Profile of NantamaKoubou

【パズル作家としての】プロフィール。


 これまで20年以上にわたって「パズル作家」として活動してきました。
 その歩みを簡単にご紹介します。

1984年: パズル雑誌『パズラー』(世界文化社)を購入。
高校帰りのコンビニで、以前から気になっていた雑誌を手に。これが人生を大きく変えることになるとは...。
1985年: 『パズル激作塾』に投稿を開始。
「激作塾」とは、『パズラー』の読者投稿コーナー。当時の塾長がパズル界の重鎮・西尾徹也氏、私のお師匠様です。

1985年: 投稿作品が雑誌に初掲載される。
高校2年から3年に上がろうかという頃。 「17才のパズル作家誕生?」なんて書かれたりしたもんです。...若かったなあ。

1986年: この年も2本のパズルが雑誌掲載される。
受験勉強そっちのけでパズルを制作・投稿してたわけで...。今思うとなんて無謀なことをしてたのかと。

1987年: 「留学生」に推挙され、「パズル作家見習い」の活動開始。
何とか神奈川大学に入学、編集部の方からは「これで時間が取れるね」。「留学生制度」は、投稿で実績のあった人にコンスタントに作品を発表させ修行してもらおうという「激作塾」の制度。

1993年: 専業パズル作家として歩み始める。
何とか大学卒業後、そのままパズル作家として活動することに。ところで、大学には何年いたでしょう?(笑)

1994年: 二代目「パズル激作塾」塾長に就任。
「ハテナー塾長」という名で後進の指導に当たる。...いえ、実はそんなすごいことはしてないですけど。

1994年: 《第3回世界パズル選手権/ドイツ大会(ケルン)》に参加。
作家代表の一人として日本チームに加わり参加。ライン川を航行する船がパズル大会の会場でありホテルであるという、オシャレな大会。非英語圏のパズリストには不利な問題が多く、物議を醸した大会でもありました。

1997年: 《第6回世界パズル選手権/クロアチア大会(コプリブニツァ)》に参加。
パズルを解く実力が高いわけでもないのに、また参加させてもらえました。開催地は郊外の静かな小都市で、日本人がお散歩してるだけで街中の人に注目されました。観光で寄ったザグレブともども、素敵な街でした。

1998年: 「パズル激作塾」塾長を降板。
この間、数人の若者に「本格的にパズル作ってみない?」と声を。彼らにも道を踏み外させてしまいました。

2000年: 「パズル作家チーム」として『タイムショック21』(テレビ朝日)に出場。
5人1組でのチーム戦の頃です。いかにも「好きそうな」作家仲間に声をかけてみたら、みんな「面白そう、出る出る!」とノッてくれました。
パズル作家ならではの裏話。翌年の確定申告の際、「これはクイズ番組の賞金であり、パズルの仕事=収入とは関係ないんです」と税務署で釈明した人が少なくとも3人います(笑)。

2006年:「ニンテンドーDS」ゲームソフト用のクロスワード制作。
ソフトウェアメーカーさんから私にお声がかかり、私が仲間のパズル作家を集めて、たくさんの新作問題を分担で制作しました。その後シリーズ化もされ、計3本のゲームソフトにクロスワード問題を提供しました。

2006年: 初の個人名義の書籍『ナンプレ入門編1』発行。
世界文化社のパズルBOOKSシリーズの一巻です。「ナンプレ」がブームになったとはいえ、まだ多い「どう解けばいいの?」という方のための一冊です。編著は初めての経験で大変でしたが、楽しんで作ることができました。

2012年: はやみねかおる先生の『都会のトム&ソーヤ ゲーム・ブック 修学旅行においで』制作に参加。
はやみねかおる先生の人気シリーズ、『都会のトム&ソーヤ』の世界を元にしたゲームブックです。企画段階から加えていただき、作中の暗号パズルの作成とゲーム全体の構成に関わりました。こんなに時間の制約が厳しかった仕事も初めてでしたが、こんなに楽しい仕事もまた初めてでした。

現在: 細々と専業パズル作家。
クロスワードパズルやスケルトンなどの「ワードパズル」、ナンバープレースなどの「数理系パズル」もこなせる作家、として編集の方々に重宝がられてます。...と、思います。

(おまけのプロフィール)
《牡牛座のB型》です。「血液型による性格」などというものは信じておりませんが、「典型的なB型」だと言われると「そんな気もする」と納得してしまう自分がいます。
ちなみに私の周りのパズル作家さん、「B型」の比率が非常に高いです。