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読書記録No.005(010612-010627)

海と毒薬(遠藤周作、新潮文庫、010627)

戦時中の生体解剖事件を小説化したものです。

勝呂二郎という、結核専門の研修医が主人公となっています。彼は、この小説の終わりで、生体解剖に助手として参加します。 生体解剖には参加しますけれども、彼は、冷たくわけでも、残酷なわけでもありません。どちらかというと優しい、患者思いの医者として描かれています。当時の医学部の、患者不在の雰囲気に比較的毒されていないといってもいいでしょう。

しかし彼は強くありません。教授に命じられたからその他の理由で、患者を積極的に苦しめることもしないけれども、「それはできない」とたとえば教授にはっきり言うこともしません。患者のためにならないと思うとかわいそうでなんとなく延ばし延ばしにしてしまってそのうちに状況のほうが変わってしまう、そういうパターンを繰り返します。

夢の中で彼は黒い海に破片のように押し流される自分の姿を見た。

そして勝呂は、教授から生体解剖の話を聞かされたとき、なぜか流されて、承諾してしまいます。なぜかは彼自身にもわからない。何もかもけだるくなって、それだけです。そのけだるさは、わかるような気がします。そういうときこそきちんと突き詰めて考えなければならないはずなのに、どうしても考えられない。なるようになる、と思っているうちに流されてしまう。その気持ちがわかってしまう私は弱すぎるのでしょうか。

さて生体解剖は始まります。勝呂は助手で、麻酔の管理を任されます。勝呂は断るべきだったと強く思い、「俺あ、あんたに何もせん」と捕虜につぶやき、「出して下さい。この部屋から」と声を上げますけれども、もう遅いのですね。

でも俺たち、いつか罰を受けるやろ。

小説にははっきりと書かれていませんけれども、彼は手術が始まったときから、罰を受け始めたと思います。世間の罰ではなく、良心の呵責という罰を。

良心を持つ。それは疑いようもなく大事なことでしょう。でも、それを実行に移すだけの強さがなければ、自分(と他人)を傷つけるだけに終わってしまうのではないでしょうか。その強さは、私にあるのでしょうか?

文学のなかの看護 第一集(清水昭美、医学書院、010626)

文学作品を通して、看護のあり方や看護婦の姿勢を考えるというシリーズの、第一集です。収録されている作品は;

の12作です。「高瀬舟」「こころ」「海と毒薬」「恍惚の人」はそれまでに読んだことがありました。でもこの著者が読んだようには読んでいなかったと、思いました。この著者のメッセージは、

の二点に集約できると思います。

これからこの本に取り上げられている作品について感想を書く際には、この本を参考にすると思います。リスト中の今まで読んでいなかった本も、読んでみようと思います。

人間、この非人間的なもの(なだいなだ,ちくま文庫、010624)

中学生のころ手に入れて以来、何度も読み返しています。ひょっとしてこの本が、私の思考のもとになっているのではないかと思っています。今読むと、現在の私の意見がそのまま書いてあったりするのです。きっと「思考の生理(©鷲田小彌太)」が同じなのでしょう。

10編のエッセイのうち、表題に関する部分をとりあげることにしましょう。「人間、この非人間的なもの」形容矛盾に聞こえます。人間的というからには、本来ならば、人間のすることすべてが人間的であるべきですよね。しかし、「非人間的」という言葉は、主に人間に向かって投げかけられる言葉です。非難の言葉です。ということは、「人間的」という言葉は、単に「人間に関する」という意味ではないことになります。「人間的」という言葉には、人間のあるべき姿のイメージ、しかも肯定的なイメージが、ついて回っているのです。人間のあるべき姿、それを突き詰めれば、神の姿でしょう。でも神は人間ではない。とすれば、人間とは、非人間的であるということになりますね。

人間とは、非人間的なものである。とすれば、たとえ非人間的であると非難を受けようとも、人間のすることである限り、それは人間的なものである、ということになります。たとえそれが残虐なこと、非理性的なことであったとしても(先日の、大阪での児童殺傷事件でも!)、「非人間的」として「我々人間」と切り離して論ずることはできないのです。 そう、他人事ではないのだと、思います。

残虐なことをやる人間とやれない人間の、二種の人間がいると考えるべきではない。誰も、つまり、あなただって、私だって、その状況の中に落ち込んで、なにか心の中の歯止めがこわれたら、同じようなことをやるかもしれない、それを今までもやらず、これからもやらないとしたら、そうさせないように、状況か、心の中のしくみか、どちらかが働いているだけにすぎないのだ。

