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03月25日

松里→55南光坊→56泰山寺→57栄福寺→58仙遊寺→59国分寺→栄屋旅館(愛媛県周桑郡丹原町)31km


ミッセイさん

ミッセイさんというのは、57栄福寺の住職である。「ほぼ日」「坊さん。」なる連載(というのかな)を持っていらっしゃる。

わたしは、「坊さん。」愛読者である。ゆえに、57栄福寺は、わたしにとって重要なポイントであった。出発前、まだ八十八番までたどり着けるかどうか不安であったときには、「とりあえず栄福寺まで」が、目標であった。

しかし。栄福寺にはたどり着けるとしても。会えるのだろうか?できれば、呼びつけるようなまねをせずに、偶然であるかのように、会いたいなあと、勝手なことを考えてみる。しかし。住職には、建物の中にいそうなイメージがある。これまでの寺で、住職らしき人を見かけたことが、いったい何度あったであろうか。

栄福寺に着いた。本堂で、「ミッセイさんに会わせてください」と手を合わせた。階段を降りた。あれ、あの作務衣姿の男性は、ミッセイさんではなかろうか?

ほぼにちは。

きっとミッセイさんに違いない。境内が工事中で、おそらくそのためだろう、外にいらしたのだ。弘法大師像の前に近づき、必死でさりげなさを装いつつ、話の中に入りこむ。偶然を装いたかった。照れてたのかな。「ほぼ日」読んでます、くらいしか用事はなかったし。

「ほぼ日」のイメージそのまんまの人だった。私の思う、「住職さん」のあってほしい姿でもある。

「どうして理系の人が、お遍路さんしているんですか」「なんとなく、来なきゃいけないような気がしたんです」「最後まで回られますか」「それまでに春休みが終わらなければね」これで、歩きつづける理由が一つ増えた。

お茶とお菓子をいただき、「気をつけてねー!」と送り出される。友人に「ほぼ日」を教えてもらって、私が四国に来て、たまたまミッセイさんがお寺に、しかも境内にいらっしゃって、それで話ができたんだよなあ、と思うと、なんだか不思議な気がした。

究極の区切り打ち

58仙遊寺の境内で、声をかけられた。今朝の55南光坊からずっと、寺に着くたびに見かけていた男性である。

看護士であるという。今朝名古屋からの夜行で四国に着いて、今晩夜行で帰る、55南光坊から59国分寺まで回る、とのことであった。「今回はね、いろんなものに引っ張られて来た感じですよ。テレビでもやってたし、そのほかにも話を聞いたりね」今日帰るからどうぞ、と、お菓子をたくさんいただいた。

遍路に行こう、と思った時、私はまず、まとまった時間を探した。広島から四国まで、移動に費やす時間、お金、エネルギーは馬鹿にならない。でも、一日歩けばそれだけ進むし、歩かなければ進まない。

まとまった時間、なんて言っていてはいつまでたっても最後までたどり着けない、そう判断した上でのことだろう。それでも回ろうという気持ちには、頭が下がる。

五九楽館にて

59国分寺の境内を出るところで、呼びとめられた。「タオルのお接待させてください」そういえば、今治はタオルの生産地であると、小学校で習った気がする。「あ、はい」と受け取ると、続けて、「歩いていらっしゃるんですか?それなら、アイスクリンのお接待もさせてください。こちらへどうぞ」

店内に入った。「あ、ちょっと待ってて下さいね、タオル配ってきますから」忙しい人だ。

「これどうぞ」あ、このアイス、おいしい。「道の説明だけ、させてくださいね」ありがとうございます。

「好きな言葉って、あります?」「え?」「歩いている学生さんにはね、記念に、好きな言葉、ししゅうさせてもらってるんですよ。」意味がわからなかった。詩集?刺繍であった。差し出された紙に、まずは名前と住所、メールアドレスを書き、さて、と考え込む。

結局、紺で「気合!」と、入れてもらった。

五九楽館のホームページ


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