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ドイツ日記もくじ

はじめに。

8月の1ヶ月間、大学の交換留学でドイツのハノーファー医科大学(MHH=エムハーハー)に行き、臨床実習に参加していました。そこでは、リウマチ科に所属し、2週間病棟で、1週間外来、そして最後の1週間も病棟で過ごしました。リウマチ科を選んだのには深い理由はないのです。内科の中で、比較的興味の持てる科を、急いで決めたに過ぎません。しかし、その選択は、結果として、間違っていなかったようです。

ドイツは日が長くて涼しくて、後半はむしろ寒くて、まるで北海道のようでした。たいした事件は起こらない日々でした。わたし自身が単調な生活を好んでいるのかもしれません。その間の日記を、公開します。

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常体で書いてあるのは、自分用のメモを多少改変(患者さんのを特定できる情報の削除・自分にとってのみ自明な事項の説明追加など)したからです。できるだけわかりやすくしたつもりですが、誤字脱字、不明な点は下のメールフォームからお問い合わせ下さい。適宜改変・追加したいと思います。また、気をつけてはいるつもりですが、患者さんのプライバシーに関わる記述がもし見つかった場合はお知らせ下さい。即刻削除します。

040805 (木、ドイツ日記1)ドイツ到着。

ウイーン経由でドイツのハノーファーに着く。

関空〜ウイーンは12時間半。長かった。だいたい、関空に着くまでの夜通しバスの旅も長かったのだ。

機内では一生懸命ドイツ語の勉強。後に大して役に立っていないことが判明するのだが、この時点では一生懸命。単語1000の丸暗記とか。一生懸命水分(主にウーロン茶とおいしいリンゴジュース)を摂りつつ、必死で勉強。しかし頭に入らない。さすがに、10時間目くらいで飽きる。

着陸時に飛行機に酔い、空港に着いて吐きまくる。2度目の機内食で食べたものを全部吐いた。

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ウイーン空港では、乗り換えの場所だけ聞いて、搭乗券を見ると17:15と書いてある。なるほど17:15の便だったかな、と思って飛行機一覧を見ると17:45と書いてある。どっちが正しいんですか、と空港案内所で尋ねるが、これは尋ねる方が間違っているのであって、前者は集合時間、後者は出発時間である。訳のわからない問答をして(問題は語学力ではなかったんだけど)自分の英語力にやや自信をなくしつつ、再びトイレにこもる。

そうこうしているうちに少し元気になってハノーファー行きの小さな小さな飛行機に乗る。4列しかなく、その4列にも乗客はまばらだ。コーヒーに砂糖を大量に入れて、少し生き返る。さらにキャラメル(というのかものすごく甘いお菓子)をサービスされ、もうちょっと元気になる。

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ハノーファー空港に着いた。荷物はすんなり出てきて、国際線侮れず、と一人喜ぶ。しかし、荷物を手に入れたはいいが、迎えに来てくれるチューターの学生を見つける手段がないことに気付く。顔も知らないし、思ったよりずっと、空港は広いのだ。携帯番号も知らない。

空港周囲を一回りしてみる。空港に、たとえば「Noko」などとプラカードを掲げた女性がいるのではないかと期待したのだ。しかし、それらしき人物はいない。ものすごく不安になりながらインフォメーションセンターに行き、呼び出しのアナウンスをしてもらう。

待つこと数分、もう一回呼び出すか、と、係の男性が電話をかけている途中で、チューターの学生が入ってきた。「Nokoさんですか?」日本語で呼びかけられて驚く。日本人とのハーフで、日本にいたこともあるらしい。日本語はともかく英語はちゃんと通じるので一安心。電車を乗り継ぎ、寮へ向かう。午後9時頃なのに明るくて、時間感覚がおかしくなりそうだ。。気温は、上着を着ていると暑いかな、でも脱ぐほどの必要もないかな、くらい。

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これから1ヶ月住む寮に到着。部屋は、机とベッドのシンプルな部屋だ。洗面所はついているがトイレは共同。皆は食堂に集まっているらしい。声をかけてくれた男性もいたが、ドイツ語がわからないと言うと残念そう。やはり、ドイツ語はある程度はできたほうがいいみたいだ。これから精進を。

中を一通り案内してもらう。洗濯もできるし、一応の自炊も可能。シャワーとトイレは共同で、電話も共同。台所で電話が鳴るので、取って取り次ぐことになる。

案内してくれた学生に礼を言って送り出したあと、すぐにパジャマに着替え、寝た。

040806 (金、ドイツ日記2)ひとやすみ。

7時頃に起きてだらだらしつつシャワーを浴び、朝ご飯を買いに行く。とりあえず、市電で隣の駅に行って買い物をすることにする。ドラッグストアとスーパーは、駅からすぐだ。ハノーファー市内の列交通機関については、一ヶ月のただ券があるので乗り放題。

とりあえず、茶こしとナイフ、サラダ、サンドイッチ、パン、クラッカー、チーズ、インスタントスープ、スモモを調達。とりあえず非常食、である。湯を沸かす以上の調理をする気力もないのですぐ食べられるものだけにする。

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そうだ、と思いついて、ゲッティンゲンにいる友人に電話。係の女性と、英語で訳のわからない会話を繰り返したあげくに(電話で使うドイツ語を予習せずにかけたのは失敗、だって彼女の個人用電話だと思ったから)、友人が電話口に出てくる。わたしは気付いていなかったのだがかけた電話番号は彼女の学校のそれで、彼女が電話に出てきたのは偶然通りかかったかららしい。最近、ついてる。ほんとうに。間一髪に助けられてばかりだ。

ともかく、14日土曜日の午後1時に、ゲッティンゲンの駅で待ち合わせだ。これは、楽しみ。

040807 (土、ドイツ日記3)もう一人の日本人学生。

早く寝すぎたためさすがに6時頃起きて、7時まで散歩。朝は寒いくらいだ。

朝ご飯を食べてそのまま(また)寝てしまう。メールを書く夢とか見ていた。パソコンは持ってきたもののネットができないので、寝るか勉強するか、ちょっとばかり散歩に出るかだ。まあ、それもいいんだけど。どうも、現実とごっちゃになる夢を見る傾向があり、起きたときに現実がわからなくて困る。全く、困ったものだ。

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もう一人の日本人学生到着。わたしは、彼女のペースに振り回される傾向があるが、まあ、わたしはわたしで、いいのだろう。彼女のように行動的だとか楽天的だとかラテン系だとか、そういうのにはなれないけど、なれないのはなれないなりに利点もあるのだろうし、たぶん、それでいいのだ。利点は見えづらいかもしれないけれど、わたしはこういう人間で、これから変わっていくかもしれないけれど、変わらないかもしれず、とりあえず今の姿、そのときの姿で、生きていくしかないのだから。わたしには、たとえば遅いペースで歩く自由も、失敗する自由も、困る自由も、何もかも、あるのだ。多少くよくよしたっていいし、泣いてもいい。ちょっとくらい引きこもってもいい。こういう人間の存在する余地だって、この世界にはあるはずなのだ。

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森へ散歩に行ってみる。街の中に森があるのだ。森の中を歩いて抜けて、街の中を歩いてみる。建物はとてもきれいだ。

晩は、チューターの学生と、もう一人の学生と一緒に、街を歩き、水辺でちょっとした夕食。このへんの人たちは、夕食をいちばん豪華にする習慣を持たず、また、水辺と戸外が好きらしいということを実感する。文化の違いだ。

