淡々としていなくもない日常。>日記・雑記目次 >2002年2月の日記

◆2002年2月の日記◆

020201 「癒し」について。

「癒し」なるものが、ブームのようです。テキスト風聞帳で、かなり多くの人がコメントなさっていました。

癒し、ねえ。この言葉には少し違和感を覚えます。ブームだというのも、ちょっとひっかかりますね。

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「癒し」という言葉が指している内容に対しては、とくに異議はありません。

疲れるときもあります。しんどいときもあります。なにか、不本意なことが起こることもあります。そういうときに行なわれる一種の対症療法が、「癒し」なのだと思います。

対症療法って、要するに、「病気自体は治らないかもしれないけど、ともかくにも今の状況を少しでもよくしようよねっ」ということなんですよね。「治らないかもしれないけど」に注目すると、なんていいかげんなことを、と思ってしまいますけれど、病気自体は(少なくとも今の医学では)いかんともしがたい、なんてことはよくあるみたいです。いかんともしがたいことを認めない、あくまで「治る」ということにしてしまう、そういう手もありますけれど、治る見込みもないのにしんどいばかりの「治療」を続けても、やっぱりしんどいばかりでしょう。かといって、「病気はどうしようもないです。よって、あなたは楽にはなりません。」これでは、困ります。だから、対症療法。

わたしだって、しんどくなったらまずは引きこもって、徳永英明とか、Björk、pinkfloyd、もしくはモーツアルトのレクイエムを聞きながら、坂口安吾や柴田翔を手に、布団にもぐってしまいます。「まあいい、あとは、元気になってから考えよう」というわけです。

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だから、「癒し」というものに対して、それが間違っているとかそういうことは思わないわけです。

でも。押し売りはへんだなあ、と思います。そんなに大々的に宣伝しなくったって、いいのではないでしょうか。ああ、しんどいなあ、というときに、ふと思い出してふと立ち寄れるくらいで、いいのではないでしょうか。あそこまで前面に出てきてしまうと、疲れていないのに「あら、わたしって疲れているのかしら」と思ってしまいそうです。

それに、何が「癒し」かなんて、人それぞれでは、ないでしょうかねえ。たれぱんだだって、見ててなごめる人とイライラする人、どうしても骨格が気になる人、いろいろいると、思うのです。もちろん、「多くの人が」という、傾向を見極めることは、不可能ではないのでしょうけれど。

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きっと、「癒し」なんてものが堂々と登場するようになった背景には、皆が疲れていることとか、家族や地域社会の崩壊なんてこととは別に、「癒しを求めること」をかっこわるいとしなくなった、雰囲気の変化があるのだろうなあ、と思います。「背筋を伸ばして、強く生きよう!」なんてのが、昔ほど流行らなくなったのでしょうね。「背筋を伸ばして、強く生きよう!」ってのも、好きなんだけどなあ。

020202 開き直りの効用。

今日は一日中家にいて、勉強したり本を読んだりしていました。

「さあ、今日は一歩も外に出ないぞ」と喜んでいたら、母にあきれられました。いいのです。「外に出なくちゃ」と、強迫的だった昔を考えれば、たいへんな進歩なのです。堕落といううわさもなきにしもあらずですけれども、しなきゃいけないことはそれなりにこなせている限りは、あとは好きにすればいいのです。そろそろダイエットも、思い出したほうがいいのかも、しれませんけど。

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020204 組織学のテストが終わりました。

組織学のテストが終わりました。へこんでます。へしゃげてます。ぺちゃんこです。

努力はしたつもりですけれど、選択問題の選択を間違ったような気がします。皮膚じゃなくて胃を選ぶべきでした。今思えば、ですが。膨大な量の記述を求められるテストのため全部消して書き直すわけにもいかず。

やるだけやっただけにかえってブルーです。なんていうか、言い訳の余地なしです。「全然勉強してなくって」といえたほうが、まだマシ。だいじょうぶだと思ったんだけどなあ、って、受けてみるまでわかんないものです。じゃあもっと勉強すればよかったのか、って、そういうわけではない気がします。そうなのかもしれないけれど、そういう後悔ではないのです。

結果は、12日の火曜日に公開されます。それまでは、考えないに越したことはないですね。追試があるとしても2月18日ですから。それまでは、解剖の勉強をしたほうがよいと、思われます。

解剖もね。金曜に試験があるにもかかわらず決して余裕とかそういうわけではないので。今晩から、再スタートです。

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へこんでばかりいてもよくないので気を取り直して。

コンビニの店先にやたらとチョコレートの目立つ今日このごろ、ついつい「今日のおやつはチョコレート♪」と思ってしまう人は多いのではないかと思います。目でみることによって欲望が喚起される、典型的な例ですね。見なければ、「食べたい!」なんて思わないのに。きっと、思わないはずなのです。たとえアーモンドチョコレートが55%増量キャンペーン中でも。

こういう季節、女でよかったなあ、と思います。チョコレート売り場で堂々とチョコレートを買うことができます。わたしの父みたいに、不二家のハートチョコを堂々と、自分用に買ってくる男性もたまにはいますが。

女性は、チョコレートもらえるかどうかなんて、気にしなくていいですものね。まあ、わたしの場合、多感であったと思われる中学・高校時代、バレンタインデーの周辺は学校が休みだったのであまり心を悩ませた記憶はないのですけれど。

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今、テレビで「フレンズ」なるドラマをやっています。父が、ハングル学習の一環として観ているのだそうです。「この、狙ったように起こるアクシデントがまだるっこしくていけないよね」「どういうのだったらいいわけ」「宇宙船、地球襲来とか。やっぱり画面でおどろかせてほしいよね」

いや、こういうことを言っていられる歳ではないですね。「らしく」あれるくらいに、情緒面でも成長したい今日このごろです。

020205 1+1=2と、「きしょい」の関係。

「1+1=2というのはですね、知の暴力なんですよ。もう、ファシズムですね。」

ちょうど1年ほど前、わたしは大学で哲学の授業をとっていました。そのころ、哲学の先生が言っていた言葉です。翻訳すると、「あなたとわたし、足して二人とか、みかんとりんご、足して二つとか、おかしいと思いませんか」ということだったと、思います。

