近くて遠い方

       カトリック松山教会・担当司祭
        ルイス・グティエレス神父
 『聖霊来てください』とか、『わたしたちの上に降りて来てください』とか、何か意識的のうちに聖霊に向かうとき、実は無意識のうちに聖霊はどこか遠いところにおられる方のように思い込んでいるような気がします。特に、上から降りて来られるというようなイメージを文字通りに解釈してしまっています。
 どうして、聖霊をこのように、自分から離れておられる方、呼んだときにしか来てくださらない方のように考えてしまったのでしょうか。ここで、聖霊が聖書の中でどのように描かれているのか、少し調べてみました。
 旧約聖書では、厳密な意味で聖霊という捉え方をしていませんが、たとえば次のような描写があります。

 『サムエルは油の入った角を取り出し、兄弟たちの中で彼に油を注いだ。その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。…こうして…主の霊はサウルから離れ…』とあります(サムエル記上・16 ・13─14)。
 イメージとしては、外から来て、また去っていかれる方です。しかし、イエスご自身のお言葉によれば、実に違ったイメージが示されています。
 『この方は、心理の霊である。あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである』(ヨハネ14.17)。
 だから明らかに、外からあるいは上から降りてくる方ではなくて、すでに信仰の恵みに生きる私たちの中に、住んでおられる方なのです。
 パウロの表現はさらに明確です。『あなた方の体は、神からいただいた聖霊が宿っていてくださる住まいである』(1コリント6・19)。従って、外から呼び寄せる方ではなく、既に私たちの中におられる方なのです。
 ここで大切なのは、この既に私たちと共におられ、とても身近な方にどのように従うかです。
 「聖霊に導かれる」とは、一体どういう体験を言うのでしょうか。あまりにも身近な方なので、つい忘れたり、無視したり、無下にしているように思われます。
 だから、ときどき、意識的に聖霊に心を開いて、素直に「従います」という決意を新たにする必要があります。
 年とともに頑固になるのではなく、ますます聖霊の思いの中に生きることが出来れば幸せだと思います。
 「50にして天命を知る」とありますが、私の場合、聖霊の導きにより一層素直に従うことが無理なく出来るようになればと願っています。とにかく『霊の姿にかえられる』(Uコリント3・18)まで、歩み続けたいものです。