040808 (日、ドイツ日記4)ハンブルクに行ってみる。

早起きしてハンブルクに行ってみることにする。行きはなんと切符売り場が閉まっていて、車内で切符を買う羽目になる。あとでわかったことだが、当日や車内で切符を買うと高くつくらしい。ふむ、妙に高かったわけだ。特急だったせいもあるのだろうけれど。

ハンブルク出身のチューター学生おすすめの湖の周りを散策、なかなかきれいだな、と感心しているうちに市庁舎に着く。この時点で9時。しかし、市庁舎内の観光は10時からだ。だったらこの地でいちばん有名な教会に、と考えるもこれも11時半まで開かない。美術館も10時まで開かない。

10時まで待って市庁舎に入るも、英語ツアーは11時15分からと言われて見学をあきらめる。

とりあえずバスツアーに乗るか、と、駅の案内所を探すも見つからない。では、と美術館に入って絵を眺めているうちに急に疲労を感じたので予定は全くこなせていないけれど帰ることにした。ハーゲンダッツのレモンシャーベットでやや息を吹き返す。帰り、見ている時刻表が行きのもので、考えていた時間と示された時間が違っていて焦ったけれど(こういうときにまずひとのせいにするのは悪い癖だ)、間一髪で乗り込み、さっさと帰る。車窓から観光、と考えるも、睡魔に襲われ強制終了。敗因は早起き、ということにしておく。

040809 (月、ドイツ日記5)病棟1日目。

交換留学先の大学病院(MHH)での1日目。チューターの学生に迎えに来てもらい、市電とバスを乗り継いで病院に向かう。まず教授に挨拶、ついで実習先であるリウマチ科の病棟に上がる。31が病棟の番号である。回診について行って、カンファに出て(と言ってもドイツ語)、診察に同席して、と、やることは日本のポリクリとさして変わらない。

昼ご飯のあとにリウマチ科の病棟に戻ろうとして間違えて41に行く。どうも閉鎖病棟だったらしく、閉め出されて閉じこめられて、かなり参る。

点滴の交換を習う。別に刺すわけではなくて、差し口に食塩水を通してボトルを付け替えるだけだ。

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図書館のコンピュータ室が使えることになる。メールをチェックして少し里心を感じる。日本語は読めるが入力が無理。サイトは、見えるものと文字化けするものがある。キーボードは、YとZが入れ替わっていて打ちにくい。

040810 (火、ドイツ日記6)病棟2日目。

病棟2日目。二人いる医者のうち一人が子供の病気で休みらしく、医者にわたしの相手をしている時間はないと見た。

相手にしてもらえない分は患者さんの部屋に行ってしゃべってみる。スタッフより患者さんのほうが親切だ。単に暇なのかもしれないが、暇つぶしになっているとすればそれはそれでとてもいいことである。彼らはわたしに、正しいドイツ語を教えてくれようとする。怪しげな言い回しは矯正してくれるし、しかも、わたしの話す間違いだらけな上にものすごくゆっくりなドイツ語に耳を傾けてくれるのだ。使える語彙は増えてきている気がする。頭にあるけど出てこなかった言葉が出てくるようになってきたかも(錯覚)。

今朝は朝から点滴ビンを替えて回る、と言っても2件ほど。どちらも、すんなりとはいかなくて困る。まあ、コミュニケーションのチャンスという見方も、ある。

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病院の売店で、ドイツ語/英語の辞書を買った。白衣のポケットに入るサイズである。白衣の胸ポケットにはメモ帳とボールペン、患者さんの名簿、IDカード、右ポケットには辞書と財布、左ポケットには聴診器を、入れて歩いている。詰め込みすぎて白衣が引きつっている。

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寮に帰って食堂へ行ってみるともう一人の日本人学生がいて、多少しゃべっていると別の学生が登場。ドイツ語講座。後にもう一人増えてさらにドイツ語講座。英語とドイツ語でなんとかコミュニケーションを取ろうとしているときのわたしは、日頃より明るい気がする。まあ、明るくないとコミュニケーションできないのもあろうけれども。

040811 (水、ドイツ日記7)採血を習う。

朝は早めに出て、転院する患者さんのところに挨拶に行く。たいした挨拶にならないのは仕方ないことだ。ここの病院の入院期間は短い。2週間程度だ。検査だけして、治療は外来ベース、あるいは別の病院で、というのがルールであるらしい。

朝点滴を変え終わってどうしましょうかと医者に尋ねると採血の方法を習えと言われ、当地の学生に習う。とある患者さんの採血を2度行って2回とも成功、自分の能力を過信してみる。まあ、そういう気分自体は悪くない。

午後2時からはミーティング。要するにプレゼンがあって相談があって、ということのようだ。ドイツ語は相変わらずわからない。聞き取れるのは患者さんの名前と部屋番号くらいだ。ドイツ語が途中で突然英語に変わり、英語で紹介されて焦る。心の準備をしないと、英語だって聞き取れない。

その後、とある患者さんのことが気になったので病室を訪ねる。自己紹介など。慰問になっていることを祈るが本当に慰問になっているのかどうかは知らない。具合は、と聞くと点滴が痛い、とのこと、途中で点滴交換が行われる。なるほど、留置針ってそうやるんだったなあ、そういえばみたことない、と感慨を。

そうこうしているうちに4時。点滴替えて、採血はなくて、終わっていいよ、と言われて素直に帰る。たぶん、無駄に長居をするよりいる間にたくさんしゃべって明るく振る舞って、そのあとよく寝るのがいいんだろう。

図書館でネット。本来夜9時45分まで使えるはずなのに、4時45分に閉まってしまった。スタッフが病気ですから、と掲示してある。それってどうなんだろう。まあ、仕方ないのはわかるんだけど。

040812 (木、ドイツ日記8)国際的映画の集い。

朝は採血(2人)、その後医者について回っていたのだが、2時に帰っていいと言われる。1時頃ミーティングがあったが、やはり(当然)全くわからず。ちょっと鬱。明日行きたくないな。まあ、じゃまなのは当然か。何かできることはないか探すことにする。仕事だと思うことにしよう。

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帰りに郵便局に寄り、切手を買う。かわいい切手を買ったのでこれではがきが送れる。そういえば切手を一枚(一組、だって45セントと55セントを組み合わせないとかわいいのがないって言うんだもの)よけいに買った気がするがまあいいだろう。はがきを買えば済むことだ。ドイツ語が通じて少しハッピー。

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いったん帰って、再び外出。中央駅で、ペットボトルを店に返して25セント返してもらう。ペットボトルのデポジット制度があるのだ。さすが環境先進国。

6:45からハノーファー大学にて、留学生のための国際的映画の集い。映画と言ってもDVDをパソコンで再生してスクリーンに映すというもの。人々がしゃべるのはドイツ語あるいは英語、映画の中で話されていたのはフランス語かあるいはスペイン語、時々英語。字幕がドイツ語(助けてくれ)。どうもコミカルな映画だったらしく、面白い場面も(も!)あった。半分もわからなかったけどまあ、当然だと思う。帰りは雨が降っていた。

040813 (金、ドイツ日記9)鍵が壊れる。

朝から採血をして回る。一件、駆血帯をはずす前に針を抜いてしまい流血の惨事を起こす。油断大敵とつくづく思う。

医者が忙しそうなときには適宜患者さんのところに行って話すことにした。自分で「やること」を見つければいいのだ。なかなか難しいときもあるけれど、それができる日があればいい。

