淡々としていなくもない日常。>日記・雑記目次 >2001年06月の日記

◆2002年06月の日記◆

  • 010601 I'm not OK, you're OK.
  • 010602 海くんの講演会、その2。
  • 010605 手っ取り早く世界を変える方法。
  • 010606 髪を切る
  • 010608 わかったつもり。
  • 010609 大阪の、小学生刺殺事件について思うこと。
  • 010610 免許更新失敗
  • 010617 読書記録について。
  • 010619 「されど われらが日々-」&「論文の書き方」 
  • 010623 遅れ馳せながらの動物占い。
  • 010624 さまざまな遅れを取り戻そう。
  • 010625 リハビリとは再適応である。
  • 010627 いまどきの中学生。
  • 010628 ほとんどお休みな一日。
  • 010629 久々のデッサン教室。

    010601 I'm not OK, you're OK.

    珍しく、英語でタイトルなどつけております。表題は、交流分析用語です。基本的構え、といいます。

    何が言いたいか。見たまんま、です。自分と他者、それぞれについて、肯定的にみる見方と、否定的にみる見方があります。ということは、順列組み合わせ(というほどのものではありませんが)により、4通りの組み合わせが考えられますね。もちろん、I'm OK, you're OK.ってのが、一番健全です。そういう人がうらやましい。

    そう、恐らく、わたしの「基本的構え」は、「I'm not OK, you're OK.」だと思われるのです。治そうと日々努力しているのですがこれがなかなか。ずいぶんマシにはなってきていると思うのですが。

    前置きが長くなりました。これからが本題です。授業中、一部の人がひそひそしゃべっているのが聞こえてくることがあります。結構気になるんですよね、あれ。調子が悪いときには関係妄想気味になってそういうひそひそ話の全てがわたしの悪口に聞こえたりしますがそれはまあこの際どうでもよろしい。それなら前に座ればいいのですがそうも行かないことも時々ありますので。

    で、聞くともなしに後ろのお喋りを聞いていると、いやはや。いろんなことにたいして文句を言っていらっしゃるわけです。たとえば先生とか。授業とか。他の人とか。

    「そんなに簡単に他人を切れるなんて、すごいなあ」と、私なんぞは感心してしまうわけです。わたしも、確かに気は短いですし、腹を立てて悪口雑言並べ立てることがないとはいいません。しかし。同じことを絶対やらないなんて、どうしていえるんだろう。たいした自信だなあ、と。これが、「I'm OK, you're not OK.」のひとつの形なのかなあ、と。楽でしょうけどね。自分と相手を切り離さないと、あそこまでは言えない。いやはや。

    それと同時に、その「切り捨て方」に、不安を覚えたりするわけです。確かにね、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という諺は、真実だと思いますよ。でも、そこまで否定しなくってもいいじゃないの、と、割って入りたくなります。自分が言われたら、と、ぞーっとするわけですね。ああまで自信たっぷりに、人格否定されたら、わたしなら登校拒否になってしまいます。基本的構えが「I'm OK, you're OK.」なので、あっさり納得してしまいそうで怖いです。

    「もっと自分に自信を持て」と言われるのですが、どうしたらいいのでしょうねえ。

    本日のBGM;Mr.Children "名もなき詩"

    010602 海くんの講演会、その2。

    今日は、西原海くん・由美さんの講演会がありました。西原海くんというのは、10年前のある事故で、全身麻痺と意識障害を負ってしまった、現在小学6年生の男の子です。

    なんだかんだで由美さんのお話を聴くのは3度目なのですが、今回は、もっとも有意義であった気がします。

    対象に医学生・看護学生だけでなく看護婦さんも含まれており、 少し踏み込んだ話が聞けたこと。 海くんを近くで見ることができたこと。前のほうに座っていた、というのもあるので すが、 コンパクトな会場構造もよかったですね。 また、始まる前、そして講演後の懇親会で、由美さんと直接お話ができたのも 非常によかったです。

