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◆2002年09月の日記◆

010908 精神病院実習

9月3日から6日まで、精神病院に実習(というか見学)に行かせて頂いていました。うちから遠いところだったので泊めていただいての実習でした。病棟を回らせていただいたり訪問看護についていったり作業所で一緒にお弁当を作ったり断酒会に出席したりデイケアで一緒に院内喫茶をやらせていただいたりと、たいへん充実した、楽しい実習でした。

閉鎖病棟で考えたこと;自由ってけっこうしんどいものかもしれません。開放より閉鎖のほうががいいと主張する患者さんがいるといいます。保護室でかえって落ち着いてしまう人がいるといいます。なんだかそれって、他人も入ってこないし、やることは決まっていてそれにしたがいさえすればよくてあまり自分で考えなくて済むしで、病気にエネルギーを吸い取られて疲れきっている人にはありがたい状況なのかな、と思うのです。わたしだってしんどいときには他人に会いたくないし、カリキュラムも時間のすごし方もすべて自分で決めなければならないときにかえって戸惑ってしまうこともあります。もちろん選択の自由は権利として保証されなければなりませんし、それを不当に制限するようなことはあってはならないのですけれども、でも、ある程度その自由を請け負ってあげることは必要な時もあるのかもしれないと思うのです。

想像とは違った部分もあったし、想像どおりだったところもありました。今までは精神科といってもどちらかというと神経症領域に関心を持っていたのですが、今回実習してみて、経過の長い、分裂病などの典型的な方々と長くお付き合いするのも悪くないな、と思うようになりました。ひょっとしたら興味が先行しているのかもしれませんけれど、でも居心地はとてもよかったように思います。なんだか穏やかな感じで。もちろん穏やかでないところも多いのでしょうけれども。

010909 実はテスト前です。かなり惨状かもしれません。

わたくし、実は現在テスト前です。9月14日と21日、解剖学の予備試験(実習に入る前の試験)があるのです。8月30日まで全く手付かずで、8月31日から3日間缶詰になって必死で勉強したものの9月3日から6日まで某精神病院に実習に行っていたりして、本人も呑気過ぎて気づいていなかったものの実は「チャレンジャー」な状況なのでした。

この解剖学の予備試験、落ちても一応追試があり、直ちに留年というわけではないのですけれども、一発合格組と追試組は別々に解剖実習グループを組むことになるのでみな必死なのです。やはり相手はよくできる人のほうがいいわけです。しかも試験が終わったら私はどこかに出かけようと思っているのです。追試になったら当然、どこにも行けません。解剖学の予備試験は全部で5教科(骨・筋肉・脈管・内臓・末梢神経)あります。一つも落とせないというのは、60点とればいいとはいうもののそれなりにプレッシャーです。

分厚いノート(針金綴じ)を買ってきて左側に過去問、右側に自作解説、というスタイルでノートを作っています。先程ノートが終わりました。いずれにせよ過去問レベルしか出ないよね、と思いつつこんなことでいいのだろうか、なんだか本質から外れている、そんな気がしたりしています。「テストで点をとれればいい、という勉強スタイルやなあ」と友人に言われて、それがどうしたと開き直りつつも多少気がとがめています。

そうそう、9月13日(テスト前日ですな)からこちらで、オンラインチュートリアルなるものに参加するのでした。輸入感染症について勉強します。チュートリアルというのは、問題解決能力の取得、学習へのモチベーションの惹起を目的とした新しい教育方法だそうです。わたしの学校でも来年から(もちろんオフラインで)チュートリアル教育は導入されるそうですがどうもわれわれの下の学年からしか導入されない気配です。ごちゃごちゃ言わずに自助努力しようと思っての参加です。

しかし。自助努力と同時にカリキュラムにもついていかなければなりませんねえ。明日もがんばります。

010910 記念すべき10回目の献血。

今日は献血に行ってきました。

平日の午前中献血に行ったのははじめてでした。ほんとうにちらほらとしか人がいなくて、これでは輸血用血液も足りなくなるかもしれないなあ、と実感いたしました。

私は血液センターから徒歩3分のところに住んでおり、また、大学生を長年やっておりますので平日の午前中にひまなことはしばしばあります。近くに住んでいるうち、時間のあるうち、そして健康なうちに(抗生物質など飲んでいると献血できないことも多いので)せいぜい通っておくことにしなくてはですね。まあ、看護婦さんは親切ですしおやつも食べ放題ですしビデオも見られますし、しかもこのたび待合室の「エースをねらえ!」にはまってしまったのでこれは通うしかないですね。

今日は10回目の献血で、献血手帳更新とともに記念品をいただいてきました。透明な杯です。これから10回ごとに、この記念品がいただけるのですね。確か杯の色が毎回変わるような。

そういえばわが大学の解剖学教授はこれまでの生涯に192回(!)献血したとおっしゃっていました。仮にはじめての献血から40年経っているとして年5回ですね。はじめのころは全血の献血が主流だったと思われるのにがんばりましたねえ。そういえば去年はその先生の授業で、実習と称して皆で献血に行ったとのこと。献血センターから何枚か感謝状が届いているころかもしれません。

といいつつ。今日は献血のせいか眠くて眠くて、午後ずっと昼寝をしていたのにまだ眠いです。成分献血でちゃんと赤血球は返してもらったのに…?