昨今残虐な事件が多いように感じられますけれども、それに対して怒るだけでなく、上のように考えて自分を律していかないと、何かとんでもない方向にものごとが進んでいくのではないかと、少しばかり不安な今日この頃です。

自分で考える技術(鷲田小彌太、PHP、010624)

  1. 自分で考える時代が始まった。
  2. 思考は、技術である。

この二点から、書かれています。第一の点に、「学校秀才」の典型を自認しているわたくしはかなりドキッとしました。コンピュータとインターネットがこれだけ普及したこの世の中にあって、覚えておかなければならないことというのは、かなり減ってきています。情報は多量に与えられているのですから、後はそれを使ってどうするか、というだけです。判断し、行動しなければならない。そのためには、考えなければなりません。

というわけで書く技術。

  1. 「思考の生理」が似ている人を発見することで、自分の思考回路を発見する。
  2. 書いてみる。簡単明瞭に書けなければ、簡単明瞭に思考できない。

第一の点に、「思考の生理」とあります。著者は、30代半ばに谷沢永一と出会い、その思考回路を自分のものにした経験を語ります。15年経った今読み返すと、まるで自分の書いたもののように感じられると。思考の生理が似ている人を発見し、その人の著作を読み込むことで、その人の思考回路を完全に自分のものにする、というのは、つまり、思考の技術を盗む、ということですよね。学ぶというのはまずは真似ることだといいます。無から有を生み出す、そんなことは誰にでもできるわけではありません。それならば師を探しましょう。自分が無理なく学べる師を。本ならいくらでも試してみることができます。たくさん試して師を選ぶ。そして徹底的に真似る。わたしはそういうことを無意識にやってましたけれども、意識的にすればすごいだろうな、と思います。

そして、さて考える、ということになったら、書くのが一番だ、と著者は言います。「論文の書き方」の著者も言っていましたね。それはなぜか。

きちんと考えているか、漠然と考えているかどうかは、書いてみればわかる

からです。的確で説得力のある思考を進めるためには、(天才を除いて)書くことが必要だと。わたしが今こうして読書記録を書いているのも、あるいはそのためかもしれません。

されど われらが日々-(柴田翔、文春文庫、010619)

初出は1963年。第51回芥川賞受賞作です。しかしここで取り扱われているテーマは、今のわたしたちにも決して無縁ではないと思います。すなわち;

死に臨んで、自分は何を思い出すか。

この小説は、登場人物の一人、「文夫」の視点で書かれています。彼は東大の修士課程二年目に在籍しており、卒業後の就職も決まっています。卒業と同時に、遠縁の女性である節子と結婚することも決まっています。彼は、「死に際して思い出せるようなものはないだろうし、それはしかたのないことだ」とあきらめています。充実した生活はあきらめ、せめて堅実に生活をめざし、それを手に入れています。文夫はそれまで、がむしゃらにならねばならないほど苦労したことはなかったし、将来にしても、安定は約束されていました。

この物語冒頭において、二人は佐野に出会います。もっとも、二人が佐野と出会ったとき、佐野はすでに死んでいます。佐野は学生運動に関わっていました。あるデモで逃げ出してしまい、その裏切りが心から去りません。その後運動から離脱し就職して順調な生活を送りますけれども、「こういう生活を送っていても死ぬときに思い出すのはあの裏切りにすぎないのか、だったら生きていることは非常に面倒だ」と、自殺してしまいます。

実は節子は、文夫と婚約する前学生運動に関わっており、佐野にも出会っていました。そのころの節子は、恋をしていました。精神的に、でも、一生懸命に。 佐野との二度目の「出会い」によって、節子はそのころの自分、「生きていた」といえる自分を、思い出します。そのころに比べてみると、自分の生き方、また、文夫の生き方は、実は空虚なものではないのか、死に際して思い出せるようなものを何も持たないのではないか、と、考えるようになります。そうして節子は、

せめて、生きたと言える日々を自分がまた持つことはできないものか。

と、文夫から離れて東北の地に旅立ちます。

登場人物の描写が細かく、容易に感情移入できます。満たされているがゆえにハングリーになれないしんどさ、もどかしさ、のようなものが表われています。現代にも共通するテーマだと思うのですがいかがでしょうか。

論文の書き方(清水幾太郎、岩波新書、010619)

なぜ文章を書くのでしょう。何かを他人に伝えるため、もしくは、自分の考え・知識を整理してはっきりさせるためです。

例えば著者は、読むという行為は、書くという行為を伴ってはじめて完結するといいます。ただ読む、というのは受動的活動に過ぎず、分かったつもりになるだけで終わりがちです。しかしこれを書くとなると、そこに能動的緊張が加わります。例えば書物を要約するとしましょう。当然、一字一句を写すわけにはいきません。いきおい、自分で内容を取捨選択することになります。そのためには内容を深く理解しなければなりません。それをさして著者は、「自分で書いて初めて書物は身につく」と言います。