    内容について少しだけ。 今回は、医ゼミのテーマである「コミュニケーション」を意識しながら聴いていまし た。 そこで、もっとも引っかかったのが、 「注射・採血などの処置に際して、海くんが何も言わない、言えないからといって、 何も言わずに腕をめくり処置を済ませ、何も言わずに出ていくスタッフがいる。 一言声をかけてもらえば、その日一日ずっと幸せな気分で過ごせるのに。」 というくだりです。 実を言うと、わたしはかなり早めに会場に着いており、 同様に早くきた海くんに声をかけようと思えばかけられたのですが、 「あんまりよく知らないし、何を言えばいいのだろう」 とおもって尻込みしてしまい、声をかけられなかったのですね。 このくだりで猛烈に反省いたしました。

    「わたしはあなたを認めてますよ、気にかけてますよ」 そういうのを示すのが、声かけなんですよね。 挨拶だってそう。 こっちとしては無視するつもりがなくても、 どうすればよいのか戸惑ってしまって機を逸しただけだとしても、 結果的に無視することになってしまえば、 相手はよい気持ちはしませんよね。 まして、何かと不便な状態、不安な状態に置かれている患者さんの立場なら、 それはとても当然のことです。

    「わたしはあなたを認めてますよ、気にかけてますよ」 それだけを示したいとき、何か決り文句があると便利。 その為にあるのが、挨拶なのかなあ、とか。

    海くん、近くで見ていると、ほんとに表情が動くんですね。 これまであまり長い時間近くにいることがなかったので、 (今回だって長時間とは言えないけど) 目の当たりにしてびっくりしました。 たくさん表情の変化を見たから、これはただの偶然じゃないな、と。 目が見えているのかどうかはわからないし、耳が聞こえているのかどうかもわからな い。 でも、それこそ「気」の流れみたいなものを感じているのでしょうか。 今日はちょっと機嫌がよかったようで、 目が黒目がちで、なんだかこっちも明るい気分になりました。

    懇談会で、由美さんとお話することができました。 「海くんを前にして、なんて話しかけていいのか困ってしまうのですが」 これ、ずっと気にかかっていたのです。 「普通の、小学6年生の男の子に接するように接してもらえればいいんですよ」 そっか、「海くんだから」と意識する必要は、ないのか。

    でも。 普通の、小学6年生に話しかけること、わたしにはできるでしょうか。

    障害のあるなしに関わらず、なかなか他人に声をかけづらいということはないでしょうか。 「袖触れ合うも他生の縁」 ではありませんが、初対面の人に、にこやかに声をかけることができるでしょうか。先日訪問した老人ホームでも、「相手してあげて」「話してきて」に戸惑いました。 問題は、あの苑生さんたちがたとえば言葉が不自由だったり痴呆だったりすることで はなくて、初対面の人に対してどう接してよいかわからない、わたしたちの側にあったのではないでしょうか。

    そうそう。
    海くんは、エンシュア(だったと思う)という栄養剤で生活しています。 クローン病の人などが使う、これさえ飲めば、の栄養剤ですね。 味見させてもらったんですよ。 甘味と辛味と苦味を同じ割合で混ぜ合わせたような、 しかも舌の上の味覚細胞の分布がわかるような (味覚の地図、というのは大嘘だ、と昨日授業で習いましたが) 非常にまずいものでした。 いくら胃に直接流し込むからといって、これではねえ… だから、由美さんは、 三食に一度は、他の家族が食べているのと同じ物をミキサーにかけて与えるそうで す。 流し込む前に、ちょっとだけ舌の上に乗せて、味わわせてあげるんですよね。 うまく言えないんですけど、あ、いいな、と思いました。

    あんまりまとまってないですけど今日はこのへんで。

    本日のBGM;pinkfloyd "a great day for freedom"

    010605 手っ取り早く世界を変える方法。

    世界を変える、というか、世界の見かたを変える、というか。わたしに見える(感じられる)ものこそがわたしにとっての世界ですから。

    何が言いたいかというと。コンタクトを作ってきたんです。使い捨てです。ONE-DAYアキュビューです。世界、変わりました。世の中の「目がいい人」は、こういう世界に住んでるんだな、と。メガネをはずした自分の顔も、久々に見ました。部屋のゴミが目に入るのは何とかしてほしい…あ、掃除すればいいのか。これまで、「掃除しなさい」「え、汚れてるかなあ」「見えないの?」「ぜんぜん」だったのですが。これからは見えてしまいます。仕方ない。明日あたり頑張ろう。(←でも明日にまわす。)