今日は、新しい学生がきていた。病態などを英語で説明してくれてたいへんありがたい。どうしても名前が覚えられないのだが聞き覚えのない名前は難しいのだろうか。

今日退院の、けっこう仲良くなれた患者さんとメアドを交換する。

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戸棚の鍵が開かなくなった。試しに閉めてみたら開かないのだ。入っているのは洗濯用品くらいだがやはり困る。開けようと苦心して、力を入れると鍵が折れた。あきらめろということか。とりあえず、管理人さんの部屋にドイツ語で張り紙をする。たぶん、見るのは月曜日だろうけれど(管理人さんがいるのは月曜日と金曜日の午後、それぞれ30分ずつ)、仕方ない。

040814 (土、ドイツ日記10)ゲッティンゲンで旧友に会う。

ゲッティンゲンにいる友人に会いに行く。小学校時代からの友人である。

ハノーファー中央駅からゲッティンゲンまで、電車で1時間半。乗り換えが、電車が遅れる可能性があり危険だと思って乗り換えのない電車を選んだら1時間前に着いてしまい(といっても10分は遅れていたのでやはり乗り換えなしで正解だったと思う)駅構内を歩いたり駅前を歩いたりして待つ。駅の中にある本屋で、日本のマンガをドイツ語に翻訳していたものが売っていて思わず立ち読み。読めないけど知ってるマンガだったし。

1時少し前に友人現る。

ゲッティンゲンは小さい街で、ゲッティンゲン中を2回ずつくらい歩いた気がする。昼ごはんはPflingeというキノコのクリーム煮に「デンプン質の団子」を添えたものだった。キノコはなかなか、でももう少し量があるとよかったか。

たわいもないことで延々と盛り上がれるのは古い友人のよさなのだと思う。一日じゅう日本語でしゃべったのでドイツ語を忘れそうだ。

その日のうちに帰れる最後の電車に乗って帰ってきた。

040815 (日、ドイツ日記11)日曜日は安息日。

昼まで寝る。午後にやっと起き出して、買っておいたトマトペーストとタマネギでトマトソースを作り、マッシュルームも放り込んで、スパゲッティにかけて食べる。明日はソーセージを加えてみる予定。実は、この寮で、コンロを使ったのは初めてである。いかに自分が面倒くさがりかを思い知らされる日々。

午後も寝たり起きたり。

040816 (月、ドイツ日記12)病棟2週目。

自分の部屋のドアに、鍵が壊れた旨張り紙をして出かける。帰って開いていなかったら洗剤など晩に買いに出かけようと覚悟を決める。

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今日は、先週世話になった医者が休暇でいなくて、代わりの医者が来ていた。代わりの医者の世話になって、先週と同じ患者さんの回診に同行させてもらうことにする。日々のメインは、病棟中の(必要のある)患者さんの採血と、適宜の病室訪問だから、どの医者につこうと関係ないと言えば言えるのだけれど。

今日の採血はなかなかうまくいってゴキゲン。ドイツ語が少し速くしゃべれるようになったような気がする。まあ、初対面に近い日本人学生としゃべることなんてそんなにバリエーションがないからそのおかげで救われている気はする。相変わらず、普通にしゃべられると全く聞き取れない。

こうやって日々過ごしていると「なんのために」ここにいるのか、ますますわからなくなってくるのだけれど、これでいいんだろうか。勉強したと言えるのは、いくつかの病気について実例を見たこと、くらいだ。まあ、それはたいへん貴重な体験ではあるわけだけれども。

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帰ってきたら管理人室に張っていた張り紙がなくなっていて、期待して部屋に入ると戸棚が開いていた。よかったよかった。たいへんありがたい。嬉々として洗濯を行い、今に至る。靴下がもうないので、明日までに乾いてくれることを祈っている。もう要らない鍵はかけないぞ。

040817 (火、ドイツ日記13)医者宅にお呼ばれ。

静脈に留置針、初体験。入れるところを見たことだってほとんどないのに、一度目で成功したのはありがたい。針が二重構造になっていて、外筒をうまく血管の中に入れられればいいわけだな。

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昼ごはん時に、レジの女性に強制的にカードに入金させられる。白衣の胸から下げているIDカードで、食堂の支払いができるシステムになっているのだ。現金を受け取るのがそんなにめんどくさいのかと腹を立てていたら、少なくとも日替わり定食はカードで払ったほうが安くなるということに気付いた。善意だったのね。

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夕食に招待される。招待してくれた医者はハノーファーから日本に来た一期生で、そのときは3人の学生が整形外科に2ヶ月半滞在したのだそうだ。招待してくれた医者と、もう一人招かれていた医者と、日本人学生二人の、4人で夕食。

大きな家で、夫の収集癖らしいアジア美術コレクションに驚いた。夕飯はグラタンと、瓶詰めベリーにバニラソースをかけたもの。おいしかった。

もう一人の学生に、Nokoさんとあの(招いてくれた)先生は似ているよ、と言われてしばし考える。強迫的なところが、だろうか。ペースに巻き込まれた実感はある。なんとかしてあいづちを打たねばとがんばっていたうちに巻き込まれなのかもしれない。巻き込まれようとしてしゃべっていたという言い方も、たぶんできるのだろう。きっと彼女は話を聞いてほしくて、それをわたしは感じ取って、楽しんで聞く役、を担ってしまったのだ。昔目指していた生き方を本気で実現している人を見たのだ、と思う。少し寂しそうだった。今のわたしはたぶん、違う道を歩いている。

040818 (水、ドイツ日記14)バンパイア呼ばわり。

朝から採血の日。新患の採血を2度もするとそれだけで相当量の血を採った気がしてくる。患者さんに2度はバンパイア呼ばわりされた。ここの医者は血液検査が好きだなあ、と感心するが、日本だって似たようなものか。

今日は、3時までには部屋を回り尽くしていた。さすがに、二度目に訪問するのはためらわれて、何をしたらいいものか悩む。しばらく考えて、そういえばと思って、とある病室を再び訪ねて話しているといつの間にか時間が経っていた。

よく話していた人が一人退院、明日ももう一人退院だ。みんな退院してしまうなあ。患者さん本人は喜んでるし、退院自体はいいことなんだけど、やっと知り合いになったと思ったらいなくなってしまうというのは少し寂しい。

040819 (木、ドイツ日記15)セミナーとか映画とか。

午後1時15分から学生向けのセミナーがあるよと、ここの大学の学生に教えてもらう。出席者はわたしを除いて12人。現在内科で実習している学生には出席が義務づけられていて、毎回先生にサインをもらわなければならないのだそうだ。ゼミ形式で、セミナー室に輪になって座って、どんな検査をして、どういう診断を下すか学生がどんどん発言していく。と言っても、全部ドイツ語で、わたしはただ座っているだけだった。要所要所は隣の学生に英語で教えてもらったのだけれども。

病棟に戻って、医者について病室に行き、患者さんを診察しているのを眺めていると、リウマチ科にありがちな所見が全然ない。あとで聞いたところ、数日に一度、内科全部の救急患者が回ってくる日があるのだそうだ。ちなみにこの患者さんは循環器の病気だった。

今週になってから、かなり楽しんで訪問している某病室に行って、ドイツ語講義を受ける。日頃持ち歩いている小さな辞書に載っていなかったとある単語を調べて、明日ドイツ語で(!)報告するという宿題が出た。

