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04月01日

百々家→83一宮寺→84屋島寺→85八栗寺→岡田屋(香川県木田郡牟礼町)28km


さんざん道に迷う

宿から一宮寺までは、やたらとややこしい遍路道だった。地図でみても曲がり角がたいへん多い。二度、通行人に道をたずね、一度、そっちじゃないよと声をかけられた。6キロのはずなのに2時間以上かかったのは道に迷ったせいに違いないと思ってもう一度地図を見ると、7.9キロあったことが判明した。遠回りをしたわけではなかったようだ。

一宮寺で略地図を頂いたのでそれを頼りに屋島寺に向かう。しかしこの地図は日頃愛用している遍路地図と一致していない。しかも、途中から道が投げやりなただの点線で描かれていてにっちもさっちもいかなくなってしまった。ガソリンスタンドの前で、道を尋ねてもいいものかどうか迷っていると、若い店員が地図を描いて渡してくれた。この地図は、ポイントがきっちり押さえてあってたいへんわかりやすく、おかげでそれ以降迷うことはなかった。

円錐のてっぺんにある屋島寺

屋島寺はすり鉢を伏せたような山の頂上にある。登りは遊歩道になっていて、とても歩きやすかった。屋島と聞くと南国を連想してしまうのはなぜだろうか。その日がくっきりとした晴天で、汗をかくほど暑かったからだろうか。勝手にヤシの木など期待していたけれどもちろんそんなものはない。特大のたぬきが2匹、赤い柱の本堂の両側に鎮座ましましていた。

納経所で、「江戸時代の遍路道が復元されました」という紙を頂いた。またもやW氏と合流し、一緒にその遍路道を降ることにする。「晴れた日には」と書いてあるということは急坂で足場が悪いのだろうと予想した。予想は的中した。しかも工事中だった。

どうにかこうにか降りてみるとへんろマークが途中で尽きている。たぶん新しいルートだからなのだろう。わたしよりはずいぶん方向感覚のあるW氏におまかせで、八栗寺まで連れて行ってもらってしまった。

時間をかけるということ

明日で八十八番に着くだろう。ほぼ確定だ。3月2日から歩き始めて、ちょうど1ヶ月経った。

じつは、歩き遍路のメリットは、歩くという行為にあるというよりも、こうして時間をかけることにあるのかもしれない。このような時間の過ごし方をすること、こういう世界に浸かったまま週単位、月単位で日を過ごすこと、それ自体に意味があるのではないだろうか。

寺を回るだけなら、道をたどるだけなら、時間短縮の方法はいくらでもある。たいていのことは詰め込めば詰め込むほど密度が上がるようにできているけれど、遍路はそうではないだろうと思っている。想いが身体に沈殿するのを待ちながら時をすごしてもいいのではないか、うまくいえないけれどそんなふうに感じている。


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