いまはちょっとめんどい」かもしれません。いずれにせよ、ごく自然に、自分のとりたい行動を選ぶことができるでしょう。

でも、手に入るとはどうしても思えないときには、「いらないもん!」と、自分および他人に宣言してしまうことが、あるのかもしれません。本当は手に入れたいからこそ、余計に声高に。

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もうちょっと素直になればいいのに、と、今では思います。欲求は素直に認めて、できることをしたほうが、ずっと建設的です。髪型を整えて、ぼろぼろの服を捨てて、ちょっとにこにこするだけで、ずいぶん違ったのだろうになあ。それは、当時のわたしにはとても無理な注文でしたけれど。

今は──どうなのでしょう。「実は、ほんとは、こうありたいと思ってるんだよね」そうつぶやくことを自分に許せるようになりましたから、少しは素直に、なれたでしょうか。

030829 病理学夏の学校。

病理学夏の学校というイベントに、参加しました。近隣諸県の医学部から、学生と病理学の教官が集まって、2泊3日カンヅメで、交流と学習をするイベントです。未来の病理学者を一人でも増やすためのリクルート活動なのだそうです。夏の学校卒業生には、すでに病理医として病理学教室に所属している人もいる、と、数名の教授が誇らしげに語っておられました。

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宿題が出ていました。ある患者さんが、はじめて病院にいらしたときから、残念にもお亡くなりになってしまうまでの記録を渡され、その記録に基づいて、何が起こっていたかを説明するのです。OHP(手書きで作る簡易スライド)を作成し、大学ごとに、順番に発表しました。わたしは、3番目でした。

発表は好評だったようです。「幼稚園の先生してたの?」「小学校?」そのような仕事には、ついたことがありません。そういうノリなのでしょうか。ほめられているのですよね、きっと。

前日に3時半までがんばったかいがあるというものです。リハーサルを録音して聞いてみたのが、よかったのかもしれません。

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終了式において、発表がよかったということで、賞をいただきました。箱の大きさから、缶入りせんべいかな、と予測しておりましたところ、予想外に重い箱でした。食べ物ではありえない、とすると、何だろう?

開けてみると、石こけしなる伝統工芸品でした。なんでも、いまでは、作れる人が一人しかいらっしゃらないのだそうです。石に絵の具で顔と着物が描いてあります。細かい筆致で、実にかわいい。おひなさまのような、一対です。頭と胴は分離しており、頭を置く位置で、そっくり返ったりうつむいたりします。こんないいものもらっちゃってよかったのだろうか、と恐縮しつつ、大事に持って帰ってきました。

じつのところ、「石」こけしのために、荷物の重さが倍増、電車を降りてから家にたどり着くまでに、かばんのひもが切れるのではないかとひやひやしたのですけれど、なんとかかばんも中身も無事でした。めでたしめでたし、ですね。


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