明日、わたしは病棟最後の日を迎えるわけだけど、できれば来週も、少なくとももっともよく話してくれる女性の退院までは通いたい。彼女はわたしがいることを楽しんでくれているみたいでわたしもうれしい。

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寮に帰ると、映画の集いが今週もある(先週と、時間と場所は同じ)という電話があったと伝言を受ける。断るのも面倒だし一人で夕方を過ごすよりいいかなと思うしで行くことにする。

待ち合わせ場所で30分ほど待たされた。どうも、使う予定だった部屋で、電気機器の調子がよくなかったらしい。

その間に、ポーランドの学生と知り合いになる。なんとなく、姿と声が(たぶん性格も)友人に似ていて親近感。向こうも何かしら親近感を感じたのかもしれない、と思う。英語が通じてかなり安堵。彼女は、ポーランドから1ヶ月ドイツ語を学びに来ていて、10月から、ドイツ人学生と同じように、専門である建築を学ぶのだそうだ。試験もドイツ人学生と同様にあるという。採点に多少手心は加わるかもしれないと笑っていた。ヨーロッパ連合に加盟している諸国の間で学生を交換して、勉強の様子を知ろうという「ソクラテスプログラム」というものがあって、ポーランドからドイツにはそのプログラムに則ってたくさんの学生が来ている由。

映画は「グッバイ・レーニン」で、地球の歩き方ベルリン特集であらすじは知っていたのだがいかんせんオールドイツ語、理解するのはとても無理だった。考えてみれば、字幕なしでは、英語の映画だって理解できるかどうか怪しい。理解できなかったのはわたしだけではないようで、眠っている学生も数人見かけた。字幕なしのドイツ語なんて無謀すぎる。観ればベルリンに行きたくなるかと思ったがそうでもない。来週末ベルリンに行こうかどうか、今迷っている。

040820 (金、ドイツ日記16)病棟最終日。

朝はルート取り(静脈に針を刺して固定すること)を頼まれる。2度やってみて2度とも失敗。担当医を呼ぶが彼女も2度失敗。もう一人の医者がが呼ばれて、一発で決めていた。患者さんに横になってもらうのがコツなのかもしれない。うまくいくのを見ていると簡単そうに思えるものだ。ちょっと悔しい。

11時頃に、今日はあまりすることがないから帰っていいよと言われた。素直に従う。外来を訪ねて場所を確認、外来医師に顔だけ見せて、病棟に戻る。昨日宿題を出された病室を訪ねて、昨日の宿題を報告、週末の予定(ハノーファーにある有名な庭園を訪れる予定)を話し、来週も来ますと告げて帰る。宿題は庭園の感想をドイツ語で述べることだ。

学食で、交換留学生として今年ハノーファーからうちの大学に行っていた学生に初めて会った。目のくりくりしたいかにも人なつこそうな男性だ。先週の土曜日に帰国して、今週の月曜日からここの循環器内科で実習なのだそうだ。ご苦労なことである。日本にいたのが正規の実習の一環としてだったとは知らなかった。ドイツの医学生にとっては、海外で実習するのは普通らしい。3ヶ月半x3回ある長期実習のうち一回は日本(交換留学)、一回はドイツ(今回の循環器内科)、一回は中南米(次回)で行うのだと言っていた。日本では脳外科にいたのだそうだが、3ヶ月半で手洗いが二回で、患者さんとしゃべれるほど日本語もできなくて(さらに患者さんも英語ができなくて)病棟ではあまりすることがなく、しばしば医局にいたそうだ。でも楽しかったよ、と言っていたが本音なんだろうかなあ。

 040821 (土、ドイツ日記17)花を見て音楽を聴く。

朝9時前に家を出て大庭園とやらに行ってみる。

庭園内にはたくさん花が咲いていた。満開。刈り込まれた芝生と低木、そして花で模様が描かれていて、上から見るとさらにすごさがわかる。マスゲームの様相である。色とりどりの花を混ぜて植えるあたりはたぶんヨーロッパ風の美意識なんだろう。色遣いが華やかでいかにもヨーロッパ、だった。花の甘い香りというのが、顔を近づけなくてもわかるくらいの花が咲いていた。

久々に座り込んでスケッチなどしてみる。野外で描くのはほとんど初めて。描くこと自体久しぶりだ。持ってきたパステルが役に立ってよかった。3枚描いたが、描くごとに描きやすくなるのがわかって楽しかった。人が少なかったからのぞき込まれることもなかったし、ベンチに座ったり、木の根本に座り込んだりして適宜スケッチ。

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街中で、迷うはずのない場所で迷う。駅に戻るつもりが反対方向に進んだらしい。マルクト教会の高い塔が見えて、そこならわかるとマルクト教会の前に来たてみるとせっかく開いていたので入ってみた。外はぶっきらぼうな感じがするが内装はとても繊細で、前方には完璧なステンドグラスがあり、天井が高い。手元の資料によると、1349年から59年の間に建てられたのだそうだ。椅子に腰掛けるなぜか泣けてきてしまう。信者でもないのに一生懸命祈る。

マルクト教会で17時からオルガンコンサートがあるという張り紙を見た。行ってみることにした。。考えてみれば、先週友人に会ってバッハの教会音楽の話を聞いたり教会のコンサートはただだと聞いたりしたから行く気になったのだなあ。しかも今日マルクト教会に迷い込んだからこそ今晩コンサートがあると知ったわけだし。ある意味、不思議な縁。

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パイプオルガンの演奏で、壮大でたいへんよかった。木管楽器大合奏のような音がする、って、鍵盤だけど「パイプ」だものね。とても一人で演奏しているとは思えない和音だった。空気がふるえているのを皮膚で感じた。

教会の中で演奏を聴いていると、600年だか前(この教会は14世紀に建立されている)から、これまでこの教会で祈ったたくさんの人の願いが場に満ちているように感じて、泣けてきた。たとえば、世界平和を祈った人もいるだろうし、自分の健康や家族の健康、明日の食事を祈った人もいるだろう。私利私欲だった人もいるだろうし、見ず知らずの他人のために祈った人もいるだろう。でも、祈りの内容がなんであれ、人は祈ったし、そのエネルギーが場に満ちているように感じた。

宗教は祈りの手段であると思う。手段と場所を提示してもらえれば、人は安心して祈ることができる。たとえばバッハが、生活のために作曲していたとしても(と先週聞いたばかりの知識を披露してみる)、その音楽に救いを見いだした人がいるという事実は変わらないだろう。そういうことだ。

サイフに入っていたほんの少しの小銭を喜捨して帰る。

040822 (日、ドイツ日記18)美術館に行ってみた。

10時頃からハノーファー市内の現代美術館に出かける。

本来はピカソ展で、それもまあまあよかったのだが、立体芸術常設展の、space divisionという作品が印象的だった。暗い中に歩いて入っていく。目を開けても閉じても変化が感じられないほどの真っ暗なトンネルを抜けると薄明るい部屋がある。正面にスクリーンがある、と見せかけてそのスクリーンに見える長方形は実は、隣の部屋に通じる窓である。焦点が合わない仕組みになっていて、平面に見えるけれど、手や顔を差し入れることができる。目で入ってくる情報(平面)と現実(奥行きがある)のギャップが面白かった。