    久々に?そう、長年メガネッ子のわたしも、コンタクトをつけていた時期があるのです。京都にいたころ、始めはソフトコンタクト、次はハードコンタクト、でした。ソフトはたしか、部活(合気道)をするのにメガネが邪魔で、でも、メガネなしでは相手の顔も満足に見えないから、という理由で購入したんだと思います。でもじきに腐らせました。というか、たしか、唐辛子を触った手で触ったら、一応洗っていたにもかかわらず、レンズを入れたとたんに目に激痛が走り、それ以降レンズを入れなかった気が。次はハード。これは免許を取りに行くときですね。これはどうしてつけなくなったんだろう…たぶん、要するに疲れたんでしょうね。当時わたしは研究室に所属しており、デスクワーク・パソコンワークばかりに従事していましたから。

    今回のコンタクト購入の理由は、免許の書き換えです。それ以外にもいろいろあるのですが、まあよいでしょう。これで髪を切れば、イメチェン完了。ジーンズがもうワンサイズ細くなれば、完璧。(←これは難しい)

    ちなみに。処方してもらうために、かかりつけの眼科に行ったんですね。「コンタクトの処方は月・水・金しかやっておりません。また、うちで作られる分しか処方しておりません。」とのことで、結構遠くの眼科まで行ってきました。そこ、きれいだったし看護婦さん明るいし設備も新しいし説明も明瞭だし…というわけで、これから眼科にかかるときにはこっちにしようかな、とか。

    本日のBGM;B'z "Calling"

    010606 髪を切る。

    学校が終わってあまりにやる気がなかったので、髪を切ってきました。まっすぐ家に帰っても、恐らくバイトまで寝ているだけだろうと推測されたので、それなら髪でも切ってくるかな、と。昨日の日記に自分自身触発された部分もあるかもしれません。

    コンタクトをして髪を切りに行ったのは初めてだったので、切ってもらっている間ずっと鏡に注目していました。わたし、髪が伸びるのが本当に速いんですよね。こないだ切ったばかりのはずなのにどうしてこんなに切るところがあるんだろう。気持ちいいのはすいてもらっている時です。あの、毛すき用ギザギザはさみのジャキジャキいう音(J音でもD音でもなく、Zね、Z。)がたまりません。

    「どうする?」「とりあえず短く、少なくしてください」…短く、少なくなりました。とうとう、頭の表面から段が見えるようになりました。これでブレザーを着ると「男子校の卒業式」。←そういうことではもちろんいけないのだけれども

    そういえば、以前わたしの担当だった美容師さん、今日が出産予定日だったみたいです。まだ生まれていないらしいということですが、いい話です。元気な赤ちゃんが生まれているといいなあ。

    本日のBGM;pinkfloyd "a great day for freedom"

    010608 わかったつもり。

    「…っていうことなのよ。分かる?」「うんうん」こういう会話、ありがちですよね。でも、わかるってどういうことなんだろう。

    1. その方法なり理論なりを、自分で使うことができる。
    2. ひっかかるところがない。すんなり頭に入った。
    3. その結論に至るまでの道筋を、自分でたどることができる。

    1の場合。数学はそうですよね。突き詰めれば「どうしてそうなるのかなんて理解できなくてもいいから解法さえおぼえればよい」ということになります。まあ実用上は問題ないかな。応用は利かないかもしれませんし、それゆえに記憶力に過大な負担をかけるかもしれませんが。

    2の場合。これって、「わかったつもり」に陥りやすいですね。実は勘違いをしていたり、いいように解釈していても、気づかない可能性が大きいです。前提を取り違えたり途中で変えたりしても気づいていなかったり。

    3の場合。これが、いわゆるわかる、ってやつでしょうか。「ほんとうにわかったの?だったら説明してごらん」で、説明できたらわかっている、という。これが一番、いわゆる「わかる」に近いでしょうか。2よりは、明らかな間違いの可能性は小さくなりますね。でも、それでも、説明する側説明される側ともども大事な点を見落としたり勘違いしたりする可能性は否定できません。