さてここで取り扱われているのは書き言葉です。書き言葉に対立する概念は話し言葉です。話し言葉においては、相手がいます。相手はこちらの言葉に逐一反応を返してくれます。また、相手に、どれだけの共通認識が期待できるかも、多くの場合において状況から明らかです。また、相手と面と向かっている場合、身振り手振りや声色など、言語以外のさまざまな要素が内容伝達にかかわってきます。これに比べて書き言葉は、まったく言葉だけで成り立っています。ということは、漠然とした認識のまま、漠然と語ることは許されません。書き言葉においては、話し言葉より論理が重要視されるのです。

論理を重要視するとはどういうことか。一つだけあげましょう。「が」を警戒することです。「が」がなぜいけないか。便利すぎるからです。「が」は短い言葉でありながら、順接・逆接をはじめとする多くの意味を表すことができます。多くの文章を「が」でつなぐことは簡単ですけれども、「が」がどの意味で使われているのか分からなくなりがちで、したがって文章の意味が不鮮明になりがちです。著者はこれを警戒せよ、「が」を使うな、と力説します。「が」を追放することで、論理の組み立てが明確になるといいます。そうして明確な組み立ての文章を書いてこそ、文章を書く目的が達せられる、すなわち、何かを他人に伝える、もしくは、自分の考え・知識を整理してはっきりさせることができるというのです。

このようにして論理の通った文章を書く訓練は、そのまま、筋道を立てて考える力につながるでしょう。きっとそれは私にとって必要な力なのだと思います。

アマリリスは咲いても(渡辺博、NOVA出版、010617)

精神科医が末期がんで入院中書きつづったものです。大きく分けて、著者の闘病記と精神科医療への提言から成ります。

前半の闘病記も何と言うか飄々としていて、深刻なはずなのにちょっと楽しげで、なかなか見るべきものがありますけれど,ここでは後半の,精神科医療について書かれた部分に集中しようと思います。

著者が実践してきた医療で、ああ、いいなあ、と思ったのは、医療を拒む患者への「空振り訪問」です。一種の往診ですね。普通の内科の往診と同じように自己紹介からはじめ、身体症状に焦点をあてて服薬を促し、自主的な受療に結びつけるのを目的としています。

なぜそういう手立てをとるのか。患者さん自身が、「自分は精神病だ」と認めたくない、その気持ちを汲んでいるのですね。精神科には、「措置入院」といって、本人の同意がなくても入院させることのできる制度があるのですけれども、それは(当然のことですが)患者さんにとって大きな心の傷になってしまう。医療も家族も,信頼できなくさせてしまう。だからそうなる前に、そうならないように、たとえ空振りが続いても往診を続ける。ある程度薬を飲みつづけて病状が落ち着けば、自主的に通院してくださることも多いそうです。

たいへんだろうなあ、と思います。それと同時に、優しいなあ、と感心します。「相手を尊重する」というのは、言葉でいえば簡単なんですけど、どうすればいいのかなかなか分かりません。これは一つの実践ではないかな、と。医者になったら一度はやってみたいな、と。そんなに甘いものでもないのでしょうが理想としてもっておきたいな、と。

さらにこの著者は、「精神病に対する社会の偏見」についても述べています。まったく故なきものでもないと。衝撃的な事件を起こす人は、ごく少数であるとはいえ確かにいます。また、病状が悪化すると「精神病であると見られたくない」という意識が顕在化し、受診を拒否し,さらに病状が悪化するという悪循環が起こりがちです。精神に障害をもつことが、必ずしも患者さんにとって不利にならない時代がくれば、他の疾患と同じように悪くなればすぐに受診する,という流れが自然なものになるのでしょう。いまのままでは悪循環ですね。

そしてこの著者は、精神病患者についての用語の再定義を促しています。例えば、

「感情鈍磨」とは…「心の中で敏感すぎるほどの感情を持ちながら、感情を豊かにうまく表現できない状態」としたい。
「拒薬」とは…「何らかの重大な理由から服薬しない状態」である。