010913 バーチャルリアリティー。

おひさしぶりです。このところ2日ほど体調を崩しましてたいへんでした。ひょっとして試験に自信がないことを全身で合理化しているのではなかろうかと思うと自分が少し信じられなくなりますけれど、きっと単に季節の変わり目だからでしょう。そういうことにしておきましょう。

さて全世界的に話題になっているアメリカのテロ事件です。「これは戦争だ」と、アメリカのお偉いさんがテレビで言っているのを見ました。「頼むから戦争にはしないでくれ」と思いました。瓦礫の山と化した街をテレビで見ながら、これからじわじわとやってくるだろう世界的な、いろんな意味での「危機」に思いをはせて不安な気分にひたっておりました。今はみんなパニックでかえって状況は止まっているかもしれないけれど本当にたいへんなのはこれからではないのか、あの、阪神大震災のように、と。

でも、でも、実を言うとそのような大事件が起こったという実感が今一つわかないのです。問題発言であることは承知しているのですけれども。あの、貿易センタービルに飛行機が突入していく瞬間を見てもどうしてもそれが映画ではなくフィクションではなく現実であると認識できないのです。なんだか離人症のような、ぽつんと取り残された気分です。頭では分かるのですけれども皮膚感覚がついていかない、たくさんの処理回路を経ないと感情が起こらない、そんな感じです。目の前にいる人の状況ならこれよりもっともっとたいしたことない状況でもそれなりに反応するのに。

「顔を見て話すと、やさしくなれるんですよ」と、「いいひと。」にありました。そういうことなのかもしれません。

010915 解剖学試験中休み。

えっと。昨日は解剖学プレテスト前半でした。骨学と筋学と脈管学の試験がありました。出来は不明ですけれどもまあ、60点とれば合格なので恐らく落ちているなんてことはないと思われます。信じております。

といってもテストがこれで終わりなわけではなくて来週の同じ曜日、同じ時間(すなわち金曜日の午後5時から)に、内臓学と末梢神経学の試験があります。実は昨日、試験が終わってから勉強を始めました。まだ内臓の過去問を一年分解いてその周辺の調べものをしただけです。今日はなんとなくやる気がなくて。ちょっと勉強してはぼんやりする、の繰り返しです。

うちの学校の解剖学の試験においては、(今年から先生の変わった末梢神経学を除いて)解剖学用語がラテン語で出題されます。今日、消化器系の勉強をしていて「ventriculus」とあり、そうか心室か、心臓は循環器系だから脈管学で扱うんじゃなかったっけな、それにしても心臓は勉強したのに見たことのない用語が並んでいるな、と首をかしげていたら「胃」でした。一人でショックを受けていました。

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なんだか昨日は試験が終わったあと気持ちが鬱々として晴れませんでした。何がいけないのかな、と考えたら自分自身の強迫的傾向に思い当たりました。常に出来るかぎりのことをしていないと気がすまない、というところがあるのですね、わたしには。調子のいいときにはある程度サボってもそれなりに、それなりにやっていけるのですけれども、どちらかというといいかげんに生きているのですけれども、ふと調子が悪くなると「できる限りのことをやっていない」自分を責めてしまうようです。

さらに、実をいうとわたしは、「こうあるべき」という「自我理想」にがんじがらめにされてしまうことがあります。自分がどうしたいか、よりも他人にどう見られたいのか、を優先してしまうときがあります。以前、「あなたは何でもできるから」、そんなことをいわれてショックを受けたけれど、そのように仕向けたのは自分なのでした。時に嘘をついてまでも。でもその陰には深刻な劣等感があったりして。

友がみな われよりえらく見ゆる日よ 花を買い来て 妻としたしむ

なんだかこんな歌が身にしみたりして。前向きになれない自分が気に食わなくてますます落ち込んだりして。

そんな気分でいたときに、kaoruさんの日記「汚ギャルじゃない。 」を読みました。とても救われる気がしました。

たぶんこれからもしばしば落ち込んだり泣いたりはするんだろうけど、また前に進むことはできるでしょう。強迫的になると自分も周りもしんどいけど、たぶんそれだからこそできたこともあるわけで、その性格を認めてちゃんと付き合うことができるようになれれば、きっとずっと向上できるんだろうと。いまはこれまでとは状況も違うし、今回はなんとかなるのではないかと、思っています。

まとまりはないけれどひとりごとでした。


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