別に、1+1=2がおかしいといいたいわけではないのです。間違っているというつもりもないのです。便利なことは、認めているのです。

ただ、数に直すとか、計算するというのは、抽象化の作業なのだなあと、思ったのです。抽象化というのは、たくさんある(重要かもしれない)属性を切り捨てて、扱いやすくすることですよね。1+1=2が知の暴力であるというのも、「おいおい、その属性は、本当に切り捨てていいものなのかい?」と、いい直せることでしょう。

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最近巷でよく聞く言葉に、「きしょい」とか「きもい」とか「電波」とか、そういう一連の言葉があります。

例えば、ナマコを見て「きしょい」とかなんとか言うのならば、まあ、ナマコには悪いですけれど、わからなくもありません。「あのぬめぬめした感じが気持ち悪い。信じられない。」といわれれば、「おいしいよ?」とは思いますけれど、まあ、そういう感想を持つ人もいるだろうな、と、思います。

しかし。上記の言葉は、人に対しても、使われるのですね。わたしに関しても、使われているかもしれません。ならば、と思って自己診断しようとしても、これがうまくいきません。「ねえ、あたしっておかしいかなあ」なんて言ったところで、まさかおかしいなんて言ってくれるはずもありません。言われたら立ち直れません。いやそもそも、あえてわたしのまわりにいるような人が、「あいつきしょい」なんて、本気で100%思っているはずが、ないのでした。「あれはちょっと、ねえ」くらいは、あったとしてもです。

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先日、組織学の先生が、「Was ist der schwereste von allen?」で始まるドイツ語の一節を、プリントにしてみなに配りました。「もっとも難しいことは何であろうか。それは、目の前にあるものを、自分の目で観ることである。」という内容の文でした。これについて、まわりの学友の一部が、「なにこれ、きしょい」と言っているのが、聞こえました。「てゆーか、この先生、きしょいよ」

きしょいんでしょうかねえ。わたしから見るとじゅうぶん許容範囲なのですが。いい先生ですし。熱心で、親切だし。そういう言葉にこだわるわたしも、彼らからすればじゅうぶん「きしょい」のでしょうけれど。

自分のもつ「人」のイメージから外れる、ということなのでしょうか。判断停止。カテゴリーエラー。自分の持つカテゴリーの狭さはまあさておき。一種の抽象化かな。「きしょい」とか「きもい」とか「電波」とか、そういう言葉でくくってしまう。「おいおい、その属性は、本当に切り捨てていいものなのかい?」

もちろん、誰にだって、「考えたくない人のことを考えない自由」はあります。だからそれでいいのかもしれません。考えすぎのN氏については、ほうっておいてもいいのでしょう。たぶん。

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そう言えば、と思い出したのは、「弱者とはだれか」の一節でした。たしか、筆者が幼いころ、母親に、「変な人ってどんな人」と聞いたところ、筆者のよく知っている男性を指した、という話でした。そんなことを言うからには、その母親には、「わたしは変な人ではない」という絶対の自信があるはずだ、とありました。

「きしょい」とか何とか、言っている人にも、「わたしは『きしょく』ない」という絶対の自信が、あるのでしょうね。

020206 「きしょい」考その2。

昨日の日記で、「「きしょい」とか何とか、言っている人にも、わたしは『きしょく』ないという絶対の自信が、あるのでしょうね。」と書きました。

さて、とわが身をふりかえってみると、「きしょい」「きもい」「電波」は使わないものの、「あいつまじ信じれん」くらいは使っていることに思い当たりました。わたしにとって、わたしが常に「信じられる」のでしょうか。たまに「信じれん」こともしてしまいます。あんまりえらそうなことは、いうもんじゃないですね。

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聖書に、こんなエピソードがあります。ある女性に、たくさんの人が石を投げつけています。彼女が罪を犯した、というのです。通りがかったイエスがいいます。「あなたたちのうち、罪を犯したことのないものは、石を投げなさい」石を投げていた人は、一人、二人と去っていき、ついにはイエスとその女だけがそこに残されました。「わたしもあなたを罰しない。さあ行きなさい。もう、罪を犯すことのないように」

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昨日よりは少し主張を和らげまして。言ってはいけない、とまでは言いません。というか、言えません。

でも、言ったあとで、「あそこまで言ってもよかったのかしら」と、ふと立ち止まるようであるとよいなあ、と思います。その「きしょい」「きもい」「電波」な人が、どのような状況に置かれているか、本当にわかるわけではありません。そして、彼らと同じような境遇にあったとして、わたしたちがどのように振舞うかは、多くの場合まったくわかりません。そのように考えると、その彼らと同じようなことを、どのような条件下においても絶対にしないとは、どういう場合でもなかなか言えないのだろうと思います。

それともわたしがそう思ってしまうのは、わたしの抱え込んだ闇があまりに深いからでしょうか。あまりにたくさんの悪事の芽を、わたしが持っているからなのでしょうか。

020207 正義は勝つ、というのは正しいのか

正義は勝つ、という言葉がありますね。正直なところ、正義は勝つ、と自信たっぷりに言いきられると、ちょっと違和感を感じます。このパターンを前面に押し出した物語も苦手です。

本当にそうなのか?そうじゃなかった例は歴史上にけっこうあるんじゃないのか?それとも負けてしまった「正義」は、そもそも正義ではなかったのか?だとすると正義とは何をさすのだろう?…考え出すと、きりがありません。

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ここで思考実験。昔高校で習った、逆・裏・対偶をとってみます。

  1. 逆:PならばQ→QならばP;「勝ったものこそが正義である」
  2. 裏:PならばQ→PでないならばQでない;「正義でないものは勝たない」
  3. 対偶:PならばQ→QでないならばPでない;「勝たなかったものは正義ではない」

もとの命題が正しいと仮定すると、対偶も正しい、というのが、論理学の教えるところです。対偶の対偶はもとの命題になるからです。そうか、「正義は勝つ」ならば、「負けたものは正義じゃない」のですねえ。ということは。決して負けられませんね。戦うときには、それぞれの人が「わたしこそが正義を代弁している」と思うものですけれど、負けてしまえば、その「正義」が通らないだけでなく、そもそもそれは「正義」でなかったことになってしまうわけですね。立つ瀬がありません。勝つまで戦いつづけますか?