こういう定義の仕方があることを、ぜひ覚えておきたいと思うのです。精神科の言葉には、いまだに価値判断の付け加えられた言葉(例えば「感情鈍磨」なんて,明らかに悪い意味の言葉ですよね。)がたくさんあります。病状を「不気味」「なにこれー」と思ってつけたんだろうな、という。そもそも「精神分裂病」というのがおどろおどろしいですよね。もちろんいまのところは正式な医学用語でしょうから一応は学ばなければならないのですけれど、そういう言葉の「言霊」に支配されないように気をつけたいなあ、と思います。

阿弥陀堂だより(南木佳士、文芸春秋、010615)

出版社勤務後小説で新人賞をとって小説家に転身した孝夫と、その妻で優秀な医者である美智子の物語です。孝夫の視点から語られています。

孝夫は小説家になったはいいけどなかなか軌道に乗りません。一抹の罪悪感をおぼえつつ日々家事をこなしています。美智子は病院で活躍し、ますますバリバリ働くようになります。

でもあるとき、美智子はパニック障害にかかり、外に出られなくなってしまいます。曰くたくさんの死を見送りすぎたと。何かエネルギーみたいなものを吸い取られてしまったと。入院するより夫のそばのほうが落ち着くと、彼女は自宅療養を選び、いわゆる「バリバリの医者」コースからは外れてしまいます。だんだん責任のない、楽な地位、言いかえれば窓際に追いやられていきます。その間、夫である孝夫は、だんだんと自分の価値を再確認していきます。俺っていなきゃいけなかったんだな、と、改めて気づくのです。

そして美智子は、自分が東京の「人工物」に拒否反応を示していることに気づき、孝夫の故郷である田舎に帰り、そこの診療所で働く決意をします。

帰ってから彼女はどんどん回復していきます。生気が戻り自信が戻り、幸せに生活できるようになります。なんだか地に足がつく、そういう感じです。そして孝夫も何というか、落ち着きます。安定していていいなあ、という感じです。文章を読む限り、無理のない生活だなあ、と。保坂和志「季節の記憶」を思い出しました。ちょっと違うかな。

うまく言えないんですけどわたし、美智子みたいな人生を送るかもしれないと思っています。たぶんわたしは多くの人の死を見送るでしょうし、たくさん見送りすぎると疲れてしまうだろうし、でも疲れきるまで納得しないと思うんですよ。そしてどうしようもなくなってやっと考え直してそのあと、どこかもう少し落ち着いたところで第二の人生をはじめるのではないかと思うのです。地に足がついてるっていいなあ、とかなんとか言って。はじめから地に足をつけようとするとうまくいかないんじゃないかな。根拠はないんだけどそう思います。

そういう節目節目に、一緒に歩んでくれる人がいたらいいなあ、と思う今日このごろです。

大河の一滴(五木寛之、幻冬社文庫、010614)

98年に出版されて、たいへん話題になった本ですね。文庫になってから読みました。今読み返してみると、わたしがいかにこの本に影響を受けたかがわかりました。

私たちはすべて死のキャリアであり、それが発症しないよう止める手段は永遠にない。

この、「死のキャリア」という言葉、とても好きなのです。死はどういうものであるかわたしにはわからないし、確かなことを言える人はきっといないと思います。だからこそ、極楽浄土をはじめとする、数々の物語が作られ、語り継がれてきたのだと思います。未知への不安、別離の悲しみを和らげるために。でもわたしを含めてすべての人はかならず死にます。それしか確かなことはない、というくらい確かなことです。それなのにわたしたちはしばしば死を忘れる。「Mememt Mori!(死を記憶せよ!)」死刑囚は常に無期囚より生き生きとしているという。終わりが見えていて、いつやってくるかもしれないと緊張しているからだという。しかしそれを言うならわたしたちだっていつ死ぬかわからない。死刑囚のように日々生き生きと過ごすことは可能なはずです。「死のキャリア」としての自覚があれば。

先(死)は見えているにもかかわらず、ぼくたちはそれに絶望せずに生きていく。そのことを考えると、生きている、というだけでも、どれほど大切な大きなことを人間はやり遂げているか、と考えざるを得ません。

みんな生きているんですけどね。みんなやってるから当たり前、というより、みんなすごいなぁ、ってことですよね。それを基礎に据えないと、「あの人は生きている価値のある人」「この人は生きている価値のない人」などという傲慢な区別がなされてしまいそうです。「わたしは生きている価値がない」と思うようになったら、それはとてもつらいことです。

ただ生きていく、それだけでも、細胞はずいぶん頑張っていて、そもそもこの世にいること自体よくわからないほど不思議なことなんですよね。あまりに言い古されすぎて常套句になってしまってますけれど。「わたし」もしくは「あの人」が存在する確率を考えると、また、そのために日々休みなく働いている細胞のことを考えると、人間が意識的にこなせる仕事なんてちっぽけなものかもなあ、と思ったりします。