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明日提出の宿題(病室訪問時に報告する約束)のために、昨日行った庭園の感想をドイツ語で書く。基本的な単語で知らないものが多いので一語一語辞書を引くことになる。中学校時代の英作文を思い出して、少し感傷にひたってみた。本当はコンサートや美術館の話もしたいのだけれど、話が複雑になってしまいわたしのドイツ語レベルではちょっと伝わりそうにないので断念した。

040823 (月、ドイツ日記19)外来初日。

外来は日本とあまり変わらない。まずカルテがあって、医者が目を通して、患者さんが入ってきて、調子はどうとか話して、適宜身体診察をして、検査などのオーダーを出して、薬の変更がある場合は説明して、という流れ。学生は見ているだけで、あとで適宜質問というやり方も日本と同じだ。病棟のほうが楽しかった。

日本と違うのは、再診で一人20分、初診で一人1時間程度の時間をかけることと、一日に2回、上の医者(基本的に教授)が診察室に来て、そのときに来た患者さん全員についてプレゼンしなければならないこと。しかもそのプレゼンには患者さん本人も同席する。ドイツ語で行われていたので詳細はわからないが、患者さん同席でしかも教授にプレゼン、というのは、かなりのプレッシャーなのではないかと思う。

外来は1時に終了、その後1時からプレゼンで、プレゼン終わり次第解放。昼ごはんを食べて病棟に行き、宿題を出された病室を訪れた。結局、コンサートの話も美術館の話も、辞書を引き引き話してしまった。絵を描いたと言ってしまったので明日描いた絵を持って行く羽目になる。口を滑らせた、とは言い難い、だって報告しようと作った原稿に、絵を描いたと書いていたのだから。

040824 (火、ドイツ日記20)市長を表敬訪問。

市長に会いに、市庁舎へ行った。今回の留学に関する世話係である女性、チューターの学生、わたし、もう一人の日本人学生の4人である。たぶん表敬訪問なのだろうが趣旨はよくわからない。友好の象徴としての訪問かもしれない。ドイツ語/日本語の通訳がついてびっくり。テレビに出てくる同時通訳の人と同じ話し方をしていた。あれは通訳者の教育なんだろうか。通訳を挟んで話すのはタイミングが難しいし、訳しやすいかどうかとつい気にしてしまう。しかし、通訳の人はタイミングをはかるのに、それ以上に苦労しているのだろうし、どう訳そうかと常に頭をフル回転させているのだろう。そうやってわざわざ通訳してもらった話の内容はたいしたことなくて、一般的な世間話だった。机の上においしそうなチョコレートが乗っていて、いつ配られるかと非常に気になったのだけれど、とうとう誰も手をつけずじまいだった。飾りなのだろうか。

帰りに市庁舎のてっぺんに登った。屋根の傾斜に沿って斜めに上がるという変なエレベーターで、床が斜めになって面白かった。

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カフェでお昼ご飯を食べて病院に戻り、今日も病室訪問。今日は2部屋。絵を見せると約束した患者さんはすでに退院してしまっていた。きちんと持って行ったのに、残念。でも、どの人もわたしが行けば歓迎してくれる(と思われる)のはとてもありがたい。気を遣わせているだけかもしれないけれど、まあ、医者も「彼らには娯楽が必要だから(いいことだよ)」と言ってくれていることだし、もうしばらく続けてみよう。

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帰りに、テレフォンカードを買い、日本に国際電話をかけてみた。公衆電話から国際電話がかけられると、今日知ったのだ。5ユーロのテレホンカード1枚では言いたいことの3分の1も言えなかったけれど、でも、やっぱり、アルファベットでメールを書くよりは、声を聞くほうが、ずっといい。

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しばしば、「断る気力がない」という事態に陥るなあ、と考えていた。いい顔したいんだな、わたし。八方美人をやろうと思っているのかもしれない。これ言ったら気を悪くするかな、黙っていたら退屈していると思われるかな、わたし今ちゃんと笑えているかな、などと緊張しているから疲れる、そう考えると多くのことが納得できる。

040825 (水、ドイツ日記21)特記事項なし。

外来、病棟、ネット、買物、帰宅、就寝。特記事項なし。こんな日もある。

040826 (木、ドイツ日記22)リウマチ科のパーティ。

午前中は外来。午後、上級医宅でリウマチ科のパーティがあった。

12時半に病院を出発とのことだったが、外来が延びてわたしは20分遅れてしまい、しかも誰もわたしを拾ってくれないという事態が判明する。外来の医者に地図を描いてもらって電車を乗り継ぎ、わたしにしてはめずらしいことに一度も道に迷うことなく会場に到着。

昼ごはんのあとゲームがあった。くじを引いて4組に分かれた。まずはテーブルの上の物品を覚えて暗唱するゲーム、次は街中を歩いてクイズの答えを探すゲームだ。街中をグループで歩くのは楽しかった。「50セントでなるべく重いものを買ってくる」という問題があった。わたしのグループは古道具屋らしきところで四連の郵便受けを買った。郵便受けを抱えて電車に乗る姿はなかなか滑稽で、カメラを持って行かなかったのが悔やまれる。しかし、その郵便受けより重いものを買ってきたグループがあった。一個10セントの風船を5個買って水風船にしていたのである。賢い。

その後いわゆる立食パーティーだった。知らない人が多く、また、ドイツ語の会話は速すぎて全くついていけず、かといってわたしだけのために英語で話してもらうのも気が引けて、パーティーを楽しんだのかどうかは微妙なところだ。

小麦と酵母で作ったビール(ヴァイツェンビアWeizenbierというらしい)は、ノンアルコール(本来のビールはもちろんアルコール入りなのだがこのたびはちょっと遠慮してノンアルコールを選択)だったもののたいへんおいしかった。酵母のせいで濁っていて、日本のいわゆるビールとも、ドイツの普通のビールとも違うものなのだそうだ。専用の大きなグラスに1瓶丸ごと注いで飲む。

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明日から病棟に戻ることになった。正確に言うと戻ることにした。病棟のほうが患者さんと話せるから楽しい、できれば明日から病棟に行きたいと、ゲーム中に同じグループにいた病棟医に申告したら少しごたごたさせてしまったものの通ったのだ。午後から病棟に行くこともできたし今週はそうしていたのだけれど、採血したり回診について行ったりで病室をとりあえず回るチャンスはあったほうがいい。

病棟に戻る戻らないでごたごたしたのはわたしがはっきりしていなかったから。どうしたいんだ、と言われるといつでも困ってしまう。今回はわたしの中に、ずいぶんはっきりした答えがあったのに、それでも躊躇してしまった。期待される答えを探してしまう。「わたしが」そうしたい、と思うことを貫くことにひどくためらいがある。そして、どっちつかずでみんなを困らせてしまう。自分のせいで自分が苦境に立っていると考えると自分を責めてしまうから、そういう事態を避けているのだ。責任を取りたくないとも言える。そういう自分に気付くのは、少し痛い。

040827 (金、ドイツ日記23)病棟にて思うこと。

というわけで今日から再び病棟。朝の採血のあと一人で(勝手に)病棟回診。5部屋を、それぞれだいたい1時間かけて訪れて、ドイツ語でお話ししてきた。

先日「こんにちは」といきなり日本語で呼びかけてきた患者さんがいた。今日、どうして日本語を(「こんにちは」・「どうも」・「先生」だけにしても)知っているのかと尋ねたら、彼の出身地であるポーランドで極真空手を習っていたとのことだった。日本語で指示が飛ぶとわからないなりに従わねばならず、はじめ100人いたのが最終的に2人になるほど厳しかったそうだ。3年間通って緑帯を取った由。これをあげよう、と、ポーランドの1トロツティ(通貨単位らしい)硬貨をくれた。こういうのは、なによりのプレゼントだ。