    でも、たとえ小さなことでも、突き詰めていけば本当にたくさんのことにつながっていく(一粒の砂から世界が見える、って言ったのは誰でしたっけ)わけで、小さなことでも本気で突き詰めようとすれば一生では足らないのでしょうから、ある程度のところで妥協して「わかったつもり」で安心したほうが実用的なのかもしれません。

    最近、「図」に危険を感じています。きれいな略図で説明できると、なんだかそれでわかった気になります。でも、その図は本当に正しいのでしょうか?いいように説明をつけて、「わかったつもり」「片付けたつもり」になっていないでしょうか?図にできない複雑なことを、切り捨てたりしていないでしょうか?図がきれいになればなるほど、実際の姿から離れていきます。時々実際の姿にもどって確認しないと、やっぱりとても危ないのではないかと。ステレオタイプの危機、ってやつですか。

    なんで突然こういうことを言い出したか。神経解剖学の、神経の走行の概略図を見て思ったのです。図版の写真を見ると何がなんだかわからないのに、「神経の走行」として図を描かれると妙に納得してしまうのです。全部フィクションだったとしても解剖実習まで確かめる術はないよなあ、と考えるとちょっと笑えたりして。そういうのは学習において教師・生徒の間で当然に共有されている前提ですから、きっとだいじょうぶなのでしょうけれどもね。

    本日のBGM;Mr. Children "シーソーゲーム"

    010609 大阪の、小学生刺殺事件について思うこと。

    大阪で、刃物を持った男が小学校に乱入、生徒と教官を刺して、小学生8人を殺したとニュースで見ました。殺された子・怪我をした人々のご冥福およびできるだけ速い回復をお祈りいたします。

    さて。この事件の容疑者(現行犯逮捕されてますよね。でも裁判前だから容疑者。このへんは厳密に行きましょう。)は、精神科通院中であり、事件直前に10回分の精神安定剤をまとめて飲んだ、と報道されています。

    当たり前のことをここで一言。精神科に通院する患者さんの全てが危ないわけではありません「普通のヒト」(こういういい方は好きではありませんが)でも犯罪を犯すことがあるし、いろいろなところに病気を持っている人(寝たきりだと犯罪を起こすどころではないでしょうけれど)も犯罪を犯すことがある。そういうことでしょう?「普通のヒト」が犯罪を犯したからといって世の中の、精神科通院歴のない人みんなを隔離しようなんて思う人はいないわけで。こういう事件が起こったからといって、「ゆえに精神病は危ない」とかなんとか言って、罪もない人々を隔離なんかしては、絶対にダメだと思います。ほんとうに。わたしの知る限り、そういう病気の人々には、むしろ善良な方々が多いはずです。必要のある人は、ちゃんと安定剤飲みましょうねえ〜。安定剤自体が悪いわけではもちろんないですから。

    そもそも。

    動機・原因が不明の犯罪が起こる
    →「犯人って、『頭おかしかった』んだよね。だってああいう事件を起こしたんだから」
    →「こういう事件を起こすのは精神病患者である」
    →「精神病患者は、あぶない」

    なんていう論理は、明らかに間違ってます!

    妙な犯罪を起こすのは精神病患者に違いない、ゆえに精神病は危ない、なんていうのは、かなりとんでもない論理です。こういう心配が、杞憂ならいいんですけどね。ちょっとばかり心配です。今後の動向を見守りましょう。

    本日のBGM;Mr. Children "シーソーゲーム"

    010611 免許更新失敗。

    昨日は「全ては寝てから考える」と言い残して10時前に「とりあえず」布団に入ったところ、今朝7時までぐっすり寝ることができました。まだあと3時間くらいは余裕で寝られそうな勢いだったのですが、なんと言っても階下のテレビがうるさくて。

    さて。本日は免許更新に行くことになっておりました。この街の免許センターは、うちから車で30分くらいのところにあります。迷わなければ、ですが。自分で運転するのが筋なのですが、わたしは典型的ペーパードライバーなので、父に連れていってもらいます。(だって父がわたしの分の保険をかけてくれないんだもんっ、というのは単なるいいわけ。車の運転が嫌いなのですね、要するに。しかもギネスものの方向オンチだし。)