逆と裏もとってみました。これは、もとの命題が正しいと仮定しても、正しいかどうかはわからない命題です。このへんになるともっと怖いですね。勝てば官軍、ですか。英語にも、「Might is right.」、つまり「力こそ正義である」なる言葉が、あったように記憶します。まあ歴史なんてそんなものかもしれませんけれども。

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勝つ・負けるから離れたところに正義を求めるとします。

で、正義とはなんなのでしょうねえ。「道理にかなっていて、正しいこと」と、辞書(新明解国語辞典)にはあります。道理って、なんなのでしょう。個々の場合、個々の人、そんなミクロな視点で見れば、ひょっとしたら定義できるときもあるかもしれません。でも。普遍的に決まるものなのでしょうか?それでも探すしかないわけです。日々ぶつかるところの、大小さまざまな問題において。

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「正義は勝つ」とでも思わなければ、やってられないことも多いでしょう。素朴な願望なのかもしれません。勝ってほしいという。

でも、正義だからといって、勝つとは限りません。そもそもそれが、正義だといいきれるのかどうか。自分にとっては正義であるとしても、です。

そんなことをいうと、とても悲観的に、絶望的に聞こえるかもしれません。でも、そうではないのです。そこからはじめればいいのだなあと、いいたいのです。それを踏まえてそのうえであえて、わが道を行こうと。

020210 精神的に恋愛するということ。

寒いです。気温的にはたいした事ないのに、どうも身体の熱産生能力が下がっているらしく、寒くて仕方ありません。

こんな日は昆布茶を飲んでいます。昆布茶じゃなくてココアとかシナモンミルクティーとか、横文字の飲み物を作っていた時期も確かにあったのですけれど、めっきり飲まなくなりました。

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昨日寝る前に、ふと思い出して、坂口安吾の「二十七歳」と、「三十歳」というエッセイを読んでいました。坂口安吾が、矢田津世子とのことについて書いた文章です。矢田津世子は彼の恋人だった、といってもいいのでしょうか?両想いではあったにもかかわらず、結局なにもなかったようです。

坂口安吾が彼女のことを想っていて、彼女が彼のことを想っていることも分かっていて、でも、なにも行動を起こすことができなかったようです。思いつめすぎてかえってなにもできなかったのでしょうか。そうして二十七歳のときに機を逸して三十歳になって再会するけれど、今度は矢田津世子のほうが意地を張ってしまいます。

3年間思いつめて、この世でもっとも穢れた存在であるかのように思い込もうとして、ふともっとも高貴な存在を空想するとやはりそれは矢田津世子だったりする。坂口安吾は女性の身体を知っているけれど、だからこそ矢田津世子がやはり女性の身体を持っていることが許せない。

そんなことをしていたら、やっぱり、本物にはもう、会えないだろうなあ、と思います。会わないうちに相手が死ぬか、自分が死ぬかしていれば、もっともきれいに片がつくだろうなあとさえ、思ってしまうかもしれません。

再会してもう会わないと宣言してしばらくして、矢田津世子は死んでしまいます。死亡通知のはがきが届きます。もしそれから長い間矢田津世子が元気で生きていたとしても、もう彼らが会うことはなかったような気がします。

これらすべてが必然であったかのように、坂口安吾は書いています。

020211 「われわれ国民」の範囲。

「○○は、われわれ国民をバカにしている」今朝のテレビで、アナウンサーが言いました。

○○を構成するのは、日本国民です。でも○○は、「われわれ国民」に含まれないようです。日本国籍を持っている人がすなわちわれわれ国民というわけでは、ないと見ました。

テレビ局の人だけを指すのでしょうか。それなら「われわれ△△テレビ局のものは」と言いますね。この案も、却下します。

ならば、テレビを見ているみなさんと、ここで報道を行なっているわたし、という意味でしょうか。○○の構成員が、このテレビを見ていたら、どうなるのでしょう。「われわれ国民」に含まれるのでしょうか。

わたしは、どうも、「われわれ国民」に、含まれているようです。「○○は、われわれ国民をバカにしている」と、思っていることに、なっているようです。まだ、○○のしたことを、検討してもいないのに。それどころか、知りもしないのに。

020212 400字への挑戦。

「井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室」(新潮文庫)なる本を、父が買ってきました。

作文教室だけあって、課題が出ます。課題は、400字詰め原稿用紙一枚分の作文です。

そうだ、わたしの文章はいつも不当なまでに長いのだ、と思いつき、昔の文章をちょっと削ってみました。加筆訂正といいたいところですけれど削る一方なのでした。400字の雑文コーナーを作りました。これでとっつきやすくなったかしら。

実をいうと昨日の日記も、400字詰め原稿用紙にちょうど入るように書いたのです。気づいておられましたか?

020213 読書について。

久々に、古本屋に行きました。学校にとても近い古本屋なのに、なかなか足が向かないのです。

探している本は、すぐ見つかりました。思ったとおり、百円でした。

ついでだし、と、棚を見てまわりました。 背表紙を眺め、ふと手に取ります。

何冊か手に取っていて、あれ、さっきから手にとっているのは、いつか読んだことのある本ばかりだよねえ、と思いました。

そういえば最近、本を読むといえば再読ばかりです。今日買った本も、どうしてまだ持っていないのかというくらい、何度も本屋で立ち読みした本なのでした。もっと言えば、買う本を決めてから本屋に行くことが増えました。父に頼んでしまうことも、多くなりました。

本なんて読まないほうがいいのかもよ、そんなことを日々、口癖のようにつぶやくわたしなのに、なんだか不安になりました。

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昔の文章を短く切りつめるというのは、なかなか面白い作業です。

書いてからじゅうぶん時間がたった文章は、あたかも、自分によく似た他人が書いた文章みたいで、あたかも他人が書いたかのように、さくさく削ることができます。書いたのはあくまで自分ですから、文句はきません。

それでよくなるか悪くなるかはわかりませんけれど、自分自身にとって、読み返しやすくなるのは確かです。

020214 バレンタインデーですね。

バレンタインデーというのは、もちろん、某製菓会社の陰謀であるわけです。もっとも成功したたぐいの。matzn氏によると、そのたぐいの「2匹目のどじょう」を狙った陰謀はまだまだあるようですね。ある見方をすれば、毎日が記念日なのでした。