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先日、医者が言っていた。「病室を訪ねるのはいいことだよ。僕たちは、患者さんたちそれぞれのところに、毎日せいぜい5分しかいてあげることができない。すべての患者さんを診ねばならないし、書類書きなどの雑用も多いから。で、たとえば午前中に1時間かけてレントゲンを撮るとしても、残りの23時間、彼らはすることがない。君が病室を訪ねれば彼らの気は多少なりともまぎれるし、その間、彼らは少しばかり痛みを忘れていることができるだろう。」

リウマチ科に入院している患者さんのほとんどは慢性的な痛みを抱えている。科の特性上、症状には、「痛い」「しんどい」「動けない」がほとんどもれなくついてくる。ある程度よくなるにしても根治は不可能なものが多く、変形がある場合元には戻らない。何十年も病気を抱えている人も多い。しかし、意識を失うことはほとんどない。生命の危機もめったにない。ただ、苦痛が長く続くのだ。

そんな病棟で一人、ほとんど義務のない留学生として、わたしは存在している。ドイツ語がよくわからないのも、必ずしも悪いことばかりではないのかもしれないと思う。彼らが「わたしに教える」という仕事を担うことができるから。そして、微妙なニュアンスはどんなに伝えようとしても少なくとも言語的には伝わり得ないという暗黙の了解があるのも、ある種の安心につながっている気がする。「コンパニオンアニマル目指してるねん」と、もう一人の日本人学生は言っていた。近いものがあるかもしれない。

一瞬でも慰めになればそれでいいと思う。わたしは、楽しませてもらっている。

040828 (土、ドイツ日記24)ゴスラーとツェレに小旅行。

朝9時40分にゴスラー着。「地球の歩き方」を持ってくるのを忘れてしまい、地図がない。とりあえず観光案内所を探すことにするが、どの方向に歩けばいいのか全くわからない。仕方ないので適当に歩き始めて100メートルほど歩いたところで、観光案内所はどこだか教えてもらえますか、と、東洋人の若い女性にドイツ語で聞かれる。わたしも探しているところです、とドイツ語で答えてふと、日本人?と日本語で聞くと、そうです、と返ってきた。あとで判明したことだが、彼女とわたしは、日本で同じ大学(彼女は経済学部)に通っているのだった。彼女はハンブルクで語学学校に通って、昨日終わったところだそうだ。

一緒に観光案内所を探すことにする。結局、そのへんで歩いていた親子連れを捕まえて「観光案内所に行きたいんです!」とわたしのつたないドイツ語で必死で伝え、連れて行ってもらった。全く逆方向に歩いていたことが判明。

無事に観光案内所に送り届けてもらい、地図を1ユーロ50セントで手に入れて(ドイツの観光案内所では、地図はしばしば有料である)、城まで二人で歩いた。城は11世紀に建てられたもので、1階は博物館、2階は大広間になっていた。大広間には一面に壁画(19世紀に描かれたもの)が描かれていた。絵物語である。絵の本来の用途のひとつは、壁画であるかもしれないと思った。

昼ごはんも二人で食べた。おしゃれなカフェで「今日のメニュー」を頼んだら、スープ、薄切りの牛肉に西洋わさび入りクリームソースをかけたもの、塩ゆでジャガイモ皿いっぱい、グリーンピース・にんじんのゆでたものこれまた皿いっぱい、ベリーの煮たものに生クリームをかけたもの、が出てきた。別皿で大量の塩ゆでジャガイモと塩ゆで野菜、である。バターで炒めたりという発想はないのだろうか。案外おいしかったしなんだかんだ言って全部平らげたので別に文句はないのだが。

これからブロッケン山(ゲーテの『ファウスト』で、ヴァルプルギスの夜に魔女が集まるとして描かれている山)に行くという彼女と街の中心部で別れ、わたしはゴスラーの街を散策することにした。地図に観光モデルコースが示されていたのでそれに沿って歩いてみた。路地が細い。車一台も通れない。ただの隙間にしか見えない。でも路地名が書いてある。石で舗装されていて、歩くと足が痛い。建っている家のほとんどは木組みの家で、建築年代が誇らしげに、玄関に書いてある。1600年代とか1500年代とかに建てられたものが多い。細い路地の両脇に、迫るように建っている古い古い家に挟まれて立つと、自分がどこにいるかわからなくなってくらくらした。魔女が路地から出てきてもおかしくなかった(ゴスラーもブロッケン山と同じく魔女を売りにしている)。街自体世界遺産なのだそうだ。なるほど、と思う。

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道を間違えたのも含めてほとんどすべての路地を回ってから、ツェレに向かった。

ここでは、大通りを東に向かえば街に出ることがわかっていたので少し安心して街に向かう。しかし、着いたのが土曜日の午後5時過ぎのため観光案内所が閉まっている。酒場とファストフード店以外は店も閉まっている。地図がないままあてもなく街中をさまよってみたが、あまり印象に残らなかった。1時間半歩いて、疲れ切って駅に戻り、来た電車に飛び乗って帰ってきた。

040829 (日、ドイツ日記25)チーズケーキを探している。

のどが痛くていけない。空気が乾燥しているからだろうか。

9時頃起きて駅に向かう。昨日の朝目をつけておいたチーズケーキとリンゴケーキを買いに出かけたのだ。昨日の帰りに見てみたら売り切れたあとだったので早めに出かけてみた。ところが今日は、店は開いていたものの(閉まっている店も多い)チーズケーキとリンゴケーキに限って置いてない。あきらめて、チョコレートを買い、焼きソーセージをパンに挟んだものを一つ食べた。

明日も駅に行ってみるつもりだ。駅でなくてもよさそうなものだが、他にケーキを売っている店(「中で食べられる」店はあるのだが持ち帰りができるかどうかわからない)を知らないのだから仕方がない。考えてみれば、ドイツに来て以来一度もケーキを食べていないのである。帰るまでに一度は食べておかねばなるまい。

帰りに森に寄って少し歩く。ベンチに腰掛けて目を閉じ、耳をすませると、鳥の声が10種類くらい聞こえる。自転車の走る音がひどく大きく聞こえるくらい静かな森だ。耳をすませている間は、何も考えずにいられるのがとてもいい。

040830 (月、ドイツ日記26)ぼんやり。

朝バスを一駅乗り過ごして5分遅刻。採血に際して消毒を忘れた。湯たんぽに湯を入れてきたと思ったら漏れていた。患者さんにコーヒーを持ってきてあげようと思ったらどのポットも空でクリームだけ入れたカップを持ち帰る羽目になった。帰りに駅に寄ってチーズケーキを買おうとしたら売り切れだった。駅から帰るのに反対方向の電車に乗ってしまい、次に乗ろうと思った正しい電車はタッチの差で乗れなくて、やっと乗った電車は乗り過ごした。

風邪で頭がぼんやりしていたとはいえあんまりだ。

寝るつもりが、食堂でお茶を入れていたら別の留学生に捕まって日本についてドイツ語(相変わらず間違いだらけの片言)で3時間語る羽目になる。ドイツ語で3時間も会話するなんてわたしも成長したものだ(外国人の話すドイツ語がわかりやすいという話もある)。しかしのどが痛いところを3時間もしゃべったので明日声が出ないかもしれない。寝るに限る。