    で、迷わずについたんですよ。お父さんありがとう。で、証紙売りさばき所に、並んでたんですよ。免許を係の女性に渡したんですよ。

    「Nさま、Nさまはいらっしゃいますか」

    えっ、運転してないんだから違反なんかあるはずないんだけど。(でもやっぱり焦る)

    「あのーすみません、今日は、7月10日までに誕生日が来る人の更新なんです。」

    わたしの誕生日は7月11日。おとなしく帰りました。あーあ、来週からは父もわたしも忙しいし、バスで行くしかないかなあ。

    本日のBGM;槙原敬之 "どんなときも"

    010617 読書記録について。

    最近日記が長文化しております。文章を書くことに慣れてくるとだんだん長くなるものらしいです。それに伴い、読書記録も長文化しております。先ほど、「やっぱり読書記録は月別にしよう!」と,読書記録をいじっていたのですが、はじめのころのコメントの短さに我ながら驚いてしまいました。

    別に、長いからいい、短いからよくない、ってものじゃないんですけどね。

    さてこの読書記録、月別化に伴い、月間目標を掲げようと思い立ちました。根拠はないけど月15冊。やっぱり量をこなすのが大事かなあ、と。(じつはこういうサイトの影響だったりもします。実はね。)

    これまで読んだ本の中にだって、まだまだ紹介したい本はたくさんあるのです。思いつくままにあげるだけでも、

    …があげられます。この中でリクエストがある方は掲示板に書き込む、もしくは私にメールをください。その本から先に感想を書きます。

    本日のBGM;Mr. Children "シーソーゲーム"

    010619 「されど われらが日々-」&「論文の書き方」

    大雨ですねえ。バイト先からの帰り、電車が思いっきり遅れてました。山沿いなんか土砂崩れの危険がありそうですね。ひがいが出ないといいのだけれど。

    さて、先日挙げた本のリストのうち、「されど われらが日々-」にリクエストがありましたので、この本からまず紹介します。(「読書記録」欄に移動しました)>>「されど われらが日々-」(柴田翔、文春文庫、010619)

    あともうひとつ。一気にアップすると続かないかもしれないと危惧しつつ。最近読み返してかなり影響を受けているので今のうちに。 >>論文の書き方(清水幾太郎、岩波新書、010619)

    最近いくつかの本の影響で、字数制限つき書評にチャレンジしています。適当に決めた字数は、1000字以内。ちょっとかっちりした文章を書けるようになるのではないかと期待しています。

    本日のBGM;Mr. Children "innocent world"

    010623 遅れ馳せながらの動物占い。

    クラスで「動物占い」がはやってました。

    「Nさん、生年月日教えて〜」

    一瞬ひるんだ後(だって彼女たちより5歳くらい年上ですもの←まだちょっとこだわっている)生年月日を教えると、「あ〜、長距離ランナーのチータだって〜」だそうでした。「相当あたってるじゃん。」…そうですか。パソコンからアクセスする場合、サイトはこちらです。

    長距離ランナーのチータとはすなわち、勝ち気でプライドが高い。意志が強い。短気。正義感が強い。逆境に強い。仕事をこなせるキャリアウーマン。なのだそうで。なんだか本人よりずっとパワフルな人間像が描き出されているような気が…両親に「どう?」と見せたところ「動物占いってものすごくよくあたるんじゃねえ」とのこと。ちなみに父は「デリケートなゾウ」母は「好感の持たれる狼」で、二人とも診断結果にご満悦、「非常によくあたる」と喜んでおりました。都合がいいことだけ当たることにしているような気がしなくもないですが。

    さてところで。世の中には「家電占い」なる占いがあります。これもやってみたところ、わたくし電池でした。電池とは一言で言うと、「癒し系」です。N:「当たってると思わん?」母:「全然ダメじゃん。さっきの動物占いのほうがずっとあたっとるよ」…癒し系へのチャレンジはあえなく挫折いたしました。

    本日のBGM;Mr. Children "innocent world"