定着してしまえば、それはそれで年中行事であり、それはそれで便利です。愛の告白とまでいかなくても、何かひょこっと贈ってみたいな、なんて思うことはあるわけで。やっぱりこういう、年中行事というのはありがたいわけです。

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バレンタインデーは、わたしが女でよかったなあと思う、数少ない日のひとつです。悩まなくていいですもの。男だったらやっぱり、いくつチョコレートがもらえるかなとかなんとか、きっと気にしてしまいますから。

もちろん女も、悩みは尽きません。チョコレートを贈るかどうするかから始まって、誰に贈るか、ケーキを焼くかチョコレートを買うかカードを贈るか、カードは郵送するかメールで送るか、カードには何て書くか。でも、あくまでそれは自分が決めることです。あれこれ思い悩むのも、実はけっこう、楽しかったりします。もちろん、贈らないと決めて、悩みを断ち切るのもひとつの方法です。

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父が会社から、義理チョコをいくつか持って帰りました。「いちばんようけくれたのは男じゃった」70代男性から、ゴディバのチョコレートを3箱、いただいたようです。やっぱりバレンタインデー、悪くないです。

020215 リストカットを考えてみる。

わたしの体内には血が流れている。切ればドクドクと血が流れ出す。本当にそれはわたしの血なのだろうか。
(高野悦子「二十歳の原点」)

リストカット、もしくは自殺のまねごとというのは、おそらく、自分が生きていることを、生存反応のレベルで確かめようという行為なのだろうなあと、思いました。生きているという感覚が怪しくなってくると、例えば手首を切ったら血が出るとかそういうレベルで、自分が生きていると確かめないことには、果たして自分がそこにいるのかいないのか、わからなくなってしまうのだと思うのです。

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「人間って、人の間って書くでしょう。人の間にいなければ、人間とはいえないんだよ。」昔ある人が、わたしにいいました。

人の間に存在していると思えないとき、少なくとも生物学的レベルで生存していると、自らに示す必要が出てくるのではないでしょうか。その生存証明として、リストカットが行なわれるのではないでしょうか。

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生存しているって、何も手首を切らなくてもわかるじゃないか。そのとおりです。

例えばものすごく痛かったりおなかがすいていたりするとき、身体は強烈なメッセージを発します。痛い。おなかへった。それって、生きている感覚を否応無しに呼び覚ますと思います。

ものすごく誰かのことが好きだとかもうどうしようもないほどきらいだとか、そういう強烈な感情も、同様に、生きている感覚を呼び覚ますことでしょう。

じゃあ逆に、そういう刺激がなかったとしたら。

生きている感覚って、希薄になるのではないかなあと、思うのですね。

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「人の間」に連れ出してあげればいいのかなあ。だいじょうぶ、キミはちゃんと生きてるよって、言ってあげたら、伝わるのかなあ。

伝わると、いいなあ。

020216 注目されること、注目されないこと。

テレビで、大阪であった児童殺傷事件の、追悼式が行なわれていました。

ああいう追悼式を行うのは、やはりご遺族の方々にとっては、少しでも慰めになることなのだろうかと、思いました。大きな会を行ない、それで少しでも多くの人に思い出してもらい、また、覚えていてもらう。やっぱり、そういう式を行うというのは、意味のあることなのかもしれません。

特殊な状況で殺される、そう、殺されるというのは、ありがちな事故で亡くなるよりも、ひょっとしたらつらいことなのかもしれません。それに、ニュース性というのも、残念ながら無視できません。特殊な事件は、どうしても注目されてしまいます。

池田小で殺されたよりもっともっと多くの、まったく注目されない中で亡くなった、わたしの知らない多くの子供たちのことを思っていました。本人そして親にしてみればまったく不慮の事故であった、その意味では等価でも、やっぱりある意味で扱いはちがうのだなあと。不慮の事故であってもなくても、例えば幼くして亡くなったという意味では、まったく等価であるかもしれないのに。

注目されているひとに関しては、なにもわたしが何か思わなくったって、いいような気がしたのです。注目されないまま病んでいく人、注目されないまま死んでいく人のことを、わたしは考えていようかな、と。

020219 タテマエとホンネと大義名分。

おとといきのうと、タテマエとホンネについて書きました。今日、もう一度考えてみて、結局のところ、「他人のせいにするな。ごまかすな。」ということになるのかもしれない、と思いました。

自分が結局どうしたいのかよく考えてみよう、ということですね。権威のあるひと・力のある人にいわれたように動くのは、仕方ないのかもしれません。こうしたいけれどこれこれの理由でやっぱりどうしようもないので今回は従っておこう、そこまで言えればそれはそれで、立派な選択だと思うのです。

でも、自分がどうしたいのか考えることもなく、条件反射的に命令に従ってしまうのは、寂しすぎやしないでしょうか。

そのさみしさをごまかすのが、大義名分であり、タテマエであるような気がします。大義名分は、そう、仕方なかったんだよね。これがひとの取るべき道だよね、という、自分へのとりなしを含み、タテマエは、だって反抗しても仕方ないもんね、そうでしょ、という、あきらめを含むのだと思います。だからこそ、どこか引っかかってしまうのだと。

020220 電話魔だったころ。

午後、久々に、わたしの携帯に電話がかかってきました。

事務的な用件の電話でした。はいはいと応じながら、ああ、なんだかしゃべりづらいなあ、あ、今の応対はちょっとまずかった、次の話題に行っちゃったじゃん、修正不可能だよう、と、舞台裏で焦りまくってました。

メールのほうが楽です。今、わたしは、ほとんど電話を使いません。

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昔、わたしは、電話魔でした。京都にいたころの、話です。

わたしが京都にいたころ、というのは、1995年から1999年にかけてです。

大学入学当時、携帯電話なんてモノの存在自体知りませんでした。2回生のころ、ポケベルなるものが一部で流通しはじめました。大学院に入ったころには、携帯電話もしくはPHSが、かなり普及していました。もっとも、わたしの周りでは、いってみれば「貧乏がステータス」というか、「貧乏なふりをすることが流行る」というような状況でしたので、携帯電話は結局、ほとんど普及していなかったように思います。