040831 (火、ドイツ日記27)ひたすら病室。

暇ができたので、10分のつもりで、ある部屋を訪ねた。患者さんは1時間以上しゃべり続けた。誰かに聞いてほしいのかなあ。全部はとてもわからなかったし、わからない言葉をすべて聞き返すわけにも行かなかったけれど、たぶんそれでいいのだ。

午後にこれまた10分のつもりで訪問した人は歯医者さんで、英語で話してくれた。ここでも1時間以上。審美歯科についてとか経済についてとか、歯科衛生士についてとか、久しぶりに高級な(インテリっぽい)話をしたような気がする。って、いつもは何を話しているんだろうかわたしは。

そして次に訪ねた部屋では2時間以上いた。ポーランドからドイツに来て5年、の人だ(27日と同じ人)。ドイツに来た当時はドイツ語が全くしゃべれなかったけど(母語はポーランド語、学校で習った外国語はロシア語だそうだ)今では完璧さ、と笑っていた。一緒にコーヒー飲んでビスケットと桃をもらって食べて、ライター付きボールペンまでもらってしまった。たぶん寂しいんだと思う。帰ってほしくなさそうな感じだった。一瞬でも慰めになったのかな。入院してかれこれ3週間以上、これまでのところお見舞いの人を見たことがない。わたしが見ていないところで来ているといいんだけど。家族はポーランドにいると言っていた。車で帰省できる距離だとはいえ一応外国だ。老後はポーランドに戻って、小さな家を建てて暮らすんだ、と言っていたのが妙に心に残っている。

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朝の2時間くらいは採血したり回診について行ったりしているけれど、その後はこうして患者さんと遊んでばかりいる。カンファレンスもドイツ語がわからないからとさぼっている。留学生としてあるまじき姿、と思うと同時に、留学生という全く責任のない立場で言葉もろくにわからないからこそ「ドイツ語の勉強」という名目で日々患者さんを訪ねて話を聞いたり乏しい語彙で必死で話したりできるんだろうなとも思う。病気の話なんて「痛いですか?」と聞くくらいだ。よく言えば異文化交流の日々、悪く言えば遊んでばかりの日々。

「ハノーファーだから特別」ということは全然ない。「学んでいる」意識が希薄だともいう。本当にちゃんと勉強していると言えるのだろうか。

040901 (水、ドイツ日記28)まだまだ病棟。

関節の動きが非常に制限されている患者さんがいる。寝ている状態からベッドの上に座るのがやっと、歩くなんてとんでもない。ものを一つ取るにしても他人に頼まねばならない。食べるのだって介助が必要だ。しかも隔離病室で、入るには上着に手袋、マスクが必要だ。暇なときは何をしているのかと尋ねたら音楽を聴いていると返ってきた。本はページがめくれないので読めない。家にいたらトイレの一つも行けないだろう。でも医者は、「ずっとここにいさせてあげるわけにはいかない、症状が落ち着いたら家に帰ってもらうことになる、訪問看護を頼まねばならないだろうね」と言っていた。病気ってこういうものなのか。なんとかならないのか。

別の患者さんが椅子からベッドに移動するときには、頼むからこけないでくれよと思わず祈ってしまった。しかし、自分でやりたいという気持ちはきっとあるだろうと思って、見守るだけにした。幸いなことに無事だった。こんなときどれだけ手助けすればいいのか、わたしにはわからない。

そして帰る前にはまた、昨日と同じ病室で同じ患者さんと遊んでいた。今日は一緒にテレビを見た。テレビはドイツ語と英語、トルコ語でやっているのだそうだ。クッキーもらって食べて、「地図に日本が載ってないだろう(ヨーロッパ中心の地図である)、日本は台風のせいで大雨が降って海に沈んでしまったのさ。キミの帰りの飛行機は日本がないことに気付いて戻ってくるけど燃料が足らなくなってシベリアに不時着してそっから徒歩で、人食い虎に食われておしまいさ。シベリア鉄道のほうが、1週間くらいかかるけど途中で故障しても次が来るから安全だよ」などと2時間ばかり話していた。わざわざドイツまで来てつたないドイツ語でしかもポーランド人と、なんてどうでもいい話をしているんだろうわたしは。

チーズケーキを駅で買おうと思っている、と言ったら、病院の喫茶で食べれるよと教えてくれたので行ってみた。日本の、2ユーロ20セントに相当するチーズケーキよりはおいしかったとは思うけど、びっくりするほどおいしいってわけでもなかった。病院の売店だからなのかなあ。

040902 (木、ドイツ日記29)時間があるからこそ。

午前中に仕事(らしきもの)は全部終わってその後いつもと同様に一人で病室を回る。昨日と全く同じ部屋を全く同じ順番で回った。コーヒーを持ってくるとかちょっとそのへんのものを取ってあげるとか、看護婦さんを呼ぶほどでもない用事のために適宜使われてあげるのも悪くない。

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わたしには毎日時間がある。病棟業務(らしきもの)は午前11時には終わってしまう。そしてわたしは病棟で、ただ一人の留学生、ただ一人の日本人だ。スタッフは皆忙しく、英語でわたしとたわいない話をする時間なんてない。だからこそ最初の週に、今よりずっとおぼつかないドイツ語で、患者さんとしゃべろうなんて思いついたのだと思う。ありあまる時間を他人と分け合うことができたし、また、ある意味、そうするしかなかった。何もすることのない病院の午後は、一人で過ごすには長すぎたのだ。毎日新しい患者さんが来るので、『一からやり直す』チャンスも豊富にあった。

いま、わたしのドイツ語は3歳児並みだ。しかし、ドイツ語がろくにできないからこそ、日々進歩がある。それは患者さんにとって、たとえば親戚の子供の成長を早送りで見ているような楽しみなのではないかと思う。

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最後に回ったのは昨日と同じ病室。クッキーを出されてヨーグルトを出されて(おやつを分けてもらうのが習慣化している)コーヒーまで持ってきてもらってしまった(わたしが持ってくるのが筋である)。話の流れ上、明日、病院の台所でカツレツを作ることになってしまい、帰りにスーパーに寄って卵と肉、瓶詰めのホワイトアスパラガスを買ってきた。もし実現しなくてもそれはそれでいいと思う。誠意を見せてやろうじゃないのとちょっと挑戦的な気分。明日は早く行って肉を冷蔵庫に入れてもらおう。

そうそう、帰りにリンゴケーキを食べてみたのだった。ふと店をのぞくと売っていたのだ。しかも安売りだった。明日の朝ごはんにするつもりがつい、夕飯後に食べてしまった。砂糖がけで甘そうで、そこまでは期待していなかったのだけれど、意外なくらいおいしくて、2切れ買えばよかったと思うくらいだった。

040903 (金、ドイツ日記30)実習最終日。

実習最終日。早起きしてカードを書いた。卵と肉、ホワイトアスパラを持って早めに病棟へ。冷蔵庫に入れておいてね、と頼んでおく。

10時半にはフリーになっていたので病室を回って、ある程度以上仲良くなった患者さんに一人一人にさよならを言う。わたしの親しくしていた患者さんたちは、来週はじめには一人をのぞいてみんな退院だ。

とある病室(9月1日のはじめに書いた隔離病室)に行ったら各種看護業務(清拭、洗髪、投薬、気管チューブ交換など)中だった。適宜手伝う。今日は看護助手だ。悪くない。カードを一枚。なんとなく鳥のイメージがあったので、小鳥の写真が載っているカードを。言葉も書いてあるのだが、わたしには読めない。

