| 村上春樹 (長編) |
| 風の歌を聴け | ||
1970年の夏、海辺の街に帰省した僕は、友人の鼠とビールを飲み、介抱した女の子と親しくなって、退屈な時を送る。二人それぞれの愛の屈託をさりげなく受け止めてやるうちに、僕の夏はものうく、ほろ苦く過ぎさっていく。 どこかヴォネガットやブローティガンのようなアメリカ文学のかおりのする小説。リアルタイムにこの本を読んでいたらな〜と感じます。 |
| 1973年のピンボール | ||
さようなら、3フリッパーのスペースシップ。さようなら、ジェイズ・バー。双子の姉妹との僕の日々。女の温もりに沈む鼠の渇き。やがて来る一つの季節の終わり・・・。 三部作の第二弾。双子の姉妹と暮らすなんていいですね〜(笑)。 |
| 羊をめぐる冒険 | ||||
あなたのことは今でも好きよ、という言葉を残して妻が出ていった。その後広告のコピーの仕事を通して、耳専門のモデルをしている21歳の女性が新しいガールフレンドとなった。北海道に渡ったらしい鼠の手紙から、ある日羊をめぐる冒険行が始まる。 ここらへんから作風が、いっそう村上春樹独自のスタイルに変わったように感じます。個人的にはこの「羊をめぐる冒険」か、「世界の終わりと・・・・・」のどちらかが村上春樹のベスト。 |
| 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド | ||||
高い壁に囲まれ、外界との接触がまるでない街で、そこに住む一角獣たちの頭骨から夢を読んで暮らす〈僕〉の物語、[世界の 終り]。老科学者により意識の核にある思考回路を組み込まれた〈私〉が、その回路に隠された秘密を巡って活躍する[ハードボイルド・ワンダーランド]。静 寂な幻想世界と波乱万丈の冒険活劇の二つの物語が同時進行して織り成す、村上春樹の不思議の国。 「羊をめぐる冒険]の<コメント>でどちらかがベストと書いたが、[世界の終り・・・・]が一歩リードって感じです。読んでいる途中で物語が終わるのが惜しくなるような名作。レイモンド・チャンドラー的な「ハードボイルド・ワンダーランド」と幻想的な「世界の終り」の絡み合いにひきつけられていく。この作品に限らず村上さんの小説にはある種の境界というものを考えさせられる。 |
| ノルウェイの森 | ||||
暗く重たい雨雲をくぐり抜け、飛行機がハンブルグに到着すると、天井のスピーカーから小さな音でビートルズの「ノルウェイの森」が流れ出した。僕は1969年、もうすぐ20歳なろうとする秋のできごとを思い出し、激しく混乱していた。 多くの人と同様に、初めて読んだ村上作品が「ノルウェイの森」でした。寝る前にベッドの中で読み出し、どこか心を捉えられて寝付けず、朝まで読みつづけた思い出があります。読む前に抱いていたこの本のイメージ――昔売れてた恋愛小説――と読んだ後の印象は違い、確かに恋愛小説なのかもしれないけどそこは村上春樹、ただの恋愛小説とはひとあじもふたあじも違います。自分の精神状態がへこんでいるときに読むと、どこかこの本に食いつぶされそうなほど不思議な負の力を感じる。 |
| ダンス・ダンス・ダンス | ||||
「羊をめぐる冒険」から4年、激しく雪の降りしきる札幌の町から「僕」の新しい冒険が始まる。奇妙で複雑なダンス・ステップを踏みながら「僕」はその暗く危険な運命の迷路をすり抜けていく。 鼠三部作を読み、その後[ダンス・ダンス・ダンス]の順に読んでいくと感慨もひとしお。四部作に共通していることだと思うけど、物語のバックグラウンドに死というものが深くて暗い影を落としているように感じる。 生と死と言うと全く反対の事で180度違うように感じるが、いざ近しい人の生と死の問題に直面したりすると生と死は反対のことではなく、「生の中に死がある」と感じるのだろうか。ぼくはまだ人生経験も浅くそういう問題に直面した事はないが、不思議とどことなくわかるような気がする。 |
| 国境の南、太陽の西 | ||
今の僕という存在に何らかの意味を見いだそうとするなら、僕は力の及ぶかぎりその作業を続けていかなくてはならないだろう――たぶん。「ジャズを流す上品なバー」を経営する、絵にかいたように幸せな僕の前にかつて好きだった女性が現れて・・・。 青春の終りはある日突然とやってくるらしい(笑)。もう少し年を重ねてから読むとまた違った印象になりそう。 |
| ねじまき鳥クロニクル | ||||||
「人が死ぬのって、素敵よね」彼女は僕のすぐ耳元でしゃべっていたので、その言葉は温かい湿った息といっしょに僕の体内に そっともぐりこんできた。「どうして?」と僕は訊いた。娘はまるで封をするように僕の唇の上に指を一本置いた。「質問はしないで」と彼女は言った。「それ から目も開けないでね。わかった?」僕は彼女の声と同じくらい小さくうなずいた。 全3部作でかなり長いですが、すらすらと最後まで読めます。ある意味村上春樹の集大成といった感もあり、大作です。 |
| スプートニクの恋人 | ||
22歳の春にすみれは生まれてはじめて恋に落ちた。広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。それは行く手のかたちあるものを残らずなぎ倒し、片っ端から空に巻き上げ、理不尽に引きちぎり、完膚なきまでに叩き潰した。 「ノルウェイの森」同様にこちらもただの恋愛小説ではなく、とても奇妙な三角関係が織り成す不思議な物語。ど〜でもいいけど「ビートニク」と「スプートニク」をどうまちがえんねん(笑)!! |
| 海辺のカフカ | ||||
15歳の誕生日、少年は夜行バスに乗り、家を出た。一方、猫探しの老人・ナカタさんも、なにかに引き寄せられるように西へと向かう。暴力と喪失の影の谷を抜け、世界と世界が結びあわされるはずの場所を求めて・・・。 外の世界に存在する様々な暴力が、自分の内側に存在する世界に入り込む。そのことによって自分の内側に存在する大切にしているもの、大事なものが流出し、内なる世界が損なわれてゆく。いかに内なる世界を守ろうとしても、外からの侵入、内からの流出を防ぐことはできない。まるで深い井戸の中に一人で生きるように、自分の内側の世界に引きこもったとしても・・・・。だから、人はどこかに外側の世界と内側の世界との境界線、つまりは自分と社会との接点の落としどころというものをタフに見つけていかないといけない。そんな『タフさ』をいかにして身につけるかを、この作品で村上さんは15歳の少年を通して描いている。 『外の世界の暴力によって、内なる世界が損なわれていくシステム』というものが、これまでの作品を含めて村上文学の骨格となっていると僕は思う。そしてこの作品では、その骨格がこれまでの作品に比べて、よりストレートに表現されていると思う。ただし誤解をされそうなので断っておくが、ストレートに表現されているとはいっても、それはけしてわかりやすいというわけではない。そこは村上春樹というべきか、いつもどおり象徴的で、そしていつにもまして哲学的な色彩をおびている。そこがこの作品に対する、好き嫌いの分かれる評価のポイントになりそうな気がするけど、これまで書かなかったこと、いや、書けなかったことを村上さん自身が書けるようになったかのような、えらそうに言わせてもらえば、村上春樹という作家のレベル・アップが感じられる作品であることは間違いない。 (2002/10/5) |
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