というわけで、当時、電話といえば固定電話をさしていました。

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何を話していたんだろう、と思います。

相手は、自転車で5分くらいの距離に住んでいる人達でした。部活のメンバーがほとんどで、ということは、週に少なくとも6日、顔を合わせるわけです。合気道部でしたので、練習前に着替えなければなりません。女子更衣室は狭いですから、部活の女子とはほぼ毎日、話すチャンスがあったのでした。

一緒に着替えてそのあと一緒にごはん食べて、それでも電話してたんですねえ。しかも数時間にわたって。

もちろん、互いの家を行き来して、話し込むことも少なからずありました。深夜の訪問も、珍しくありませんでした。夜の11時なんて早い早い、午前3時でも平気で、大通りを自転車で横切っていた記憶があります。車が少なくて信号も止まっていて、ある意味爽快でした。夜中に電話がかかってきて、今から行く、と言われることもありました。寒い時期には、ミルクティーを沸かして待っていました。

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それでも、やっぱり長電話していたんですねえ。

あの、身構えないところがよかったのかもしれません。用事はないんだけど、と、たずねることのできる間柄ではありましたけれど、それでも、電話というのは、たずねるよりもっと気軽でした。何でもないことで話がはずんで、切る必要もなくてずっと話しこんでいた、それが真相でしょうか。

ひょっとしたら、毎日顔をあわせていたからこそ、あんなに話すことがあったのかもしれません。毎日顔をあわせる相手で、気心が知れているという確信があったからこそ、相手の見えない電話というツールを使って、延々と話しつづけることができたのかもしれません。

それとも単に、さみしかったのでしょうか?

020221 大学に入ってまで勉強ばっかりしていてはいけない?

今日、本年度最後の試験であるはずの、発生学の試験がありました。最後のはず、と歯切れが悪いのは、ひょっとしたら再試が行なわれるかもしれないからであります。おそらくだいじょうぶだとは思うのですけれど、まあ、ふたを開けてみるまでこればっかりは。

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ところで、再試という概念を、わたしは医学部に入ってはじめて知りました。

もちろん、京都にいたころそんなに優秀な学生であったなんてことはありません。ただ、必修の科目というものがなかったので、落としたらそれでおしまいだった、それだけのことです。

極論を言えば、単位をくれそうな科目のテストだけを受けて、数さえそろえれば、卒業できたのですね。わたしのいたころは、同一時限に開講される複数の科目で、テストを受けることさえできました。

一度も出たことのない授業のテスト、確かに受けたことがあります。単位ももらったことがあります。化石の話だったはずです。教室に向かう廊下で、骨の標本を見かけたような気がします。

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わたしの人生は、「思いこみ→思い込みにしたがって行動→人のこけないところで思いっきりこける→思いこみ打破」の連続です。

大学入学時点の思いこみは、「大学に入ってまで勉強ばっかりしていてはいけない」でした。

わたしは、高校三年生の一年間を、受験勉強だけに費やしました。でも、特に何も捨てたわけではありませんでした。捨てるほどのものは、もともと持っていなかったからです。

そんなことではいけない、勉強ばっかりでは根性が曲がってしまう、と、大いに心配していました。大学に入ればわたしを知るものはいない、それは大きなチャンスだ、新しいイメージを構築しよう、そう思っていました。

その手始めとして、体育会合気道部に入部しました。これで最後まで勤め上げれば、きっと大きな自信になるぞ、と思いました。なんと言っても、わたしのもっとも苦手とする分野、運動です。しかも体育会。厳しくて自由がなくて、そのほうがかえっていいんじゃないの、中途半端じゃ身の置き所がなくなってしまうから、と、思っていました。

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そんなこんなで。理学部時代はほんとに、勉強していませんでした。なんて言うと露悪趣味っぽいですけど、事実です。

付け焼刃とハッタリで(こればっかり)大学院には滑り込んだものの、基礎知識のなさ、土台の不足に、焦るばっかりでどこから手をつけていいのかわからず、結局、ただ流されていたような気がします。

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だから、今の医学部の、強制的にこつこつ、という雰囲気には感謝しています。

半ば強制的に、授業・実習・テストが課されることで、半ば自動的に知識が蓄積されました。その結果、少しは、学問の楽しさみたいなものが見えてきた気がします。少なくとも、先生の言っていることがわかり、教科書に書いてあることが理解できるというのは、快感であることを実感しました。

ちょっとだらしないかもしれないけれど、このままきちんと流れについていって、それなりに勉強の楽しさみたいなものを実感しつづけるのもいいんじゃないかな、とか。

020223 考えあうことの希望。

タイトルは、西研の「哲学的思考」からとりました。

考えあうというのは、複数の人が同じテーマについて考え、考えた結果を互いにことばにしてやりとりすることだと、わたしは思っています。話し合うという言葉に似ていますね。

考え合う目的は、より深く、より強い考え方に到達することだと思います。

より深く、より強い考え方というのは、より多くの人を、より深く納得させることができるような考え方だと思っています。反論が思いつかないとか反論できないとか、そういうものではなくて、誰が考えても、どのような方向から考えてもそこに行きつける、そういう考えのことです。たとえ今いる立場や育ってきた環境がまったく違うひとでも、彼らなりの考え方で同じような結論に達することができるような考え方であればいちばんいいと思います。

複数の人間で考えることで、互いの考えの足らないところを補い合えば、そのような、深く、強い考え方に到達できるのではないかと思っています。

◆◇◆◇◆

でも、複数の人間で考えるというのは、意外と難しい。正直なところ、無理なんじゃないかと思っていました。

話し合いだって難しいです。具体的なこと、決めなきゃいけないことを話し合っていても、なんだか話があさっての方向に行ってしまったりもうどうしようもないからと多数決をとってみたり言いたいことがちっともわかってもらえなかったりと、トラブルは尽きません。挙句の果てに落ち着く結論が、なんともあたり障りのない、人畜無害な一般論だったりすると泣きたくなります。そんなん話し合わなくてもわかることでしょう?三人寄れば文殊の知恵、じゃなくて、船頭多くして船山に登る、じゃないの、なんて悪態をついてみたりして。

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そんな悪態をつきながら、でも、一人で考えていては、なかなかあるレベルを抜け出せないのですよね。なんだか同じ所をぐるぐる回っているみたいで。

哲学の始まりは、ギリシャの植民地、ミレトスだったといわれています。ミレトスは、さまざまなところからさまざまな人が集まってくる場所でした。前提として持っているものが、全然違う人たちが出会うのです。きっと、話し合いの機会がたくさんあったと思います。