そのときの看護婦さんはフィリピン人だった。外国人(学生以外では、フィリピン人2人とポーランド人1人しか知らないが)はとても、わたしに優しい。たぶん、母国を離れてしかも言葉がわからない心細さが、きっと理解できるのだろう。少しだけ、孤独を分かち合っているのだと思う。

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12時から昼ごはんだよ、と昨日の病室で言われていたので12時ぴったりに行くと、本人が病室にいない。同室の人に尋ねたらキッチンにいるよと教えてくれた。キッチンに行ったらカツレツを焼いていた。塩もコショウも、バターだってあるよと笑っていた。パン粉もどこからか調達していた。ひょっとしたらそのへんにあったパンをつぶしたのかもしれない。最後にアスパラガスを炒めてできあがり。

病室に2人入院していて、わたしを加えて3人いるからと、3枚肉を持って行ったら全部食べろと言われてしまった。病院の台所で調理されたカツレツを病室で食べる留学生の図、である。2枚食べてアスパラガスを平らげて(体が小さいのによく食べるねと驚かれた)、昼食のサラダを分けてもらってその上Milch-Reis(日本の米と同じような米に牛乳を砂糖を加えて煮たもの、カスタードクリームに近い)まで出されて全部平らげる。先日、米を牛乳と砂糖で煮るなんて信じられないと言っていたら買っておいてくれたのだ。

カツレツはすごくおいしかった。火もちゃんと通っていたし、パン粉はさくさくしていた。もう一枚は明日の朝ご飯にと持って帰ってきた。医者や看護婦さんに見つかったら怒られるかなあと黙っていることにしたら会うスタッフごとにカツレツはおいしかったかと聞かれてしまった。みんな知っていたみたいだ。

テレビを見ながらコーヒーを飲んでいると天気がいいから外に出ようかと言われそれもいいねと外に出る。雲一つない空の下、どうでもいい話をしながら、MHH構内を3時間くらい歩いていただろうか。途中で座ってアイスを食べていると、いちばん世話になった医者が私服で現れた。偶然にしてはできすぎだ。探していたのかもしれない。なんにせよ、きちんと挨拶できてよかったと思う。

病室に戻ってきてカード(虎の話を延々としていたので虎の写真が載っているカードだ)を渡したら、何を思ったのか、パスポートや免許証を見せてくれた。それらも確かにカードだ。写真はちょっと若いねと笑って、別れの挨拶をして、今日はおしまい。実習も、おしまい。

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わたしはここで、多くの人に愛されていたと思う。たぶんそれがいちばんの、収穫。

040904 (土、ドイツ日記31)リューベック・トラヴェミュンデへの1日遠足。

リューベック・トラヴェミュンデへの1日遠足の日。

朝お茶を入れようと台所に行くとさあ行くわよと同じ寮の子にに言われてかなりあわてる。出発まであと20分はあると思ってぼけっとしていた。一緒に行くなんて聞いてない。とにかくバスに乗って停留所を乗り過ごしたりしつつ、集合時間の20分前(6:50集合だったのでつまり6時半だ)には到着していた。MHHからバスで3時間程度、リューベックに着く。

英語とドイツ語に分かれてガイドツアー、迷わず英語のガイドツアーに参加。ガイドツアーというのは忙しいものだ。一つ見たと思ったらもう次だ。門とか教会とかいろいろ見たんだけど今ひとつ感動が薄い。天気は最高だったのだけれど。

昼ごはんは肉・魚・野菜から選べて、魚にしておいた。普段は肉にするのだろうけれどカツレツはもういい。ドイツの魚はいまいち、と思っていたのだけれど今回は当たりだった。海に近いからではなかろうかと推測する。ビールも一杯だけ飲んでみた。

その後トラヴェミュンデに向かう。白砂青松、とは言わないだろうけれど白い砂のビーチがある街だ。サンドワールドという、砂でできた彫刻の集まった公園に連れて行かれた。オリンピック特集だったのだが思わず東京オリンピックを探してしまった。

トラヴェミュンデでマジパン(マルチパンともいう)の店に入る。日本でいうところの食品見本に近い感覚だ。砂糖とアーモンドでできているらしい。直径20センチのものが売っていて誰が食べるんだろうと興味深い。

トラヴェミュンデからバスで再び3時間、帰りはスタッフの人に送ってもらって帰ってきた。同じ寮の子とお茶をしてなんとか荷物を全部詰めて今に至る。

040905 (日、ドイツ日記32)ドイツ最後の日記。

3時間ほどうとうとしてから朝4時15分に寮を出て、電車を乗り継いで空港へ来た。 日本に帰れる、という気持ちはある。「Heimat ist Heimat.」(故郷は故郷で、やっぱりいいものよ)という言葉が思い出された。そう、みんな、きっと故郷は恋しいのだ。この日記に何度も登場したポーランド人の患者さんに、退院したら何をするのか聞いてみたらポーランドへ、Papaのところへ帰ってしばらく静養さ、と返ってきた。Papaという響きがなんだかすごく懐かしそうな感じで、今でも耳に残っている。

やり残したことは、ない。4週間だと覚悟してドイツに来て、4週間過ごして、きちんと終わりを迎えることができた。そう、アンコール(昨日の旅行を指している)付きでフィナーレを迎えたのだ。空港に来る電車の中で泣いてしまったけれど、帰りたくないとか、寂しいとか、そういうことではないと思う。ただ、感情があふれてしまったのだ。

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日本と違って荷物を預けてからのチェックインでまごまごする。しかも、スーツケースもボディチェックも両方引っかかった。スーツケースで引っかかったのはなんとパステルである。鉱物成分がいけないのか。行きは引っかからなかったのに。

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ルフトハンザでウイーンへ、そこからオーストリア航空で関空へ。

ウイーン空港では5時間待ちだったがガイドブックなしでウイーンの街を回る気力もなく、空港でアイスを食べて立ち読みして、ぼんやりと過ごしていた。ポーランド・バングラデシュ・日本のガイドブックの、主な部分を立ち読みで読み切った(ポーランドは今回のドイツ行きで興味を持った。バングラデシュは昔から行きたい。日本は記述内容の正確さを検証するため読んでみた。書いてあることはどうもまともらしかった)。そういえば、来たときと同じ炭酸入りのミネラルウォーターを買って飲んだら、このたびはずいぶんおいしく感じた。感じ方が変わったのだと思う。

ウイーン→関空は、12時間近くかかる。食事時間以外ずっと寝ていた。最初の食事を食べて寝て、起きてみると次の食事が来て、食事が済んだらすぐ着陸だった。

040906 (月、ドイツ日記33)帰るまでが遠足ですから。

関空着。いつ日付が変わったのかはよくわからないがとにかく、関空着は9月6日月曜日の朝である。

着いてトランクを受け取り、宅配を手配、ユーロの残り(トラベラーズチェックは結局一枚も使わなかった)を日本円に戻して、おみやげをしかるべき場所にゆうパックで送る。さて、はるかと新幹線を乗り継いで帰るのだが、はるかで乗り過ごしてしまった。仕方なく終点まで乗って再び戻る。車掌さんに事情を話したら乗り換え地点までの特急券だけでいいと言ってくれた。

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なんとか、午後早くに家に帰り着いた。今日からまた、いつもの日常だ。


淡々としていなくもない日常。 > ドイツ日記