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読書記録No.001(001119-001211)

臓器農場(帚木蓬生、新潮文庫、001211)

脳死患者を死んでいるとみなして、臓器を取り出してもよいとしましょう。それならば、はじめから脳のない状態で生まれてきた赤ちゃん(無脳症児)も,要するに死産ということで,臓器は取り出してもよいのでしょうか。さらに、中絶される予定の胎児がいるとして,その子を人工的に無脳症にして、臓器供給源とすることは許されるのでしょうか。

私は、最後の選択肢については,「許される筈がない」と思います。しかし、ここにたとえば臓器移植しか助かる道がない子供と,その親がいたとして、彼らを止めるに足る言葉を見つけることができるのでしょうか。私はまだ,答えを出せずにいます。

ヘーゲル・大人のなりかた(西研、NHKブックス、001207)

高校時代の「倫理」の授業で、ヘーゲルはとても評判が悪くて。「社会の発展段階がアジア>>ギリシア>>ドイツだなんて、ナショナリズムもいいかげんにしろ!」って。でもこの本を読んで、ヘーゲルを見なおしました。「自分にとって」の正義(ひとりよがりになりやすい)だけじゃなく、共同体も視野に入れていく、それが大人になること、かな。

私たちは生きながら、さまざまな憎しみや不満を抱かずにおれない。その憎しみが、どこかで「自分を正当化」する理屈に化けていることがある。しかし、私たちはそういう在り方をしていることに気づかない。それが、自分をかえって貧しくさせていることにも。私たちはどこか、「ツッパって」生きているところがあるのだ。このヘーゲルの思想は、そういう人間が抱いてしまう貧しさと、同時に自分の中にも、何か美しいものへのあこがれが潜んでいること。その二つを私たちに「気づかせる」のである。

生きがいクエスト1996(大岡玲、岩波21世紀問題群ブックス、001206)

読むと暗澹とした気分になること請け合い、ですが、「現代的悩みのあり方」もしくは「現代的アイデンティティ不安」を、とてもよく描写した小説です。主人公(ソフト製作会社の今一つ中途半端な立場の準?社員)が、「哲学的」RPGの企画を立てていきます。その主人公とRPGの主人公が交錯していくのですが、そこで主人公が味わう葛藤が、誰でも突き当たりそうな、少なくとも私は何度も突き当たったような、でもあまり表立っては語られないような、そういうものばかりなんですね。解決は示されていません。悩んでばっかいても仕方ないかも、とは思うかもしれません。

何に対しての敗北なのか、何を作り何を残すのか、実のところ空々漠々として、つかみようもない。死への恐怖への反動として、焦りが突出し、やがてそれは自動律にまで成長する。やるべきことをやらねば、この世で生きがいを見つけて邁進しなければ、と。

実存からの冒険(西研、ちくま学芸文庫、001202)

この本は本当におすすめ。私がもっとも敬愛する哲学者西研による、ニーチェとハイデガーの紹介の本です。哲学書のわりに言葉は平易だし、漢字も少ない。何より、読み終わって元気になるところがナイスです。著者は高校時代、「勉強など何の意味もない、そう思いつつも、勉強しないでいることは怖かったのだ。他にこれといって取り柄がないのに、勉強すらやめてしまったら、もうまったく「無」である」と思っていたそうで、その辺にもわたしはとても親近感をおぼえました。その状況を打破する方法が、彼の本には書かれている気がします。

つまり、ニーチェは友人が欲しかったのだ。同情など欲しくない。互いに生を実験し合う仲間でありライバルであるような友人を。だから、ツァラトゥストラ=ニーチェは、山を降りて人々に語ろうとするのだ。
自分を強くしてくれる理想や知(真理)に近づき我がものにしようとしても、自分は決して開かれはしないし、幸福にもならないのである。他人の素敵なところに感動して励まされたり、自分から他人に何かいってみたりすること、つまり他人と関係を結ぶことを、ぼくは少しずつ学ぶようになった。

社会的ひきこもり (斎藤環著、PHP新書、001122)

最近はやり(?)の引きこもりに関する本です。いろいろ出ていますけれど、わたしが読んだ中ではこれが一番正統派ではないかと思います。「引きこもりシステム」という、焦りとストレス(およびコミュニケーション不足)の悪循環システムを提唱している点がなるほど、という感じです。しかも対応がヒステリックでないところがいい。ちなみにこの本でいう「社会的ひきこもり」とは、

「二十代後半までに問題化し、6か月以上、自宅に引きこもって社会参加をしない状態が持続しており、ほかの精神障害がその第一の原因とは考えにくいもの」
をさします。なかなかよく考えられた定義だと思うのですがいかがでしょう。 わたしを認めよ!(勢古浩爾、新書Y、001119)

ひとは、他人からの承認なしには生きられない。自己承認だけでいい、なんていえない。はっきり言ってもらえてなんだかせいせいしました。結局は、「そのときそのときで自分にとって最善と思われることをきちんと選択する」、これに尽きるんですけどね。

信頼するに足る誰かによって、「あなた」はかならず承認される、ということを信じたほうがよいとおもう。わたしは、そのことが信じられる程度には、わたしたちの社会はまだ信じることができる、と信じている。

マンネリズムのすすめ(丘沢静也、平凡社新書、001119)

からだに即した、地に足のついたエッセイ。頭で考えただけの思想は、やっぱ、身体に即した思想に勝てない?語り口が淡々として好きです。

教養とは、自分が中途半端であることをわきまえ、中途半端から落ちこぼれないための、さじ加減のテクニックなのである。

人はなぜエセ科学に騙されるのか(上・下) (カール・セーガン、新潮文庫、001119)

占いを信じてしまったり、おまじない、と聞くとついつい頼ってみたくなったり、という実はかなり非科学的なわたくしにショックを与えてくれました。追試が可能であり、反証に対していつでも開かれているのが科学である、という主張は、「科学」と「エセ科学」を見分ける際の最大の試金石でしょう。

ストレンジ・デイズ(村上龍、講談社文庫、001119)

村上龍はあまり読まないのですが・・・(「トパーズ」を読んだら疲れてしまって)これは当たりでした。文章にスピード感があって、句読点がなかなか打たれないのにすっきり頭に入ってきます。ヒロインのジュンコさんがかっこいい。こういう人がもしほんとにいたら、勝てないでしょうね、絶対。

オフクロが十二指腸潰瘍になって入院したのも懸賞であたったペレのサイン入りサッカーボールをなくしたのも自転車で坂道を下っていて犬の死骸にハンドルを取られ白菜畑まで飛んで転がり目の下に傷を作ったのも上級生に体育館裏に呼び出され殴られた上にオヤジに買ってもらったばかりのシェーファーの万年筆をとられたのもたて続けに受験に失敗したのもハシシで警察にパクられたのも初めてうつ病といううっとうしい病気になったのも季節は全部春だった。

翻訳はいかにすべきか(柳瀬尚紀、岩波新書, 001119)

このひと、翻訳家なんですけど、駄洒落まできちんと日本語になおすんですよね。「フィネガンス・ウェイク」を訳した人です。(わたしは読んでないですけど)彼の翻訳のやり方を踏襲しようとは思いませんが、この文章自体はとても面白いです。内容もだけど、文体が軽くていい。


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