当然のルール、当然の前提がないから、話し合いで新しいルールを作る可能性が生まれたことでしょう。話し合いをすすめるうちに、共有する前提が少なくても、納得しあえる結論、そんなものがあるのだ、そんな認識が生まれてきたのではないかと想像します。

そういう土壌で、皆が納得できるような考え方の代表とされる、哲学なる学問が生まれたというのは、なるほど、という感じです。

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考え合うことは、できるときとできないときがあります。相手によるのかもしれません。組み合わせによるのかもしれません。

必要なのはひょっとしたら、考え合うことができる、ということを、信じることなのかもしれない、と思いました。より深く、より強い考え方なんてものがある、そういう確信みたいなものが、必要なのかな、と。

020224 辞書を引くということ。

ほんのほんのわずかの上昇は、細部へのこだわりによって可能になるのではないか。(柳原尚紀、翻訳はいかにすべきか)

このところ何やかやで、辞書を引くことが多くありました。母の、電子辞書を借りています。軽くて速くて収録語彙が多くて。文明の進歩ってすばらしいですね。

で。きちんきちんと言葉を調べることの意義を、久々に実感したような気がします。英語はもちろん、母国語も、たまには辞書を引いて、意味を確定しなければならないのだと思いました。

例えば、哲学、なんて言葉を、半ば無自覚に使っていたりしながら、哲学ってなによ、と聞かれたときに、きちんと答えられなかったりするのですね。

哲学は、真理ここにあり、ではなくて、上手に考えるためのノウハウだと思う、と、私的辞書には書きました。聞かれたらそのように答えるでしょうか。それもひとつの方法です。

でも、哲学、と、説明抜きで書いたとして、読んだ人は何を感じるでしょうか。自分のために言葉を定義しなおすのもたぶん必要な作業です。でも、それだけじゃ足りなくて、きっと、なるべく多くのひとがとらえているように言葉を使うこともきっと必要なのだろうと、思いました。だって思っていることを伝えるために、文章を書いているのですから。だから、勝手に言葉を定義するのではなくて、言葉に与えられている定義をきちんと知ること、それも大事なのだなあと。一つ一つの言葉を大事にするというのは、そういうことなのかもしれないと。

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正直なところ、辞書を引かなくてもたいていのテキストが読める、そのことを、自慢にしていたふしが、ないではないのです。細かいことにこだわらず、大きくつかむことができてるんだぞ、すごいだろ、と。

でも、そういうことだから、あと一歩、の一歩が、越えられないのだなあと、今日、ふと思いました。ならば、もう少し細部にこだわってみようと。ほんのほんのわずかの上昇が、期待できるかもしれません。

020225 異なるものがぶつかって生まれるものについて。

020223 考えあうことの希望。で、ギリシャ哲学の発祥の地とされる、ミレトスについて少しだけ書きました。

なんでミレトスのことなんか持ち出したかというと、哲学、もしくは考える作法、が発展するためには、いろいろな人が出会う必要があるんじゃないかな、と、思ったからです。ミレトスは、さまざまなところからさまざまな人が集まってくる場所でした。

さて。異なるバックグラウンドを持つ人がたくさん集まると、そこでは、深くて強い考えが生まれやすくなる、わたしはそう考えています。でも、なんでそういうことがいえるのだろう、それが今日のテーマです。

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「だよね?」と、当然のように確認しようとして、「えっ?」と返ってくる、これが続くとカルチャーショックといわれる状態になります。共有するものが少ないと、話が流れにくくなりますよね。

その、「だよね?」が通じなかったとき、自分の中で常識だったことが、実はすべての人間に共通というわけではなかったのだ、と、実感できると思います。例えば、赤飯に甘く煮た豆を入れるか塩ゆでした豆を入れるかというような、些細なことでもです。

赤飯はともかくとして、さっきのミレトスに戻ります。そこに集まってきた人達は、それぞれ、育ったところの文化を背負っていたと思うんですよ。例えば神話とか。地球は亀の上に乗っているのかそれとも海に浮かんでいるのかそれとも、とかね。で、話してみるとそうは思っていない人達がいる。あれ?と、なるわけです。

ケンカになるかもしれませんね。でも、ケンカして、相手をノックアウトしたって、だから自分の考えが正しいとは実はいえません。このまんじゅうをどっちが食べるかなら、ケンカして勝って食べればそれでいいのですけれど。

そうすると、一部の人は、どっちがより、納得できるような考え方なんだろう、と、考え始めることでしょう。これが正しいとオレは思うんだよなあ、でも、どうやったらそれを納得してもらえるだろう?と。もしくは、どうしてオレはこっちのほうが正しいと思うんだろう?と。ひょっとしたら、どれもなんだかおかしい気がする、もっと納得のいく説明ができるんじゃないか、と思う人がいるかもしれません。

で、より納得のいく考えがみつかったら、これはどうだ、と他人に話してみると思います。どうだすごいだろ、という、自己顕示欲もあるでしょうし、こんなに素晴らしい考え方なのだから是非多くの人に伝えたい、彼らにとっても有益であろう、という、利他的な心もあるでしょう。ああでもない、こうでもない、と言い合うことが、実は結構楽しいなあ、なんて発見する人も、きっといたと思います。なるほど!と、膝を打つ感覚が、気持ちいいなあ、と思う人も、いるんじゃないかと。

そうしているうちに、より共有するものが少ない相手にも届く語り方、というのが、だんだんできてくるのだと思います。ほらね、こうこうこうだから、こうなるでしょう?やってごらんよ。ああそうだね、いろいろやってみたけどやっぱりそうなるね。そんな感じで。

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もちろん、上に書いたような、言ってみれば考え合いは、異なる文化が出会うところでなくても起こり得ます。でも、背負っているものが大きく異なれば異なるほど、ショックも大きいし、誰でもそう考えるような考えを追求するような構えに、より近づきやすいのではないかと思います。

ただし、大きな違いを乗り越えればそれだけ大きなものが得られるかもしれないけれど、そこまでに要するエネルギーは当然大きなものになります。そのエネルギーを持つ人、もしくはそういう場があれば、というのは、前提ですね。

