摂食障害
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 発症の低年齢化、男性例の増加が指摘されて10年以上が経ちます。

 簡単に手に入る食べ物に取り囲まれて、やせていることを理想とする風潮が原因と言っても良いと考えています。

話が大きくなりますが、ヒトを含めた生き物の進化は、食べ物を手に入れることを目指して来たと言ってもよいでしょう。自然界では食物は命そのものです。次いつ食べることができるかもわかりません。その結果、全ての生き物は食べ物のある時にできるだけ沢山、お腹一杯以上まで食べるよう生まれついています。

お金持ちでなくても、すぐ食べられるものが、24時間いつでも何種類もあるという状態になったのは、わずか30年のことです。コンビニの出現は、これに拍車をかけています。アラジンのランプはなくても、少々のお金を出せば魔法のように食べるものが出てきます。

 それまでは限られた人しか、沢山食べることは出来ませんから、太ることもできませんでした。ですから、たいていの社会で、太っていることはそのまま富と権威の象徴で、性的な魅力でもありました。

 逆にやせていることは、社会的な能力が無いこと、食べるものが無いこと、乏しいことそのものでした。もちろん性的な魅力にもなりません。

 摂食障害は、あれば食べたい、食べておくべきだという生き物としての自然な欲求に基づく食行動を、やせ偏重文化が強引に歪めたところに生じています。

「お腹一杯たべたい、一杯になったら止まる」という自動調節は、「食べたいけど食べない」という強引な手動操作の繰り返しで壊れると、なかなか元には戻らないようです。

 摂食障害になってしまうと、食行動だけを改善しようとしても良くなりません。生き物らしい生活、「気持ち良いなぁ」、「楽しいなぁ」と感じる時間が持てる生活を取り戻すことが必要です。一日中自分のことだけを悩んでいるのではなくて、衣・食・住を手に入れるために、他者と協力して働く生活をすると言い換えても良いでしょう。そこにこそ、回復につながる本物の喜びと苦しみの体験があります。

 極端な低体重(30Kg以下も珍しくありません)の人は、生命の危険もあり、総合病院での入院治療が必要ですが、「ウチはやっていないから」とほとんどが門前払いをされています。

わたしは以前、市内の総合病院で摂食障害の入院治療を担当していましたが、総合病院管理者に止められてしまいました。もっと利益を出せというのが理由です。よくわかりませんが。おおげさに言うと、東海三県のやせ症のうちでも、特にやせていて生きているのが不思議な人たちの駆け込み寺の観を呈していたので、今そういう人たちはどうなっているのだろうかと、とても心配です。

年末の休みに入る日に、事前に何の連絡も無く、入院依頼の紹介状と重い肝障害を示す検査データを持って、A半島からやってきた患者さんは、20Kgを少し越えるだけしか体重がなく、顔いっぱいに目が大きく広がっていました。さいわい、空いたベッドがあってほっとしたことを覚えています。その人は、三河地区の大きな公立病院の付属看護学校の学生でした。本当にいつ死んでも不思議ではない状態でしたが、「ウチではやってないから」と、母校の病院でも何もしてもらえなかったのです。
また摂食障害では、低血糖や電解質異常で、救急搬送されることも珍しくないのですが、少しの補液だけで退院をさせられます。退院した翌日に心停止を起こした例も実際にあります。

 そんなことも含めて、摂食障害(特にやせ症)の入院治療は、公的な総合病院の社会的責任だと訴えたのですが、聞き容れられませんでした。患者さんが患者様になった時、やせ症は患者様ではなくなったようです。
 犠牲者が出て裁判にでもならない限り、こんな状態が続くのかというのが、この疾患に責任を持たなくてはいけないと考えている医療者の共通の思いです。

 開業して3年半がたちましたが、心配していたとおり毎年2〜3名の方が危篤状態になっています。


 さらに、いわゆるダイエットについて一言。

安全なやせ薬はありません。

体重は、取り入れたエネルギーと使ったエネルギーの差によって決まります。簡単ですが、絶対動かない法則です。

 食べるものが無い時に空腹感をまぎらわせるための薬は、タバコ・コーヒーなど昔からありますが、食べ物があるのに、食べたい気持ちを無くす薬はありません。

マジンドールという食欲欲制薬(対象は極めて限定されていて、摂食障害には使えません。)が、医薬品として認められていますが、他院で頼み込んで出してもらって、内服したことのある患者さんの話では、普通の食欲は低下するが、がぁーっと食べたいという過食衝動には効果がなかったと言います。

 不合理なことで体を壊したり、お金を使ったりしないで下さい。