    010624 さまざまな遅れを取り戻そう。

    今日は元気なNです。今日は、と言ったのは、ここ5日ほどろくに何もできない日が続いていたからです。かろうじて学校に行って、帰ってきて、寝て、なんとか起きてバイトに行って、帰ってきたら速攻ご飯食べて寝る、という。正直なところを白状するとメールボックスを開けるのも怖くて。開けてメールが入っていたら返事を書かなくてはならない、だったら何も来てない方がいい、それなのに新着メールがないと寂しかったりして。日記も書けませんでした。パソコンにさわる気がしなくて。

    原因は不明です。でも今日は元気です。あんまり寝てないけどそれはたぶん、寝だめの成果だということでよしとしましょう。

    というわけで今日はパワフルでした。正確には昨日の晩からかな。勉強してほとんど夜中じゅう読書して、ちょっと寝て起きて免許更新に連れていってもらい、帰ってちょっと寝てプール行って帰って勉強して本を読んで今サイト更新しています。なんて活動的なんだ。明日からのエネルギーは残っているのだろうか。そんなことはわかりませんが今日活動を控えたところでたぶん明日の大勢には影響しないのでよいのです。うーむ。なんとなく躁状態っぽいなあ。この句読点少な目の文章とか。

    さてさて免許更新。今回は成功しました。(前回の話はこちらです。)これでこれまでの免許の、「落ちぶれたキャバレーホステスみたいな」写真とおさらばできました。「1時間は笑える」という代物でしたからねえ。いくら当時精神状態がいまいちだったとはいえ、あれはあんまりです。それに比べて、今回の免許写真なら携帯する気になります。今度の免許のうちに一度くらいは公道を運転しよう、うん。

    読書記録も書きました。まとめてアップするから後が続かない、とは思うのですがやっぱり今日書いたものは今日発表したほうが本人としては気分がよいので。まずは「人間、この非人間的なもの」(なだいなだ,ちくま文庫、010624)です。EVERGREENというサイトの、6月21日分の日記を見ていて、つい思い出したので。

    そして調子に乗ったのでこないだリストに挙げた「自分で考える技術」(鷲田小彌太、PHP、010624)についても書きました。「人間、この非人間的なもの」を読んでいるうちに、自分の考えのベースはなだいなだなのではないかと思い当たり、そう言えば同じような経験を書いていた人がいたなあ、とこの本を思い出したのです。

    本日のBGM;Southern All Stars"真夏の果実"

    010625 リハビリとは再適応である。

    今日の3コマ目は医学概論という授業でした。理学療法の先生が来て、理学療法とは何かを熱っぽくしゃべっていかれました。その中で印象に残ったのが、「リハビリ」の定義です。

    リハビリ(rehablitation)を語源からとらえると、「(再)適応」である。われわれを取り巻く状況は刻一刻と変わり、また、われわれ自身も刻一刻と変わっている。とするならば、リハビリは単に障害を持ち日常生活が困難になった人だけでなく、われわれすべてにとって常に必要なものである。

    re-とついているので、これまで、リハビリという言葉には、どちらかというと後ろ向きなイメージを抱いていました。「復旧」のような、うまくいってもとに戻るだけ、というような。しかし、この話を聞いて、リハビリというのはなんだか前向きな言葉だな、と思えてきました。

    昔行ったリハビリ実習を思い出しました。リハビリ室のさまざまな器具や、さまざまな人のさまざまな障害に驚くなど、なかなか学ぶところの多い実習でした。今思い返してもっとも印象に残っているのは、実はベッドサイドリハです。拘縮予防のリハビリテーション、ですね。リハビリには、社会復帰のための自立訓練、という側面だけでなく,介助を受けるにしても介助者が楽になるように,という側面がある、というのは、実習に行ってはじめて気づきました。家に帰ったとき,本人および周りの負担が最小限になるように,というのが目的でしょう。もしまったく一人で生活する,ということが不可能だとしても,世話する立場の人ができるだけ楽であるように努力する。状況状況に応じてベストを尽くす,って,そういうことだと思います。変化に適応するというのも、そういうことかな、と思います。どのような状況においてもできることはある、これは今日の先生も言っておられたことですけれども、なんだかそう考えると、元気が出てきませんか?