020226 自殺する権利。

ある人とメールで、安楽死について話し合っていました。そこで、自殺するのは権利なのだろうか、という話が出ました。

自殺する人は古今東西あとをたたないわけです。人間、いずれは皆死んでしまいますから、自殺というのは、自分で自分の死を早める行為ですよね。その線でいくと、安楽死も、自殺の一種ではないかという話になりました。 自力で自殺できない人が、人(医療関係者)の手を借りて自殺するのが、安楽死なのではないかというわけです。

治療拒否が即、死につながるケースもあるでしょう。そういう人が、治療はもう止めてほしいと思ったらどうなるでしょう。治療を拒否したくなったとしても逃げられない、そんな状態の人も、きっといますよね。そういう人が治療を拒否して、それを認めたら、それもやっぱり安楽死で、しかも自殺だ、そういうことになるのではないかと、思いました。

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そこでもう一度。自殺するのは、権利なのでしょうか。

自殺すらできない、というのは、なんだか困りそうだよねえという話になりました。自殺するつもりもないのに、どうして困るのだろうと、話し合いました。

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自殺できるけど、というのは、たとえ消極的でも、日々生きることを選びつづけていることになるのではないか、これがわたしの考えです。

例えば線路に飛びこむとか、ビルの屋上から飛び降りるとか、首つってみるとか、包丁で致命的な部位を刺すとか、そういうのって、やろうと思えばできますよね。でも、やらない。

それって、やっぱり選択じゃないのかなあと、思うのです。いまここで人生を終わらせることもできるけれども、でも、そんなことはしない。それは、この瞬間において、積極的にせよ消極的にせよ、生きるという道を選択している、そういうことだと思うのです。

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だから、実際に行なうかどうかは別としても、自殺できるだけの可能性は残しておいてほしいなあと、思います。生きるという選択は、生きないという可能性があってのみ成り立つものですし、自分で選択しているという意識があってこそ、多少しんどくても立ち向かおうという気概が生まれるものですから。

020226-2 社会保障と啓蒙主義。

先日、病院に勤めるソーシャルワーカーさんからお話を聞く機会がありました。

例えば生活保護とか、医療費免除とか、困った人を助ける制度はいろいろとあるはずなのに、どうしてにっちもさっちもいかなくなる人がいるのだろう、それは制度の欠陥なのだろうかと、不思議に思っていたわたしにとっては、いい機会でした。

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制度に、不思議な点はあるのです。例えば、医療費免除は、生活保護を受けたとしたらもらえる筈の金額の、1.3倍以下の収入の人に適用されます。その免除適用が、入院中には受けられなくて、通院中には受けられる人がいます。入院中は、生活保護を受けている人は医療費やその他の経費を負担しなくてよくなりますので、生活保護費として国から受け取る金額はとても少なくなります。だから、生活保護を受けたとしたらもらえる筈の金額がぐっと下がってしまい、医療費免除を受けられる収入の限度もやはり下がってしまうのです。

それでも。ワーカーさんの話を聴いて思ったのは、「まずは啓蒙活動だろう」ということでした。お金がないからとリューマチを悪化させる前に、まず相談してよ、と。本当にお金がなくて体の調子が悪くて働けなくて困るのならばおそらく、医療費免除なり生活保護なり何なり、救済措置はあるはずだと。

欠陥の多い制度かもしれないのです。わたしの知らない問題もたくさんあると思うのです。でも、制度を変えなくても、制度を知らなくてそのために困っている人を助けることはきっとできますよね。それは制度を変えるより簡単なことではないでしょうか。

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本当に困っている人は、例えばインターネットにもつなげないし、相談室に行くにも抵抗があるでしょうし、情報収集って難しいかもしれません。

例えば制度についてたずねるにしても、わたしが勉強のために取材にいくのとは、きっと気分が違うと思うのです。助けてもらうということが、恥ずかしいと思う人もいるかなあ。助けてもらおうと思いつくことすら、難しいかもしれません。

だったら、困らないうちに、情報自体でなくても、困ったときに行くべきところくらいは、押さえておいてほしいんだなあ。みんな忙しいし、関係ないときには興味も持てないと思うけれど、もし困ったらここに相談してね、くらいのことは、誰もが知っているようだといいと思います。

社会の改善を求める、というならば、まずはそこからだろう、と。

020226-3 合気道部時代の話。

京都にいたころの話を書こうと思いました。これまでも断片的に書いてきました。これ以上書くためには、部活の話が避けて通れない気がします。ある意味時効ですから、自分の気持ちを整理するためにも、書いておくことにしましょう。

体育会合気道部に所属しておりました。昔ながらの、ある種理不尽な、熱い部活であったと思います。わたしはそこで、1回生のはじめから4回生の5月までを、過ごしました。つまり、入学とほぼ同時に入部して、引退するまで、いたわけです。

「人を投げたりできるよね?」よく聞かれます。投げたり関節をひねったり受身をとったりするのが、合気道です。しかし、正直なところ、もう、まったく何もできません。「昔とった杵柄で」お言葉はありがたいのですが、ぜひ披露したいと思うのですが、身体に記憶が残っておりません。

引退して、そろそろ3年が経とうとしています。真面目な部員ではあったはずです。練習はきちんとこなしていたはずです。少なくとも主観的には。

でも、なにも残っていないのです。少なくとも、身体の記憶としては。正直に話すと、信じられない、という反応が時々返ってきます。でも、事実です。おそらく能力の問題であるといって、いいのだと思います。脳の問題であるかもしれないとも、思っています。高校時代、体育祭でマスゲームをしたときも、わたしは、誰よりも長く練習したにもかかわらず、誰よりも早く、振り付けを忘れたのでした。

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現役部員として日々練習していたころも、おそらく、もっとも上達の遅い部類に属していたと思います。部の歴史の中で、最も上達が遅かったのかもしれないとさえ、思います。

「あなた、真面目に人の話聞いてる?」1回生の時、先輩に言われました。これでもまだ足らないのだろうかと、思いました。ひょっとしてわたしは、聞いているつもりで聞いていなかったのでしょうか。おそらく、聞いたことを復唱せよといわれたら、できたと思うのですけれど。

練習中言われたことを帰って書き出して、折に触れ眺めてみる、そんなことをしてみたこともあります。帰って復習しようにも型が思い出せなくてどうしようもなく、ボックスから型の本を借りて、見ながら練習していたこともあります。

