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◆2002年8月の日記◆

020825 帰ってきました。

お久しぶりです。7月31日に広島を発ち、岡山・米子・北海道をまわって、8月23日に再び広島に帰ってまいりました。Nokoです。

岡山では友人宅に泊めてもらって話し込みました。年月を重ねるということ、いろんなことがあってそれでもやはり共に語れるということ、そういう相手がいるということは、やっぱりすごいことなのでした。

米子では医ゼミに準備期間(全準)から参加しました。「生命科学といのち」プロジェクトメンバーとして延々と「空中戦=机上の空論」的テーマを真剣に語り合い、語った結果を文章としてモバイルに打ち込み送信し、デザイン係としてTシャツその他のデザインを行い、販売係として売り子さんたちの影で糸を引き、デザインしたTシャツを完売し、語るに足る、と思われる数人の人を発見しました。

北海道では旅をしました。おいしいものを食べて温泉に入って広い景色の中を歩きました。99年夏の北海道旅行とはまったく違った旅となりました。あのときの旅でわたしは医学部受験を決めたのでした。今回の旅も、わたしにとって転機となるのではないかという予感がしています。

そんなこんなで、日常に復帰です。キーボードは打てるものの手書き文字がガタガタなのでとりあえずは文字の練習からスタートです。

020829 初心。

もう、8月も終わりなのですね。空がだんだん紫がかってきました。秋の色です。

3年前のこの日、わたしは京都にいて、実家に電話をかけ、医学部を受験すると宣言したのでした。

薬理学の教科書を前に、ため息をついている場合じゃありません。

020830 反実仮想あるいは仮定法過去完了

あのときあんなことが起こらなかったならば、あるいは起こったならば、ああしていたら、こうしていたら、そんなことを思うことがありますか?あんなしんどい目に遭わなくて済んだのかもしれないのにな、って。反実仮想ですね。英語でいうところの、仮定法過去完了。

もしそうだったならば過去は変わっていたのかもしれません。しかし、それを思い返しているわたし自身も、今とはきっと、少し違った人間になっていたでしょうね。

過去が自分の経験したそれではなかったとしたならば、そのずれた分だけ、わたしは今のわたしとは違った人間となっていたであろう、と思うのです。そう考えると、今のわたしから見た場合、わたしの過去は必然であることになります。あんなこともこんなこともあったから、わたしは今、こうやってここに存在しているわけです。

──以上、「過去は変えられない」の言い換えでした。

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そんなふうに考えると、過去を肯定することと現在を肯定することは同義なのではないかと思えてきますね。現在の自分(あるいは他人)を肯定できるならば、過去も肯定できるはずだと。

ま、いろいろあってたいへんだったけど、たとえベストでないにしても、まあまあよくやっているほうじゃない?くらいに言えれば、だいじょうぶです。

020831 窓の外に目をやりつつ薬理学など。

ものすごく季節外れなんですけど、GLAYのWinter, againを一曲リピート(のつもり)で聞いていたりします。つもり、なのはテープしかないからです。

この街には雪なんてほとんど降らないけど、いずれは雪のちゃんと積もるところに住みたいなあ、なんて、外気温30度を超えている中考えることじゃないですね。外は断続的に雨がぱらついています。

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どうも今日はぼんやりしがちで、こんなときに不用意に人前に出たり電話をかけたりすると言わずもがなのことを言ってしまうか言わなきゃいけないはずのことを言わずに黙りこんでしまうかどちらかだと思われるので、今日はバイトまでおとなしくしようと思っているのです。

おそらくそれは気圧が下がっているせいで、窓の外の灰色の空に押しつぶされそうな気分でいるせいで、昼なのにものがくっきりはっきりとは目に映らないせいなのでしょう。昨日せっかく買ってきたラベンダー色のジョギングシューズも、今日の日差しのもとではなんとなく灰色がかって見えてしまいます。

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音楽といえば、もうひとつひそかにはまっているのはQUEENのBICYCLE RACEです。あそこまで愛されたら自転車も本望でしょう。自転車ひとつでここまで盛り上がれるQUEENってすごいと、感心しています。I want to ride my bicycle. なんだそうです。今日のわたしに欠けているのはこのテンションなんですよねえ。


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