    本日のBGM;Billy Joel"Until the Night"

    010627 いまどきの中学生。

    わたしは、ある塾でアルバイトとしてアシスタントをしています。そこの中学二年生が、生物のテスト勉強をしていました。何気なくのぞきこむと、「人体のしくみ」ではありませんか!しかも詳しい。「ボウマン嚢」だの「胸腔」だの「眼筋」だの。われわれ医学生が学ぶ解剖学の、最重要部分はすでに中学二年生で習うのですね。それにしても習った記憶がまったくないのはなぜでしょうか。10年(!)のうちにカリキュラムが変わったのかもしれません。しかししかし。中学生侮るべからず、です。

    本日のBGM;槙原敬之 "どんなときも"

    010628 ほとんどお休みな一日。

    木曜はもともと1コマ目と3コマ目しかなくて、今日は3コマ目が休講だったので、1コマ目しかありませんでした。ドイツ語です。語学だし実は先生が結構好きなのでふらっと行ってふらっと帰ってきました。やはりドイツ語はよいです。発音が好きです。構成も好きです。あのはきはきしたところがよいです。

    帰って暇だったので図書館行ってプール行って献血行ってきました。「プール行って献血?ようやるねえ、信じられん」というのは、自称「血が余っていない」母の言葉。わたしは常に血が余っています。比重もばっちり。13.9って、結構濃い血なのではないかと思っています。見るからに血が余ってそうだしなあ、わたし。貧血がイベントになる程度には血が余っております。健康なのです。現在までに8回、献血を行いました。10回になると何かもらえるらしいです。献血熱が高まっております。

    それはともかく。献血(成分献血。今回は血小板献血でした)中見ていたアポロ13の、続きが気になります。酸素タンクから酸素が漏れて、みるからにやばそうな状態だったんだけど(開始後60分。だいたい映画の真ん中くらい。)あの後どうなったんだろう…やはりこれは、二週間後(成分献血は、前回の献血から二週間以上たっていれば行うことができます)にもう一度行けということなのでしょうか。レンタルビデオで借りてもいいんですけどね。借りてしまうとなぜか見ませんから。やはり、他にやることのない献血中がいちばんです。

    ちなみに。本日のBGMとしてあげた、"from coast to coast"について少しだけ。結構マイナーな曲ではないかと思うのですが。CHAGE&ASKAの、「Code Name.1 Brother Sun」に収録されています。シングルには入ってないですねえ。CHAGE作詞・作曲の歌のなかでは、「エピローグ」と並んでよい曲だと思います。これまで行ったどのカラオケにも入っていないのがさみしい。あったら歌うのに。

    From coast to coast
    幼子のように 君のもとへ馳せる心
    Close to your heart 時間を埋めるように
    春夏秋冬 数えながら

    ↑二番の、サビの部分です。なんだか素直で好きなんですよね。出だしは少ししんどそうなんだけど、その分救われてるなあ、ってのが感じられて。なんといっても、

    すべて疑う僕 すべて許す君 深い愛

    ですから。わたしもどちらかというと、すべて疑ってしまう性質です。誰かに「それでいいよ」っていってほしいな、と、いつも思っている。だからしみじみ、この歌いいなあ、と感じるのでしょうか?

    全部写したい気分ですがまあここだけにしておきましょう。

    本日のBGM;C&A "from coast to coast"

    010629 久々のデッサン教室。

    久々に、本当に久々に、デッサン教室に行ってきました。前行ったのはいつだったんだろう。思い出せません。5月末くらいでしょうか。前回(6月22日)は、身体がしんどくて休んじゃったんですよね。

    で、今日のデッサン教室では、レモンを描きました。一回完結でした。この季節、レモンを次回まで置いておいたら腐ってしまうので。デッサン教室は、隔週なのです。

    描いては教室の壁に立てかけて反対側の壁から眺め、たまには椅子の上に上って上から眺めたりして大いに努力した結果、先生にはしっかりほめていただきました♪「一瞬予備校で教えているのかと錯覚するほど意識が高くて」「バランスがとてもいいですよね」教室のおばさまがたにも、今日は人気者、でした。

    しかし。「何でしょう?」と見せたら「ヤシ?」といった人もいましたが…

    そうそう、明日・あさってと岡山に行ってくるので、明日の更新はお休みです。あさってまた書きます。

    本日のBGM;C&A "from coast to coast"


    淡々としていなくもない日常。>日記・雑記目次 >2001年06月の日記