でも、差は開いていく一方でした。才能の差と言ってしまったら、やはりそれは、わたしの努力不足をごまかしていることになるのでしょうか。わたしにはよくわかりません。

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どうしてそんな部活にずっといたのか、というのは、当然の疑問だと思います。

ひとつには、入部時に、引退するまで勤め上げようと決意していたからです。状況があまりに悪くて、ここで逃げ出すとまさに負けたことになってしまうから、という意地が、途中で加わりました。理学部という学部の性質上、1、2回生は、部活でもしないことにはなかなか、学校内での居場所をみつけにくいという事情もありました。

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意地になる原因はもうひとつありました。

1回生のころ、あこがれている先輩がいました。わたしの気持ちは、ご存知のようでした。

「恋愛感情は持てない、彼女にはできない」と、言われました。でも、しばらくたって呼び出されました。会ってしまうのでした。これほどまでに自分がだらしないとは、そのときまでまったく知りませんでした。

「こういう関係って、なんて言うんですか」と聞いて、「なんでもいいんじゃない、例えば、バナナな関係とか。」と言われました。それ以来、バナナという単語が大嫌いです。

しばらくたって、「これ以上会うと情が移ってしまうから」と、あっさり、振られました。ほどなく、その人は、わたしの友人と付き合いはじめました。

そのころ、わたしには、そういう「情けない」話をできる友人が、近くにいませんでした。なんでも話せる親友、そう言ってもいいような存在ができたのは、それからしばらくたってのことです。それでもずいぶん長い間、この話は伏せていた気がします。

こういうことがあったために、もしわたしが部活をやめてしまったら、それはその人のことを気にしてということになってしまうのではないかと思いました。そうなってもらっては困る、と思いました。意地でもとどまらなければならない、と、思いました。

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じきに、部員と仲良くなって、まあ、この部活にいるのも悪くないな、と思うようになりました。今では、あの部活に最後までいて、本当によかったと思っています。おかげで今の自分があるのだと。

020227 躁的防衛を実行していたころ。

昨日、「合気道部時代」で、あこがれていた先輩にあっさり振られた話を書きました。ずいぶん前のことになってしまいました。もう6年以上たつのですねえ。こんな昔のことなんか書いていていいのか、という感じです。

今日は、その後日談をします。

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もしわたしが部活をやめてしまったら、それはその人のことを気にしてということになってしまうのではないかと思い、意地でもとどまる決断をした、と書きました。

そのころからわたしは、躁状態になりました。ただし、「ソト」限定です。よくしゃべるようになりました。もともとそれなりに通る声をしているのが、ますます響く声で話すようになりました。あははははと、ほんと文字で書いたらこんな感じになるような笑い方を、するようになりました。人の目をのぞき込んで話すようになりました。「あたしはですね、…なんですよう!」と、「よ」にアクセントをつけて話していたような記憶があります。「おまえ何言われても明日になったら忘れてる、そんな幸せなやつだろ」「そーなんですよう。でもあんまりいじめちゃダメですよ!」

「ソト」限定とわざわざ断り書きをいれたのは、一人でいるときはまったくのうつ状態だったからです。

心の平安さえ得られれば、あとはなにも要らないと、もっとも真剣に願ったのはこのころではないかと思います。幸福論と名のつく本を何冊か読みました。聖書をひもといてみたり仏教の本を買ってきたり般若心経を唱えてみたりしました。

なんで外では躁状態を保っていたんでしょう。そうやって騒いでいる間は、いろんなことを忘れられたからでしょうか。

それとも、単に、心の中をのぞきこまれたくなかったからでしょうか。元気がないと、どうしたの、と聞かれてしまうでしょう。聞かれたら、何か言ってしまいそうでした。言いはじめたら、止まらなくなりそうでした。だからでしょうか。

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そう言えば、旅に出ればよかったですね。今ならそう思います。でもそのころは、旅行にまったく興味がありませんでした。はじめて自発的に旅に出たのは、大学を卒業する春のことです。絵を描きはじめたのも、たしか、3回生のころだったと思います。後に親友といえるようになる人達とも、まだ親しくなくて。

どうやって日々を過ごしていたのでしょう。思い出せません。

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京都にいたころ、友人と昔話をすることがよくありました。ここで言う昔とは、例えば1年前や2年前のことをさします。1回生のときはああだったね、2回生のころってさあ、と、話していたわけです。たいていは、成長したねえ、と、確認するために。

「ねえ、わたしが1回生だったころ、例えば夏休み前ね、どんなだったっかって、覚えてる?」たいていのひとが、おぼえていない、あれーどんな感じだったっけねえ、2回生くらいのことはおぼえてるんだけどねえ、と答えました。それでいいんだよ、忘れといてね、と笑っていました。

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今のわたしですか?あのころと同じくらい、明るいときもあります。気分により変動します。時々暗いです。

今はもう、無理してません。こんなに正直でいいのだろうかと思うくらいに。

だから、だいじょうぶです。

020228 わたしが旅に出る理由。

タイトルはもちろん、小沢健二の「ぼくらが旅に出る理由」からです。あの歌、だいすき。

それはともかく。このサイトの管理人であるDr.Nは、3月1日から数週間、おそらく1か月ほど、四国でお遍路をしてきます。その間は、サイトの更新はできません。すなわち、このサイトは、一時的に休止状態になります。4月中には、再開の予定です。

その間は、メールも届きません。パソコンのたぐいを、持っていかないからです。

で、どうしてお遍路なのかといいますと、要するに、わたしの頭を整理するためです。どうもこのところ、完全なキャパシティーオーバーの状態が続いているらしいのです。知識や情報や想いが、わたしの中に充満してしまって、いっぱいいっぱいなのです。

何も考えずに歩くことで、いずれそれらの知識や情報や想いが、わたしの中でほぼ自動的に取捨選択されるのではないかと、考えています。同じ動作をずっと続けるのを、行といいます。行を続けると、頭は空っぽになるそうです。頭を空っぽにするために、私は歩きます。

それでも残った記憶だけで、おそらくわたしはやって行けると思います。再び始まる日常生活に備えて、少しでも身軽になるために、歩くのです。

それではまた、お会いできる日まで。

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