死者の月にあたって

       カトリック松山教会・担当司祭
        ルイス・グティエレス神父
 日本の習慣を思うとき、8月は死者の月≠ニいえるでしょうね。
 数年前に中央協議会から出た小冊子「祖先と死者についてのカトリック信者の手引き」はカトリック教会の中だけではなく、他宗派キリスト教会、そして仏教などの他宗教の間にも、予想外の大きな反響を呼び起こしました。
 今更のように、この問題が日本人の大きな関心事であり、その一方で多くの課題を抱えていることを物語っています。(この小冊子は大変、参考になります。まだ読んでいない方はこの機会にぜひ、目を通してください)。

 今、私たちは「日本の福音化」と言う課題に取り組んでいますが、この問題こそ日本人にとって決して避けて通ることのできない重要課題であると言えましょう。
 考えてみれば、日本人は有史以来、先祖の祀りを大切にしてきました。日本固有の宗教である神道は、この私たちの祖先の祀りと不可分に結びついています。
 中国、朝鮮半島を経て、日本にもたらされた仏教は、元来は死者儀礼とは全く無縁の宗教でありました。それに、神道の伝統と民族信仰に影響されてすっかり日本化されてしまい、葬式や法事を行うようになり、僧侶の主な仕事は死者儀礼となってしまったのです。
 その状態は今日まで続いています。識者の間に、これではいけないと言う声がないわけではありませんが、大勢を動かすまでには至っていないようです。
 そこでややもすれば、僧侶の生活が死者儀礼の謝礼に依存してしまうので、本来の宗教者としての生き方が問われていると言えましょう。

 しかし、他宗教のことを言うまえに・・・考えてみれば、我がカトリック教会のあり方も、その点は似てないとは言えないでしょう。
 司祭はしばしば依頼されて特定の死者のための意向でミサを捧げます。それは長く続いてきた教会の伝統です。
 死者のために祈るという伝統は素晴らしいことですが、司祭に依頼されるミサの『意向』の大部分は死者のためである、というのはどういうことでしょうか。
 お葬式をする、追悼ミサをするということの意味はどこにあるのでしょうか。
 単なる習慣や儀式、呪術(呪い)ではない、「何か」深い意味があるはずです。私たちは死者との強い繋がりを意識しています。
 問題は死者との繋がりにおいて、これから私たちがいかに生きていくべきか?ということではないでしょうか。
 死者の問題はすなわち生者の問題です。『神は死者の神ではなく、生きている者の神である』(ルカ20・38)というキリストの言葉をもう一度味わってみたいものです。