「生きていることに意味なんてあるのか」という問いを突き詰めると、かなりの確率で「意味なんてない」という答えに到達するでしょう。しかも、生きていくのはしんどい。

地獄は一定。

楽しく明るいのが当たり前ではなく、しんどいのが当たり前なのかもしれません。そんな中でときどき「生きててよかったな」と思える瞬間があったりする。それが極楽なのかなあ、とか。

しんどいんだけど、せっかく宝くじの一等なみの確率で生きることができたんだから、寿命のあるかぎり生きていってみようかな、と思うわけです。たまには「生きててよかったなあ」と思うときもありますし。なんだかマイナス思考のようにも聞こえますけど、そうやって一度絶望をくぐったほうが、強くなれるのではないかと思います。些細な幸せも、喜べるのではないかと思います。

でもそれでも、やっぱりしんどいときがある。ある程度余力のあるときには励ましも有効かもしれない。でも余力

孤立した悲しみや苦痛を激励で癒すことはできない。そういうときにどうするか。そばに行って無言でいるだけでもいいのではないか。その人の手に手を重ねて涙をこぼす。それだけでもいい。深いため息をつくこともそうだ。熱伝導の法則ではないけれど、手のぬくもりとともに閉ざされた悲哀や痛みが他人に伝わって拡散していくこともある。

この言葉も好きだなあ。何もできなくても、そばにいるというのは、実はとてもとても大事なことなのではないかと思うのです。

「死の医学」への序章(柳田邦男、新潮社、010612)

この本は、西川喜作という精神科医の、ガン闘病レポートです。ずいぶん「よい」先生だったようですが、それでも病にたおれるまで、患者さんの気持ちを本当に考えることなんてなかったと。何十年も医師をしていても、自分が病気になってはじめてわかることがたくさんあったと。彼の伝える言葉、彼の同僚が語る言葉は、これから患者さんを診、また、見送る立場となるであろうわたしたちへの、先輩医師として、また、患者としての、とても考えさせられるメッセージとなっています。そしてこれは、西川喜作という一人の患者の闘病記でもあります。良い面のみ見せて格好をつけるのではなく、迷いもしんどさも(おそらく)率直に書いてあります。

たとえば検査が(善意でやってもらっている場合など、なかなか文句が言えなかったりするけれど)たいへんな苦痛を伴うものであったりする。痛みは、他の感覚・感情もそうなのですけれども、自分が経験しないと想像することさえできませんよね。でも望んで大病をするわけにも行かないからできる限り想像しようとつとめるしかないんですけれど。

そして患者さんの話をきちんと聴くこと。面接・問診で情報を得るために聞く、のももちろんですけれども、患者さんのしんどさを理解して、どうすればいいのか一緒に考えるために聴くこと。五木寛之の「大河の一滴」(これもいずれ取り上げたいですね)に、菩薩というのはしんどい思いをしているものといっしょに苦しんでくださるんですよ、という一節があったのですけれど、これでしょうか。

そして。医師は自分の不安を解消するために患者さんを利用しないこと。話を聞くときには、誘導尋問をすることなく、相手(患者さん)が自然に言葉を発するまで、ちゃんと待つこと。相手の心情について思いをめぐらしすぎて、不安になってその不安に抗しきれずについ相手の言葉を先取りしてしまう、そういうくせのあるわたしは今のうちに何とかしないといけません。また、「他の医師たちが採用している治療法を採用せずに患者が死んでしまったらどうしよう」との不安から延命治療を施すようなマネをしないこと。これも、よほど気をつけないと、やってしまいそうな気が…

自分は死ぬのだ、と。だけど、皆さん、あなた方もやはり死ぬんだ、と。人間は生まれてくれば、皆死への旅なのだ、と。それなら、医師や看護婦や家族は、見え透いた嘘でかためたり、当てもなく身体をいじりまわして、不自然に命を引き伸ばすといったことだけをしたりしないで、病人の心に触れて、少しでも心やからだの苦痛を和らげてあげて、最後の瞬間まで生きていく手助けをする協力者であってほしい。死が近いとき、それから目をそらさないで、ごまかさないで、立派に生き抜いてこそ、価値ある死を勝ち取ることができるのであって、医師や看護婦や家族はその協力者であるべきなのだ、と。

医者は、もちろん病気を治すのが仕事です。でも、手の施しようのないときには、看取る者であってもいいのではないか、とわたしは考えています。実際に医師として患者さんを診るようになったとき、もう一度読みたい一冊です。


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